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第67回福島県合唱コンクール

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2013年8月30日(金)10:00/磐城芸術文化交流館アリオス

<郡山市>
県立安積高校(男声17名)
指揮/鈴木和明
ピアノ/小林瑛太
Fenno Heath:Sometimes I feel like a motherless child
千原英喜「第2楽章」(カクレキリシタン3つの歌)
 美しいピアニシモのハーモニーはあるが、随分レガートな上にイン・テンポの黒人霊歌で、もっとアザトくルバートしないと面白くはならない。表面的で内容の無い自由曲に合わせ、こちらもレガートな民謡。トップ・テナーが直ぐにファルセットに逃げる、ピアニシモの美しいだけの演奏だが、それは或る意味で正しいのかも知れない。

県立安積高校(混声41名)
指揮/鈴木和明
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
ブラームス「Warum ist das Licht gegeben 何故に光を賜り op.74-1」(二つのモテット)
 もっと畳み掛けるアチェルラントは欲しいが、美しいポリフォニー演奏で、四つのパートがクッキリ分離して聴こえるのが素晴らしい。大袈裟な程のデュナーミクと、速目のテンポ設定はこれで正解。ブラームスに一応それらしいニュアンスはあるが、このモテットは更に突き詰めたピアニシモと、圧倒的なフォルテを必要とする曲で、ダイナミク・レンジは如何にも狭い。それにドイツ語もキチンと勉強し、デュナーミクの作り方に生かして欲しい。

県立安積黎明高校(女声49名)
指揮/宍戸真市
ピアノ/鈴木あずさ
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「青頭巾」(雨月物語)
 課題曲で日本語の抑揚を捉えニュアンスを醸す、デュナーミクの作り方は以前と変わらないが、声は太目でやや透明感に欠ける。自由曲も高い技術力で歌い通すが、対位法的な曲想を整理出来ていない。全体を通した設計も見えて来ず、メリハリを欠いた大雑把な演奏と云う印象しか残らなかった。

県立郡山東高校(混声24名)
指揮/小林悟
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
モンテヴェルディ「Credo」(四声ミサ)
 課題曲の演奏は何時になく大人しい。この曲は素直にやってもダメで、もっとテンポや強弱をクサく作らないと映えない。クレドも縦横がキチンと揃っておらず、全体を通してテンションを保つだけの声の力に不足する。そもそも大して面白い曲でも無いし、テンポ・アップする後半はサマになるが、前半の緩徐部分には何かしらの対比を作る工夫の望まれる。

県立郡山高校(混声52名)
指揮/菅野正美
ピアノ/鈴木あずさ
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
鈴木輝昭「地上楽園の午後」
 子音の扱いが丁寧で、デュナーミクの変化も柔らかく、情感に溢れる課題曲の演奏。自由曲はナレーションを旋律に載せたような曲で、この作曲者としては比較的に難易度は低い。中間部のヴォーカリーズも、高い技術力と柔らかいハーモニーで聴かせるが、繰り返し聴くべき曲ではないように思う。

日本大学東北高校(混声9名)
指揮/成瀬鮎見
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
ジョン・ラター「Monday's child/The Owl and the Pussy-Cat」(5つの子供の詩)
 何だか心配になる程テンポは遅いが、雰囲気は良く掴んでいるし、ちゃんとポリフォニーになっている。ただ、男声ばかり聴こえるので、もっと女声を前に出したい。でも、ラターまで同じ歌い方なのは如何なものかと思う。声の力の足りないのは仕方無いが、もっと楽し気に歌って欲しかった。

県立安積黎明高校(男声12名)
指揮/宍戸真市
バード「Memento salutis auctor 御心に留め給え」
多田武彦「柳河/かきつばた/梅雨の晴れ間」(柳河風俗詩)
 キチンとしたポリフォニーになっているし、バードを聴けたのも嬉しいが、もっとテンポの緩急が欲しいし、山場も更に盛り上げたい。この曲は音域が低いので、カウンター・テノールの起用も検討したい。みんな声を揃え気持ち良くハモれて、タダタケは良い男声合唱ででした。ただ、「かきつばた」の無闇に早かったのは、恐らく制限時間を意識してだろうが、それならば三曲も詰め込む必要は無い。それと一番楽しそうに見えるのは指揮者だったりして、この選曲は顧問教諭の単なるノスタルジーと思う。

県立郡山東高校(女声37名)
指揮/小林悟
ピアノ/橋本絵美
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「Cantate Domino 詩編第96番」
 課題曲は柔らかいデュナーミクで情感を醸す演奏。コンクール用に量産されたドッペル・コールの自由曲を、力任せに歌い飛ばす印象で、ここは無理にでも弱音の美しさを表現出来る箇所を見付け、変化を付けたかった。

郡山女子大学附属高校(女声26名)
指揮/加藤まゆ美
ピアノ/横溝聡子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「名‐夜/ここ」(女に)
 持ち前の柔らかい声質を生かせる課題曲で、速目のテンポでも音色の変化を意識する、ニュアンスに満ちた演奏。自由曲で力尽くになると声の魅力も減ずるし、もっとピアニシモの美しさを生かす曲作りが望まれる。二曲目も愉し気に歌えているが、やや整理不足でベタ押しの印象を受けるので、何かしらのメリハリを工夫して欲しい。


<審査員個別順位>
雨森文也(合唱指揮者)
1.郡山 2.会津 3.安積混声 4.郡山東女声 5.安積黎明 6.橘 6.喜多方 6.会津学鳳女声 6.福島 10.福島明成 11.磐城 12.安積女声 12.会津学鳳混声 14.郡女附属 14.郡山東混声 14.安達東 14.安積男声

上西一郎(奈良県立平城高校コーラス部顧問教諭)
1.安積黎明 2.郡山 3.安積混声 4.郡女附属 5.会津 6.会津学鳳女声 7.橘 8.葵 8.安積女声 10.喜多方 11.福島東 12.会津学鳳混声 13.郡山東女声 14.福島 15.安積男声 16.安達東

清水敬一(合唱指揮者)
1.安積黎明 2.橘 3.会津 4.喜多方 5.郡山 6.安積混声 7.郡山東女声 7.会津学鳳混声 7.会津学鳳女声 7.安積女声 11.郡女附属 11.福島 13.清陵情報 14.磐城桜が丘 15.郡山東混声 16.福島東 16.安積男声

佐藤正浩(Orchestre Les Champs Lyrics主宰)
1.安積黎明 2.郡山 3.会津 3.郡山東女声 5.橘 6.安積混声 6.喜多方 8.郡女附属 8.葵 10.会津学鳳女声 11.会津学鳳混声 12.郡山東混声 13.福島 14.湯本 15.福島明成 15.福島東 17.安積女声

高嶋みどり(作曲家)
1.郡山 2.橘 5.安積混声 3.郡山東女声 4.会津 5.安積黎明 5.郡女附属 7.安積混声 8.喜多方 9.福島東 10.安達東 11.磐城桜が丘 12.会津学鳳混声 13.福島明成 14.会津学鳳女声 15.葵 16.福島 17.清陵情報

磐城の酒〜呑む、聴く、買う

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 土日はいわきに滞在したまま、中学部門のコンクールを聴く羽目となった。ホールの隅っこの方に座り、入れ代わりに出て来る福島の中学校の合唱を、最初の一声でこれは聴ける演奏だなと思えば聴き、これはダメだと思えば膝の上に置いた文庫本、三島由紀夫の戯曲集「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」に目を落とす。三島の書いたものは何でも面白いが、戯曲なら巻を措く能わずと云う事も無く、断続的なペースでも読める。こんな場合に打って付けと言えば、やや故事付けめいているけれども。

 しかし、中学生の分際で、プーランクの「人間の顔」をやる学校のあるのには驚いた。一応の形にはなっていたが、えーと「人間の顔」ってラテン語の歌だっけか?と思う程、フランス語の発音はテキトーだった。まあ、中学生がマトモに演奏する事自体、驚異的な曲ではあるけれども。ただ、他にラテン語モテットをやった学校もあり、確かに上手な演奏ではあるが、何れもプーランクを取り上げる必然性に乏しい印象を受けた。プーランクの基本はフランス語のイントネーションと、グレゴリオ聖歌から成り立っていて、この両者を理解せずに演奏は出来ない筈だ。プーランクは何となく気分で歌うものではなく、徹底的に分析して初めてエスプリの滲み出る、そんな性質の音楽だろう。今日、中学生を相手にプーランクを振った指揮者は、何れもその基本を素っ飛ばしていたように思う。

 日がな一日、中学生の合唱を聴くのも気の利かない話だし、合唱と読書に倦めば会場を抜け出し、昼酒を呑みに街へ繰り出す。目的のお店は「田町平安」でビルの二階にある立地は聊か趣を欠くが、いざ店内に入ると案内してくれる従業員さんはソムリエ風の出で立ちでイケメンだし、洋間のインテリアも僕なんか場違いに感じる程、センス良く高級感に溢れている。しかし、ここホンマに和食の店なんかいな…。



 こちらのご主人は修業時代に、大阪の“磐城壽マニア”のお店「堂島雪花菜」の大将と知り合ったそうで、僕もいわきに行けば田町平安にも寄らねばと思っていた。その旨を従業員さんに告げると、ご主人も厨房から挨拶に出て来てくれた。ご主人のお顔を拝見して初めて、ああここは和食の店なんだと納得する。しかし、そもそも何をしに大阪からいわきまで来たのかとか、別に料理人でも無い単なる堂島雪花菜の客だとか、僕の立場はなかなか説明が難しい。



 お昼膳はお決まりで金二千百円也の、お手頃価格である。夜のコース料理は如何にも高いし、まあランチが分相応と思う。お造りや天麩羅で生ビールを頂き、焼き物や鍋で日本酒は「悦凱陣」を頂いた。やはり昼酒は回るし、もう中坊のコーラスとかどうでも良くなって来たが、小さな街では外にする事も無く、アリオスに戻り引き続いてコンクールを聴く。ジックリと聴き入ったり、俯いて遣り過ごしたりしながら思うのは、中学生のプーランクには納得しないが、コダーイやバルドシュなら安心して聴ける事。やっぱ中坊に向く音楽と、それは十年早いってのはあるよな。



 アリオスの前には広い公園があり、例に拠ってモニタリング・ポストも置いてある。上の写真の数値は毎時0.193マイクロシーベルト、下のは0.155マイクロシーベルトで年間の線量に換算すると、それぞれ1.69ミリシーベルトと1.36ミリシーベルトとなる。3月15日、フクシマ・ダイイチ二号機で格納容器の一部である圧力抑制室が破損し、漏れ出た放射性物質は西北西の方向に流れたので、原発の南側にあるいわき市中心部の線量は低目に推移していると聞いた。でも、それならこの数値は微妙だな…。



