<日本センチュリー交響楽団第185回定期演奏会>
2013年10月24日(木)19:00/ザ・シンフォニーホール
指揮/小泉和裕
ソプラノ/釡洞祐子
バリトン/黒田博
日本センチュリー交響楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
大阪センチュリー合唱団
センチュリー響に取って激動の時期、六年間に亘り音楽監督を務めた、小泉和裕さんの年度末での退任が決まった。定期公演を振るのも今日が最後で、やはりそれを意識しているのだろう、大曲「ドイツ・レクイエム」で掉尾を飾る次第となった。この曲は皆様ご存じの通り、“Requiem eternam”で始まるラテン語歌詞では無く、ルター訳の聖書から作曲家に拠って任意に選ばれた、ドイツ語歌詞に付されている。
ブラームスの最も大規模で華やかな声楽曲は、恐らくカンタータ「リナルド」だろうが、一般的な認知度は「レクイエム」が圧倒的に高いし、この曲から滲む渋味には、如何にもドイツ・ロマン派らしい魅力が含まれている。コーラスはアマチュアの大阪センチュリー合唱団(こっちは“日本センチュリー”に変えてない)七十名に、びわ湖ホール声楽アンサンブルとして二十名をトラで投入し、合わせて九十名の大合唱団を編成している。しかも、その全員が暗譜と云う事で、定期公演への気合の入れようも伝わって来る。
低弦で静かに始まる第一楽章で、ノン・ヴィブラートの半透明な柔らかいハーモニーのあるコーラスを、指揮者は飽くまでレガートに歌わせる。合唱団はユッタリとしたテンポのピアニシモでも、高いテンションを保つだけの声の力があり、二楽章後半のフォルテの音量にも不足しない。テノール・パートは明らかに、びわ湖ホール声楽アンサンブルの声に主導されていて、プロ・アマの混成部隊としてウマく機能している。
三楽章で黒田博の剛毅な声は曲に合うが、本調子では無いのかやや声が上ずり気味だし、もう少しメリハリも欲しい処だ。オケもフォルテは良いのだけれど、ピアニシモでテンションの緩めになるのは気になる。穏やかな四楽章はフォルテでもレガートを保ち、緩やかな曲線を描いて音楽を盛り上げる。ここでの指揮者の山場の作り方は、所謂アルシス・テーシスに即したものと感じる。ただ、オケの合奏の方はハーモニーの音が揺れるので、もう少しキチンと合わせて欲しかった。
ソプラノの釡洞祐子に取って唯一の出番となる五楽章。ヴィブラートのキツいのは少し気になるが、細くスピントするピアニシモの高音に力があり、清澄な声でブラームスの美しさを際立たせる。六楽章は再び黒田の出番だが、やはり少し不安定で、本来もっと声を出せる人と思う。後半の山場ではコーラスに対し、指揮者は絶叫では無く柔らかい、浄化されたフォルテシモを要求する。終曲ではデュナーミクを粒立たせず、緩やかな山場を作る。更に突き詰めたピアニシモがあれば、もっと祈りの心も表現出来た筈だが、テンションを揚げるより緩める事で、曲を締め括ったように感じる。
ブラームスの代表作ともなれば、過去に数々の名盤も残されており、要求されるハードルも自ずと高くなる。クレンペラーやジュリーニの録音を持ち出して終えば、今時の演奏など全て聴くに価しないと云う結論へ、誘導されるのかも知れない。僕は実際の話、このテの曲はCDで聴けばそれで充分と云う意見に、思わず同意して終いそうな自分が怖い。今日の演奏では小泉とセンチュリーのブラームスに対する姿勢に、やや曖昧なものが残されているように感じる。生演奏を聴く楽しみとは、曲に対する指揮者の明確なアプローチを感じる事と思う。
2013年10月24日(木)19:00/ザ・シンフォニーホール
指揮/小泉和裕
ソプラノ/釡洞祐子
バリトン/黒田博
日本センチュリー交響楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
大阪センチュリー合唱団
センチュリー響に取って激動の時期、六年間に亘り音楽監督を務めた、小泉和裕さんの年度末での退任が決まった。定期公演を振るのも今日が最後で、やはりそれを意識しているのだろう、大曲「ドイツ・レクイエム」で掉尾を飾る次第となった。この曲は皆様ご存じの通り、“Requiem eternam”で始まるラテン語歌詞では無く、ルター訳の聖書から作曲家に拠って任意に選ばれた、ドイツ語歌詞に付されている。
ブラームスの最も大規模で華やかな声楽曲は、恐らくカンタータ「リナルド」だろうが、一般的な認知度は「レクイエム」が圧倒的に高いし、この曲から滲む渋味には、如何にもドイツ・ロマン派らしい魅力が含まれている。コーラスはアマチュアの大阪センチュリー合唱団(こっちは“日本センチュリー”に変えてない)七十名に、びわ湖ホール声楽アンサンブルとして二十名をトラで投入し、合わせて九十名の大合唱団を編成している。しかも、その全員が暗譜と云う事で、定期公演への気合の入れようも伝わって来る。
低弦で静かに始まる第一楽章で、ノン・ヴィブラートの半透明な柔らかいハーモニーのあるコーラスを、指揮者は飽くまでレガートに歌わせる。合唱団はユッタリとしたテンポのピアニシモでも、高いテンションを保つだけの声の力があり、二楽章後半のフォルテの音量にも不足しない。テノール・パートは明らかに、びわ湖ホール声楽アンサンブルの声に主導されていて、プロ・アマの混成部隊としてウマく機能している。
三楽章で黒田博の剛毅な声は曲に合うが、本調子では無いのかやや声が上ずり気味だし、もう少しメリハリも欲しい処だ。オケもフォルテは良いのだけれど、ピアニシモでテンションの緩めになるのは気になる。穏やかな四楽章はフォルテでもレガートを保ち、緩やかな曲線を描いて音楽を盛り上げる。ここでの指揮者の山場の作り方は、所謂アルシス・テーシスに即したものと感じる。ただ、オケの合奏の方はハーモニーの音が揺れるので、もう少しキチンと合わせて欲しかった。
ソプラノの釡洞祐子に取って唯一の出番となる五楽章。ヴィブラートのキツいのは少し気になるが、細くスピントするピアニシモの高音に力があり、清澄な声でブラームスの美しさを際立たせる。六楽章は再び黒田の出番だが、やはり少し不安定で、本来もっと声を出せる人と思う。後半の山場ではコーラスに対し、指揮者は絶叫では無く柔らかい、浄化されたフォルテシモを要求する。終曲ではデュナーミクを粒立たせず、緩やかな山場を作る。更に突き詰めたピアニシモがあれば、もっと祈りの心も表現出来た筈だが、テンションを揚げるより緩める事で、曲を締め括ったように感じる。
ブラームスの代表作ともなれば、過去に数々の名盤も残されており、要求されるハードルも自ずと高くなる。クレンペラーやジュリーニの録音を持ち出して終えば、今時の演奏など全て聴くに価しないと云う結論へ、誘導されるのかも知れない。僕は実際の話、このテの曲はCDで聴けばそれで充分と云う意見に、思わず同意して終いそうな自分が怖い。今日の演奏では小泉とセンチュリーのブラームスに対する姿勢に、やや曖昧なものが残されているように感じる。生演奏を聴く楽しみとは、曲に対する指揮者の明確なアプローチを感じる事と思う。