2012年10月27日(土)9:50/鹿児島市民文化ホール
木曜日の夕方、大阪南港かもめ埠頭から出帆する、鹿児島行きのフェリーに乗船する。翌金曜日の早朝、太平洋上でご来光を拝む。近年、コンクールのチケットは何だか矢鱈に取り難くなったし、そもそも鹿児島は遠いし、僕は当初どうしても全国大会を聴きに行こうと云う強い意欲は無かった。
従ってイープラスの抽選発売もヤル気は無く、自分のアドレスから応募しただけでは当然のようにハズれ、その時点でもう鹿児島へ行く気は失っていた。合唱連盟に四万円を寄付すれば招待状を寄越すらしいが、そこまでして聴く価値のあるものかと思う。一般発売は休日の朝の散歩がてら、近所のファミリーマートへ出向き、運試しの心算で端末を叩いたら、ポロっとチケットが取れて終った。その場で衝動的に購入して終い、そうなれば鹿児島まで行かざるを得ない。ヤフオクで叩き売ると云っても、今年は去年の東京開催の際のような、五万とか六万とかの馬鹿高い落札も無いようだ。
志布志港でフェリーを下船し、連絡バスで鹿児島市内へ向かう。バスは大隅半島を山越えし、やがて海岸沿いの道へ降りると、噴煙を揚げる桜島が見えて来る。鹿児島湾を回り込んで二時間半走り、JR駅前でバスを降りる。初めてやって来た鹿児島の街は、モクモクと煙を吹き、今にも噴火しそうな桜島が間近に迫って、こりゃ正しく最果ての異郷の地だなぁと思う。風が吹くと降り積もった火山灰が舞い上がり、目に入って痛いのも活火山を実感させる。
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街中をブラブラと歩き、まずは事前に調べて置いた酒屋さんへ向かう。照国神社の近くにある東川酒店は、外部に対し誠に開放的なお店なのに、何方も店番して居られない。コンパクトな店内を見渡すと、日本酒の品揃えもソコソコだが、やっぱ鹿児島なら芋焼酎でしょう。でも、焼酎の銘柄は良く分からんなぁと棚を眺めていたら、随分と経ってから奥様が事務室から現れる。奥様に開放的なお店ですねと言うと、盗まれたりするのは仕方ないですと仰り、それは幾ら何でもおおらかに過ぎるのではと思う。
まずは銘柄のご相談、思い切り芋臭い焼酎をとリクエストすると、お勧めは串木野の白石酒造のお酒で、「天狗櫻」と「花蝶木虫」。天狗さんはラヴェルが泥臭いので、「花蝶木虫」の一升瓶を買って帰る事とした。やがてご主人も戻られたので、古酒はあるかとお尋ねして見たが、今は在庫が無いとの事だった。この御夫婦、奥様は愛想良くお話し好きのようで、ご主人は無愛想と云うのでは無いが、如何にも余所者の考える薩摩隼人っぽく、ややぶっきら棒な口調の重い方だった。観光客なので昼酒を呑みたい、何処か良い店は無いかとお尋ねし、ご近所の天麩羅屋さんを薦めて頂く。
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そのお店の前まで行くと、何だか外観は高級料亭風でビビるが、店頭のお品書きを見ると値段は安いので、取り合えず入ってみる。カウンター席に座り、東川さんで教えられて来ましたと告げ、天丼定食を注文する。しかし、ランチしてる主婦の隣りで焼酎呑むのは、やっぱ居心地良くないですな。それでもお店の大将のお勧めに従い、焼酎をストレートで二杯頂く。普通、焼酎はオン・ザ・ロックかお湯割りだろうが、僕は生の焼酎をお燗して呑むのが好き。大将は芋焼酎は何を呑んでも味は同じで、銘柄に拘っても仕方ない。それよりも黒麹か白麹かで味わいの変わるので、それを目安にすれば良いと説明される。成程、芋焼酎初心者としては、それぞれ一杯づつ呑んで納得です。
