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モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」

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<びわ湖ホール声楽アンサンブル第51回定期公演/演奏会形式>
2013年2月2日(土)14:00/びわ湖小ホール

指揮/本山秀毅
リュート/高本一郎
ヴィオラ・ダ・ガンバ/上田牧子
リコーダー/中村洋彦/奥田直美
オルガン&チェンバロ/岡本佐紀子
ザ・オーセンティック・アンサンブル
びわ湖ホール声楽アンサンブル

ポッペーア/中嶋康子
ネローネ/山本康寛
オットーネ/小林あすき
オッターヴィア/森季子
セネカ/相沢創
侍女ドゥルシッラ/松下美奈子
乳母アルナルタ/迎肇聡
小姓ヴァレット/本田華奈子
侍女ダミジェッラ&美徳の神/岩川亮子
運命の神&知恵の女神/田中千佳子
愛の神アモーレ/栗原未和
廷臣ルカーノ/古屋彰久
隊長リベルト/林隆史
警吏リットーレ/砂場拓也
兵士/青柳貴夫/島影聖人


 モンテヴェルディ大好きを自任する僕は、オペラ上演なら常に行く気満々だが、これに“モダン楽器による演奏は除く”と云う留保を付けている。今回の上演で通奏低音はリュートとガンバの担当だが、弦楽合奏の九名は全てモダン奏者のようだ。しかし、何と云ってもびわ湖ホール企画公演で、少なくともプロデュースは信頼出来るし、ある程度の上演の質は担保されると考え、今日は聴きにやって来た。

 指揮の本山教授は十年前の関西二期会公演でも、「ポッペアの戴冠」を振っている。古楽器による上演だったと記憶するが、その際に教授は演奏者側から相当な批判を受けたらしいとは、後に聞いた話。でも、これは声楽科出身で経験不足の合唱専業指揮者を、いきなり本公演に起用した側に問題のあるとも云える。その後、教授は声楽アンサンブルの定期公演で、何度かバロック・オペラを取り上げ、一応の実績は積んでいるようだ。果たして今回、過去の失敗を生かせるのか、事前の期待と不安は相半ばすると云った処だった。

 今日はルネ・ヤーコプス版での演奏で、序曲としてのシンフォニアから、三人の神様によるプロローグへと続く。美徳の神の岩川亮子には抜群のアジリタの技術があり、愛の神の栗原未和はレジェーロな声が役にハマり、声の魅力で聴かせるだけではなく、細かいアーティキュレーションの作り方も心得ている。三人の内、知恵の女神はやや弱かったが、まずは快調な滑り出しである。

 オペラのお話は本筋に入り、オットーネのアリアで始まる。カウンター・テノール歌手出身の指揮者であるヤーコプスの校訂版で、オットーネにメゾを使うのも辛い処だが、やはりその声は軽やかさに不足している。重い音色の変わらないままでは、疲労の中に帰郷の喜びを噛み締めるような甘い音楽から、妻ポッペーアへの嫉妬に苦しむ音楽への切り替えも上手く行かない。僕の大好きなアリアだが、メゾでは効果の挙がり難いと感じる。ポッペーアに三行半を突き付けられる場面も、残念ながらオットーネの歌から、コキュの情け無さは伝わらない。

 ポッペーア邸を警護する兵士のデュオには、もう少しアチェルラントで畳み掛ける迫力と、やはり曲想の転換部での切り替えを意識して欲しい。ヘンな処で押したりして、音楽の抑揚と歌が一致しないし、後半はプッチーニと勘違いしたような重い歌になって終った。このデュオに本山教授は指揮していたが、もう少しキチンとした歌い方を事前に教え込み、本番は歌手二人に任せるのが、正しいマドリガーレ唱法だろう。

 夜は明けて、ポッペーアとネローネの後朝の別れのデュオ。ポッペーアの中嶋には大袈裟な程のデュナーミクの工夫があり、モンテヴェルディのスタイルをキチンと把握し、その音楽の甘さをタップリと表現する。高音部はややキンキンするが、伸びやかにリリックな声でアジリタもあるし、スピントするフォルテとソット・ヴォーチェの使い分けも上手い。失礼ながらこの方が、これだけ歌えるとは意外な程だった。

