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モンテヴェルディ「オルフェオ」

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<音楽青葉会・静岡児童合唱団×SPAC‐静岡県舞台芸術センター共催/プレミエ>
2013年9月7日(土)16:00/静岡芸術劇場

ムジカ・パシフィカJPN
ヴァイオリン/キャサリン・マッキントッシュ/三輪真樹
ヴィオラ/廣海史帆/荻野美和
チェロ/高橋弘治
ヴィオローネ/徳島大蔵
バロックハープ/伊藤美恵
キタローネ&バロックギター/佐藤亜紀子
チェンバロ&オルガン/戸崎廣乃/中村文栄
リコーダー/太田光子/浅井愛
パーカッション/立岩潤三

構成・演出/宮城聰
照明/樋口正幸
衣装/丹呉真樹子
映像/大塚翔太

オルフェオ/辻康介
エウリディーチェ&木霊/戸崎文葉
音楽の神&使者&プロセルピーナ妃/太刀川昭
希望スペランツァ/淀尚子
太陽神アポロ/福島康治
牧人パストラーレ/簑島晋
冥界の霊/望月忠親/阿部大輔
静岡児童合唱団
青葉会スペリオル
青葉会男声合唱団

<俳優>
プロセルピーナ妃/本多麻紀
プルトーネ王/吉植荘一郎
渡し守カロンテ/牧山祐大
番犬ケルベロス/泉陽二/大高浩一/奥野晃士


 木曜日に長旅から帰宅したばかりで、翌々日には日帰りで静岡まで出掛ける。自分で決めた事とは云え、さすがに疲労は抜けない。モンテヴェルディのオペラ上演等、決して頻繁にある訳でも無いのに、中三日で「ポッペーアの戴冠」と「オルフェオ」の公演が行なわれる。アントネッロとムジカ・パシフィカJPNは、共に古楽演奏を標榜する団体で満更知らない仲でも無し、出来れば連携を密にして頂きたく思う。

 正式名称は静岡県コンベンションアーツセンターで通称グランシップは、同じように東海道線の車窓から望まれる、有楽町の東京国際フォーラムみたいな施設で、磯崎新設計の馬鹿デカイ建物の中に静岡芸術劇場はある。東静岡駅を出て巨大施設の西側から、グルリと南側へ回り込み、劇場の入口まで辿り着く。新国立劇場みたいな出来損ないとは違い、馬蹄形で階段状の客席からは前の人の頭等を気にせず、プロセニアムの無い舞台を見渡せる演劇専用ホールである。

 この劇場は単なる貸し館ではなく、97年から活動を始めた県営劇団、静岡県舞台芸術センター(略称SPAC)の本拠地として建設された。今回の上演は静岡を代表する二つの芸術団体、静岡児童合唱団とSPACに拠る、初の本格的なコラボが売り物となっている。SPACは早稲田小劇場を率いて利賀国際フェスティバルを開催した、前衛演劇の鈴木忠志が初代芸術監督を十年間務めた後、現在は劇団ク・ナウカを主宰する宮城聰へ引き継がれている。ダンサーで振付家の金森穣を芸術監督に迎え、劇団専属のダンスカンパニー「Noism」を運営する新潟りゅーとぴあや、指揮者の沼尻竜典を芸術監督に招き、世界へ発信するオペラ制作を標榜するびわ湖ホール等と共に、SPACは行政がソフトに予算を割く文化事業の有るべき姿だろう。

 静岡駅の北側には市営の静岡音楽館AOIがあり、こちらは作曲家兼ピアニストの野平一郎を芸術監督として、やはり活発に自主企画公演を行っている。別々にハコ物を作っても、それぞれ演劇と音楽に特化してソフトへの予算を執行する、静岡県庁と静岡市役所の役割分担は、全国の自治体(特に大阪ね)の見習うべきモデル・ケースと云える。

 今回、演奏のリーダーを任されたのは、英国から招聘されたヴァイオリニストのキャサリン・マッキントッシュで、彼女はクリストファー・ホグウッドがエンシェント室内管弦楽団とモーツァルトの、ロジャー・ノリントンがロンドン・クラシカル・プレイヤーズとベートーヴェンの、それぞれピリオド楽器に拠る交響曲全集を史上初めて録音した際にコンミスを務めた、謂わば古楽演奏のレジェンド的な存在である。更にキャサリンおばさんはパーセル・カルテットのファースト・ヴァイオリンとして、「オルフェオ」と「ポッペーアの戴冠」の来日公演にも参加していて、指揮者無しでのモンテヴェルディ上演の実績もある方だ。あの二つの公演は、僕も存分に楽しんだ記憶がある。

 舞台に上げ降ろしすべき幕は無く、開演前の舞台で何かゴソゴソやっている、如何にもな小演劇風の演出でオペラは始まる。天蓋付きのケージみたいなものが幾つか置かれ、その天井の上にジャージ姿のおっさんが寝転がり、小さなモニターを見ている。このスキンヘッドの親爺は後程、プルトーネを演ずる役者さんと分かる。やがて開演時間になると、ケージの中に座る九名のオケ奏者と、ムジカを歌う太刀川が出て来て演奏は始まる。最近は冒頭のトッカータから、全曲のテーマ・ソングとも云うべきリトルネッロへ雪崩込まず、そこで一呼吸を置く演奏の多いように思う。