その後はホロ酔い機嫌で繁華街を散策。しかし、九州第二(博多に中州があるので)の歓楽街、天文館通を歩いても、開いている居酒屋は見当たらない。こりゃお二人に昼酒スポットをお尋ねすると、結構悩ましそうな顔をされたのも道理ですな。大阪だと京橋とか十三とか、真昼間から呑んだくれてるオヤジだらけだが、薩摩隼人って真昼間から酒は呑まんものらしい。結局、山形屋百貨店で芋焼酎のアテ、キビナゴやら薩摩揚げやら黒豚やらを調達、今夜のお宿のホテルで呑む事とした。明日のコンクールに備え、今日は早寝しようと思う。でも、鹿児島の街は歩いていて何だか楽しいし、僕は結構気に入って終った。南国らしい雰囲気と、やっぱ桜島の迫力かなぁ…。
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話は跳んで、合唱コンクールの後日談。
うちのブログのブックマークには、新国立劇場合唱指揮者を務める三澤洋史のホームページ、「Cafe MDR」のリンクを貼っている。皆様ご存知と思うが、三澤は首都のナショナル・シアターで地位を得る以前に、バイロイト音楽祭で祝祭合唱団の指導スタッフを長年に亘り務めていた。彼は世界中を見渡しても他に何人も居ない、合唱指導に関し一流の手腕を持つ音楽家として、洋の東西を問わず認められた存在である。現在の新国立劇場合唱団の演奏レヴェルに、彼の確かな実力は如実に示されている。
僕も今はジ・アトレ会員を脱退し、新国立劇場から足は遠退いているが、亡くなった若杉弘さんが音楽監督を務めていた頃は、年に三回程も東京まで遠征していた。三澤がオペラ公演に際してチラシに載せる、曲紹介の短文は簡潔に要を得ている上、音楽的な示唆に富んで、取り分け初めて観る演目の場合、僕は重宝させて貰った。その三澤が合唱コンクール全国大会の審査員を務め、自身のホームページで意見を述べるなら、そこには当然ながら傾聴すべき内容が含まれる。
もし、新国立劇場合唱団がコンクール高校の部に出場しても、恐らく金賞は取れないと三澤は言うが、これは単なるレトリックで大した意味は無い。要するに、それだけ日本の高校コーラスのレヴェルは高く、研ぎ澄まされたアンサンブルのあると云う事実を強調したいだけだろう。実際の処、僕の聴いた範囲で日本のコーラスの最高峰は、新国立劇場合唱団とバッハ・コレギウム・ジャパンで間違いは無い。安積黎明高校や幕張総合高校が、その二団体を実力で上回るなど有り得ないとは、僕が請合う。日本の高校コーラスのアンサンブルの精度が世界一とは、話半分にしても大袈裟に過ぎると思う。
三澤の合唱コンクールに対する論点は、概ね二つに分かれる。一つは所謂名曲、スタンダード・ナンバーを取り上げた学校に対する評価で、ブルックナーのモテットを歌った安積高校を、「音楽の持つ格調の高さや、静けさの中にふつふつと湧き上がる信仰心、フレーズの中に息づくある種の味わいというものに欠け、何のミスもなく整った演奏ではあるが、明日にはもう忘れ去られてしまうようなもの」として切り捨てるが、これには僕もほぼ同感である。
三澤に拠れば「高校生達の発声は一般的に浅すぎると思う。だから外国語の曲になった時に、欧米人がするような深い息の表現が出来ていないのが目立ってしまう」。「高校生でも、もっと成熟した発声で合唱が出来るに違いない。でもそれをやり出すと、高校の三年間では発声法の充分な習得は難しいし、表現力は増してもその分アンサンブルが乱れるリスクを負う。だから、発声はそこそこにして表現力よりもノーミスの演奏を目指す」と云う事になる。
