<神戸市演奏協会第375回公演/“Transcriptions”>
2013年3月17日(日)14:00/神戸文化中ホール
指揮/佐藤正浩
ピアノ/河内仁志/多久江里子
神戸市混声合唱団
シューベルト/C.マレンコ編曲「美しき水車小屋の娘」D.795
1.Der Wandern さすらい/4.Danksagung an den Bach 小川への感謝
7.Ungeduld 苛立ち/11.Mein! 僕のものだ!/14.Der Jager 狩人
19.Der Muller und der Bach 水車職人と小川/20.Des Baches Wiegenlied 小川の子守歌
バーバー「The Monk and His Cat 猫と僧侶/
Sure on This Shining Night この美しい夜に/Agnus Dei〜弦楽のためのアダージョ」
レイナルド・アーン/佐渡孝彦編曲「L'Heure exquise 恍惚の時/D'Une Prison 牢獄から/
Mai 五月/Paysage 景色/Si mes vers avaient des ailes もしも私の詩に翼があれば」
信長貴富「くちびるに歌を」(全4曲)
僕は「神戸市混声合唱団」の演奏を、兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期で何度か聴いているのと、「ひょうごプロデュースオペラ合唱団」と名乗り、佐渡裕指揮のオペラに出演した際には毎回聴いている。要するに看板を架け替えるだけで、その実態は関西二期会会員を中核とした、ローカルなオペラ歌手の寄せ集め集団である。
その寄せ集め合唱団が神戸市混声の名前で、年に二度の定期公演を行っているのは知っていたが、その実力は概ね想像の付くし、わざわざ神戸まで合唱団単独のコンサートを聴きに行く気にはなれなかった。でも、今日は他の雑魚共とは違う、オペラの専門家である佐藤正浩の指揮で、僕も出掛ける気になった訳だ。
今日の会場の客入りは七分通りだろうか。客層は年配の女性が圧倒的に多く、若い方々の姿は殆んど見当たらない。この合唱団は神戸市室内合奏団と共に、市役所の外郭団体が運営する組織で、要するにオーケストラを聴きたい定期会員のおばちゃん達が、セットになっているコーラスの演奏会も、折角だし勿体無いからと聴きに来るらしい。まあ、金払ってまで合唱だけ聴きたがる人が、こんなに沢山いる筈無いよな。
佐藤正浩は今回のプログラムを“Transcriptions”と題している。自分はグリークラブ出身だが、男声合唱はレパートリーに乏しい為、編曲物を取り上げざるを得ないと云う事情がある。だから今日は、歌曲や管弦楽からの編曲物でプログラムを組んでみた、と佐藤は説明する。その上で昨年の五月に急逝された、自分の師でもある畑中良輔先生が指揮する筈だった、昨秋の定期公演に予定していたプログラムで、レイナルド・アーンを追悼の意味で取り上げる。佐藤は概ねそんな意味の事を語った。
まず、「水車小屋の娘」で、これはアカペラへの編曲物。一曲目の「さすらい」は旋律を歌うソプラノの後、冒頭の一句“Das Wandern”をテノールがレフレインする、如何にも通り一遍な合唱編曲。「小川への感謝」はテノールが旋律を歌い、他の三パートはオブリガードに回る。「苛立ち」と「マイン!」はソプラノを旋律として、ごく単純な四部合唱に仕立てただけ。「水車職人と小川」は女声と男声が交互に歌い、最後は皆んなでハモる。「狩人」だけポリフォニックなアレンジで、ソコソコ面白かった。