 この間、箱の上では白衣姿の役者達が、等身大の人形に対し解剖だか蘇生だかをやっていて、突然その人形が暴れ出して舞台に落っこちると、人形はオルフェオとなって歌い出す意表を突いた展開。一方のエウリディーチェも空気で膨らませた人形で、何れも死体を暗示しているようだ。ここに一体どのような寓意の含まれるのか、宮城の「演出ノート」を参照しつつ忖度すれば、死者に逢いに行くオルフェオの物語は、人間の歴史で長い間に積み上げて来た“死後との和解”がテーマで、不可思議でアンタッチャブルな死後の世界へ出掛ける人間は、有限な生をどう生き切るか問い掛ける存在なのである。

 エウリディーチェの死を告げるシルヴィアも誰かに操られる人形のようで、今日の演出での「オルフェオ」の物語は、牧人の住む生者の世界とは異なる死者の物語のようだ。オルフェオが冥界へ向かう場面はコメディ・リリーフで、三途の渡し守カロンテも冥界の王プルトーネも歌わず、台詞のみの役者が演じる。カロンテは良く通る大声で頻りに笑いを取りつつ、真面目腐って歌うオルフェオには茶々を入れる。工夫としては面白いが、少し遣り過ぎの気もして、ここはもっとジックリ歌そのものを聴かせて欲しい処だ。

 オルフェオはケージに掛けられた梯子段の中程に立ち歌う。カロンテの差し向ける番犬のケルベロスは、何れもオルフェオの歌の威力に撃退され、尻尾を巻き梯子段を転げ落ちる。ここで役者の一人がオルフェオの歌を伴奏する、ハープ奏者まで弄りに行ったのは結構笑えた。再びエウリディーチェを失ったオルフェオは、武装組織の首領らしきアポロに伴われ迷彩服に着換えるが、20人弱で妖精ニンファの衣装を着け、コーラスとして舞台に上がった静児の子供達の説得に、テロリストとなる事を思い止まる。お手製段ボールの楽器を抱えた静児の子供達と、出演者全員でオルフェオのテーマ・ソングを歌い、オペラ全幕のフィナーレとした。

 三幕でオルフェオの歌う“三途の渡しのアリア”は、正しく辻康介の絶唱だったと思う。勿論、堅実なアジリタもあるし音色の変化もあるが、それよりも繊細なアーテキュレーションの工夫、つまり一つ一つの音符の軽重を見極めた上で、全体を見通したテンションの推移を捉える構成力に秀でている。ここまでモンテヴェルディの音楽を深く掘り下げて解釈する歌手の居た事を、今まで知らずにいた不明を恥じねばならない。

 一人四役を歌う太刀川昭は、希少なカウンター・テノールだが声の伸びやかさに欠けて、長いフレーズを保つだけの力に乏しい。エウリディーチェの戸崎文葉は静岡児童合唱団の指揮者で、タリス・スコラーズの来日時には同行し通訳を務める人。今日はソプラノ歌手としての出演で、一幕の歌は平べったかったが、四幕のオルフェオへの告別の歌は上手に唱えていた。アポロの福島康治はアジリタの技術と、アゴーギグの変化に工夫のある、自由な歌い振りが良かった。

 指揮者無しでの演奏だが、シルヴィア登場やオルフェオの振り返る場面等、鍵盤奏者の出す合図では不充分で、劇的な盛り上がりを欠いて終う。また、リコーダーは効果的に使えたが、金管を一切欠いた編成で、オペラらしい華やかさに乏しいのも不満。演出では照明がずっと薄暗いままなので、これにも一工夫の欲しい処だ。

 今回の「オルフェオ」上演はSPACとの共同主催だが、静児として創立70周年記念公演の一環と位置付けている。この三月に行われた記念公演は静岡音楽館で、野平一郎を指揮者として「進化論」の自作自演と、モツレクをオケ伴で演奏している。静児は多治見少年少女合唱団や小田原少年少女合唱隊と共に、優秀な指導者が情熱を注ぎハイ・レヴェルな演奏活動を行う、地方からの文化発信の成功例の一つだろう。

 ただ、静児の活動が他と大きく異なるのは、プロ奏者となってピリオド楽器に走ったOG・OBと共に、古楽演奏を盛んに行っている点にある。今回、渡邊順生の弟子の戸崎廣乃と、ルネ・ヤーコプスに師事した太刀川昭のコンビが、ムジカ・パシフィカJPNとして古楽器オーケストラを編成しオペラを上演した。音楽青葉会の許に活動するOBのプロ奏者と共に、モンテヴェルディのオペラで創立七十周年を祝う、今回は静児の面目躍如と云うべき「オルフェオ」上演だったと思う。

 上掲の写真は“オルフェオ”Tシャツを着込み、観客をお迎えしてくれた宮城聰さんです。ご協力有難うございました。

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