どうやら今期の安積高校の男子生徒には、プロのオペラ歌手を目指せるようなバリトンの居るようで、ブルックナーに不可欠な深い声の響きも、彼一人の声で実現可能と考え選曲したように思う。だが、安積高校の顧問教諭は練達のヴァイオリニストではあっても、残念ながら声楽指導に関しては、ほぼ素人のようである。安積高校は浅い声を意図して作っているのでは無く、深い声の作り方自体を知らないのが実情だろうと思う。
つらつら考えるに、僕が合唱コンクールを聴き始めた昔、深い声のコーラスは確かにあった。それは阿部昌司指揮の山形西高校であり、渡部康夫指揮の安積女子高校だったと思うのだ。あの二校には聴けば直ぐに分かる、個性的なサウンドがあった。二人の指揮者の定年や転勤と共に、両校の声は軽くなって行ったが、それは世代交代の所以であると共に、重厚さを厭う時代を映していたようにも思う。ただ、表現力の無い浅い声と、意図的に作る軽い発声は違う。それは結局、選曲の問題に繋がる。
三澤のもう一つの指摘は「ある作曲家の音楽は、コンクールでそれをきちんと演奏出来たとしたら必ず勝てるような要素が全部入っている。リズムや音程が複雑で、でもシェーンベルクなどのように複雑すぎて審査員の判別が難しいということはなくて、うまくさばけたら審査員も聴衆もすぐに分かるような効果的な書法。だから当然奥深い芸術性などというものはない」で、この意見にも僕は同意する。
僕が鈴木輝昭を初めてコンクールで聴いたのは金沢での全国大会で、その際の安積女子高校の「森へ」の演奏には鮮烈な印象が残っている。曲自体は甘ったるい旋律を山場に持って来ていて、然程に感心するような物でもなかったが、むしろそこが当時の指揮者の音楽性にフィットして、三善晃一辺倒からの方針転換に説得力があった。また、コンクール用に委嘱された最初の曲、「女に」は鈴木作品には数少ない、再演に耐え得る佳品だったと思う。しかし、その後の鈴木輝昭は片っ端からコンクール曲の委嘱を引き受け、駄作を量産する。特に英語歌詞の曲と、古典文学に題材を採った曲で、無内容な愚作の山を築いている。だが、そんな愚作にして難曲であっても、それを歌いこなす技術力の高い高校生を、音楽性豊かな顧問教諭の振れば、聴き応えのある演奏にして終う。
三澤に言われるまでも無く、そろそろ鈴木輝昭から離れるべき時期は来ている。自己の音楽性に自信を持っている筈の指揮者達が、何時までも鈴木輝昭への委嘱に拘るのも解せない話だ。所詮、コンクールの勝敗が出たとこ勝負なら、もう少し内容の豊富な取り組み甲斐のある曲をやった方が、金賞を取れずとも残るもののある筈だし、その分のリスクは少ないと云えるのではないか。三澤のクサす安積高校だが、ブルックナーに挑んだ事自体は評価したい。ただ、彼等が金賞を取れた事に満足し、音楽の奥深さに気付いていないとすれば、それもまた罪深い話と思う。しかし、ドデカフォニーを歌った会津高校は、難曲に挑んだだけではなく、音楽的な成功をも収めている。実際の話、新曲で金賞を取れなければ、それは作曲家への委嘱料とピアニストへの出演料を、鈴木家に寄付するだけの事ではないか。
阿部昌司は高校生に高田三郎を、渡部康夫は三善晃を歌わせる為、それぞれアルトに重低音を仕込み、ソプラノを暗い音色に染めた。発声の深い浅いは目的では無い、曲に必要とされるサウンドを突き詰めれば、目指すべき発声法は自ずと定まる筈だ。やはり大昔の話だが、伊藤千蔵指揮の八戸東高校はブラームスでは声を深くし、プーランクでは軽い声を作っていたと思う。鈴木輝昭を歌う発声法が、無味無臭で行き先不明となるのも、またムベなるかなである。
