<創部六十周年記念定演>
2012年8月17日(金)18:30/サンポートホール高松
指揮/大山晃
生徒指揮/白井沙耶
ソプラノ/谷さおり
クラリネット/石川幸司
ヴァイオリン/大矢祐歌
ピアノ/松野眞理子/岡田知子/岡橋直樹
高松第一高校合唱部
伝パーセル「狩人アレン」
林光「鳥のように栗鼠のように/グランド電柱/岩手軽便鉄道の一月/
海だべがど/ポラーノ広場の歌」
松下耕「はらへたまってゆくかなしみ」(秋の瞳)
木下牧子「もぐら/鹿」(光る刻)
瑞慶覧尚子「無門」(約束)
三善晃「動物詩集(全3曲)/砂時計/どんぐりのコマ(五つの童画)」
千原英喜「明日へ続く道」(平成24年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲)
大山晃編曲「波乗りジョニー/花の名/演歌メドレー冬景色/桜の木になろう」
久石譲編曲「宇宙戦艦ヤマト・新たなる旅立ち」(OB合同)
勤め先をお昼過ぎに抜け出し、青春18切符で西へ向かう。高松市内で午後も遅い時間となれば、大抵のうどん屋は店仕舞いしている。香川県民はうどんを朝か昼にしか食わず、夜は普通のご飯を頂くものらしい。「さぬきうどん全店制覇攻略本」(そんな分厚い冊子が、主に県内向けに出版されている)で検討した結果、琴電花園駅近くにある午後六時まで営業、釜揚げうどん専門店の「うどんバカ一代」に赴く。
香川で釜揚げうどんと云えば、満濃町の長田や屋島のわら家等の有名店がある。まだ、讃岐うどんブームなど影も形も無い昔から、地元民に愛されている老舗うどん食堂だ。製麺所で玉買いし、家に持ち帰り食うのが讃岐うどん本来の習俗(業界用語で云う処の“中食”)なら、持ち帰って食う訳に行かない釜揚げうどんが、うどん専門食堂の売り物となるのは、ごく自然な流れだろう。昔はハレの日の食事だった讃岐うどんも日常食となり、外食の当たり前となった今、高松の街中で朝六時から夕方六時まで一日中、常に釜揚げうどんを供する店の現れるのも、時代の変遷と云うものだろう。
さて、うどんを食べ終えれば、後は開演時間を待つのみ。それでは高松一高のコンサートの話に移ります。
まず、今年亡くなった林光氏の追悼プログラムとして、宮澤賢治の詩に附された曲を集め演奏する。コンクール課題曲に選ばれた一曲目を除き、後は全て独唱用に作曲された“ソング”の編曲版。林光が自作歌曲を“ソング”と呼ぶのは、演奏に際する歌い崩しや地声唱法、更に移調や伴奏楽器の変更等も容認する、リートでは無いがボップスとも違う、独自ジャンルとしての自負らしい。
演奏は女声のソット・ヴォーチェが抜群に美しく、スタッカートやテヌートを気持ち良い程にピタリと揃える。「鳥のように栗鼠のように」では、中間部での下降音形をお洒落に光らせる、都会的にスマートな音楽作りがある。「グランド電柱」のピアノ、ヴァイオリン、クラリネットの伴奏はオリジナル編成だが、これを本来はアコーディオンとリコーダー二本の伴奏の付く、「岩手軽便鉄道の一月」にも使い回す。何れの曲にも親しみ易い旋律のあり、大した内容のある訳では無いが、ピリリとワサビの効いた曲を、トリオの伴奏もお洒落に支える。「ポラーノの広場のうた」のピアノ後奏に、“星めぐりの歌”の旋律がチラリと出て来て、これは作曲者本人に拠ると、「宮沢賢治のサインをここにもらった」のだそうだ。
次は今年度コンクール曲。まず九名の男声合唱は、ベースの二人に低音の出せるので、一応の形にはなっているし、表現意欲らしきものも伝わるが、残念ながら曲の内容を示すまでには至らない。女声合唱で自由曲に取り上げた三善晃は、現在のコンクール規定で三曲全てを演奏する試みは初めてとの事。でも、それならば「子猫のピッチ」辺り、ウサイン・ボルトが世界記録を狙う如く、速度の限界へ挑戦すべきと思う。今日のテンポでは遅過ぎる。
林光にはフィットする一高の淡彩な音色だが、三善晃では更に濃厚なハーモニーも望まれる。それを補う為にも、「ひとこぶらくだのブルース」では、もっと盛大にルバートすべきだし、「ゴリラのジジ」には更にアザトいデュナーミクの必要。何れにせよダイナミク・レンジの狭いのが、表現の幅をも狭めている。これは何時も思うのだが、マエストロの指揮姿だけを見ていると、何故もっと濃厚な演奏にならないのか不思議だ。
混声合唱での男女比のバランスは悪くとも、男声に余り無理をさせず、聴こえるか聴こえない程度に声を出させ、美しいハーモニーを作っている。「五つの童画」は構築的と云うよりインチメイトな演奏だが、これは声の音色が高低の音域で全く変化しないので、どうしてもそうなってしまう。音量的にフォルテシモでも、そうは聴こえず、所要の効果を得られていない。
