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J.シュトラウス「こうもり」

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<佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2011/訳詞上演>
2011年7月17日(日)14:00/兵庫県立芸術文化センター

指揮/佐渡裕
兵庫芸術文化センター管弦楽団
ひょうごプロデュースオペラ合唱団

演出/広渡勲
美術/サイモン・ホルズワース
照明/沢田祐二
衣裳/スティーヴ・アルメリーギ
振付/川西清彦
ひょうごプロデュースオペラ・ダンスアンサンブル

<Bキャスト>
アイゼンシュタイン/小森輝彦
ロザリンデ/佐々木典子
アデーレ/小林沙羅
ファルケ博士/大山大輔
アルフレード/小貫岩夫
オルロフスキー公爵/ヨッヘン・コヴァルスキー
刑務所長フランク/片桐直樹
弁護士ブリント/志村文彦
女優イーダ/剣幸
看守フロッシュ/桂ざこば


 今回のダブル・キャストの中で最も名前の世間に膾炙した、森麻季がアデーレを務めるプレミエ組を、僕は表キャストと思い込んでいた。でも、実際に二組のアンサンブルを立て続けに聴けば、ウィーンでのオペラ経験の長い二人、小森輝彦と佐々木典子を主役に据えた二日目のキャストに、一日の長のあると感じる。

 名旋律満載の「こうもり」の中でも、僕の最も愛好するのが一幕の“お別れの三重唱”。初日はノリの重くて、転調からのアチェルラントもイマイチ弾まず、これは黒田・塩田・森の三人組の実力からしても不出来と感じる。だが、二日目の小森・佐々木・小林組は、三人でオケと指揮者を引っ張った気配のあり、これぞ本場仕込みウィンナ・ワルツの愉悦、と云う処を聴かせてくれる。勿論、ベテラン二人の演技は達者なものだが、ここで特筆すべきは名前も初めて聞く若手、アデーレの小林沙羅の奮闘振り。

 アンサンブルでは小森やコヴァルスキーと伍し、怯まず臆さずノリの良い演技を見せてくれる。中音域にしっかりした声の力があり、その音色のまま高音部の伸びて行くので、コロラトゥーラにロマンティックな味わいの出て来る。二幕“侯爵様にお教えします”と、三幕“田舎娘を演じれば”の二つのアリアでも、全体を見通してフレージングを作る、長いブレスの力がある。

 これに対する森麻紀は、訳詞でのコロラトゥーラの如何にも歌い難そうで、今ひとつ滑らかに転がらない。確かに「こうもり」の日本語訳は、聴いていて木に竹を接いだような印象を受けるが、それでも二日目の小林は手堅く歌い切ったので、森には分が悪い。それと彼女はお嬢さん芸と云うか、或いは主役の経験しかないからか、アデーレらしいハジケた演技が無い。この方は容姿端麗で、正面を向いて歌っていれば舞台上で映えるが、脇に回って盛り上げる演技力は無いようだ。

 ロザリンデも佐々木典子が二幕のアリア“故郷の調べ”で、流石に高低の音域でムラの無い、立派な歌を聴かせてくれる。「メリー・ウィドウ」では魅力的なハンナだった塩田美奈子だが、低声域の音量に不足する為、客席まで充全に声の伝わらない憾みがある。それとチャールダッシュをアッサリ歌い過ぎで、もっとネットリ濃厚にやらないと、ハンガリー人を気取るロザリンデの面白味が出ないと思う。

 “時計の二重唱”も佐々木・小森のコンビに、演技の勘所を掴んだ余裕の感じられ、二人の舞台姿は板に付いている。塩田・黒田組の歌も悪くはないが、オペレッタらしい演技と云う点で、やや闊達さに欠けた印象を受ける。ブリントの晴雅彦さんは相変わらず、小技の利いた演技が楽しいが、出番の短か過ぎて物足りないのを残念に思う。

 このプロダクションの特別ゲストとも云うべきコヴァルスキーは、噂によると最後の来日だそうで、僕は今回が彼の歌に接する最初で最後の機会となる。実物を聴いた感想は、一般的なカウンター・テノールと同じく声量に乏しいので、変化のある歌になり難いと云った処。とてもクサイ歌い回しで、声ではなく芸で聴かせようとしているし、既に年齢的にも長いフレーズを歌い切るだけの、声の力は失われているのかも知れない。

 しかし、それよりも気になったのは、舞台から瘴気の漂って来るような、この方のナルシシズムの強烈さだ。この人は自分のオルロフスキーの形を確立して、他人の演技指導を排除している。そもそも、日本語の歌詞と台詞による上演の中、独りドイツ語で歌う事自体に違和感のあり、オペレッタ上演の流れから見事に浮き上っている。その上に自分自身に陶酔しているような舞台姿では、僕としては唐突に舞台へ出現した珍獣を見る気分だ。「こうもり」の二幕ではガラ・コンサート風に、ゲストの歌を挿入するのは常套手段だし、そこでコヴァルスキーにアンコールを歌わせた方が、まだスッキリしたのではないかと思う。貰ったプログラムにはルートヴィヒ王のパロディとあったが、この人はどう転がっても、コヴァルスキー以外の何者にも見えない。

 幕切れの“シャンパンの歌”の後、蛇足のように続くアンコールに違和感を拭えず、以上のように考察した次第である。これは単純に、演出家の計算違いと思う。

 これも恒例の挿入曲は、ポルカ「雷鳴と稲妻」と「皇帝円舞曲」が二回の幕間に演奏され、ざこば師匠の出番と同じく時間稼ぎの気配が濃く、そこでなければならぬ必然性は希薄。佐渡の指揮するヨハン・シュトラウスは、けたたましい程に賑やかで、殆んど無意味に景気が良い。僕の思うに、この人の振るウィンナ・ワルツには洗練ではなく、バーバリズムのあるように感じる。優雅にワルツを踊るのではなく、ストラヴィンスキーの音楽で野生的なバレエを踊る、そんな趣がある。

 「メリー・ウィドウ」では、赤玉ポートワインのように甘ったるかったワルツが、何ゆえ「こうもり」ではキリッと辛口・菊正宗になるのか、その理由は僕には分からない。でも、さすがにコーラスの入ると佐渡の指揮は溌剌とし、その辺りを差し引きしても、舞台を大いに盛り上げてくれる。但し、オペレッタの楽しみを満喫したのは二日目の話で、初日は不完全燃焼のままだった。その不出来の責任は、全面的に指揮者の負うべきと思う。

 兵庫芸文オペラの歌手の人選が、毎度の事ながら東京二期会一辺倒なのは、やはり引っ掛かる。取り分けオペレッタとなれば、ブッファを得意とする藤原歌劇団の面々を、全くオミットしているのは如何なる理由によるのか。関西勢から起用されたのが晴雅彦と片桐直樹の二人だけなのも、佐渡のキャリアは関西二期会の下振りに始まっているだけに、何とも不可解ではある。びわ湖ホールにも偏りはあるが、あそこは自前の声楽アンサンブルを抱えてますしねぇ…。

 二匹目の泥鰌は前回より小さな獲物となり、二番煎じの誹りも招きかねない出来となった。このまま三匹目を狙い、ざこばの起用と広渡演出で押し通すのか。広渡に舞台を整理する能力はあっても、新たなヴィジョンを描く才能はあるのかどうか。次のオペレッタ・ネタは「天国と地獄」か「ボッカチオ」か、或いはミュージカル・ナンバーを演目とするのか。括目して待ちたいと思う。

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