金賞を目指す事で音楽を置いてけぼりにするのは、本末転倒と云うものだ。才能ある指導者達には、もう一度そこを見詰め直して欲しいと思う。
木曜日の夕方、大阪南港かもめ埠頭から出帆する、鹿児島行きのフェリーに乗船する。翌金曜日の早朝、太平洋上でご来光を拝む。近年、コンクールのチケットは何だか矢鱈に取り難くなったし、そもそも鹿児島は遠いし、僕は当初どうしても全国大会を聴きに行こうと云う強い意欲は無かった。
従ってイープラスの抽選発売もヤル気は無く、自分のアドレスから応募しただけでは当然のようにハズれ、その時点でもう鹿児島へ行く気は失っていた。合唱連盟に四万円を寄付すれば招待状を寄越すらしいが、そこまでして聴く価値のあるものかと思う。一般発売は休日の朝の散歩がてら、近所のファミリーマートへ出向き、運試しの心算で端末を叩いたら、ポロっとチケットが取れて終った。その場で衝動的に購入して終い、そうなれば鹿児島まで行かざるを得ない。ヤフオクで叩き売ると云っても、今年は去年の東京開催の際のような、五万とか六万とかの馬鹿高い落札も無いようだ。
志布志港でフェリーを下船し、連絡バスで鹿児島市内へ向かう。バスは大隅半島を山越えし、やがて海岸沿いの道へ降りると、噴煙を揚げる桜島が見えて来る。鹿児島湾を回り込んで二時間半走り、JR駅前でバスを降りる。初めてやって来た鹿児島の街は、モクモクと煙を吹き、今にも噴火しそうな桜島が間近に迫って、こりゃ正しく最果ての異郷の地だなぁと思う。風が吹くと降り積もった火山灰が舞い上がり、目に入って痛いのも活火山を実感させる。

街中をブラブラと歩き、まずは事前に調べて置いた酒屋さんへ向かう。照国神社の近くにある東川酒店は、外部に対し誠に開放的なお店なのに、何方も店番して居られない。コンパクトな店内を見渡すと、日本酒の品揃えもソコソコだが、やっぱ鹿児島なら芋焼酎でしょう。でも、焼酎の銘柄は良く分からんなぁと棚を眺めていたら、随分と経ってから奥様が事務室から現れる。奥様に開放的なお店ですねと言うと、盗まれたりするのは仕方ないですと仰り、それは幾ら何でもおおらかに過ぎるのではと思う。
まずは銘柄のご相談、思い切り芋臭い焼酎をとリクエストすると、お勧めは串木野の白石酒造のお酒で、「天狗櫻」と「花蝶木虫」。天狗さんはラヴェルが泥臭いので、「花蝶木虫」の一升瓶を買って帰る事とした。やがてご主人も戻られたので、古酒はあるかとお尋ねして見たが、今は在庫が無いとの事だった。この御夫婦、奥様は愛想良くお話し好きのようで、ご主人は無愛想と云うのでは無いが、如何にも余所者の考える薩摩隼人っぽく、ややぶっきら棒な口調の重い方だった。観光客なので昼酒を呑みたい、何処か良い店は無いかとお尋ねし、ご近所の天麩羅屋さんを薦めて頂く。

そのお店の前まで行くと、何だか外観は高級料亭風でビビるが、店頭のお品書きを見ると値段は安いので、取り合えず入ってみる。カウンター席に座り、東川さんで教えられて来ましたと告げ、天丼定食を注文する。しかし、ランチしてる主婦の隣りで焼酎呑むのは、やっぱ居心地良くないですな。それでもお店の大将のお勧めに従い、焼酎をストレートで二杯頂く。普通、焼酎はオン・ザ・ロックかお湯割りだろうが、僕は生の焼酎をお燗して呑むのが好き。大将は芋焼酎は何を呑んでも味は同じで、銘柄に拘っても仕方ない。それよりも黒麹か白麹かで味わいの変わるので、それを目安にすれば良いと説明される。成程、芋焼酎初心者としては、それぞれ一杯づつ呑んで納得です。
