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Channel: オペラの夜
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ハインリッヒ・シュッツの声楽芸術 in 西宮

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2013年9月13日(金)19:00/西宮甲東ホール

ソプラノ/進元一美
カウンターテノール/上杉清仁
テノール/谷口洋介
バス/高曲伸和
ヴィオラ・ダ・ガンバ/吉田一美
オルガン/野澤知子

シュッツ「Jubilate Deo 主を称えよ(SATB)SWV.332
Der Herr schauet vom Himmel 主は天上より我等を見給い(SB)SWV.292
Die Seele Christi heilige mich キリストの御魂よ我が心を(ATB)SWV.325
Eile mich,Gott,zu erretten 主よ急ぎ来たりて我を救い給え(S)SWV.282
Schaffe in mir,Gott,ein reines Herz 神よ我が清き心を(ST)SWV.291
Ich danke dem Herrn von ganzem Herzen 私は心を尽し感謝を(B)SWV.284
Ist Gott fuer uns 神は我に味方し(SATB)SWV.329
Die Stimm des Herren gehet auf den Wassern(SATB)主の御声は水上に響き SWV.331
O suesser,o freundlicher,o guetiger(T)優しく寛大なイエスよ SWV.285
Meister,wir haben die ganze Nacht gearbeitet 師よ我等は夜を徹し(TB)SWV.317
Wer will uns scheiden 誰が我等をキリストより引き離し(SATB)SWV.330
O Jesu,nomen dulce イエス、甘き名よ(A)SWV.308
Habe deine Lust an dem Herren 主に自らを委ね(SA)SWV.311
Rorate coeli desuper 天より滴る露を(SAB)SWV.322
Veni,sancte Spiritus 聖霊よ来たれ(SATB)SWV.328」
(小宗教コンチェルト集 Kleiner Geistlichen Concerten)
ジョヴァンニ・ガブリエリ「第九旋法のフーガ」
ブクステフーデ「ガンバ・ソナタ」Buxwv.268

 
 日本の古楽演奏の総本山、バッハ・コレギウム・ジャパンの本拠地は神戸にあるが、そのメンバーに関西在住の演奏家は殆どいないようだ。上杉清仁や谷口洋介にしても、関西ではBCJ以外のコンサートで、その歌声に接する機会は少ない。古楽奏者は関西と首都圏で、ほぼ定まったメンバーに分かれていると云うか、関西の古楽団体は僕のような素人からすると、日本テレマン協会やダンスリー・ルネサンス合奏団等、それぞれの蛸壺に籠もっているように見える。古楽演奏そのものの一般化が進む時代に、東西で演奏家同士の交流を密にする試みを、関西在住の聴き手として大いに歓迎したい。

 今回のコンサートは一週間前、全く同内容で東京でも行われていて、上杉に拠れば「関東関西隔たり無く交流し、音楽界自体を盛り上げる事を目的として企画され」たそうである。ソプラノの進元一美は関西を中心に、それなりの演奏活動を積んでいる人のようだし、バスの高曲伸和は大学院在学中ながら、年間に四回も歌手として「魔笛」に出演したり、自らオケとコーラスを組織し、「ロ短調ミサ」や「メサイア」を指揮したりする、誠にバイタリティ溢れる若者のようだ。

 プログラムは「クライネ・ガイストリッヒェン・コンツェルテン」全二巻からの抜粋15曲をメインに、箸休めのインストゥルメンタルを二曲で構成する。そのまま日本語にすると「小教会合奏曲集」は、作曲家として働き盛りの壮年期にドイツ三十年戦争に遭遇したシュッツが、戦火に疲弊したドレスデン宮廷で楽長としての責務を果たす為、五名までの独唱歌手に楽器はコンティヌオの小編成で作曲された。そこには前世紀の大戦の最中、ストラヴィンスキーが「兵士の物語」を、メシアンが「世の終わりの為の四重奏曲」を、それぞれ限られた編成で作曲したのと同じ事情があった。今日は四名の歌手と二名の器楽奏者に拠り、滅多に聴く機会の無い「クライネ」が演奏される。

 ドイツ・リートとも云うべき一声曲の中で、SWV.282は劇的に語るイタリア的なモノディ様式のソロ曲を、ソプラノの進元一美は伸びやかなリリコの声で、強い表現意欲を顕わにし歌い上げる。ただ、この方はソロの歌は良いのだが、アンサンブルだと高音のキンキンするのが多少気になる。SWV.284は本来アルト・ソロのようだが、今回はバスの高曲伸和が歌った。抜擢された若手に期待するが、まだ年齢的にバス歌手としては熟成不足のようで、やはりここは“声”そのもので聴かせて欲しい処ではある。

 テナー・ソロのSWV.285を、谷口洋介は存外に重目の声でガンガン歌い、声も音楽性も図抜けた印象を受ける。特にカンタービレなピアニシモと、オペラ・アリアっぽいフォルテに対照を付ける、広いダイナミク・レンジの使用法に秀でている。SWV.308のアルト・ソロは上杉清仁の担当で、これも甘く切々とした歌い口が良かった。アンサンブルでは抑え気味だった上杉も、この独唱曲で本領を発揮したように思う。関東勢の二人の歌手は、さすがに場数を踏んでいるだけあって、音楽に対し余裕を持って接していると感じる。

 二声曲ではソプラノとテノールの組むSWV.291に、信仰の喜びを歌い上げる愉悦感の表現があった。SWV.317はガリラヤ湖畔のイエスと漁師ペテロの歌で、テノール同士のデュエットを谷口と高曲のコンビで歌ったが、これは二人とも相手に合わせようとし過ぎで、盛り上がりに欠ける。SWV.311のソプラノのデュエットも、進元とアルトの上杉の組み合わせで、このコンビはノリ良く対等に張り合い、終結部のアレルヤの掛け合いに聴き応えがあった。三声のSWV.325では男声のみのハーモニーが純正にキマり、僕の背筋にゾクッと来る。

 これだけ立て続けにシュッツを聴くと、やはりシュッツはドイツ語の表現に尽きると感じる。声を張り上げる必要は無くとも、ソロでは声をホールに響かせるのが重要で、アンサンブルでは音楽に載せ、ディクションに語らせねばならない。その点で今日の四人組は充分楽しませてくれたが、やはりカルテット曲ならばSWV.330辺り、もっと四人の丁々発止の遣り取りで盛り上げ、ピアニシモとフォルテの対比を明確にして欲しい。要するにダイナミク・レンジを更に広げ、もっとメリハリを付けねばならぬと云う事。

 締め括りのラテン語モテット「Veni,sancte Spiritus」は、四人がノリ良くハジケて見せて、これぞカルテットの楽しさに溢れていた。美声とは云い難いバスの高曲君も、アンサンブルに貢献出来ていたように思う。アンコールには冒頭の、やはりラテン語モテット「Jubilate Deo」を再び歌ったが、これも声とノリにエンジンの掛かったのか、二度目の方が楽しめたように思う。

 今日の会場の入りは百人足らずで、客筋は圧倒的に中年層の女性率が高く、これは動員先の偏りの所為かも知れない。関西でシュッツを聴く機会は少ないし、聴きたい人はもっと大勢居る筈だが、今日のコンサートでは潜在的な聴衆層を掘り起こせていないようだ。大阪にもシュッツを名乗る演奏団体は一つあるが、そのネーミングに反しシュッツは殆ど遣らない。まあ、あの団体とは僕も些かの御縁があるので、ここで余り悪し様に言うのは控えて置きたい。

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