 適当な処でコンクール会場を後にし、アリオスに程近い酒屋さん澤木屋を訪れる。こちらのお店は震災前、双葉郡浪江町で地味に酒造りに勤しんでいた「磐城壽」の、ほぼ全銘柄を取り揃えていたらしい。堂島雪花菜の大将は、大阪で磐城壽を扱う店の品揃えに飽き足らず、このお店に辿り着いてマニアックに酒を仕入れ、僕にも呑ませていた。「燗酒戦隊モモカンジャー」なんてのはその最たるもので、この三年熟成のマッタリした酒を、蔵元の鈴木大介さんと一緒に呑んだ日の事も、震災を経た今となっては或る種の感慨を持って思い出される。あの時は来年も再来年も、今年と同じ磐城壽を呑めると思い込んでいた。



 鈴木酒造店の醸す酒に対し、部外者として最も理解ある筈のご主人に、僕の抱いている疑念を質してみた。そもそも杜氏でもある鈴木大介さんは、磐城壽を震災前の味に戻す気のあるのかどうか。現在、山形の草深い山奥で醸されている磐城壽は、震災前と比べ随分と味は柔らかくなっている。つまり万人受けする酒になった訳で、それは復興支援を集める意味では良い方向に作用しているようだ。しかし、それでは以前の磐城壽が好きだった自分達は納得し難い。鈴木大介さんの真意は図り兼ねるが、ご本人に問い質す勇気は無い。

 浪江の硬水から長井の軟水に替わっただけで、そんなに酒質って変わるものなのかと、素人は素朴な疑問を抱く。これに対し澤木屋のご主人は、鈴木さんは浪江で酒造りしていた時から、春と秋で水質の変る事に苦労していたと説明してくれる。酵母任せで思うようにはならないのが酒造りで、醸造に関する化学的な知識など何も無い、単なる酒呑みのとやかく言う話では無い。つまりは長い目で見守れ、鈴木大介さんの想いを忖度しろと云う事だ。

 澤木屋のご主人にも当然ながら、おまえは何をしにいわきに来た?と尋ねられる。アリオスでやっている合唱コンクールを聴きに来たと答えるが、それは全国大会か?大阪の学校は出ているのか?と聞かれ、いや福島の学校しか出ていないとしか答えられず、全く納得して頂けない様子だった。まぁそりゃそうだよな、普通はそうだろうと僕も思う…。

 冒頭の写真は、以前の磐城壽に近い酒とのお勧めに従い購入した、白河の大谷忠吉本店が醸す「登龍」を掲げる澤木屋のご主人です。ご協力有難うございました。

若冲が来てくれました!〜大人のための特別鑑賞プラン

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<東日本大震災復興支援特別展/プライスコレクション江戸絵画の美と生命>
2013年9月2日(月)13:30〜17:00/福島県立美術館

 福島の合唱コンクールを聴きに来た訳だが、序でなら震災復興支援の伊藤若冲展も観たい。日本画の収集家として知られるアメリカ人、ジョー・プライスのコレクションに拠る展覧会は仙台と盛岡を経て、今夏の福島県立美術館に巡回している。でも、チャリティで収益を全て寄付して頂けるのは大変有難いが、まず子供達に観て貰いたいと云うプライス氏の意向に拠り、高校生以下は入場無料なのはやや気になる。勿論、これも大変良い事に相違無いが、夏休み最後の週末で子供はタダとなれば、如何に地方都市の公立美術館と雖も、入場制限付きの大混雑は避け難い。

 そもそも美術鑑賞なんてユッタリのんびりするべきもので、芋の子洗う大混雑の中をセカセカと一巡してお終いでは、わざわざ福島まで行く甲斐も無い。若冲展に付いて検索を掛けていると、休館日で夏休み明けの月曜日を「大人のための特別鑑賞プラン」と称し、応募者から抽選で選んだ、百五十名の入場者で営業すると云う告知を見付けた。金曜日に合唱コンクール高校部門を終え、土日を挟んだ月曜まで福島に滞在するのはキツイが、少人数ででユックリ若冲を観るのも得難い機会だし、思い切って長目の夏休みを取る事にした。

 中坊のコーラスも聴き飽きた日曜日の昼下がり、いわき駅から磐越東線の鈍行で福島駅へ向かう。阿武隈山脈を横断し、郡山で東北線に乗り換え夕刻に福島駅へ到着、予約したホテルへ早々にチェックインする。翌日もユックリ朝食を摂った後、信夫山の麓にある県立美術館を目指しブラブラ歩く。福島には何度も来ているが、樹木に囲まれて瀟洒な雰囲気のある、美術館を訪れるのは初めてだ。当選ハガキを示して料金を払えば、後は若冲を見放題である。


     曽我蕭白「寒山拾得図」

 この絵から僕が思い出すのは、森鴎外の掌編「寒山拾得」と「寒山拾得縁起」。皿洗いで実は文殊の寒山さんと、乞食で普賢の拾得さんを表敬訪問した閭丘胤を、二人は素気無く追い払う話だ。鴎外のコントのイメージからすると、脂切ってると云うか何か胡散臭い、蕭白の寒山拾得も悪くは無い。例え本物の文殊普賢であっても、外見のみで判断する俗世間への揶揄か、或いは単なる画家の悪趣味か。どうやら後者の意味合いが強そうだ。

     
森祖仙「猿図」  渡辺南岳「岩上猿猴図」

 両方ともユーモラスで良いですよね。画家は自分を戯画化しているのかな。


         長澤芦雪「白象黒牛図屏風」

 ロビーにはレプリカも置いてある、今回の展覧会の目玉商品の一つ。実物は高さ1.5m、幅は3.6mの六曲一双の屏風で、そのド迫力に圧倒されるが、傍に近寄ると白い子犬と黒いカラスがアクセントになっていて、これは画家の悪戯っぽいです。しかし、こんなデカいものを一体何処に置いていたのか。今時なら宴会用の大広間しか無いけど、これを発注した奴の目的もそんな処か。

     
    円山応挙「虎図」               長澤芦雪「虎図」

 応挙のは張子の虎、芦雪の方は猫ですな。毛が逆立っているのは風に靡いているのではなく、爪も出しているし、猫は怒っているのでしょう。何れにせよ江戸時代の画家さん(画工と呼ぶべきか)は皆、実物の虎を見た事は無く、お手本から想像を逞しくするか、或いは自分ちの飼い猫を写生するかしたらしい。

  
     長澤芦雪「牡丹孔雀屏風図」      曽我蕭白「鶴図」

 芦雪は二曲一双の屏風で、これはもう絢爛豪華としか言いようの無い絵。蕭白のは鶴図で目出度い筈だが、それにしては鶴が胡乱な顔付きをしている。こんなの元旦の床の間に掛けたら不吉だぞ…。



         酒井抱一「十二ヶ月花鳥図」

 これは琳派のデザイン画掛軸。季節に合わせ十二枚も揃えるのは、恐らく主人が客を迎える実用目的で、書院か草庵で茶会を催す際、床の間に掛ける為の受注生産でしょう。しかし、これは花札の図柄そのもので、あのゲームで日本人は四季の感受性を育んでいると、今更ながら気付かされる。

      
「葡萄図」     「果蔬涅槃図」         「群鶴図」        「鷲図」

 順路を進み最後に辿り着く、プライス・コレクションの核となる若冲の特集展示。まず、葡萄図をジックリ見ていると、この絵を描いた人ってノイローゼ気味じゃないかと思えて来る。草間弥生なんかモロにそうだし、見ていて気色悪い絵の好まれる時代って、やっぱり病んでいるのか。でも、野菜の釈迦涅槃図は、八百屋の若冲が商売道具を使ってユーモラスで、この方は躁鬱症なのかと思う。群鶴図もヘンな鶴で一杯だが、それより鷲図を良いと感じる。細密で美しく、しかも力強い絵で、画家の正統的な実力を示していると思う。

    
      「虎図」       「伏見人形」      「紫陽花双鶏図」

 虎はアニメで、伏見人形はデザイン画、そして若冲が神経症的なその本領を示す、アジサイとニワトリの細密画である。本当に色々な絵を描く人だ。


        「鳥獣花木図屏風」

 そして今回の震災支援展覧会の超目玉商品、この一作で一室を独占する大作、六曲一双の屏風絵である。この絵に付いては偽作説があり、弟子の手が入っているとか、いや本人が全部描いたのだとか、持ち主のプライス夫妻を巻き込み、賑やかに論争を繰り広げているようだ。でも、僕はそんなの全く野暮な議論と思う。

 シェイクスピアは無教養な人物で、あんな奴にあれ程の戯曲を書けた筈は無いとか、「源氏物語」はお父ちゃんが大筋を執筆し、娘の紫式部は後から手を加えただけとか、何かに姦しい論争と云うのはあるものだ。著作権の無いエリザベス朝では、グローブ座で上演される戯曲がシェイクスピア名義であっても、本人が書いたとは限らないだろうし、印刷技術の無い平安時代に「源氏物語」を筆写する、暇で文才のある連中が自分の書いたお話しを付け足す事も、当然のようにあっただろう。

 そもそも「鳥獣花木図屏風」のような、物凄く手間の掛かった屏風を一人で描くなんて考え難い。弟子に手伝わせたと考える方が自然で、それを偽作呼ばわりするのは、如何にも狭量に感じられる。襖は建具で屏風は家具、掛軸は茶道具で何れも実用品として使われたものだ。それを作る画家は自分の立場を、芸術家ではなく職人と位置付けていたのではないか。個人の才能に全てを帰す現代とは、時代の違うと云うだけの話だろう。



 上の写真は美術館の敷地内に置いてあるモニタリング・ポスト。毎時0.288マイクロシーベルトだと、年間被曝量は2.5ミリシーベルトになる。低い数値とは云えないが、如何にもセシウムの堆積しそうな芝生の上だし、比較の対象に拠るとしか言いようが無い。



 更にこんなプレートで注意喚起せねばならない、ホット・スポットもあるようだ。子供に外で遊ぶなとか、線量の高い場所には近寄るなとか、そんな風に言い聞かせねばならない状況は何時まで続くのか。事故から二年経って半減期を過ぎたセシウムもあり、特に除染をせずとも空間線量は下がって来ている。だが、今後は半減期三十年のセシウムが残るので、人為的に除染を進めない限り、線量の漸減にはブレーキの掛かる筈だ。

 最近、政府は除染に金の掛かる事に嫌気が差し、今後は空間線量そのものを下げるより、専ら個人の累積線量を目安とする方針のようだ。震災から四日経った3月15日、フクシマ・ダイイチ二号機の圧力抑制室が損傷し、放射線量の急激な上昇があった際、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報を知らされず、線量の高い方角へ避難した住民は多かった。また、事故直後の福島で行政が、半減期八日間のヨウ素に拠る甲状腺癌の危険を慮り、三月中に乳幼児に対し内部被曝検査を実施した事例も無いようだ。それどころか、予防のヨウ素剤を配布しようとした自治体に対し、副作用の懸念を理由に統轄する行政が差し止めたと云う事実もある。事故後の早い段階で個人の累積線量を把握し、健康への影響を長期に亘り監視する、それが行政本来の仕事の筈だった。

