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ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」op.58

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<京都市交響楽団第571回定期演奏会>
2013年8月11日(日)14:30/京都コンサートホール

指揮/広上淳一
ソプラノ/石橋栄実 
メゾソプラノ/清水華澄
テノール/高橋淳
バリトン/久保和範
京都市交響楽団
京響コーラス


 今日はスターバト・マーテル全曲を、初めてライブで聴いた。三曲目の「Eja Mater」は昔、合唱コンクールの自由曲に度々取り上げられてお馴染みだが、何せ全部やると一時間半も掛かる大曲で、演奏の機会は存外少なかったように思う。でも、メサイアやマタイ受難曲は頻りに演奏されても、スターバト・マーテルは片隅に追いやられている訳で、これは単なる流行り廃りの問題なのか、或いはドヴォルザークが時代の趣味嗜好に合わなくなったのか。 

 しかし、ドヴォルザークの暖かく人懐っこい感触の音楽は、この猛暑の中では暑苦しくも感じられる、聊か季節感覚に乏しい選曲である。でも、実際に聴いてみれば、夏向きを意識した訳でも無かろうが、演奏自体は至極アッサリ風味の爽やか系だった。嫋々と甘美な音の響き渡ると、そこから転調して仄かな明るさを見せる、悪くない音楽作りと思う。若い頃は蛸踊りみたいだった広上の指揮姿も、久し振りに見れば大人しくなったと云うか、ごく普通になったと感じる。

 ただ、爽やかで涼し気な演奏は、指揮者の思い入れに不足するとも捉えられる。二曲目のソリストに拠るカルテットを、僕は哀愁に満ちた曲と思うが、今日の演奏では今ひとつ込み上げて来る情感が無い。続く「Eja Mater」でも、もっとアザトくアゴーギグを動かし、クサい程に歌い上げて欲しい。イン・テンポに近い歌わせ方で、妙に生真面目な指揮振りと感じる。五曲目の「Tui Navi vvulnerati」でも、コーラスに優しく抒情的に歌わせ、後半テンポ・アップしても激しくはならない。

 フィナーレに至り、演奏は漸く盛り上がったと云うか、ここまでの鬱憤を晴らすべく大爆発したと云うべきか。広上は最初からその心算だったのだろうが、僕としてはイマイチ納得が行かない。広上はドヴォルザークをブラームスの後継者、ドイツ・ロマン派の正統的な嫡子と捉えず、軽い民族音楽風と考えているフシがある。スターバト・マーテルの音楽からは、もっと重い内容を引き出せる筈と思う。それとも広上はブラームスをやらせても、こんな風な軽い演奏にするのだろうか。

 ソプラノの石橋はやや力み過ぎで、広上の解釈と噛み合わず、ここは持ち前のレジェーロな柔らかい声を生かしたい処だ。久保は声に力のあるバリトンで、大真面目に歌うタイプだし、この曲には合うと思う。キャラクター・テノールの高橋は急な交代だったが、やはりドヴォルザークにはリリックな声の方が合うと感じる。

 コーラスはオケの音に上手く乗っかり、人数でフォルテシモを誤魔化していたが、ソプラノの高音は硬く、もっと柔らかく響かせて欲しい。それと如何にも第九コ−ラスっぽい音色の他パートと、七名のプロ歌手のトラが入ったテノールは水と油で、えらいクッキリ分離して聴こえて来た。オケも余り縦は揃わなかったが、広上は別に気にしていない様子だった。

 「Eja Mater」も、近年の合唱コンクールでは聴かないが、これは別にドヴォルザーク自体が流行らなくなったのではなく、ただ単に“勝てる”曲と思われなくなっただけだろう。今もプロのオケ定期では、ドヴォルザークのシンフォニーは頻繁に取り上げられている。今後「スターバト・マーテル」も更に峻烈な演奏で、聴ける機会のある事を期待している。

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