2011年9月24日(土)9:30/岩手県民会館
この大会は東北六県による持ち回り開催で、今年は福島県の当番だった。だが、開催を予定していた、郡山市民文化センターは東日本大震災で被災し、年内の再開目途は立っていない。東北大会は予選と本選の間に挟まれ、日程を動かす余地が無い。福島県内外で代替開催の可能性を探った結果、東北圏の中規模以上のホールでは、ここ岩手県民会館だけポッカリとスケジュールの空いていると判明し、岩手県連盟も開催を引き受ける。僕は直近の五年間で三度目、初めて訪れた28年前まで遡ると、今回は四度目の盛岡訪問となる。
<青森県>
県立青森西高校合唱部(女声23名)
指揮/野村正憲
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
松下耕「いのち/蟻の夏」(あいたくて)
課題曲は言葉をマルカートに粒立てるデュナーミクの工夫が、非常に真っ当なマドリガーレらしい解釈。自由曲はピアニシモに美しい音色があり、対位法的な処理も巧みで、適切な情感にも欠けていない。速いフレーズでの言葉の立て方も上手で、作曲者の意図を充全に表現している。但し、フォルテの音量ではボロを出して、声の力不足は歴然。でも、選曲の妙で聴かせる、立派な演奏と思う。
県立青森戸山高校音楽部(女声16名)
指揮/松野由美子
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
Kaj-Eric-Gustafsson:Ave Maria/O salutaris/Agnus Dei
まずもって先太りの声の出し方が、マドリガーレのスタイルから外れているし、フレーズの終わりで必ずリタルダントするのも問題。自由曲では一応ソツなく美しく三曲を歌い分けるが、音色の変化に乏しく、テンポも全体に粘り過ぎ。局面に場当たり的に対処している印象のあり、クッキリとした対比の無い平板な演奏なので、もっとテキパキやるべきと思う。
県立青森高校音楽部(混声15名)
指揮/小笠原聡也
ヤコブ・ファート「O quam gloriosum est regnum 栄光に輝く王国」
プーランク「O magnum mysterium/Hodie Christus natus est」
(クリスマスのための4つのモテット)
課題曲の演奏はソツなく美しいが、テンポの遅過ぎてリズムが縦割りになってしまう。とても美しいプーランクに感激するが、最初の曲はやや生真面目に過ぎる。もう一曲も大人し過ぎて、二曲の対比が付かないので、もっとダイナミク・レンジを広げて奔放にやりたい。思い切ったアゴーギグの工夫が無いと、プーランクのエスプリは出せず、曲の真価は表現出来ない。
県立八戸東高校音楽部(女声34名)
指揮/上村祐子
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
ラッソ「Hodie apparuit in Israel/Alleluja laus et gloria」
Randall Thompson:Pueri Hebraeorum
清楚な声と軽やかなメリスマで、マドリガーレの速いテンポ感を的確に表現した。自由曲はラッソも上手だったが、それよりもランダル・トンプソン。34名とドッペル・コールの演奏には、やや少な目の頭数をカヴァーする、舞台全面に広がるフォーメーションで、この人数とは思えない音像の広がりを作った。可愛らしい声で祈りの心を歌い上げる、実力的に背伸びをせず身の丈に合った、しかも華やかな音楽作りで、とても素敵な演奏だった。
<秋田県>
県立大曲高校合唱部(女声22名)
指揮/鈴木智美
小林秀雄「私のいのちは」(五つの心象)
三善晃「ふいふうみいよいつ/キルケニーのねこ二ひき
/もしうみがみんなひとつのうみだったら」(マザーグースの三つのうた)
課題曲はソプラノに内声的な音色のあって、表現力は感じ取れるが、細部に拘り過ぎて全体を俯瞰出来ていない。マザーグースはテンポを粘り過ぎて、後押しのリズム感があり、丸っ切りカタカナ英語なのも問題。曲の楽しさは伝わらず、これは選曲ミスと感じる。