この合唱編曲では旋律の民謡性を強調する形となり、何やら演歌っぽい雰囲気も漂う。そもそもドイツ・リートは、歌と伴奏の両輪が揃わないと始らない。リートをピアノ抜きでアカペラに編曲すれば、それは単なるドイツ民謡風の四部合唱曲でしかなくなる。このアレンジは原曲とは全く別物で、シューベルトの音楽を歌謡曲と同列に扱っていると思う。演奏も各パートの内部は一応揃っているし、ハーモニーも綺麗だが、だからどうと云う程のものでも無い。縦横共にそんなにピッタリ合っている訳でも無く、スコーンと気持ち良く声を出す事も無い、何となくモヤモヤした演奏だった。これこそ新国立劇場合唱団合唱指揮者の三澤洋史言う処の、「全国大会高校生の部に乱入したら、たぶん金賞は取れない」演奏の、恐らくは典型例と思う。
バーバーも全てアカペラで、一風変わった不協和音の使い方の面白い一曲目と、二曲目はロマン派っぽいネッチョリした曲。休憩前の最後の曲は皆様ご存知、弦楽合奏からの編曲版アダージョで、これは緊張度の高い演奏だった。張り詰めたテンションを維持する指揮者の手腕はさすがだし、四十名の大人数でこの曲に必要とされる音の厚味もあった。
ただ、バスとアルトの強力でハーモニーは安定するが、テノールは日本人っぽい声だし、ソプラノの声の力も然程では無い。オペラ歌手の集団であれば、もっと声を出して然るべきで、バランスを崩してでも思い切りやって欲しい。破綻を避けている感じで、ここは指揮者を煽る位の覇気の欲しい処だ。小じんまり纏めようとする傾向のあるのは、或いは下振り指揮者の志向かも知れない。偶にやって来て本番を振る指揮者よりも、日常的に指導する副指揮者の存在は大きいと思う。
畑中さんへのオマージュとして演奏されたアーンは、これが今日の白眉の演奏だった。フワッとハモらせる甘い曲想は、この合唱団と指揮者の持ち味にハマるし、フランス語のデュナーミクの作り方も板に付いている。やや大袈裟なアゴーギグの揺らせ方も、指揮者が自家薬籠中のものとして曲に即応しているので、全くクサくは感じない。甘ったるい程に甘く、蕩けるように美しい演奏で否応無しに納得させられる、伝わるもののある演奏だった。
最後は邦人合唱曲だが、何でこんなものを最後に持って来るのか、僕はプログラムを見て首を傾げていた。誠にベタな合唱曲なのに、指揮者は随分と大きく構え、希代の名曲みたいな調子で演奏を進める。でも、指揮者には大上段に振り被られ、プロのコーラスもその声を振り絞れば、聴く側は何となく丸め込まれて終う。縦をピタリと揃えたし、ピアニシモの緊張感も半端なく、曲の弱さなど何処かに吹き飛んで終う、典型的な演奏で曲を生かす音楽作りと感じる。プロ同士の顔合わせでこそ、初めて可能となる態の演奏だった。
しかし、結局この演奏からは指揮者を含めた全員が、音楽に対し醒めている印象しかない。ひたすらに大音量を出すだけの外面的な演奏で、誰も音楽へ入り込んでは居らず、曲への共感など全く有りはしない。まあ、伴奏のピアニストだけは速いテンポの所為もあり、本気で弾いていたかも知れない。しかし、何もこんな曲にそこまで精根を傾けんでもと、僕は最初から最後まで苦々しい気分で聴いていた。実際の話、最後のフォルテシモなど途轍もない大音量で、聴衆は大喜びで拍手喝采していた。その意味で今日の観客は、見事に指揮者の狙いへ嵌められた訳だ。
アカペラ一本槍のタリス・スコラーズに、あれだけの需要はあるのだし、更に精度の高いアンサンブルであれば存在価値はあると思う。だが、四十名もの大人数で歌われるコーラスが、果たして一般向けの娯楽として成立するのか、この疑念は聴き終えた後も解消されないままだ。そもそも神戸市混声合唱団の設立趣旨は、オペラ上演にあったらしい。だが、十八年前の阪神大震災以後、この外郭団体主催のオペラ上演は行われていない。室内合奏団との共演で、ロマン派以降の声楽入り大曲を演奏する方が、一般的な嗜好にも合うだろうし、同じく神戸で活動する、バッハ・コレギウム・ジャパンとの棲み分けも出来る筈と思う。
コンサートの締めくくりのアンコールには、畑中良輔さんへの追悼として、シューベルトの「楽に寄す」が演奏された。ここで改めて畑中さんに哀悼の意を捧げたい。