休憩後は“創部60周年特別企画”と題し、元顧問二人の指揮でOB単独演奏の筈が、急な体調不良で竹内肇先生が降板。下振りらしき女性がメンデルスゾーンを指揮した。「わが里程標」は予定通り、木村明昭先生の指揮だったが、これは指揮にコーラスの合わせているのか、コーラスに指揮の合わせているのか、僕は見ていて良く分からなかった。高齢の指揮者には有り勝ちな話だが、多分聞こえていないのだと思う。
現役の演奏に戻り、顧問編曲による“四季のヒット曲集”。歌謡曲アレンジを高校生の唱うのを聴いていると、ひたすらに声を合わせるのが楽しかった、自分の若い頃を思い出す。女声は縦横を揃え、気持ち良く歌えているが、演歌メドレーもアッケラカンとして情感と云うものが無く、それに比べて男声には、演歌っぽい表現意欲のあるのは面白い。余り作為の感じられない顧問教諭の指揮も、当たり前の話ではあるが、キチンと工夫されていると気付く。でも、何れにせよ声にフィジカルな力の無いので、聴いていて快感とまでは行かない。しかし、こうして淡々と歌謡曲の演奏の続くと、喋ってばかりで歌わない学芸会も困るが、全く何もしないのも物足りなく感じるものだ。
最後はOBを加え、総勢百人近い大合同で「宇宙戦艦ヤマト」だが、このお盆企画も立ったまま歌うのみでは、やや寂しい。ただ、この帰省OBによる演奏では、やはり表現意欲を前に出す男声と、ひたすら綺麗に揃える女声とで、現役と傾向の同じなのは興味深かった。
以前と比べ人数の減った一高だが、大人数の頃と同じ音楽作りでは、演奏のスケール自体小さくなってしまうように感じる。やはり人数の多少により、音楽を作り込む術も変わるものと、僕は考える。人数の多ければ誤魔化せるアラも、少人数では顕わとなる局面もある。今後の一高には、より緻密なハーモニーの求められるように思う。
さて、今夜は高松泊りだが、明日は早起き出来れば郊外の製麺所、遅くに目覚めれば市街地の食堂で、うどんを食おうと思う。僕のような県外の人間にも異常に感じられた讃岐うどんブームも、最近は漸く落ち着き始めたようで、明日はのんびり楽しめそうだ。
2012年8月17日(金)18:30/サンポートホール高松
指揮/大山晃
生徒指揮/白井沙耶
ソプラノ/谷さおり
クラリネット/石川幸司
ヴァイオリン/大矢祐歌
ピアノ/松野眞理子/岡田知子/岡橋直樹
高松第一高校合唱部
伝パーセル「狩人アレン」
林光「鳥のように栗鼠のように/グランド電柱/岩手軽便鉄道の一月/
海だべがど/ポラーノ広場の歌」
松下耕「はらへたまってゆくかなしみ」(秋の瞳)
木下牧子「もぐら/鹿」(光る刻)
瑞慶覧尚子「無門」(約束)
三善晃「動物詩集(全3曲)/砂時計/どんぐりのコマ(五つの童画)」
千原英喜「明日へ続く道」(平成24年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲)
大山晃編曲「波乗りジョニー/花の名/演歌メドレー冬景色/桜の木になろう」
久石譲編曲「宇宙戦艦ヤマト・新たなる旅立ち」(OB合同)
勤め先をお昼過ぎに抜け出し、青春18切符で西へ向かう。高松市内で午後も遅い時間となれば、大抵のうどん屋は店仕舞いしている。香川県民はうどんを朝か昼にしか食わず、夜は普通のご飯を頂くものらしい。「さぬきうどん全店制覇攻略本」(そんな分厚い冊子が、主に県内向けに出版されている)で検討した結果、琴電花園駅近くにある午後六時まで営業、釜揚げうどん専門店の「うどんバカ一代」に赴く。
香川で釜揚げうどんと云えば、満濃町の長田や屋島のわら家等の有名店がある。まだ、讃岐うどんブームなど影も形も無い昔から、地元民に愛されている老舗うどん食堂だ。製麺所で玉買いし、家に持ち帰り食うのが讃岐うどん本来の習俗(業界用語で云う処の“中食”)なら、持ち帰って食う訳に行かない釜揚げうどんが、うどん専門食堂の売り物となるのは、ごく自然な流れだろう。昔はハレの日の食事だった讃岐うどんも日常食となり、外食の当たり前となった今、高松の街中で朝六時から夕方六時まで一日中、常に釜揚げうどんを供する店の現れるのも、時代の変遷と云うものだろう。
さて、うどんを食べ終えれば、後は開演時間を待つのみ。それでは高松一高のコンサートの話に移ります。