県立秋田北高校音楽部(女声9名)
指揮/小林明人
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
Giordano Fermi:Fu-Fu/Scherzo/Himnus
スヴェーリンクではソプラノの突出し、少人数の割にバランスの悪いポリフォニーになってしまう。指揮者の細かい工夫だけではテンションを保てず、テンポにも音色にも変化の無い単調な演奏だった。自由曲はマドリガルっぽい曲想を生徒が的確に把握して、軽やかなリズムも心地良い。少人数の良さのあるアンサンブルで、曲の内容を存分に表現する。この指揮者には小難しい曲よりも、ウィットに富んだ小粋な音楽が合うようで、この手法で課題曲もやらなかったのを残念に思う。
聖霊女子短大附属中学・高校合唱部(女声51名)
指揮/金由加
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
ブラームス「三つの宗教合唱曲」op.37
速目のテンポ設定と身振りの大きいデュナーミクで、マドリガーレを草書的に表現する、説得力のある演奏。しかし、そのコッテリしたデュナーミクが、ブラームスにはクサ過ぎる。二曲目の最後でテンポを緩めると、ソプラノが声を保持出来ず、アラの聴こえてしまう。もっと清楚な声の必要で、横の流れを大事にしながら、三曲目で思い切り発散する、僕はそんな曲と思う。
<山形県>
羽黒高校合唱部(混声25名)
指揮/春山連
ヤコブ・ファート「O quam gloriosum est regnum 栄光に輝く王国」
Eric Whitacre:Go lovely rose/With a lily in your hand
課題曲で表現意欲のようなものは感じるが、それが形になって現れていない。演奏自体は高校生らしい素直な歌で、良いポリフォニーは作っていると思う。ウィテカーでは曲に含まれる抒情的な雰囲気を引き出して、まずまずのセンスを感じさせる。遅いのと速いのと二曲の対比も上手に出来たし、縦をビシリと揃えるフレージングの作り方にも、結構やるじゃんと思える。でも、全体にナチュラルな音楽作りはあるが、もう少し工夫のあって然るべきとも思う。
県立山形北高校音楽部(女声48名)
指県立揮/小松正広
ピアノ/押野明子
小林秀雄「私のいのちは」(五つの心象)
松本望「はてしもなくて」(光の方へ)
課題曲はテンポの遅過ぎ、弄り過ぎ。何故ここまで譜面から逸脱するのか、理解に苦しむ。自由曲には適切な情感があり、課題曲での籠もったような声も、明るくクリアーになる。但し、テンポの粘るのは変わらず、僕は辟易させられる。演奏とは基本的にもっとテキパキやるべきもので、この指揮者には根本的な処で勘違いのあるように思う。
県立鶴岡南高校音楽部(混声66名)
指揮/阿部隆幸
ピアノ/武田美緩
ハイドン「Der Augenblick 束の間」
プーランク「Salve Regina/Exultate Deo」
歯切れの良いリズムで、ハイドンの明るさを充全に表現する。速目のテンポで音楽の軽いのも良いし、ピアニシモとフォルテの対比を作る、バロック的な解釈も立派なもの。プーランクでも擬古典的なスタイルを把握して、柔らかい音色で軽やかな音楽作り。フォルテシモでも柔らかい響きを失わず、取り分け二曲目でのアゴーギグの転がし方が巧みで、フランスのエスプリの香り立つような演奏だった。
県立鶴岡北高校音楽部(女声59名)
指揮/百瀬敦子
ピアノ/小野寺智子
ガルッピ「Judicabit in nationibus 主は諸国を裁き」(詩篇110番)
三善晃「北の海/ふるさとの夜に寄す」(三つの抒情)
スフォルツァンドの使用法の堂に入って、この単純なガルッピの曲を着実に盛り上げる、指揮者の設計が見事。ややデュナーミクの付け方はクサイが、三善晃も真っ向勝負で正攻法の音楽作り。但し、独自の個性を感じさせる音色は無く、音楽の色彩感の表現は今ひとつ。その淡彩な美しい演奏は、それそれで魅力的ではあるけれども。
