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Channel: オペラの夜
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R.シュトラウス「イノック・アーデン」op.38

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<三原剛が語る「イノック・アーデン」/日本語上演>
2012年11月18日(日)16:00/ザ・フェニックスホール

朗読&バリトン/三原剛
ピアノ/小坂圭太
美術/松井桂三

R.シュトラウス「間奏曲/トロイメライ(四つの情緒ある風景 op.9)/
Morgen 明朝/Heimliche aufforderung 密やかな誘い(四つの歌 op.27)/
アレグロ・モルト(五つの小品 op.3)/イノック・アーデン op.38」


 シュトラウスにこんな曲のある事を、僕は今回初めて知った。十九世紀のドイツでソコソコ流行ったが、現在では殆んど顧みられない“メロドラマ”と呼ばれる分野で、要するに朗読劇に伴奏音楽を付したものらしい。シュトラウスのオペラなら大好きだし、三原さんは御贔屓のバリトンだしで、僕は内容も良く分からないまま聴きに出掛けた。

 「イノック・アーデン」は幼な馴染みの友情と三角関係の物語で、最後はキリスト教的な救済により締め括られる。ヴィクトリア朝イギリスの詩人、アルフレッド・テニスンの散文詩がテキストだが、別にドイツ語や英語でやる義理も無く、今日は邦訳で朗読される。

 本命の朗読の前に、シュトラウス十代の若書きのピアノ独奏曲が演奏される。ソロを弾く小坂圭太は初めて聴くが、この方は取り分けリズム感に秀でていて、曲に含まれる諧謔を表現出来る良いピアニストと思う。次に真打ち登場、三原が最初はピアニシモ主体で遅いテンポの、次はフォルテで声を張り上げる対照的な二曲のリートを歌う。この小さな器で思い切りフォルテシモを出せば、天井を突き抜けるのではないかと思われる程、三原には豊かな声量がある。全く怖い物無しの歌い振りで、この方は細かい事を言わずとも、声の強弱だけで全てを表現出来て終う。

 再びピアノ・ソロに戻りアレグロとトロイメライで、やはり速いのと遅いのと二曲を弾く。ここまでの五曲を立て続けに聴けば、プログラミングの意図も腑に落ちて来る。聴く前は何故、リートをピアノ・ソロで挟むのか良く分からなかったが、実際に聴けばピアニストの力量も相俟って、なかなか説得力がある。メロドラマはピアノ伴奏付きの朗読なので、ピアノの音に聴衆の耳を慣らせる意図もあったのだろうとは、終演後に気付いた事だった。取り敢えず、ここまでは僕もコンサートを楽しめていた訳だ。

 休憩後、いよいよメインの「イノック・アーデン」。しかし、実際に聴くまで気付かなかったのも迂闊な話だが、これは本当に単なる戯曲の朗読で、音楽と呼べるのは伴奏のピアノだけだった。しかも、そのピアノ伴奏も次第に途切れ、朗読だけの部分が長くなって来る。さすがに大音声のバリトンで、山場で声を張り上げる迫力は大した物だが、語り自体は平坦と云うかアマチュアっぽい。何故、「イノック・アーデン」の物語を朗読の専門家でなく、歌手の読まねばならぬのか釈然とせず、これを平たく云えば退屈した。

 今回の上演には五月に急逝された、畑中良輔氏の翻訳台本が使用された。その畑中さんは生前、インタビューに答え「俳優が取り上げていますが、作品自体は音楽との結び付きがとても強い。音楽を知り尽くした声楽家の方が本来、より高い効果を引き出せる」と語っている。

 先月、びわ湖ホールでの栗山昌良演出「三文オペラ」でも感じたが、戦後のオペラ上演を担った重鎮達の、歌手にも演技力は不可欠との思いは殊の外強いようだ。そこへ至る道は未だ日暮れて遠しが、正確な現状認識と思うし、今日の試みも歌手の演技力向上の為の、恐らくは方法論の一つなのだろう。でも、僕のような単なるオペラ好きが、それに付き合う義理も無いよなぁと、コンサートの終わってシミジミ思った事だった。

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