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Channel: オペラの夜
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東日本大震災(4)

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 台風15号が関西を逸れた9月21日水曜日、仙台行きの夜行バスで岩手県を目指し出発する。だが、これは日本列島を縦断して北上する台風を、モロに追い掛ける格好になった。翌朝、東北自動車道は郡山と福島の間で通行止めの為、郡山からは一般道を走ると乗務員が告げる。その前に磐越自動車道を降りる、郡山インターの辺りでバスは大渋滞に巻き込まれ、全く進まなくなった。既に仙台への到着時間を過ぎた頃、ようやく高速を降りて郡山に辿り着いたバスは、一般道を福島市へ向け北上する。

 目の覚めた処で、隣席に座った青年と会話を交わす。乗務員さんのバスの遅れへの対応に、なかなか味わい深いものがあり、やっぱり東北の人って素朴ですねぇと僕が言うと、青年は本当に親切ですよねと応じてくれる。この調子だと仙台に着くのは、恐らく昼頃だろうと彼は予測する。三月の震災当時、海外在住だった彼は、これから被災した地元へ帰省するとの事。津波の被害を受けた故郷を、帰国して初めて眼の当たりにする訳で、これには僕も言葉を失う。

 午後12時半頃、バスは四時間半遅れで仙台駅前に到着する。隣席の青年に「お気を付けて」と声を掛け、バスを降りる。JRへ乗り継ぎ、盛岡へ向かおうとするが、在来線は線路の冠水して仙台から一関まで不通。一難去って亦一難である。のんびりした旅をする積もりだったが、結局は陽もトップリと暮れた頃、やっとの事で盛岡へ辿り着く。ビジネス・ホテルに投宿し、部屋で酒を呑みながらテレビを見ていると、ニュースで台風による各地の被害を報じていた。

 祝日の金曜日、盛岡バスセンターから急行バスで、三陸海岸の宮古市へ向かう。盛岡の街並みを外れると、バスは渓流沿いの閉伊街道を進み、やがて九十九折れの峠道を登って行く。28年前にも往復した筈の道だが、記憶には残っておらず、こんなに険しい山道だったかと驚く。バスは高原地帯を緩やかに下る、長い峠道をウネウネと二時間掛けて走り、周囲の風景の明るく広がった処で、宮古駅前に到着する。

 駅前の案内所で道順を訊ねると、応対してくれた職員さんはバスで行けと頻りに勧める。でも、歩いても大した距離で無し、バスを待っている間に着きそうで、どうも田舎の方は徒歩での移動を過大に見積もる傾向がある。海に向けて歩き出すと、次第に被災地の風景が現れる。神戸の震災とは違い、津波の被害は海水に浸かった場所と、津波の届かなかった場所との落差が激しい。また、一階部分が大破しているのに、二階部分は無傷の建物もあり、押し寄せた津波の高さを示してもいる。やがて海岸近くまで来ると、全てを津波に攫われて更地になった場所に出る。だが意外な事に、堤防は上の写真のように無傷で残っていた。

 今回の宮古行きには、僕の卒業したグリークラブの先輩へのお見舞いと、神戸での震災の経験から、被災地の状況を自分の目で確かめて置く、この二つの目的があった。自分の朧ろ気な記憶で、先輩のお宅は高台にあると思い込んでいたが、実際に訪れると坂道の途中にある低い立地で、良く無傷で残ったと思う程だ。先輩はご自宅でご商売されていて、丁度来客に応対されていた。玄関先に佇む僕を見て、先輩の奥様が「あなたは大阪から年賀状を下さる方でしょう」と、いきなり言い当てられたのには驚いてしまった。

 僕が先輩のお宅をを訪れるのは28年振りで、しかもその際に奥様とはお会いしていない。アポ無しで突然現れた、しかも写真も見ていない初対面の人間の素性を言い当てる、恐るべき女性の第六感である。この後、先輩と奥様に宮古の被災状況を伺う。宮古湾は深い入江で津波の威力は減殺され、市街地の被害は比較的に小さかったが、外洋に面した浄土ヶ浜や魚市場近辺が津波に攫われた事。震災から半年で瓦礫の片付けは終えたが、町の再建は意見の対立もあり、まだ緒に就いたばかりな事。市内にあった顧客の家も、百軒近く津波に流された事等々…。

 僕が先輩の知己を得たのは、28年前に盛岡市の岩手県民会館で行われた、全日本合唱コンクール全国大会だった。初めて全国大会を見物に訪れた僕は、この際に聴いた東北の高校生達の演奏の、事前の予想を遥かに超えた素晴らしさに、言葉に尽くせない程の感銘を受けた。その中でも最も強く印象に刻まれたのは、福島県立安積女子高校の三善晃「のら犬ドジ」の演奏だった。表彰式を終えたロビーで、金メダルを首に掛けた安積女子高顧問の渡部康夫教諭を、先輩が握手して祝福したのには意表を突かれた。

 先輩も宮古の地元で、ママさんコーラスや児童合唱団の指導をされていて、どうやら渡部先生とも合唱講習会での顔見知りの様子だった。今も昔も東北では盛んに講習会の行われているが、この世代の東北の合唱指導者は、高度成長期の時代背景もあって矢鱈に勉強熱心で、ほぼ全員が知り合いと云っても過言ではなかったように思う。渡部先生は顧問が手取り足取り指導するのでは無く、生徒が自分達で練習を進めて演奏の完成度を高める、そんなシステムを安積女子高校に構築したのだと、先輩は僕に説明してくれた。まあ、生真面目で面白味の無い男だけどな、とも付け加えたけれども。

 この時、僕より二回りも年上の先輩とは初対面だったし、そもそも偶然の邂逅だったのが、コンクールの終わると宮古のご自宅に来るよう誘われ、僕はホテルをキャンセルし、一宿一飯の恩義を受ける事となった。あれから幾星霜を経て被災地となった宮古を訪れ、先輩と久闊を叙してお昼ご飯も頂いた僕は、半日にも満たない短い訪問ではあったが、28年前に受けた恩顧に報いられたように思っている。

 JR山田線のディーゼルカーで帰路に就く。行路半ばで陽は暮れ、盛岡へ戻り着いた時刻には、既に夜の闇は深かった。明日はコンクール東北大会・高校部門が、岩手県民会館で行われる。

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