全体講評で審査員の佐藤正浩も触れたが、今回の課題曲となったスヴェーリンクのマドリガーレに付いて、遅いテンポの演奏の多過ぎるのには、僕も首を傾げていた。歌詞の内容は関係無い、イタリア語に付されていれば、ミサでもモテットでもないマドリガーレなのだ。
スヴェーリンクは一般的にオルガニスト兼作曲家として認知されていて、実は僕も声楽曲は殆ど知らない。しかし、この人の鍵盤曲の技法はブルゴーニュ楽派の枠内に留まっていて、未だバロックの影は差していない。同時代の作曲家であるイタリアのジョヴァンニ・ガブリエリ辺りは、完全にバロックに足を突っ込んでいるが、スヴェーリンクの場合はブルゴーニュ楽派最後の巨匠と呼ぶのに相応しい。
アカデミックで古典的なラテン語に付された曲は、全て礼拝を目的とする音楽で、演奏に際しテンポは自ずと遅くなる傾向はある。だが、マドリガーレの場合は歌詞の内容に即し、テンポ設定を判断せねばならない。失恋の歌なら遅いし、愛の喜びを歌う場合は速くなる、この辺りは甚だ単純と思う。
僕が盛岡を始めて訪れた28年前には、福島高校のタリス「エレミアの哀歌」の格調高い演奏や、郡山女子高の透明で美しいパレストリーナ等のあり、高校生の歌うルネサンス・ポリフォニーのレヴェルの高さに感嘆したものだ。その中でも取り分け、福島西女子高のタリス「Sancte Deus」の演奏には、その息を呑む美しさに圧倒された記憶がある。指揮者の伊藤勲教諭は先年、福島高校在任を最後に定年退職されたが、その退任の年の東北大会で取り上げた、モンテヴェルディのマドリガーレの演奏にも感激させられた。昔は宗教曲と世俗曲のスタイルを、キチンと振り分ける指揮者が居たのだ。それが今は東北でも、古い時代の音楽を自由曲に取り上げる学校自体、殆ど無くなってしまった。
僕は鈴木輝昭のヴァーゲン・セールのようになった、現下のコンクールの状況を一概に否定する者ではない。ただ、合唱音楽の原点とも云うべき、ルネサンス・ポリフォニーの価値を問い直し、その研究を深めれば、邦人曲でも更に高次元の演奏が可能になる筈と思うだけに、古い時代の音楽の等閑にされる、東北の現状を憂うのだ。
この大会は東北六県による持ち回り開催で、今年は福島県の当番だった。だが、開催を予定していた、郡山市民文化センターは東日本大震災で被災し、年内の再開目途は立っていない。東北大会は予選と本選の間に挟まれ、日程を動かす余地が無い。福島県内外で代替開催の可能性を探った結果、東北圏の中規模以上のホールでは、ここ岩手県民会館だけポッカリとスケジュールの空いていると判明し、岩手県連盟も開催を引き受ける。僕は直近の五年間で三度目、初めて訪れた28年前まで遡ると、今回は四度目の盛岡訪問となる。
<青森県>
県立青森西高校合唱部(女声23名)
指揮/野村正憲
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
松下耕「いのち/蟻の夏」(あいたくて)
課題曲は言葉をマルカートに粒立てるデュナーミクの工夫が、非常に真っ当なマドリガーレらしい解釈。自由曲はピアニシモに美しい音色があり、対位法的な処理も巧みで、適切な情感にも欠けていない。速いフレーズでの言葉の立て方も上手で、作曲者の意図を充全に表現している。但し、フォルテの音量ではボロを出して、声の力不足は歴然。でも、選曲の妙で聴かせる、立派な演奏と思う。
県立青森戸山高校音楽部(女声16名)
指揮/松野由美子
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
Kaj-Eric-Gustafsson:Ave Maria/O salutaris/Agnus Dei
まずもって先太りの声の出し方が、マドリガーレのスタイルから外れているし、フレーズの終わりで必ずリタルダントするのも問題。自由曲では一応ソツなく美しく三曲を歌い分けるが、音色の変化に乏しく、テンポも全体に粘り過ぎ。局面に場当たり的に対処している印象のあり、クッキリとした対比の無い平板な演奏なので、もっとテキパキやるべきと思う。
県立青森高校音楽部(混声15名)
指揮/小笠原聡也