 事故当初の政府発表では一体何が起こっているか分からず、アメリカやドイツから来る情報に焦燥感を覚えるのみだった。だが、今ならばハッキリ言える。政府はSPEEDIの情報に基づき、放射線の影響を受け易い乳幼児や児童に限ってでも、広域に亘る避難命令を出すべきだったと。「無用な混乱」を招くとして、高い放射線量に晒される国民を放置した政府は、今また特定秘密保護法案をゴリ押しで通そうとしている。我々の最も必要とする時、政府行政は必要な情報を隠す。それが二年前の事故で、我々の学んだ教訓の筈だ。

モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」

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<アントネッロのオペラプロジェクト“オペラフレスカ”/プレミエ即千秋楽>
2013年9月3日(火)19:00/川口リリア音楽ホール

アントネッロ Anthonello
指揮&リコーダー/濱田芳通
ヴィオリーノ/戸田薫/パウル・エレラ
ガンバ/石川かおり/なかやまはるみ
ヴィオローネ/西沢央子
ファゴット&フラウト/古橋潤一
コルネット/細川大介
トロンボーネ/宮下宣子/大内邦晴
ティオルバ&キターラ/高本一郎
オルガノ/矢野薫
アルバ・ドッピア&チェンバロ/西山まりえ
タンブレロ/田島隆/濱元智行

演出&ネローネ/彌勒忠史
照明/稲葉直人
衣装/友好まり子

ポッペーア/和泉万里子
オットーネ/酒井崇
オッターヴィア&運命の神/澤村翔子
セネカ/和田ひでき
乳母アルナルタ/上杉清仁
侍女ドゥルシッラ&美徳の神/末吉朋子
小姓ヴァレット/藤沢エリカ
愛の神アモーレ/赤地佳怜
兵士&侍女ダミジェッラ/島田道生
兵士&隊長リベルト&警吏リットーレ/黒田大介


 日本を代表する古楽アンサンブルであるアントネッロが満を持し、モンテヴェルディの現存するオペラ三作を年度内に一挙上演する。これは国内のモンテヴェルディ上演史を画する快挙であり、見逃せば千載に悔いを残す記念碑的イヴェントである。福島で若冲展を見物した翌日の火曜日、プロジェクト第一弾となる「ポッペーアの戴冠」を観るべく、青春18切符で東北本線の鈍行を乗り継ぎ川口へ向かった。

 でも、実はリコーダーにガンバにチェンバロの三人組、アントネッロの演奏を僕は今日初めて聴く。勿論、今回は三人の伴奏ではなく、15名編成の古楽器オーケストラを動員していて、濱田芳通はリコーダーを吹きつつ指揮し、石川かおりと西山まりえはオケ奏者として加わる。ネローネを歌うカウンター・テノールの彌勒忠史は演出も担当するが、出演歌手の一人に舞台製作を委ねるのに、経費節減以外の理由は考え難い。

 冒頭、男性歌手の一人が開幕の口上を述べた後、賑やかに始まった序曲の演奏からは、何だか聴き慣れない音のすると感じる。どうやらその要因は通常のクラシック奏者とは異なる、二人のパーカッショニストの演奏スタイルにあると気付く。帰宅してから調べると、彼等は民族楽器としてのタンバリン奏者と、バリ・ガムランにアラブ・パーカッションを叩く奏者と分かった。中世音楽に伝承的な民族音楽の要素を取り込む、最近の古楽演奏のトレンドは承知しているが、それは初期バロックにまで及んでいるのだろうか。そう云えば普段は真面目クサった顔して、ポロポロとリュートを爪弾いている高本一郎も、ジャンジャカとストローク奏法で弾いたりしている。

 古楽器に拠るオペラ上演の通例で、オーケストラはピットには入らず舞台の中央部に陣取り、歌手は舞台前と奥に設えられた山台の上で演唱する。椅子やソファ等の有り物を使うだけで、セットの制作は一切省いた、演奏会形式に毛の生えた程度の舞台である。正面のオルガン席で歌うのは、愛と美徳と幸運の神様御一行で、天上の神々が下界を睥睨する恰好だ。衣装はフォルトゥーナが水商売のホステス風で、ヴィルトゥは婦人警官の制服、そしてアモーレは背中に羽根を付けた黒のキューピッド。今日の三福神(?)は、何れもアジリタのテクニックに秀でている上、三人の声の対照性も際立ち、見た目も含め楽しく聴ける。キューピッドには森永製菓のCMソングやハート形の照明等も、ベタなクスグリとして用意されていた。

 プロローグの後の一幕冒頭、ポッペーアとネローネの不倫密会の歩哨に立つ、兵士のデュエットを歌う男声二人にも堅実なアジリタのあり、さすがにアントネッロの起用する歌手陣は安心して聴ける。だが、続いて帰郷のアリアを歌う、オットーネがバリトンなのに落胆する。僕に言わせれば寝取られ亭主のオットーネには、カウンター・テノールの軽い声しか考えられないからだ。しかも、そのオットーネは平べったい声のバリトンで声量に乏しく、妙に素っ気なく単調な歌い振りに終始する。コキュの役回りを受け持つオットーネも、この人の歌では甚だしく存在感の希薄な役に思えて来る。

 指揮の濱田は時間的制約に拠り、ネローネとルカーノのデュエットをカットした事を「演奏ノート」で詫びていたが、オットーネへのバリトンの起用には何のエクスキューズも無い事に、強い違和感を覚える。何故、カウンター・テノールの上杉清仁にオットーネを歌わせず、アルナルタへ回したのか、全く理解に苦しむ。

 ネローネとポッペーアの後朝の別れの場面、彌勒忠史は白のスーツに白いソフト帽の出で立ちでヤクザ屋さんの親分、和泉万里子はお水風の和服姿でその情婦、つまりイロと云う設定らしい。彌勒の子分のチンピラ共は全員黒尽くめだったが、これには白黒を取り混ぜた衣装を着せ、親分にギンギンの銀ラメのスーツか何かを着せた方が、視覚的な効果は挙がったように思う。まあ、演出家本人にすれば自分の舞台姿さえ映えれば、それで満足なのだろうけれども。因みにオットーネの設定は、ムショでのお勤めを終えた鉄砲玉だそうだ。

 彌勒は派手な装飾音を取り混ぜ、声量豊かな歌声で会場を圧倒する。僕がソロ・リサイタルを聴いた事のあるカウンター・テノールと云えば、ドミニク・ヴィスフィリップ・ジャルスキー位のものだが、声量だけを云えば彌勒が一番デカイ。勿論、六百席の音楽用ホールで入れ物自体も小さいし、周りの奏者が彼の声を引き立てようとしている事もある。でも、その辺りを割り引いて聴いても、この声量であればヨーロッパの主要なオペラ・ハウスに、主役級での出演も可能なレヴェルにあると思う。

 これに対するポッペーアは、専らミミや蝶々さんで舞台経験を積んでいる、ピリオド演奏に無理解な大阪音大出身の若手ソプラノのようだ。そんな人が突然ポッペーアかよと驚くが、でもこの方はキチンとしたノン・ヴィブラート唱法を身に付けていて、この役の為の周到な準備の跡を窺える。声量のあるレジェーロな声質も魅力的で、ソット・ヴォーチェからスピントの位置まで持って行くクレシェンドに、タップリと甘さを含ませる歌い口もモンテヴェルディへの適性を感じさせる。その歌声と舞台姿からは濃厚なフェロモンも漂い、これはポッペーアに打って付けの素材だろう。

 つらつら考えてみるに、これまでのピリオド楽器に拠るオペラ上演は、何時も同じような面子の歌手陣で回して来たように思う。やはり毎度お馴染みの顔触れでは、上演の質と内容も横這いな訳で、より質の高い公演を目指すなら、新たな人材の発掘は不可欠となる。どうやらアントネッロを主宰する濱田は、旧来のクラシック業界へのコネを頼りに、古楽を歌えそうな人材に声を掛けているようだ。今回、二期会や藤原歌劇団所属の歌手を集めたのは、今後の古楽オペラ上演の為、非常に有意義な試みと思う。

 オッターヴィアの澤村翔子は声に力のある処を聴かせるが、プツプツ切れるアーティキュレーションの作り方で、素っ気ない歌い方に問題がある。オッターヴィアの二つのアリアは、もっと長いフレージングでパセティックに歌うべきだろう。衣装では親分の姐さんに渋い和服はハマるが、叔父貴のセネカにも黒スーツに白ネクタイではチンピラと区別が付かず、これに右翼壮士風の羽織袴を着せるべきと思う。歌の方は高目に響く低音が、哲学者っぽく説教臭い感じで役柄にハマっていた。

 上杉の歌うアルナルタは、言わずと知れたドミニク・ヴィスの当たり役(但し、殆ど地声で歌う)だが、上杉君のは割りに端正な歌い振りで、慈愛に満ちた乳母の役作りかと思う。それと「じぇじぇじぇ」とかの時事ネタは滑ったが、幕切れ近く皇后の乳母への昇格を喜ぶアリアに、オッターヴィアの「さらば、ローマよ」からの引用があったのと、濱田芳通を呼び捨てにするギャグは笑えた。

 三福神はオペラも大詰めの戴冠式で三人とも黒天使となり、只ひたすら二人の愛の成就を祝う態勢を取る。ポッペーアは情婦から姐さんへ昇格と云う訳で、頭上に扇子を頂く地味目の着物へ衣装チェンジ。組長と姐さんが終曲のデュエットを切々と歌い上げ、「ポッペーアの戴冠」は目出度く大団円を迎える。

 今回の上演では主要なアリアの前後にリトルネッロを付加して、これは良い効果を挙げていた。これ等の器楽曲は音楽監督に拠るアレンジで、濱田はバス音型にスパニッシュテイスト感じた場合に、ジャズ風と云うかラテンっぽいノリのパーカッションを加えるようだ。今日は三幕上演ではなく、前後半に分ける二部構成で、その休憩後の冒頭に置かれたリトルネッロも、いきなり打楽器のインプロヴィゼーションで始まった。周知の通りイベリア半島のスペインは、中世の七百年間に亘りイスラム文化の強い影響下にあった。初期バロック・オペラのアレンジに当たり、通奏低音にアラブの民族音楽っぽいリズムを加味するのに、一応の歴史的根拠はあるのだ。

 でも、これはオーセンテッィクなアプローチではなく、ただ単にジャズっぽいリズムでスィングする、そんなモンテヴェルディ演奏を目指しただけだろう。それと濱田音楽監督の場合、アレンジを加えた上演譜を作った時点で、その役割をほぼ終えているように思う。彼の指揮姿は初心者に有り勝ちな自己陶酔型で、これを素人丸出しと形容するしかないものだからだ。恐らく手練れの奏者達は指揮など見ず、室内楽のノリで勝手に盛り上がっていたと推測される。