まず、今年亡くなった林光氏の追悼プログラムとして、宮澤賢治の詩に附された曲を集め演奏する。コンクール課題曲に選ばれた一曲目を除き、後は全て独唱用に作曲された“ソング”の編曲版。林光が自作歌曲を“ソング”と呼ぶのは、演奏に際する歌い崩しや地声唱法、更に移調や伴奏楽器の変更等も容認する、リートでは無いがボップスとも違う、独自ジャンルとしての自負らしい。
演奏は女声のソット・ヴォーチェが抜群に美しく、スタッカートやテヌートを気持ち良い程にピタリと揃える。「鳥のように栗鼠のように」では、中間部での下降音形をお洒落に光らせる、都会的にスマートな音楽作りがある。「グランド電柱」のピアノ、ヴァイオリン、クラリネットの伴奏はオリジナル編成だが、これを本来はアコーディオンとリコーダー二本の伴奏の付く、「岩手軽便鉄道の一月」にも使い回す。何れの曲にも親しみ易い旋律のあり、大した内容のある訳では無いが、ピリリとワサビの効いた曲を、トリオの伴奏もお洒落に支える。「ポラーノの広場のうた」のピアノ後奏に、“星めぐりの歌”の旋律がチラリと出て来て、これは作曲者本人に拠ると、「宮沢賢治のサインをここにもらった」のだそうだ。
次は今年度コンクール曲。まず九名の男声合唱は、ベースの二人に低音の出せるので、一応の形にはなっているし、表現意欲らしきものも伝わるが、残念ながら曲の内容を示すまでには至らない。女声合唱で自由曲に取り上げた三善晃は、現在のコンクール規定で三曲全てを演奏する試みは初めてとの事。でも、それならば「子猫のピッチ」辺り、ウサイン・ボルトが世界記録を狙う如く、速度の限界へ挑戦すべきと思う。今日のテンポでは遅過ぎる。
林光にはフィットする一高の淡彩な音色だが、三善晃では更に濃厚なハーモニーも望まれる。それを補う為にも、「ひとこぶらくだのブルース」では、もっと盛大にルバートすべきだし、「ゴリラのジジ」には更にアザトいデュナーミクの必要。何れにせよダイナミク・レンジの狭いのが、表現の幅をも狭めている。これは何時も思うのだが、マエストロの指揮姿だけを見ていると、何故もっと濃厚な演奏にならないのか不思議だ。
混声合唱での男女比のバランスは悪くとも、男声に余り無理をさせず、聴こえるか聴こえない程度に声を出させ、美しいハーモニーを作っている。「五つの童画」は構築的と云うよりインチメイトな演奏だが、これは声の音色が高低の音域で全く変化しないので、どうしてもそうなってしまう。音量的にフォルテシモでも、そうは聴こえず、所要の効果を得られていない。
休憩後は“創部60周年特別企画”と題し、元顧問二人の指揮でOB単独演奏の筈が、急な体調不良で竹内肇先生が降板。下振りらしき女性がメンデルスゾーンを指揮した。「わが里程標」は予定通り、木村明昭先生の指揮だったが、これは指揮にコーラスの合わせているのか、コーラスに指揮の合わせているのか、僕は見ていて良く分からなかった。高齢の指揮者には有り勝ちな話だが、多分聞こえていないのだと思う。
現役の演奏に戻り、顧問編曲による“四季のヒット曲集”。歌謡曲アレンジを高校生の唱うのを聴いていると、ひたすらに声を合わせるのが楽しかった、自分の若い頃を思い出す。女声は縦横を揃え、気持ち良く歌えているが、演歌メドレーもアッケラカンとして情感と云うものが無く、それに比べて男声には、演歌っぽい表現意欲のあるのは面白い。余り作為の感じられない顧問教諭の指揮も、当たり前の話ではあるが、キチンと工夫されていると気付く。でも、何れにせよ声にフィジカルな力の無いので、聴いていて快感とまでは行かない。しかし、こうして淡々と歌謡曲の演奏の続くと、喋ってばかりで歌わない学芸会も困るが、全く何もしないのも物足りなく感じるものだ。
最後はOBを加え、総勢百人近い大合同で「宇宙戦艦ヤマト」だが、このお盆企画も立ったまま歌うのみでは、やや寂しい。ただ、この帰省OBによる演奏では、やはり表現意欲を前に出す男声と、ひたすら綺麗に揃える女声とで、現役と傾向の同じなのは興味深かった。
以前と比べ人数の減った一高だが、大人数の頃と同じ音楽作りでは、演奏のスケール自体小さくなってしまうように感じる。やはり人数の多少により、音楽を作り込む術も変わるものと、僕は考える。人数の多ければ誤魔化せるアラも、少人数では顕わとなる局面もある。今後の一高には、より緻密なハーモニーの求められるように思う。
さて、今夜は高松泊りだが、明日は早起き出来れば郊外の製麺所、遅くに目覚めれば市街地の食堂で、うどんを食おうと思う。僕のような県外の人間にも異常に感じられた讃岐うどんブームも、最近は漸く落ち着き始めたようで、明日はのんびり楽しめそうだ。