ヤコブ・ファート「O quam gloriosum est regnum 栄光に輝く王国」
プーランク「O magnum mysterium/Hodie Christus natus est」
(クリスマスのための4つのモテット)
課題曲の演奏はソツなく美しいが、テンポの遅過ぎてリズムが縦割りになってしまう。とても美しいプーランクに感激するが、最初の曲はやや生真面目に過ぎる。もう一曲も大人し過ぎて、二曲の対比が付かないので、もっとダイナミク・レンジを広げて奔放にやりたい。思い切ったアゴーギグの工夫が無いと、プーランクのエスプリは出せず、曲の真価は表現出来ない。
県立八戸東高校音楽部(女声34名)
指揮/上村祐子
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
ラッソ「Hodie apparuit in Israel/Alleluja laus et gloria」
Randall Thompson:Pueri Hebraeorum
清楚な声と軽やかなメリスマで、マドリガーレの速いテンポ感を的確に表現した。自由曲はラッソも上手だったが、それよりもランダル・トンプソン。34名とドッペル・コールの演奏には、やや少な目の頭数をカヴァーする、舞台全面に広がるフォーメーションで、この人数とは思えない音像の広がりを作った。可愛らしい声で祈りの心を歌い上げる、実力的に背伸びをせず身の丈に合った、しかも華やかな音楽作りで、とても素敵な演奏だった。
<秋田県>
県立大曲高校合唱部(女声22名)
指揮/鈴木智美
小林秀雄「私のいのちは」(五つの心象)
三善晃「ふいふうみいよいつ/キルケニーのねこ二ひき
/もしうみがみんなひとつのうみだったら」(マザーグースの三つのうた)
課題曲はソプラノに内声的な音色のあって、表現力は感じ取れるが、細部に拘り過ぎて全体を俯瞰出来ていない。マザーグースはテンポを粘り過ぎて、後押しのリズム感があり、丸っ切りカタカナ英語なのも問題。曲の楽しさは伝わらず、これは選曲ミスと感じる。
県立秋田北高校音楽部(女声9名)
指揮/小林明人
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
Giordano Fermi:Fu-Fu/Scherzo/Himnus
スヴェーリンクではソプラノの突出し、少人数の割にバランスの悪いポリフォニーになってしまう。指揮者の細かい工夫だけではテンションを保てず、テンポにも音色にも変化の無い単調な演奏だった。自由曲はマドリガルっぽい曲想を生徒が的確に把握して、軽やかなリズムも心地良い。少人数の良さのあるアンサンブルで、曲の内容を存分に表現する。この指揮者には小難しい曲よりも、ウィットに富んだ小粋な音楽が合うようで、この手法で課題曲もやらなかったのを残念に思う。
聖霊女子短大附属中学・高校合唱部(女声51名)
指揮/金由加
スヴェーリンク「Lascia Filli mia cara 愛するフィリスよ」
ブラームス「三つの宗教合唱曲」op.37
速目のテンポ設定と身振りの大きいデュナーミクで、マドリガーレを草書的に表現する、説得力のある演奏。しかし、そのコッテリしたデュナーミクが、ブラームスにはクサ過ぎる。二曲目の最後でテンポを緩めると、ソプラノが声を保持出来ず、アラの聴こえてしまう。もっと清楚な声の必要で、横の流れを大事にしながら、三曲目で思い切り発散する、僕はそんな曲と思う。
<山形県>
羽黒高校合唱部(混声25名)
指揮/春山連
ヤコブ・ファート「O quam gloriosum est regnum 栄光に輝く王国」
Eric Whitacre:Go lovely rose/With a lily in your hand
課題曲で表現意欲のようなものは感じるが、それが形になって現れていない。演奏自体は高校生らしい素直な歌で、良いポリフォニーは作っていると思う。ウィテカーでは曲に含まれる抒情的な雰囲気を引き出して、まずまずのセンスを感じさせる。遅いのと速いのと二曲の対比も上手に出来たし、縦をビシリと揃えるフレージングの作り方にも、結構やるじゃんと思える。でも、全体にナチュラルな音楽作りはあるが、もう少し工夫のあって然るべきとも思う。
