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Channel: オペラの夜
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オネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」

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<サイトウ・キネン・フェスティバル松本2012>
2012年8月29日(水)19:00/まつもと市民芸術館

指揮/山田和樹
サイトウ・キネン・オーケストラ
栗友会合唱団
SKF松本合唱団
SKF松本児童合唱団

演出/コム・ドゥ・ベルシーズ
美術/シゴレーヌ・ドゥ・シャシィ
照明/齋藤茂男
衣装/コロンブ・ロリオ・プレヴォ

ジャンヌ・ダルク/イザベル・カラヤン
修道士ドミニク/エリック・ジェノヴェーズ
聖処女/藤谷佳奈枝
マルグリット/シモーネ・オズボーン
カトリーヌ/ジュリー・ブリアンヌ
豚の裁判長/トーマス・ブロンデル
布告人/ニコラ・テステ
語り手/クリスチャン・ゴノン


 昨年のサイトウ・キネン、小澤征爾はバルトーク二本立ての内「青髭公の城」を振る予定が、体調不良で初日と千秋楽のみの出演となった。今年に入ってからは肺炎で入院、小澤征爾音楽塾「蝶々夫人」でもドタキャン騒ぎを起こしたのは、皆様ご承知の通りである。しかし、小澤のようにアグレッシブな人物が、自分の遣りたい事を何も出来ず、永らえても不本意だろう。今更の如く、他に手立ては無かったのかと言っても、それは取り返しの付かない問い掛けでしかないけれども。

 小澤不在のまま季節は巡り、サイトウ・キネンは今年も粛々と開催される。松本は酒を美味しく呑める良い街で、そこでオペラの行われるのなら、僕はそれを楽しみに出掛ける。「ジャンヌ・ダルク」はサイトウ・キネン二年目の演目で、19年振りの上演。僕はヴィデオで観るのみだが、感動的な上演だったと思う。今回の指揮者は、童顔年齢不詳の山田和樹で、僕は初めてその演奏に接する。

 開演前の塩尻ワインの振る舞いも、ピアノ・ソロによるロビー・コンサートも例年通り。客席でオペラの開幕を待つ、観客の昂揚感にも何も変わりは無い。今回の「ジャンヌ・ダルク」三公演の内、二公演が日曜開催で、今日は唯一の平日公演。僕の座る天井桟敷から見下ろすと、平土間は八分通りの入りだが、二階席から上は空席が目立つ。けれども松本のような地方都市で、オネゲルの三回公演を行ってこの客入りは、熱心な常連の定着を証しているように思う。

 今日の舞台はオケピットの周囲に場を設える、宝塚歌劇で云う処の銀橋方式で、俳優と歌手はここで演唱する。本来の舞台上には三階建の食器棚みたいなセットがあり、コーラスはここに横並びに立ち、ただ歌うだけで演技と呼べるような仕草は何も無い。この演出コンセプトは、オペラではなくオラトリオのスタイルのように感じる。

 “ドラマティック・オラトリオ”と銘打たれた曲だし、それで構わないかと云えば、然に非ず。ポール・クローデルの台本は、火刑台上のジャンヌが一瞬の内に生涯を回想する劇詩で、場面は次々クルクルと転換する。お話しの展開は分かり難く、明確に視覚化して貰わないと、頭の中の整理出来ていない、僕等は尾いて行き難い。フランス人なら、ジャンヌの様々なエピソードも常識の範疇だろうが、日本人の観客には生涯のダイジェスト版として、キチンとした説明の欲しい処だ。作曲者のオネゲルも言明している通り、良く出来た台本なので、お話の筋をキチンと観せるのは演出家の責務と思う。

 それに単純な話、豚の異端審問や王様のトランプ・ゲーム等、演出家として美味しい場面の筈だ。そこを素通りとまでは言わないが、大した工夫も無しに遣り過ごすのでは、怠慢の誹りすら招きかねない。この二つの場面はコメディ・リリーフとして、もっと大いにハジけるべき。そうで無いと元来が暗いお話しだし、ジャンヌの物語は陰々滅々と進行して、メリハリと云うものが付かない。酒樽小母さんと石臼親爺の邂逅の場面を、語り手のナレーションで済ませ、視覚化しなかったのも気になる。このフランス統一を象徴する場面の無いと、シャルル七世が戴冠式の為、ランスへ向かう場面との繋がりも分かり難くなる。

 一見、大掛かりな舞台のようだが、小澤不在の影響か予算削減の気配も漂う、これは演奏会形式に毛の生えた程度の演出と思う。オペラとして舞台上演するのなら、ジャンヌの生涯をキチンと説明する。それが出来ないならばオラトリオとして、演奏会形式でやった方が良いように思う。

 予算の潤沢かどうかは知らないが、サイトウ・キネンでは一声しか発しない端役に至るまで、海外から歌手を招聘している。この曲ようなフランス語テキストの場合、まともなアリアのあるのは女声三人だけであっても、歌手にフランス人、若しくはフランス系を起用するのに充分な意味はある。その中で、最も長いアリアを歌う聖処女マリアに、小澤征爾音楽塾出身の若手・藤谷佳奈枝の起用されたのは大抜擢で、サプライズ人事と云えそうだ。その藤谷はリリックな声で、自分の持ち場を立派に歌い切った。ただ、この人で良いのなら、他もテキトーな配役で良いような気はするけれども…。

 国内でオペラを振るのは初めての山田は、端正な指揮でキチンと各場面を振り分けたが、やや優等生的な演奏で今ひとつ、音楽に入り込んでいない印象を受ける。だが、今回のプロダクションの最大の問題点は、演出にも指揮にも無く、主役のジャンヌ・ダルクに尽きると思う。

 主役だが歌わない役回りで、これまで僕はその重要性をキチンと認識出来ていなかったと、今日は気付かされた。17歳で殉教する乙女の役に、野太い嗄がれ声で科白を喋られたのでは、全くサマにならないのだ。曲の大詰めでトリマゾを口ずさみ、いよいよ火刑台へ進む場面で塩辛い声を聴かされれば、実際の話それだけでゲンナリする。その女優さんは、小澤が口癖のように言う“カラヤン先生”の娘である。恩師の親族の起用に拘って演奏効果は二の次に回す、例によって例の如き、小澤の一人合点に拠るゴリ押しである。

 この役は本来、透明清澄な声でなければ務まらない。カラヤンの生前、娘とオネゲルで共演する話はあったようだが、実現はしていない。誰よりも自分の大好きなカラヤン先生は、娘との共演より演奏の成否を気にしたのだろうか。勿論、そんな憶測に何の根拠も無いが、少なくとも代役に立った山田の、望んで起用したキャストで無い事だけは確かだろう。 

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