2013年3月17日(日)14:00/神戸文化中ホール
指揮/佐藤正浩
ピアノ/河内仁志/多久江里子
神戸市混声合唱団
シューベルト/C.マレンコ編曲「美しき水車小屋の娘」D.795
1.Der Wandern さすらい/4.Danksagung an den Bach 小川への感謝
7.Ungeduld 苛立ち/11.Mein! 僕のものだ!/14.Der Jager 狩人
19.Der Muller und der Bach 水車職人と小川/20.Des Baches Wiegenlied 小川の子守歌
バーバー「The Monk and His Cat 猫と僧侶/
Sure on This Shining Night この美しい夜に/Agnus Dei〜弦楽のためのアダージョ」
レイナルド・アーン/佐渡孝彦編曲「L'Heure exquise 恍惚の時/D'Une Prison 牢獄から/
Mai 五月/Paysage 景色/Si mes vers avaient des ailes もしも私の詩に翼があれば」
信長貴富「くちびるに歌を」(全4曲)
僕は「神戸市混声合唱団」の演奏を、兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期で何度か聴いているのと、「ひょうごプロデュースオペラ合唱団」と名乗り、佐渡裕指揮のオペラに出演した際には毎回聴いている。要するに看板を架け替えるだけで、その実態は関西二期会会員を中核とした、ローカルなオペラ歌手の寄せ集め集団である。
その寄せ集め合唱団が神戸市混声の名前で、年に二度の定期公演を行っているのは知っていたが、その実力は概ね想像の付くし、わざわざ神戸まで合唱団単独のコンサートを聴きに行く気にはなれなかった。でも、今日は他の雑魚共とは違う、オペラの専門家である佐藤正浩の指揮で、僕も出掛ける気になった訳だ。
今日の会場の客入りは七分通りだろうか。客層は年配の女性が圧倒的に多く、若い方々の姿は殆んど見当たらない。この合唱団は神戸市室内合奏団と共に、市役所の外郭団体が運営する組織で、要するにオーケストラを聴きたい定期会員のおばちゃん達が、セットになっているコーラスの演奏会も、折角だし勿体無いからと聴きに来るらしい。まあ、金払ってまで合唱だけ聴きたがる人が、こんなに沢山いる筈無いよな。
佐藤正浩は今回のプログラムを“Transcriptions”と題している。自分はグリークラブ出身だが、男声合唱はレパートリーに乏しい為、編曲物を取り上げざるを得ないと云う事情がある。だから今日は、歌曲や管弦楽からの編曲物でプログラムを組んでみた、と佐藤は説明する。その上で昨年の五月に急逝された、自分の師でもある畑中良輔先生が指揮する筈だった、昨秋の定期公演に予定していたプログラムで、レイナルド・アーンを追悼の意味で取り上げる。佐藤は概ねそんな意味の事を語った。
まず、「水車小屋の娘」で、これはアカペラへの編曲物。一曲目の「さすらい」は旋律を歌うソプラノの後、冒頭の一句“Das Wandern”をテノールがレフレインする、如何にも通り一遍な合唱編曲。「小川への感謝」はテノールが旋律を歌い、他の三パートはオブリガードに回る。「苛立ち」と「マイン!」はソプラノを旋律として、ごく単純な四部合唱に仕立てただけ。「水車職人と小川」は女声と男声が交互に歌い、最後は皆んなでハモる。「狩人」だけポリフォニックなアレンジで、ソコソコ面白かった。