県立山形北高校音楽部(女声48名)
指県立揮/小松正広
ピアノ/押野明子
小林秀雄「私のいのちは」(五つの心象)
松本望「はてしもなくて」(光の方へ)
課題曲はテンポの遅過ぎ、弄り過ぎ。何故ここまで譜面から逸脱するのか、理解に苦しむ。自由曲には適切な情感があり、課題曲での籠もったような声も、明るくクリアーになる。但し、テンポの粘るのは変わらず、僕は辟易させられる。演奏とは基本的にもっとテキパキやるべきもので、この指揮者には根本的な処で勘違いのあるように思う。
県立鶴岡南高校音楽部(混声66名)
指揮/阿部隆幸
ピアノ/武田美緩
ハイドン「Der Augenblick 束の間」
プーランク「Salve Regina/Exultate Deo」
歯切れの良いリズムで、ハイドンの明るさを充全に表現する。速目のテンポで音楽の軽いのも良いし、ピアニシモとフォルテの対比を作る、バロック的な解釈も立派なもの。プーランクでも擬古典的なスタイルを把握して、柔らかい音色で軽やかな音楽作り。フォルテシモでも柔らかい響きを失わず、取り分け二曲目でのアゴーギグの転がし方が巧みで、フランスのエスプリの香り立つような演奏だった。
県立鶴岡北高校音楽部(女声59名)
指揮/百瀬敦子
ピアノ/小野寺智子
ガルッピ「Judicabit in nationibus 主は諸国を裁き」(詩篇110番)
三善晃「北の海/ふるさとの夜に寄す」(三つの抒情)
スフォルツァンドの使用法の堂に入って、この単純なガルッピの曲を着実に盛り上げる、指揮者の設計が見事。ややデュナーミクの付け方はクサイが、三善晃も真っ向勝負で正攻法の音楽作り。但し、独自の個性を感じさせる音色は無く、音楽の色彩感の表現は今ひとつ。その淡彩な美しい演奏は、それそれで魅力的ではあるけれども。
全体講評で審査員の佐藤正浩も触れたが、今回の課題曲となったスヴェーリンクのマドリガーレに付いて、遅いテンポの演奏の多過ぎるのには、僕も首を傾げていた。歌詞の内容は関係無い、イタリア語に付されていれば、ミサでもモテットでもないマドリガーレなのだ。
スヴェーリンクは一般的にオルガニスト兼作曲家として認知されていて、実は僕も声楽曲は殆ど知らない。しかし、この人の鍵盤曲の技法はブルゴーニュ楽派の枠内に留まっていて、未だバロックの影は差していない。同時代の作曲家であるイタリアのジョヴァンニ・ガブリエリ辺りは、完全にバロックに足を突っ込んでいるが、スヴェーリンクの場合はブルゴーニュ楽派最後の巨匠と呼ぶのに相応しい。
アカデミックで古典的なラテン語に付された曲は、全て礼拝を目的とする音楽で、演奏に際しテンポは自ずと遅くなる傾向はある。だが、マドリガーレの場合は歌詞の内容に即し、テンポ設定を判断せねばならない。失恋の歌なら遅いし、愛の喜びを歌う場合は速くなる、この辺りは甚だ単純と思う。
僕が盛岡を始めて訪れた28年前には、福島高校のタリス「エレミアの哀歌」の格調高い演奏や、郡山女子高の透明で美しいパレストリーナ等のあり、高校生の歌うルネサンス・ポリフォニーのレヴェルの高さに感嘆したものだ。その中でも取り分け、福島西女子高のタリス「Sancte Deus」の演奏には、その息を呑む美しさに圧倒された記憶がある。指揮者の伊藤勲教諭は先年、福島高校在任を最後に定年退職されたが、その退任の年の東北大会で取り上げた、モンテヴェルディのマドリガーレの演奏にも感激させられた。昔は宗教曲と世俗曲のスタイルを、キチンと振り分ける指揮者が居たのだ。それが今は東北でも、古い時代の音楽を自由曲に取り上げる学校自体、殆ど無くなってしまった。
僕は鈴木輝昭のヴァーゲン・セールのようになった、現下のコンクールの状況を一概に否定する者ではない。ただ、合唱音楽の原点とも云うべき、ルネサンス・ポリフォニーの価値を問い直し、その研究を深めれば、邦人曲でも更に高次元の演奏が可能になる筈と思うだけに、古い時代の音楽の等閑にされる、東北の現状を憂うのだ。