 演出家も純然たるアマチュアのようで、アリアは皆んな正面を向いて歌うだけだし、複数の歌手が舞台に居る場合も、唱っていない歌手は只そこに突っ立っているだけで、何の演技も施されていないように見える。それと「ポッペーアの戴冠」をヤクザ映画に見立てる、設定自体は思い付きだが、これに肉付けするアイデアが足りない。ポッペーアのタマを取り損ねた、オットーネにエンコ詰めさせるとか、折角ヴィルトゥをマッポにしたのだから、序でにアモーレをヤクの売人にして、フォルトゥーナはシャブ中にするとか、金を掛けずに幾らでも面白く出来た筈で、僕は勿体無いと思う。

 舞台の跳ねたのは十時近く、閉館時間なのでさっさと出て行けと、ホールのアナウンスに追い立てられたのは誠に忙しない事だった。全部やれば正味で三時間以上かかる筈のオペラを、七時開演で十時までに終える等、土台無理な話だ。その結果としてモンテヴェルディの音楽が切り詰められたのでは、納得し難いものも残る。どんな事情かは知らないが、次は有るのか分からない上演だっただけに、万全の体制を取れなかったのが惜しまれる。

ヴェルディ「ファルスタッフ」

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<ミラノ・スカラ座2013日本公演/ヴェルディ生誕二百年祭>
2013年9月4日(水)18:30/東京文化会館

指揮/ダニエル・ハーディング
テアトロ・アラ・スカラ管弦楽団
テアトロ・アラ・スカラ合唱団

演出/ロバート・カーセン
美術/ポール・スタインバーグ
照明/ピーター・ヴァン・プレート
衣裳/ブリギッテ・ライフェンシュトゥエル

ファルスタッフ/アンブロージョ・マエストリ
フォード夫人アリーチェ/バルバラ・フリットリ
ペイジ夫人メグ/ラウラ・ポルヴェレッリ
クイックリー夫人/ダニエラ・バルチェッローナ
フォード氏/マッシモ・カヴァレッティ
ナンネッタ嬢/イリーナ・ルング
フェントン氏/アントニオ・ポーリ
医師カイウス/カルロ・ボージ
従者バルドルフォ&ピストーラ/
リッカルド・ボッタ/アレサンドロ・グェルツォーニ


 今日、ミラノ・スカラ座のオペラ上演を初めて観た。海外のオペラ・ハウスの引っ越し公演は随分観て来たが、これまでスカラ座だけはご縁が無かった。今回も当初は行く積もり無かったが、前日に行なわれる「ポッペーアの戴冠」を見ると決めた後、迷った末にプレミアム・エコノミーと称する安売りチケットを購入して終った。先週の木曜日に自宅を出てから、今日で一週間目となる長旅である。

 最初の内、何時もの東京文化会館で観ている分には、何処のオペラ・ハウスでも似たようなもの等と思っていた。でも、お話しの進むに連れて次第に舞台へ引き込まれ、二幕を終え休憩に入る辺りでは、さすがに天下のスカラ座と認識を改めていた。勿論、ハーディングの指揮するスカラ座オケは強力だし、カーセンの演出もタイトル・ロールの演技も秀逸だが、それよりも彼等を起用して一つの舞台に纏める、プロデュースのレヴェルが高いと感じる。これは五年前に観たジェラール・モルティエ総裁率いる、パリ・オペラ座初来日公演の舞台と同質と思い当たる。

 現任のスカラ座音楽監督はご存じの通りダニエル・バレンボイム、支配人はステファン・リスネと云うフランス人で、こちらはスカラ座として史上初の外国人起用だそうだ。実は面目無い話だがリスネさんのお名前は、この記事を書く為に調べ、今初めて知った次第である。リスネは英語読みするとリスナーで、この表記で検索を掛けるとポロポロ出て来る。リスネはスカラ座着任の前にパリ・シャトレ座で十年、エクサン・プロヴァンス音楽祭では八年に亘り総監督を務めた、どうやら演劇畑出身の大物プロデューサーらしい。99年に来日したハーディング指揮、ピーター・ブルック演出「ドン・ジョヴァンニ」のプロデュースも、リスネさんの仕事である。

 ハーディングはリスネと緊密な関係を築いており、エクサン・プロヴァンスではリュック・ボンディ演出「ねじの回転」、ペーター・ムスバッハ演出「椿姫」、パトリス・シェロー演出「コジ・ファン・トゥッテ」等を指揮している。スカラ座へ移った後も、リスネはハーディングをシーズン開幕の「イドメネオ」に抜擢したり、更に「サロメ」(何れもボンディ演出)や、マリオ・マルトーネ演出「パリアッチ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」二本立て等にも起用している。今回の「ファルスッタフ」も、このような協同作業を経ての結実と、これも今知った処だ。今回はリスネとハーディングのコンビとして14年振りの来日となる。

 但し、リスネもバレンボイムも来シーズン限りでの退任だそうで、スカラ座で演劇的なレヴェルの高い舞台を観るのも、これが最初で最後の機会となるかも知れない。音楽監督も支配人も現在、予算削減の煽りで報酬の一割カットを受け入れているらしい。今後は自分達の思う通りの上演は無理と考えたのか、或いは演出にばっか金掛けてねぇで、もっとスター歌手を呼べと云う圧力を受けたのか。欧米のオペラ・ハウスなんて、何れにせよ魑魅魍魎の巣食う伏魔殿だろうし、まあ色々あるのでしょうな。

 今日、「ファルスタッフ」を振るハーディングは無闇に煽ったりせず、ヴェルディの音楽を端正に解釈する。取り分け一幕と二幕は歌手のアンサンブルが繊細で、その緻密な音楽作りで聴かせてくれる。さすがにオケの低弦は超強力で良く鳴るし、明るく深い響きと共に速いパッセージもピタリと揃え、軽やかにリズムを弾ませオペラを進める。それはオケの実力と、指揮の相乗効果だろうか。ハーディングは「ファルスタッフ」のような、対位法的な曲を振ると真価を発揮するタイプで、「椿姫」は振っているらしいが、この人の指揮する「アイーダ」や「イル・トロヴァトーレ」等、僕にはやや想像し難い。

 三幕二場冒頭にバンダで吹かれたのは、月夜のウィンザーの森に響く狩りの角笛だそうで、このナチュラル・ホルンをピアニシモで吹く、ホルン奏者の超絶技巧に驚かされた。いやぁ凄いなぁ、神技だなぁ…と、僕は溜息を付きながら聴いた。だからハーディングがカーテン・コールでホルン奏者を舞台に上げ、客席に挨拶させた時はとても嬉しかった。彼等はフリットリやバルチェッローナと伍し、「ファルスタッフ」の舞台を彩るプリマドンナだったと思う。

 本日の歌手の方の白眉は、やはりタイトル・ロールのマエストリに止めを刺す。腹周りに座布団を巻いたりする必要の無い、ファルスタッフそのものな容姿で、その巨体から発せられる巨声(?)には、如何にもイタリアぽっく明るい音色がある。オケを突き抜けて舞台から客席へ届ける、豊かなバリトンの声量も殆ど怪物級。その愛嬌のある憎めないキャラと相俟って、ファルスッタフを演じ唱う為、歌手になったような人と感じる。

 アリーチェにソロの聴かせ処は少ないが、それでも三幕二場の女声合唱付きアリア(とは呼ばないみたいだけど)で、フリットリは持ち前の美声をタップリと聴かせてくれる。メゾピアノで長く伸ばされるフレーズの、張り詰めたテンションの力強さ、高低の音域で微妙に変化する声の色合いと、声そのものに含まれる情感の深さ等、やはりこの方は当代随一の大歌手と感服した。フリットリのビロードの光沢のように流麗なリリコの声に対し、ナンネッタのルングも美しいレジェーロで、二人の声の対照性も花を添えていた。

 クイックリーのバルチェッローナは、さすがに深く艶のあるアルトで、出番は少なくとも存在感(デカイだけでない)を示し、コメディ演技にも達者な処を見せてくれる。しかし、考えてみればフリットリにバルチェッローナと、金看板のスター歌手をアンサンブル要員に起用する、スカラ座の贅沢な配役にも改めて感心する。但し、フォードのカヴァレッティは声を力押しするバリトンだし、フェントンのポーリは高音の抜けの良くないテノールで、スカラ座でもこのレヴェルはボチボチと云った処。女声コーラスも音色の揃わず、大変お上手とは言い兼ねるが、これはリゴレットやアイーダ辺りを聴かないと、本当の実力は測れないように思う。

 演出家は閉じたり開いたりして舞台転換する、リーズナブルなセットを三幕六場に使い回した。冒頭の酒場ガーター亭の場面は、木の内装の質感が重厚なクラシック・ホテルのスィート・ルームで、アリーチェとメグとクィックリーが主婦会のランチで密議を凝らすのは、同じホテルのメイン・ダイニング。ファルスッタフとフォードは、やはりホテルのロビーで落ち合う。二幕二場のフォード邸のキッチンは、明るくモダンな50年代アメリカン・スタイルで雰囲気をガラリと変え、ファルスタッフがテムズ川に放り込まれると、フォードは跳ねた水でビショ濡れになる。

 ファルスッタフの寝ぐらは馬小屋のようで、三幕一場には本物の馬も登場する。馬は厩舎から首だけ突き出してモグモグと秣を食い、ファルスタッフから角砂糖を貰って鼻面を撫でられる。ウィンザーの森の場面はホテルの宴会場だろうか。ホリゾントの星空を背景に、コーラスのモブ処理と照明効果のみで美しく幻想的な舞台を作る、演出家の手腕に感心する。最後は出演者全員、黒いマントと鹿角の帽子を脱ぎ捨て、カクテル・ドレスとタキシードへ早変わり。色彩感に溢れた舞台は大フーガで華やかに締め括られる。

 上質な声のアンサンブルに指揮者の緻密な音楽作りと、演出もアイデアに富んで美しく、スカラ座の実力を示すレヴェルの高い上演だった。ただ、パリ・オペラ座来日の際にはモルティエの名も喧伝されたが、今回のスカラ座来日公演の制作責任者であるステファン・リスネの名は、全くと云って良い程出て来なかった。呼び屋さんが二人の若手指揮者の名前で売り、プロデューサーの貢献度を無視するのは、或る意味仕方無い。だが、どうやらこの国には我々オペラ好きが教えを乞うべき、マトモな音楽ジャーナリズムは存在しないと、改めて確認させられた次第である。

モンテヴェルディ「オルフェオ」

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<音楽青葉会・静岡児童合唱団×SPAC‐静岡県舞台芸術センター共催/プレミエ>
2013年9月7日(土)16:00/静岡芸術劇場