この合唱編曲では旋律の民謡性を強調する形となり、何やら演歌っぽい雰囲気も漂う。そもそもドイツ・リートは、歌と伴奏の両輪が揃わないと始らない。リートをピアノ抜きでアカペラに編曲すれば、それは単なるドイツ民謡風の四部合唱曲でしかなくなる。このアレンジは原曲とは全く別物で、シューベルトの音楽を歌謡曲と同列に扱っていると思う。演奏も各パートの内部は一応揃っているし、ハーモニーも綺麗だが、だからどうと云う程のものでも無い。縦横共にそんなにピッタリ合っている訳でも無く、スコーンと気持ち良く声を出す事も無い、何となくモヤモヤした演奏だった。これこそ新国立劇場合唱団合唱指揮者の三澤洋史言う処の、「全国大会高校生の部に乱入したら、たぶん金賞は取れない」演奏の、恐らくは典型例と思う。
バーバーも全てアカペラで、一風変わった不協和音の使い方の面白い一曲目と、二曲目はロマン派っぽいネッチョリした曲。休憩前の最後の曲は皆様ご存知、弦楽合奏からの編曲版アダージョで、これは緊張度の高い演奏だった。張り詰めたテンションを維持する指揮者の手腕はさすがだし、四十名の大人数でこの曲に必要とされる音の厚味もあった。
ただ、バスとアルトの強力でハーモニーは安定するが、テノールは日本人っぽい声だし、ソプラノの声の力も然程では無い。オペラ歌手の集団であれば、もっと声を出して然るべきで、バランスを崩してでも思い切りやって欲しい。破綻を避けている感じで、ここは指揮者を煽る位の覇気の欲しい処だ。小じんまり纏めようとする傾向のあるのは、或いは下振り指揮者の志向かも知れない。偶にやって来て本番を振る指揮者よりも、日常的に指導する副指揮者の存在は大きいと思う。
畑中さんへのオマージュとして演奏されたアーンは、これが今日の白眉の演奏だった。フワッとハモらせる甘い曲想は、この合唱団と指揮者の持ち味にハマるし、フランス語のデュナーミクの作り方も板に付いている。やや大袈裟なアゴーギグの揺らせ方も、指揮者が自家薬籠中のものとして曲に即応しているので、全くクサくは感じない。甘ったるい程に甘く、蕩けるように美しい演奏で否応無しに納得させられる、伝わるもののある演奏だった。
最後は邦人合唱曲だが、何でこんなものを最後に持って来るのか、僕はプログラムを見て首を傾げていた。誠にベタな合唱曲なのに、指揮者は随分と大きく構え、希代の名曲みたいな調子で演奏を進める。でも、指揮者には大上段に振り被られ、プロのコーラスもその声を振り絞れば、聴く側は何となく丸め込まれて終う。縦をピタリと揃えたし、ピアニシモの緊張感も半端なく、曲の弱さなど何処かに吹き飛んで終う、典型的な演奏で曲を生かす音楽作りと感じる。プロ同士の顔合わせでこそ、初めて可能となる態の演奏だった。
しかし、結局この演奏からは指揮者を含めた全員が、音楽に対し醒めている印象しかない。ひたすらに大音量を出すだけの外面的な演奏で、誰も音楽へ入り込んでは居らず、曲への共感など全く有りはしない。まあ、伴奏のピアニストだけは速いテンポの所為もあり、本気で弾いていたかも知れない。しかし、何もこんな曲にそこまで精根を傾けんでもと、僕は最初から最後まで苦々しい気分で聴いていた。実際の話、最後のフォルテシモなど途轍もない大音量で、聴衆は大喜びで拍手喝采していた。その意味で今日の観客は、見事に指揮者の狙いへ嵌められた訳だ。
アカペラ一本槍のタリス・スコラーズに、あれだけの需要はあるのだし、更に精度の高いアンサンブルであれば存在価値はあると思う。だが、四十名もの大人数で歌われるコーラスが、果たして一般向けの娯楽として成立するのか、この疑念は聴き終えた後も解消されないままだ。そもそも神戸市混声合唱団の設立趣旨は、オペラ上演にあったらしい。だが、十八年前の阪神大震災以後、この外郭団体主催のオペラ上演は行われていない。室内合奏団との共演で、ロマン派以降の声楽入り大曲を演奏する方が、一般的な嗜好にも合うだろうし、同じく神戸で活動する、バッハ・コレギウム・ジャパンとの棲み分けも出来る筈と思う。
コンサートの締めくくりのアンコールには、畑中良輔さんへの追悼として、シューベルトの「楽に寄す」が演奏された。ここで改めて畑中さんに哀悼の意を捧げたい。