 だが、その相方のネローネの出来は今ひとつ。楽譜に噛り付いたままで、取り合えず譜面を歌にしましたと云う印象しか無い。そもそも力み過ぎな上、テノールなのにバリトンみたいな声の音色で、ネッチョリと甘い筈の愛のデュエットが、ちっとも甘くはならない。ネローネの帰宅後、ポッペーアの世話を焼きに出て来るアルナルタは、バリトンの迎肇聡が歌う。この役で女装するのは当然にしても、化粧までして出て来たのには笑って終うが、歌の方はバリトンの重い声で凄み過ぎで、今ひとつ弾まない。

 長目のアリアを歌う皇后オッターヴィアの、森季子はなかなか力強い唱い振り。この方はレジェーロなソプラノと思っていたので、これを少し意外に感じる。このアリアはパセティック一辺倒な歌で、十九世紀以降のオペラと同じアプローチでこなせる、音大声楽科出身の歌手にも取っ付き易い役ではある。

 声楽アンサンブルの現メンバーで歌えるのは、この人を置いて他に居ないセネカの相沢創。さすが力のあるバスで、取り合えず声の力で圧倒する。これもクソ真面目に歌えば、それでサマになる役柄だが、相沢は一本調子に歌い飛ばしていて、もう少しメリハリを付ける等の工夫は欲しい。

 ネローネから死刑を言い渡されたセネカに、弟子達が死ぬなと懇願するトリオのマドリガーレは、ATB各パート二人の六人で歌われる。もっとネッチョリやって欲しい曲をアッサリ歌い過ぎで、これは指揮者の責任だろうか。ここの最上声部にも、カウンター・テノールの欲しい処ではある。続いては「フィガロの結婚」のケルビーノとバルバリーナを髣髴とさせる、お小姓と侍女によるコメディ・リリーフの場面。美徳の神と二役でダミジェッラを歌う岩川は音楽の甘さを表現出来るが、ヴァレットの本田は声の魅力に乏しい上、メリスマも全く転がらず、デュエットは今ひとつ噛み合わない。

 ネローネとルカーノによるポッペーアを讃え、セネカを嘲笑うデュエットで、ルカーノの古屋は頑張ってはいるがマドリガーレのリズムにならず、このデュエットは共倒れ。でも、オットーネがドゥルシッラにポッペーア殺害の助力を乞う場面で、ドゥルシッラの松下美奈子はマドリガーレのリズムを理解し、キチンと弾む歌を唱える。松下はネローネに糾弾され、オットーネの罪を被ろうとする場面では、スタイルだけではなく情感も表出する。一方のオットーネは音楽の理解も浅いが、意図的にパセティックにやっている様子があり、この二人の組み合わせも噛み合っていない。

 アルナルタの迎は、二幕の子守唄も真面目過ぎて味わい深さは出て来ず、もっと思い切ってクサくやるべきと感じる。三幕でポッペーアの皇后即位を大喜びする場面では、自らの声を聴かせようとする意識の強過ぎる為、本当の意味で弾んだ歌にはならない。昔、パーセル・カルテット来日公演での「ポッペアの戴冠」で、カウンター・テナーのドミニク・ヴィスが、舞台上を走り回るのを実際に目の当たりにした身としては、今日の迎君は余りにも物足りない。

 それでもオペラも大詰め、ポッペーア戴冠式で祝賀のマドリガーレが華々しく歌われ、ネローネとポッペーアの愛のデュエットでネッチョリ締め括られると、やっぱりモンテヴェルディは良いよなぁとシミジミ思う。

 今日の指揮者はさすがに前回の失敗に懲りたのか、フレーズの最後を切るのでは無く、パウゼを入れて流れに任せる事を学んだ様子だ。古楽器にも懲りた様子で、自分が副学長を務める音大出身者等、気心の知れたモダン奏者でオケを固めた。僕も彼の指揮で歌った事はあるので、この人の生真面目な性格は承知している。要するにマジメ過ぎて、モンテヴェルディの甘さや楽しさを伝えるのは不得手なのだろう。

 今日は僕の気付いただけでも二幕で二人、三幕でも一人の観客が開演中、休憩を待たずに場外へ出て行った。どうやら今日の演目に、最後まで辛抱出来ない程に退屈した人も居るようだ。初期バロック様式に馴染みの無い一見客は、モンテヴェルディの演奏会形式上演に多大な負担を強いられるようだ。そこには真面目過ぎて弾まない、本山教授の音楽的指向とモダン楽器の均一な音色とが、大きく与っているとも思うのだ。

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