ムジカ・パシフィカJPN
ヴァイオリン/キャサリン・マッキントッシュ/三輪真樹
ヴィオラ/廣海史帆/荻野美和
チェロ/高橋弘治
ヴィオローネ/徳島大蔵
バロックハープ/伊藤美恵
キタローネ&バロックギター/佐藤亜紀子
チェンバロ&オルガン/戸崎廣乃/中村文栄
リコーダー/太田光子/浅井愛
パーカッション/立岩潤三

構成・演出/宮城聰
照明/樋口正幸
衣装/丹呉真樹子
映像/大塚翔太

オルフェオ/辻康介
エウリディーチェ&木霊/戸崎文葉
音楽の神&使者&プロセルピーナ妃/太刀川昭
希望スペランツァ/淀尚子
太陽神アポロ/福島康治
牧人パストラーレ/簑島晋
冥界の霊/望月忠親/阿部大輔
静岡児童合唱団
青葉会スペリオル
青葉会男声合唱団

<俳優>
プロセルピーナ妃/本多麻紀
プルトーネ王/吉植荘一郎
渡し守カロンテ/牧山祐大
番犬ケルベロス/泉陽二/大高浩一/奥野晃士


 木曜日に長旅から帰宅したばかりで、翌々日には日帰りで静岡まで出掛ける。自分で決めた事とは云え、さすがに疲労は抜けない。モンテヴェルディのオペラ上演等、決して頻繁にある訳でも無いのに、中三日で「ポッペーアの戴冠」と「オルフェオ」の公演が行なわれる。アントネッロとムジカ・パシフィカJPNは、共に古楽演奏を標榜する団体で満更知らない仲でも無し、出来れば連携を密にして頂きたく思う。

 正式名称は静岡県コンベンションアーツセンターで通称グランシップは、同じように東海道線の車窓から望まれる、有楽町の東京国際フォーラムみたいな施設で、磯崎新設計の馬鹿デカイ建物の中に静岡芸術劇場はある。東静岡駅を出て巨大施設の西側から、グルリと南側へ回り込み、劇場の入口まで辿り着く。新国立劇場みたいな出来損ないとは違い、馬蹄形で階段状の客席からは前の人の頭等を気にせず、プロセニアムの無い舞台を見渡せる演劇専用ホールである。

 この劇場は単なる貸し館ではなく、97年から活動を始めた県営劇団、静岡県舞台芸術センター(略称SPAC)の本拠地として建設された。今回の上演は静岡を代表する二つの芸術団体、静岡児童合唱団とSPACに拠る、初の本格的なコラボが売り物となっている。SPACは早稲田小劇場を率いて利賀国際フェスティバルを開催した、前衛演劇の鈴木忠志が初代芸術監督を十年間務めた後、現在は劇団ク・ナウカを主宰する宮城聰へ引き継がれている。ダンサーで振付家の金森穣を芸術監督に迎え、劇団専属のダンスカンパニー「Noism」を運営する新潟りゅーとぴあや、指揮者の沼尻竜典を芸術監督に招き、世界へ発信するオペラ制作を標榜するびわ湖ホール等と共に、SPACは行政がソフトに予算を割く文化事業の有るべき姿だろう。

 静岡駅の北側には市営の静岡音楽館AOIがあり、こちらは作曲家兼ピアニストの野平一郎を芸術監督として、やはり活発に自主企画公演を行っている。別々にハコ物を作っても、それぞれ演劇と音楽に特化してソフトへの予算を執行する、静岡県庁と静岡市役所の役割分担は、全国の自治体(特に大阪ね)の見習うべきモデル・ケースと云える。

 今回、演奏のリーダーを任されたのは、英国から招聘されたヴァイオリニストのキャサリン・マッキントッシュで、彼女はクリストファー・ホグウッドがエンシェント室内管弦楽団とモーツァルトの、ロジャー・ノリントンがロンドン・クラシカル・プレイヤーズとベートーヴェンの、それぞれピリオド楽器に拠る交響曲全集を史上初めて録音した際にコンミスを務めた、謂わば古楽演奏のレジェンド的な存在である。更にキャサリンおばさんはパーセル・カルテットのファースト・ヴァイオリンとして、「オルフェオ」と「ポッペーアの戴冠」の来日公演にも参加していて、指揮者無しでのモンテヴェルディ上演の実績もある方だ。あの二つの公演は、僕も存分に楽しんだ記憶がある。

 舞台に上げ降ろしすべき幕は無く、開演前の舞台で何かゴソゴソやっている、如何にもな小演劇風の演出でオペラは始まる。天蓋付きのケージみたいなものが幾つか置かれ、その天井の上にジャージ姿のおっさんが寝転がり、小さなモニターを見ている。このスキンヘッドの親爺は後程、プルトーネを演ずる役者さんと分かる。やがて開演時間になると、ケージの中に座る九名のオケ奏者と、ムジカを歌う太刀川が出て来て演奏は始まる。最近は冒頭のトッカータから、全曲のテーマ・ソングとも云うべきリトルネッロへ雪崩込まず、そこで一呼吸を置く演奏の多いように思う。

 この間、箱の上では白衣姿の役者達が、等身大の人形に対し解剖だか蘇生だかをやっていて、突然その人形が暴れ出して舞台に落っこちると、人形はオルフェオとなって歌い出す意表を突いた展開。一方のエウリディーチェも空気で膨らませた人形で、何れも死体を暗示しているようだ。ここに一体どのような寓意の含まれるのか、宮城の「演出ノート」を参照しつつ忖度すれば、死者に逢いに行くオルフェオの物語は、人間の歴史で長い間に積み上げて来た“死後との和解”がテーマで、不可思議でアンタッチャブルな死後の世界へ出掛ける人間は、有限な生をどう生き切るか問い掛ける存在なのである。

 エウリディーチェの死を告げるシルヴィアも誰かに操られる人形のようで、今日の演出での「オルフェオ」の物語は、牧人の住む生者の世界とは異なる死者の物語のようだ。オルフェオが冥界へ向かう場面はコメディ・リリーフで、三途の渡し守カロンテも冥界の王プルトーネも歌わず、台詞のみの役者が演じる。カロンテは良く通る大声で頻りに笑いを取りつつ、真面目腐って歌うオルフェオには茶々を入れる。工夫としては面白いが、少し遣り過ぎの気もして、ここはもっとジックリ歌そのものを聴かせて欲しい処だ。

 オルフェオはケージに掛けられた梯子段の中程に立ち歌う。カロンテの差し向ける番犬のケルベロスは、何れもオルフェオの歌の威力に撃退され、尻尾を巻き梯子段を転げ落ちる。ここで役者の一人がオルフェオの歌を伴奏する、ハープ奏者まで弄りに行ったのは結構笑えた。再びエウリディーチェを失ったオルフェオは、武装組織の首領らしきアポロに伴われ迷彩服に着換えるが、20人弱で妖精ニンファの衣装を着け、コーラスとして舞台に上がった静児の子供達の説得に、テロリストとなる事を思い止まる。お手製段ボールの楽器を抱えた静児の子供達と、出演者全員でオルフェオのテーマ・ソングを歌い、オペラ全幕のフィナーレとした。

 三幕でオルフェオの歌う“三途の渡しのアリア”は、正しく辻康介の絶唱だったと思う。勿論、堅実なアジリタもあるし音色の変化もあるが、それよりも繊細なアーテキュレーションの工夫、つまり一つ一つの音符の軽重を見極めた上で、全体を見通したテンションの推移を捉える構成力に秀でている。ここまでモンテヴェルディの音楽を深く掘り下げて解釈する歌手の居た事を、今まで知らずにいた不明を恥じねばならない。

 一人四役を歌う太刀川昭は、希少なカウンター・テノールだが声の伸びやかさに欠けて、長いフレーズを保つだけの力に乏しい。エウリディーチェの戸崎文葉は静岡児童合唱団の指揮者で、タリス・スコラーズの来日時には同行し通訳を務める人。今日はソプラノ歌手としての出演で、一幕の歌は平べったかったが、四幕のオルフェオへの告別の歌は上手に唱えていた。アポロの福島康治はアジリタの技術と、アゴーギグの変化に工夫のある、自由な歌い振りが良かった。

 指揮者無しでの演奏だが、シルヴィア登場やオルフェオの振り返る場面等、鍵盤奏者の出す合図では不充分で、劇的な盛り上がりを欠いて終う。また、リコーダーは効果的に使えたが、金管を一切欠いた編成で、オペラらしい華やかさに乏しいのも不満。演出では照明がずっと薄暗いままなので、これにも一工夫の欲しい処だ。

 今回の「オルフェオ」上演はSPACとの共同主催だが、静児として創立70周年記念公演の一環と位置付けている。この三月に行われた記念公演は静岡音楽館で、野平一郎を指揮者として「進化論」の自作自演と、モツレクをオケ伴で演奏している。静児は多治見少年少女合唱団や小田原少年少女合唱隊と共に、優秀な指導者が情熱を注ぎハイ・レヴェルな演奏活動を行う、地方からの文化発信の成功例の一つだろう。

 ただ、静児の活動が他と大きく異なるのは、プロ奏者となってピリオド楽器に走ったOG・OBと共に、古楽演奏を盛んに行っている点にある。今回、渡邊順生の弟子の戸崎廣乃と、ルネ・ヤーコプスに師事した太刀川昭のコンビが、ムジカ・パシフィカJPNとして古楽器オーケストラを編成しオペラを上演した。音楽青葉会の許に活動するOBのプロ奏者と共に、モンテヴェルディのオペラで創立七十周年を祝う、今回は静児の面目躍如と云うべき「オルフェオ」上演だったと思う。

 上掲の写真は“オルフェオ”Tシャツを着込み、観客をお迎えしてくれた宮城聰さんです。ご協力有難うございました。

ハインリッヒ・シュッツの声楽芸術 in 西宮

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2013年9月13日(金)19:00/西宮甲東ホール

ソプラノ/進元一美
カウンターテノール/上杉清仁
テノール/谷口洋介
バス/高曲伸和
ヴィオラ・ダ・ガンバ/吉田一美
オルガン/野澤知子

シュッツ「Jubilate Deo 主を称えよ(SATB)SWV.332
Der Herr schauet vom Himmel 主は天上より我等を見給い(SB)SWV.292
Die Seele Christi heilige mich キリストの御魂よ我が心を(ATB)SWV.325
Eile mich,Gott,zu erretten 主よ急ぎ来たりて我を救い給え(S)SWV.282
Schaffe in mir,Gott,ein reines Herz 神よ我が清き心を(ST)SWV.291
Ich danke dem Herrn von ganzem Herzen 私は心を尽し感謝を(B)SWV.284
Ist Gott fuer uns 神は我に味方し(SATB)SWV.329
Die Stimm des Herren gehet auf den Wassern(SATB)主の御声は水上に響き SWV.331
O suesser,o freundlicher,o guetiger(T)優しく寛大なイエスよ SWV.285
Meister,wir haben die ganze Nacht gearbeitet 師よ我等は夜を徹し(TB)SWV.317
Wer will uns scheiden 誰が我等をキリストより引き離し(SATB)SWV.330
O Jesu,nomen dulce イエス、甘き名よ(A)SWV.308
Habe deine Lust an dem Herren 主に自らを委ね(SA)SWV.311
Rorate coeli desuper 天より滴る露を(SAB)SWV.322
Veni,sancte Spiritus 聖霊よ来たれ(SATB)SWV.328」
(小宗教コンチェルト集 Kleiner Geistlichen Concerten)
ジョヴァンニ・ガブリエリ「第九旋法のフーガ」
ブクステフーデ「ガンバ・ソナタ」Buxwv.268