その後はホロ酔い機嫌で繁華街を散策。しかし、九州第二(博多に中州があるので)の歓楽街、天文館通を歩いても、開いている居酒屋は見当たらない。こりゃお二人に昼酒スポットをお尋ねすると、結構悩ましそうな顔をされたのも道理ですな。大阪だと京橋とか十三とか、真昼間から呑んだくれてるオヤジだらけだが、薩摩隼人って真昼間から酒は呑まんものらしい。結局、山形屋百貨店で芋焼酎のアテ、キビナゴやら薩摩揚げやら黒豚やらを調達、今夜のお宿のホテルで呑む事とした。明日のコンクールに備え、今日は早寝しようと思う。でも、鹿児島の街は歩いていて何だか楽しいし、僕は結構気に入って終った。南国らしい雰囲気と、やっぱ桜島の迫力かなぁ…。

話は跳んで、合唱コンクールの後日談。
うちのブログのブックマークには、新国立劇場合唱指揮者を務める三澤洋史のホームページ、「Cafe MDR」のリンクを貼っている。皆様ご存知と思うが、三澤は首都のナショナル・シアターで地位を得る以前に、バイロイト音楽祭で祝祭合唱団の指導スタッフを長年に亘り務めていた。彼は世界中を見渡しても他に何人も居ない、合唱指導に関し一流の手腕を持つ音楽家として、洋の東西を問わず認められた存在である。現在の新国立劇場合唱団の演奏レヴェルに、彼の確かな実力は如実に示されている。
僕も今はジ・アトレ会員を脱退し、新国立劇場から足は遠退いているが、亡くなった若杉弘さんが音楽監督を務めていた頃は、年に三回程も東京まで遠征していた。三澤がオペラ公演に際してチラシに載せる、曲紹介の短文は簡潔に要を得ている上、音楽的な示唆に富んで、取り分け初めて観る演目の場合、僕は重宝させて貰った。その三澤が合唱コンクール全国大会の審査員を務め、自身のホームページで意見を述べるなら、そこには当然ながら傾聴すべき内容が含まれる。
もし、新国立劇場合唱団がコンクール高校の部に出場しても、恐らく金賞は取れないと三澤は言うが、これは単なるレトリックで大した意味は無い。要するに、それだけ日本の高校コーラスのレヴェルは高く、研ぎ澄まされたアンサンブルのあると云う事実を強調したいだけだろう。実際の処、僕の聴いた範囲で日本のコーラスの最高峰は、新国立劇場合唱団とバッハ・コレギウム・ジャパンで間違いは無い。安積黎明高校や幕張総合高校が、その二団体を実力で上回るなど有り得ないとは、僕が請合う。日本の高校コーラスのアンサンブルの精度が世界一とは、話半分にしても大袈裟に過ぎると思う。
三澤の合唱コンクールに対する論点は、概ね二つに分かれる。一つは所謂名曲、スタンダード・ナンバーを取り上げた学校に対する評価で、ブルックナーのモテットを歌った安積高校を、「音楽の持つ格調の高さや、静けさの中にふつふつと湧き上がる信仰心、フレーズの中に息づくある種の味わいというものに欠け、何のミスもなく整った演奏ではあるが、明日にはもう忘れ去られてしまうようなもの」として切り捨てるが、これには僕もほぼ同感である。
三澤に拠れば「高校生達の発声は一般的に浅すぎると思う。だから外国語の曲になった時に、欧米人がするような深い息の表現が出来ていないのが目立ってしまう」。「高校生でも、もっと成熟した発声で合唱が出来るに違いない。でもそれをやり出すと、高校の三年間では発声法の充分な習得は難しいし、表現力は増してもその分アンサンブルが乱れるリスクを負う。だから、発声はそこそこにして表現力よりもノーミスの演奏を目指す」と云う事になる。