 
 日本の古楽演奏の総本山、バッハ・コレギウム・ジャパンの本拠地は神戸にあるが、そのメンバーに関西在住の演奏家は殆どいないようだ。上杉清仁や谷口洋介にしても、関西ではBCJ以外のコンサートで、その歌声に接する機会は少ない。古楽奏者は関西と首都圏で、ほぼ定まったメンバーに分かれていると云うか、関西の古楽団体は僕のような素人からすると、日本テレマン協会やダンスリー・ルネサンス合奏団等、それぞれの蛸壺に籠もっているように見える。古楽演奏そのものの一般化が進む時代に、東西で演奏家同士の交流を密にする試みを、関西在住の聴き手として大いに歓迎したい。

 今回のコンサートは一週間前、全く同内容で東京でも行われていて、上杉に拠れば「関東関西隔たり無く交流し、音楽界自体を盛り上げる事を目的として企画され」たそうである。ソプラノの進元一美は関西を中心に、それなりの演奏活動を積んでいる人のようだし、バスの高曲伸和は大学院在学中ながら、年間に四回も歌手として「魔笛」に出演したり、自らオケとコーラスを組織し、「ロ短調ミサ」や「メサイア」を指揮したりする、誠にバイタリティ溢れる若者のようだ。

 プログラムは「クライネ・ガイストリッヒェン・コンツェルテン」全二巻からの抜粋15曲をメインに、箸休めのインストゥルメンタルを二曲で構成する。そのまま日本語にすると「小教会合奏曲集」は、作曲家として働き盛りの壮年期にドイツ三十年戦争に遭遇したシュッツが、戦火に疲弊したドレスデン宮廷で楽長としての責務を果たす為、五名までの独唱歌手に楽器はコンティヌオの小編成で作曲された。そこには前世紀の大戦の最中、ストラヴィンスキーが「兵士の物語」を、メシアンが「世の終わりの為の四重奏曲」を、それぞれ限られた編成で作曲したのと同じ事情があった。今日は四名の歌手と二名の器楽奏者に拠り、滅多に聴く機会の無い「クライネ」が演奏される。

 ドイツ・リートとも云うべき一声曲の中で、SWV.282は劇的に語るイタリア的なモノディ様式のソロ曲を、ソプラノの進元一美は伸びやかなリリコの声で、強い表現意欲を顕わにし歌い上げる。ただ、この方はソロの歌は良いのだが、アンサンブルだと高音のキンキンするのが多少気になる。SWV.284は本来アルト・ソロのようだが、今回はバスの高曲伸和が歌った。抜擢された若手に期待するが、まだ年齢的にバス歌手としては熟成不足のようで、やはりここは“声”そのもので聴かせて欲しい処ではある。

 テナー・ソロのSWV.285を、谷口洋介は存外に重目の声でガンガン歌い、声も音楽性も図抜けた印象を受ける。特にカンタービレなピアニシモと、オペラ・アリアっぽいフォルテに対照を付ける、広いダイナミク・レンジの使用法に秀でている。SWV.308のアルト・ソロは上杉清仁の担当で、これも甘く切々とした歌い口が良かった。アンサンブルでは抑え気味だった上杉も、この独唱曲で本領を発揮したように思う。関東勢の二人の歌手は、さすがに場数を踏んでいるだけあって、音楽に対し余裕を持って接していると感じる。

 二声曲ではソプラノとテノールの組むSWV.291に、信仰の喜びを歌い上げる愉悦感の表現があった。SWV.317はガリラヤ湖畔のイエスと漁師ペテロの歌で、テノール同士のデュエットを谷口と高曲のコンビで歌ったが、これは二人とも相手に合わせようとし過ぎで、盛り上がりに欠ける。SWV.311のソプラノのデュエットも、進元とアルトの上杉の組み合わせで、このコンビはノリ良く対等に張り合い、終結部のアレルヤの掛け合いに聴き応えがあった。三声のSWV.325では男声のみのハーモニーが純正にキマり、僕の背筋にゾクッと来る。

 これだけ立て続けにシュッツを聴くと、やはりシュッツはドイツ語の表現に尽きると感じる。声を張り上げる必要は無くとも、ソロでは声をホールに響かせるのが重要で、アンサンブルでは音楽に載せ、ディクションに語らせねばならない。その点で今日の四人組は充分楽しませてくれたが、やはりカルテット曲ならばSWV.330辺り、もっと四人の丁々発止の遣り取りで盛り上げ、ピアニシモとフォルテの対比を明確にして欲しい。要するにダイナミク・レンジを更に広げ、もっとメリハリを付けねばならぬと云う事。

 締め括りのラテン語モテット「Veni,sancte Spiritus」は、四人がノリ良くハジケて見せて、これぞカルテットの楽しさに溢れていた。美声とは云い難いバスの高曲君も、アンサンブルに貢献出来ていたように思う。アンコールには冒頭の、やはりラテン語モテット「Jubilate Deo」を再び歌ったが、これも声とノリにエンジンの掛かったのか、二度目の方が楽しめたように思う。

 今日の会場の入りは百人足らずで、客筋は圧倒的に中年層の女性率が高く、これは動員先の偏りの所為かも知れない。関西でシュッツを聴く機会は少ないし、聴きたい人はもっと大勢居る筈だが、今日のコンサートでは潜在的な聴衆層を掘り起こせていないようだ。大阪にもシュッツを名乗る演奏団体は一つあるが、そのネーミングに反しシュッツは殆ど遣らない。まあ、あの団体とは僕も些かの御縁があるので、ここで余り悪し様に言うのは控えて置きたい。

ワーグナー「ワルキューレ」

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<神奈川県民ホール・東京二期会・日本センチュリー響・神奈川フィル共同制作>
2013年9月21日(土)14:00/びわ湖ホール

指揮/沼尻竜典
日本センチュリー交響楽団
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

演出・美術/ジョエル・ローウェルス
照明/喜多村貴
衣装/小栗菜代子

<Bキャスト>
ジークムント/福井敬
ジークリンデ/大村博美
ブリュンヒルデ/横山恵子
ヴォータン/青山貴
フリッカ/小山由美
フンディング/斉木健詞
ゲルヒルデ/田崎尚美
オルトリンデ/江口順子
ヴァルトラウテ/井坂惠
シュヴェルトライテ/金子美香
ヘルムヴィーゲ/平井香織
ジークルーネ/増田弥生
グリムゲルデ/杣友惠子
ロスヴァイセ/平舘直子


 今年はヴァーグナーの生誕二百年だが、同じくアニヴァーサーリーのヴェルディに公演回数で圧倒されている。関西でヴァーグナーの上演は今日が初めての筈で、これは単純な話、両者の一般的な人気の差だろうか。

 演出のローウェルスは以前、二期会公演で「カプリッチョ」(ソコソコ楽しんだ)と、「ヴァルキューレ」(退屈した)を製作していて、沼尻と組むのも二度目となる。その印象を約めて云えば“説明過剰”で、痒く無い処まで掻きに来るような演出と感じた。今回は同じ「ヴァルキューレ」を、しかし前回とは異なるコンセプトで演出するらしく、取り合えずお手並み拝見と云った処だ。

 冒頭、いきなりヴォータンがノコノコ出て来るが、出番前の歌手を舞台に出す演出家の手口は先刻承知で、ああ又やってるなと思う。一幕の登場人物は三人の筈だが、フリッカやヴァルキューレ軍団を舞台へ上げる他にも、エキストラが大量動員される。これも昔、バイロイトでパトリス・シェローの始めた際には斬新だったが、今となっては陳腐にも感じられる手法である。そこで今回、新機軸として導入されたのが無声映画方式で、頻繁に揚げ降ろしされる幕に、場面毎にタイトルが表示される。

 二幕になると仕出しの人数は減り、舞台上で演技するのは歌手のみの場面が多くなる。これも目先の変わって悪くないが、その代わりに小手先の工夫も目立つ。例えばブリュンヒルデとジークムントの対話の場面で、疲れ切って寝ている筈のジークリンデが、二人の周りをウロウロするのを目障りに感じる。無声映画のようなタイトルは、「舞台上に何も無い時間に、音楽そのものに語らせる」意図だそうだが、ジックリ聴き入るには短か過ぎる間奏部分より、むしろ歌手の唱っている間こそ余計な事をせず、音楽に集中させて欲しいと思う。

 ただ、指導動機の変わる毎に、場面を区切る遣り口は一応の筋が通っているし、聴衆にライト・モティーフを意識させる効果はあると思う。幕の揚げ降ろしに拠る舞台転換は、細かくカットを割る映画の手法で、ヴァーグナーの音楽に合わせリズムを作っているとも云える。

 二幕で減り気味だった小細工が三幕では再び増殖し、エキストラで子役のブリュンヒルデを抱いたままヴォータンが歌ったり(しかし、あんな耳元で大声出されてウルサイやろな、あの子)するが、その極め付けは幕切れで、死んだ筈のジークムントと、ブリュンヒルデと別れた筈のヴォータンとの間に、何やらゴチャゴチャと遣り取りがある。誰もがジックリと聴き入り、静かな余韻に浸りたい幕切れを、目障りな演出で妨害するローウェル君の音楽センスに深い疑念を抱く。この場面でヴォータンとブリュンヒルデの、父娘の情愛に焦点を絞らない演出は、僕には的外れとしか思えない。

 目紛るしい程の舞台転換だが、幕の降りている短時間に出来る事は限られ、セットはトネリコの木や廃屋等、人力でも直ぐに動かせそうな簡便なものだけとなっている。クルクルと舞台転換する理由は、「観る人がそれぞれ自分なりの解釈が出来るよう、なるべく沢山の素材を提供したい」為らしい。大掛かりなセットは使えず、存外金は掛からなそうな演出なのに、ゴタゴタした舞台に見える理由は、その辺りにあるようだ。

 沼尻の「ヴァルキューレ」の音楽の扱いには、ザッハリヒな手付きがある。陰鬱で悲哀に満ちた解釈では無く、明るく愛の悦楽を語るのかと思うと、何時の間にか盛り上がっていて、爆発的な音楽に持って行かれて終う。合同オケで単純な話、人数分の大きな音を出せるので、余裕のある音楽で振幅の広い表現が可能になる。全曲の終盤をピアニシモで進め、テンションの高い幕切れを作る、沼尻の手際は素晴らしく、最後の山場を立派に盛り上げてくれた。波打つように揺れながら弾く、弦楽奏者達の様子も印象的だった。演奏は割合に淡々と進むのに、何時の間にか盛り上がっていて、一体何処でスィッチの入るのかは良く分からないけれども。