どうやら今期の安積高校の男子生徒には、プロのオペラ歌手を目指せるようなバリトンの居るようで、ブルックナーに不可欠な深い声の響きも、彼一人の声で実現可能と考え選曲したように思う。だが、安積高校の顧問教諭は練達のヴァイオリニストではあっても、残念ながら声楽指導に関しては、ほぼ素人のようである。安積高校は浅い声を意図して作っているのでは無く、深い声の作り方自体を知らないのが実情だろうと思う。
つらつら考えるに、僕が合唱コンクールを聴き始めた昔、深い声のコーラスは確かにあった。それは阿部昌司指揮の山形西高校であり、渡部康夫指揮の安積女子高校だったと思うのだ。あの二校には聴けば直ぐに分かる、個性的なサウンドがあった。二人の指揮者の定年や転勤と共に、両校の声は軽くなって行ったが、それは世代交代の所以であると共に、重厚さを厭う時代を映していたようにも思う。ただ、表現力の無い浅い声と、意図的に作る軽い発声は違う。それは結局、選曲の問題に繋がる。
三澤のもう一つの指摘は「ある作曲家の音楽は、コンクールでそれをきちんと演奏出来たとしたら必ず勝てるような要素が全部入っている。リズムや音程が複雑で、でもシェーンベルクなどのように複雑すぎて審査員の判別が難しいということはなくて、うまくさばけたら審査員も聴衆もすぐに分かるような効果的な書法。だから当然奥深い芸術性などというものはない」で、この意見にも僕は同意する。
僕が鈴木輝昭を初めてコンクールで聴いたのは金沢での全国大会で、その際の安積女子高校の「森へ」の演奏には鮮烈な印象が残っている。曲自体は甘ったるい旋律を山場に持って来ていて、然程に感心するような物でもなかったが、むしろそこが当時の指揮者の音楽性にフィットして、三善晃一辺倒からの方針転換に説得力があった。また、コンクール用に委嘱された最初の曲、「女に」は鈴木作品には数少ない、再演に耐え得る佳品だったと思う。しかし、その後の鈴木輝昭は片っ端からコンクール曲の委嘱を引き受け、駄作を量産する。特に英語歌詞の曲と、古典文学に題材を採った曲で、無内容な愚作の山を築いている。だが、そんな愚作にして難曲であっても、それを歌いこなす技術力の高い高校生を、音楽性豊かな顧問教諭の振れば、聴き応えのある演奏にして終う。
三澤に言われるまでも無く、そろそろ鈴木輝昭から離れるべき時期は来ている。自己の音楽性に自信を持っている筈の指揮者達が、何時までも鈴木輝昭への委嘱に拘るのも解せない話だ。所詮、コンクールの勝敗が出たとこ勝負なら、もう少し内容の豊富な取り組み甲斐のある曲をやった方が、金賞を取れずとも残るもののある筈だし、その分のリスクは少ないと云えるのではないか。三澤のクサす安積高校だが、ブルックナーに挑んだ事自体は評価したい。ただ、彼等が金賞を取れた事に満足し、音楽の奥深さに気付いていないとすれば、それもまた罪深い話と思う。しかし、ドデカフォニーを歌った会津高校は、難曲に挑んだだけではなく、音楽的な成功をも収めている。実際の話、新曲で金賞を取れなければ、それは作曲家への委嘱料とピアニストへの出演料を、鈴木家に寄付するだけの事ではないか。
阿部昌司は高校生に高田三郎を、渡部康夫は三善晃を歌わせる為、それぞれアルトに重低音を仕込み、ソプラノを暗い音色に染めた。発声の深い浅いは目的では無い、曲に必要とされるサウンドを突き詰めれば、目指すべき発声法は自ずと定まる筈だ。やはり大昔の話だが、伊藤千蔵指揮の八戸東高校はブラームスでは声を深くし、プーランクでは軽い声を作っていたと思う。鈴木輝昭を歌う発声法が、無味無臭で行き先不明となるのも、またムベなるかなである。
金賞を目指す事で音楽を置いてけぼりにするのは、本末転倒と云うものだ。才能ある指導者達には、もう一度そこを見詰め直して欲しいと思う。