 ジークムントの福井敬の毎度お馴染み、単語毎にフレーズを区切るような歌い方は、イタリア語では違和感のあるが、子音を立てるドイツ語には合うように思う。ユッタリとしたフレーズで、グリッサンドするみたいなアーティキュレーションの作り方は気になるが、これも速い語りのパッセージにはハマる。また、“ヴェルゼ”とか“ノートゥング”とか、キメ台詞での圧倒的な声量には絶大の効果があった。こちらの耳の慣れたのか、或いは福井の唱い方がフィットしたのか、二幕になるとその歌声も素直に受け取れるようになる。この方のフクイ節とも云うべき個性的な唱法は、曲を択ぶとしか言いようが無い。

 ジークリンデの大村博美には福井に対抗する声量があり、素直に直向きにフレーズを伸ばすのも、捏ね回す歌い方と対照的で好ましい。スピントの強さのあるリリコの声には、フォルテシモのロング・トーンをコントロールする力があるし、低声部も充実しているので、音域の広い役柄に打って付けの歌い手と云える。

 ヴォータンはブリュンヒルデのような直球一本槍で三振を取れる役では無く、仕事と家庭と愛人の問題にウジウジと悩む、カーブやフォーク・ボール等の変化球を必要とする役だ。抜擢された若手の青山貴には、音色の変化とドイツ語の抑揚に沿った強弱でデュナーミクを工夫する、知的な解釈がある。実際に聴く前は、何で青山のヴォータンなんだ?と疑問に感じたが、一聴すれば起用の理由は明白で、声量のあると云う一点に尽きる。

 フリッカの小山由美も大声で持って亘り合うが、もう少しデュナーミクの工夫も無いと面白い歌にならない。まあ、真面目一方の役柄をキッチリ歌うので、フリッカって本当に堅苦しい人なんだと思わせる効果はあった。フンディングの斉木健詞も声量豊かなバスで、広いダイナミク・レンジを使い、変化に富んだ歌を唱える。ブリュンヒルデの横山恵子は鋭く通る声だが倍音に乏しい為、やや響きの広がりに欠ける。何分にも大声を出す人ばかり揃えた主役級の中で、横山さんは相対的に声量に乏しいと感じられる程だった。

 相変わらず説明過剰な演出で、子役を出したり出番前の歌手が舞台をウロウロしたり、舞台作りの手管自体は前回と全く同じで、ただ物語の解釈を少し変えただけのように思われる。まあ、鬱陶しい部分もあったが、それなりに楽しめる演出だったし、何より素晴らしい演奏で今日はヴァーグナーの音楽を充分に堪能出来た。明日の別キャスト上演も、大いに楽しみたいと思う。

ワーグナー「ワルキューレ」

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<神奈川県民ホール・東京二期会・日本センチュリー響・神奈川フィル共同制作>
2013年9月22日(日)14:00/びわ湖ホール

指揮/沼尻竜典
日本センチュリー交響楽団
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

演出・美術/ジョエル・ローウェルス
照明/喜多村貴
衣装/小栗菜代子

<Aキャスト>
ジークムント/望月哲也
ジークリンデ/橋爪ゆか
ブリュンヒルデ/エヴァ・ヨハンソン
ヴォータン/グリア・グリムズレイ
フリッカ/加納悦子
フンディング/山下浩司
ゲルヒルデ/岩川亮子
オルトリンデ/増田のり子
ヴァルトラウテ/磯地美樹
シュヴェルトライテ/三輪陽子
ヘルムヴィーゲ/日比野幸
ジークルーネ/森季子
グリムゲルデ/小林久美子
ロスヴァイセ/渡辺玲美


 昨日、僕の座ったのは三階バルコニーの見切れ席で、舞台上手は全く見えなかった。今日は逆サイドの見切れ席で、昨日はサッパリ分からなかった上手の舞台の様子を、ジックリと拝見出来た。フンディングがフリッカに殺られちゃうのも分からないし、ブリュンヒルデにジークムントとジークリンデの子役三兄妹の動きも、殆ど見えなかった。そもそも、昨日は三人も子役が出ている事自体、キチンと把握出来ていなかったので、ヴォータンとその家族の物語と云う演出のコンセプトすら、良く分かっていなかった事になる。全く何ともはやではあるが、これを見切れ席ならではとして楽しみたいと思う。いや、これは負け惜しみでも何でも無く。

 今日、ジークムントとジークリンデ兄妹を歌った望月哲也と橋爪ゆかには、共にドイツ語を伝えようとするデュナーミクの工夫があった。望月の歌は音色の変化に乏しく、やや単調になる嫌いはあるが、そのリリックな声での唱い振りを、直向きと捉える聴き方も有り得ると思う。橋爪は中音域の柔らかい音色で抒情的な歌を唱うソプラノで、ロング・トーンを伸ばす際、軽くクレシェンドして情感を滲ませるテクニックがあるし、決然と出すフォルテシモにはパセティックな力があった。

 ヴォータンのグリムズレイの発する途轍も無い大音量は、殆ど別次元の領域にあると感じた。それは単にデカイのでは無く、豊麗な響きに支えられた声で、メゾピアノやメゾフォルテの音量は余裕綽々。そこから爆発的なフォルテシモへ持って行く、ダイナミズムの変化のみでヴァーグナーの音楽の深さを表現し得る声の持ち主だ。一昨年の兵庫芸文「トスカ」でのスカルピアに続き、その実力を存分に聴かせてくれた。

 ヨハンソンのブリュンヒルデは最初、昨日の横山さんと同程度のごく普通の声量だし、倍音の少ない単音で響くような声質も、ちょっと似ているように感じた。三幕に至って漸くエンジン全開となり、声量自体はさすがにバイロイトの常連と思えたが、中音域に関しては全く平凡な声質で、特徴に乏しいヴァーグナー・ソプラノと感じる。

 フリッカの加納悦子はオーヴァー・アクト気味だが、女優としてなかなか面白い演技を見せる。非常に大きな身振りのある、一つ一つの単語を強調するような唱い方で、如何にもガミガミ小母さん的な役作りに説得力があった。フンディングの山下浩司は良い声の持ち主だが、もう少し自己主張が欲しい。中立的な声の音色で個性に乏しく、役作りの目標自体は伝わるにしても、そこをもっと明確にして欲しかった。

 沼尻の指揮では一体何処でスィッチが入り、音楽の一気に盛り上がるのかを、今日は気にしながら聴いてみた。一幕はジークムントがノートゥングを引き抜く処、三幕はヴォータンの“告別”に入る前の間奏部分の辺りと確認し、そんな冷静な聴き方をしながらも、やはり指揮者の豊かなテンペラメントをジックリ楽しめる。常に醒めていながら胸を熱くする、音楽を聴くって本来そう云うものと思う。

 上掲の写真は昨日のジークフリートの福井敬さんです。実は「椿姫」でも写真を撮らせて頂きましたと申し上げると、どうやら覚えて下さっていたようです。その節は二度目のご協力、どうも有難うございました。

ヴェルディ「アイーダ」

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<ミラノ・スカラ座大阪特別公演/演奏会形式>
2013年9月24日(火)19:00/フェスティバルホール

指揮/グスターボ・ドゥダメル
テアトロ・アラ・スカラ管弦楽団
テアトロ・アラ・スカラ合唱団

アイーダ/ホイ・ヘー
ラダメス/ホルヘ・デ・レオン
アムネリス/ダニエラ・バルチェッローナ
アモナズロ/アンブロージョ・マエストリ
祭司ランフィス/マルコ・スポッティ
エジプト王/ロベルト・タリアヴィーニ
巫女/サエ・キュン・リム
伝令/ジェヒ・クォン


 今回、スカラ座のオペラ公演は東京開催のみで、大阪と名古屋はバレエ公演の筈だった。それが何故かコンサートへ変更となり、大阪公演はドゥダメル指揮で演奏会形式「アイーダ」と、ヴェルディ・ガラが二日連続で行われる事となる。何だか良く分からないが、あの伝説のカルロス・クライバー指揮「ラ・ボエーム」以来、実に25年振りにスカラ座のオペラを大阪で聴ける事となった。そこで僕も張り切って最安席を確保し、初めてスカラ座を聴く積もりでいたが、でも結局は先に「ファルスタッフ」を観たので、今日のスカラ座体験は生涯二度目と相成った。

 自分としては初めてスカラ座でヴェルディを聴くのに、何で指揮者はイギリス人にベネズエラ人なんだ?と、実際に聴く前はやや不満に思っていた。でも、「ファルスタッフ」でのハーディングに満足したので、今日のドゥダメルにも期待しようと思った。その期待は今日、高いレヴェルで満たされたと思う。

 彼の指揮では音楽の進むに連れ、次第に熱の籠もって来るが、それは決してオケを煽っているからではない。ここと見極めた勘所で、指揮者は音楽にエモーショナルな熱気を吹き込むが、それよりも聴く側としてはオケの自発性に拠り熱気の湧き出るように感じる。スカラ座を相手に全く奇を衒わない正攻法の「アイーダ」を振る、ドゥダメルには畏怖をすら感じる。

 弦のビロードのように滑らかで深い音色へ、しなやかで強靭でいながら柔らかく響くブラスが寄り添い、爆発的なフォルテシモに至る。ここへ更にコーラスの入ると、全体の音圧は三倍から四倍増しに感じられる。一幕の巫女の女声合唱は縦横が揃わず、スカラ座のコーラスって結構バラけてるなぁと思うが、それでも合唱はオケの音色と合うので問題は感じない。声の音圧そのものは凄くとも、単純に巧い下手だけを云えば然程でも無いが、でもスカラ座コーラスで「アイーダ」を聴いていると、新国立劇場合唱団は精密に過ぎるような気に、段々とさせられるのだ。

 二幕では「凱旋行進曲」から幕切れへ向け、後へ行くほど演奏のテンションは高まって行く。オケの音は飽くまで軽やかで重くはならず、しかもその軽い音のまま爆発的なフォルテシモまで持って行く。でも、どちらかと云えばフォルテシモの音量よりも、リズムの切れ味の方に凄味を漂わせる。ドゥダメルの身振り自体に全く煽る様子は無いのに、オケの演奏が自然に盛り上がるのは、やはり彼のカリスマ性の成せる技だろうか。

 タイトル・ロールのホイ・ヘーは中国本土出身で、フィジカルなテクニックを前面に押し出すソプラノで声に力がある。高低の音域でピアニシモのロング・トーンを保ち、そこからフォルテシモまで持って行き、またピアニシモまで音量を落とす、声をコントロールする力が凄い。その声の力でホイ・ヘーは、二幕のアムネリスとのデュエットで、バルチェッローナに互角の勝負を挑む。ただ、音色の変化に乏しく、しかもパセティック一辺倒に成り勝ちで、単調と云えば単調な歌い振りではあった。

 アムネリスのバルチェッローナには、深く艶やかな中音域と力強い高音域がある。アイーダの方は大きな声と小さな声を交互に出すだけだが、バルチェッローナは音色の変化とデュナーミクの工夫で、気位の高い王女の勝気さを表現する。四幕のアリアは本当に凄ったし、大歌手としての貫録を示したと思う。これ見よがしに張り上げる大声では無く、この方の本気のフォルテシモには壮絶なものがあり、殆ど神々しいまでのオーラを放っていた。アモナズロのマエストリも余裕綽々で途轍もない大声を発し、こちらも体格だけでは無い貫録を示した。

 ラダメスのホルヘ・デ・レオンは、去年スカラ座デビューを果たしたばかりの若手で、冒頭のアリアではトランペットを吹き鳴らすように輝かしい声を聴かせた。これは良いテノールと感心するが、その後は他の歌手の演奏が凄過ぎて、二幕を終える頃には存在感も薄れて終う。ヴェルディ・テノールとして重目の声質は悪くないが、もう少し軽い声も使えないと、このメンバーの中では目立ちようも無い。ランフィスのスポッティもエジプト王のタリアヴィーニも、一人で歌っている分には良いのだが、これも相対的な問題で他の歌手の後に聴くと、平べったい声と感じて終った。

 歌手も凄いが、オケは更に凄い。自然体でスカラ座をドライブするドゥダメルも凄いが、彼をリスペクトして盛り立てるスカラ座オケの姿勢にも感銘を受ける。これぞ本場のヴェルディ等と安っぽい言葉では語れない、今日はスカラ座の普段着の底力を、まざまざと見せ付けられるコンサートだったと思う。

第65回全日本合唱コンクール東北大会

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2013年9月27日(金)9:45/仙台イズミティ21

 今年も東北大会を聴く為、遥々と仙台までやって来た。表彰式も終えて会場を後にする際、今日は妙に終演時間が早いなぁと気付く。それも道理で、青森・秋田・山形・宮城の四県が、昨年より各一校づつ代表校を減らしている。コンクールは比例代表制なので、今年は県予選への参加校自体が軒並み減った事になる。裾野の広がらねば、頂点のレヴェルも下がる。事実、嘗ての全国大会常連校だった、鶴岡南や秋田北の名前は今日のプログラムに無いし、仙台三桜は部員数を半減させている。これは顧問教諭の交代に伴う一時的な現象なのか、或いは合唱の部活自体の不人気の現われか。その要因は一律に論じられないにせよ、果たして参加校や部員数の減少に歯止めは掛かるのか、今後の推移を見守るしかない。

<青森県>
県立八戸東高校音楽部(女声30名)
指揮/原子こづえ
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
Xabier Sarasola:Veni creator spiritus
Antonio M.Russo:Venite exsultemus Domino
 モラレスは生徒の理解度の高い、上質なポリフォニーの演奏。フォルテに透明な音色のある頭声で、各声部を美しく処理出来ているし、山場の作り方も巧い。ただ、声に芯の感じられず、ピアニシモではテンションが下がり、半透明な音色でやや不安定になる。自由曲もとても美しいが、メゾが嵌まらず不協和なハーモニーをピタリと決められない。最後はホモフォニックに速いテンポの曲で、フォルテでは美しく纏まるが、このハーモニーをピアニシモでも維持したい処だ。更に演奏の質を高める為、ヴォイス・トレーニングは必須と思う。

県立青森高校音楽部(混声20名)
指揮/熊澤愛理
コープランド「Have mercy on us, O my Lord 主よ憐れみ給え」(四つのモテット)
三善晃「私が歌う理由」(地球へのバラード)
 コープランドは伸ばす声が真っ直ぐそのままで、音楽に膨らみの欠けるので、もっとデュナーミクを粒立たせたい。三善も軽快なテンポ感でスマートな演奏だが、もっとデュナーミクに工夫を凝らし、内声的な音色のあるソプラノから情感を引き出して欲しい。そうでないと、この曲の内容の深さは表現出来ない筈だ。

県立五所川原高校音楽部(女声13名)
指揮/今敦子
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
ハヴィエル・ブスト「Zai itxoiten 待望」
ミクロシュ・コチャール「O havas erdo nemasaga 雪の森の静寂」
 モラレスはソプラノの強過ぎてバランスを崩すので、もっと各パートの音色をクッキリ際立たせたい。それと何か途中で変化を付けて貰わないと、聴かされる方は退屈する。自由曲でのテクニックはそれなりに高いし、色々工夫しているのも分かるが、やはり音色の変化が無い。内容に乏しい曲の所為もあり、聴いていてちっとも面白くない。最後の聴き慣れた曲にもモノクロームな色しか無いので、まずハーモニーの色彩感に付いて考えて欲しい。

<秋田県>
県立秋田高校合唱部(混声17名)
指揮/吉原東吾
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
Ola Gjeilo:Ubi caritas/Prelude
 ヴィクトリアは少人数にしては遅目のテンポ設定で、男声の引き摺るようなリズム感が気になる。グレゴリオ聖歌を基として素朴に作られた自由曲は、声の技術は拙くとも縦のフレージングをピタリと揃え、なかなか滋味深く聴かせてくれる。身の丈に合った選曲で、持てる実力を精一杯に発揮していた。

県立大曲高校合唱部(混声13名)
指揮/鈴木智美
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
Ola Gjeilo:Ubi caritas/Prelude
 三名の男声で四声曲を演奏する蛮勇は買うが、もう少し速目のテンポでテキパキやらないと、この少人数では音楽自体ダレて終う。自由曲は二曲に対比を付けた積もりだろうが、やはりテンポが遅過ぎるし、もっとダイナミズムの変化をハッキリさせたい。終始イン・テンポでは困るので、アゴーギグを揺らせるなど何かしらの工夫も望まれる。

聖霊女子短大付属高校合唱部(女声33名)
指揮/石崎巴
ピアノ/土田那津子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
Janos Vajda:Kyrie/Gloria〜Missa in D
 課題曲は素直に歌えているが、倍音の膨らみに欠ける単彩な声で、表現力に乏しくなる。可愛らしい声でのミサ曲も、響きは痩せ細っているし表現の幅も狭いが、こちらは清楚で悪くないと思う。

<山形県>
県立鶴岡中央高校合唱部(女声20名)
指揮/松本光治
ピアノ/阿蘇路
池辺晋一郎「雨の犬」(この世界のぜんぶ)
信長貴富「風のような歌は」(風のこだま・歌のゆくえ)
 池辺ではソプラノに深い音色があり、その声を有効に使うセンシティヴな音楽作りがある。但し、もう少し音色を変化させないと、単調になる嫌いはある。自由曲ではガラリと声を変え、多彩な色を使えている。とても上手な演奏だが、曲自体の内容に乏しい為、幾ら熱演しても伝わるものは少なく、もっとアザトいデフォルメは必要と思う。

羽黒高校合唱部(女声26名)
指揮/春山連
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
エリック・ウィテカー「I will wade out/Hope,faith,life,love」
 ヴィクトリアは最後のアレルヤをリタルダントする前に、軽くアチェルラントすれば効果的な筈だ。完全に縦割りのホモフォニックな解釈で、自由曲も声に力の無い割りにテンポが遅過ぎる。人数分のフォルテは出るし熱演ではあるが、そこで汚い声になるのと、ピアニシモで声の途切れるのは頂けない。パート・ソロで非力を露呈するので、対位法的な曲は避けた方が良いように思う。

県立山形西高校音楽部(女声69名)
指揮/吉田朋世
ピアノ/郷津由紀子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「会う‐手紙‐川」(女に第2集)
 中音域に成熟した声質はあるが、フォルテと高音部を歌い切る技術に欠け、課題曲ではややアラが聴こえて来る。リズムの複雑な自由曲なので、まずパート内部の音程をキッチリと揃えた上で、もっと厳しくリズムを律して音楽を進めて欲しい。

第65回全日本合唱コンクール東北大会

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2013年9月27日(金)9:45/仙台イズミティ21

<岩手県>
県立宮古高校音楽部(女声29名)
指揮/及川尚樹
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
Jacobs Gallus:Pueri concinite
ラヨシュ・バルドシュ「Berc a ronan 平原の岩山」
 モラレスには曲の山場を見極め歌い切る力と、効果的なアチェルラントがある。各パートが旋律の頂点を確りと聴かせた上に、高低の音域で音色を変化させて、多彩な色合いを駆使する美しいポリフォニーだった。ハンドル・ガルスはピアニシモのテンションが高く、各パートのブレンドされた声で、美しく深い音色のハーモニーを作る。バルドシュも柔らかいリズムの切れと暖かい声の音色に、指揮者のリタルダントとアチェルラントの使い分けも抜群に巧く、優し気なニュアンスに満ちた演奏だった。

県立盛岡第二高校音楽部(女声24名)
指揮/室岡美奈
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
Xabier Sarasola:Pueri Hebraeorum
ペトル・エベン「De angelis」
 頭声で伸びやかなソプラノは良いが、メゾとアルトを更に前へ出して、ハーモニーの色合いの変化を意識して欲しい。また、やや力尽くでポリフォニーを進める気味がもるので、もう少し全体のバランスを考えるべきと思う。でも、自由曲のホモフォニックな曲想になると、この声は硬質な爽やかさを表出して、美しいハーモニーを響き渡らせる。エベンは今ひとつ内容の不分明な曲だが、指揮者は速い曲想と緩徐部分でリズムを使い分け、或る種の説得力を持って聴かせてくれた。

県立不来方高校音楽部(混声32名)
指揮/村松玲子
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
バルトーク「A rab 囚われ人/Dai 歌」(四つのハンガリー民謡)
 遅目のテンポで縦の線を揃えるモラレスの音楽作りは、“アレルヤ”部分との対比を狙ったハーモニー重視の解釈だろうが、やはり横の流れを軽視するのは感心しない。バルトークも軽やかなリズムで楽し気に歌えたが、テヌートの付け過ぎで音楽は一面的に感じられる。二曲の対比だけで無く、内面的な変化を探って欲しかった。

県立盛岡第四高校音楽部(女声32名)
指揮/佐藤ふみ子
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
鈴木輝昭「When dandelions bloom タンポポの花の咲く時/aquarium 水族館」
(Five songs of nonsense)
 やや縦割りのリズムのあるポリフォニーなので、もっと横の流れを感じながら歌って欲しい。内容に乏しい自由曲なのにテンポが遅過ぎ、モノクロームな音色で単調になって終う。最後のオノマトペの曲も、一応それらしいリズム感で進めるが、如何にも表面的に聴こえる。皆さん、一体どこまで曲に共感し演奏しているのか、疑問に感じる。

県立北上翔南高校音楽部(女声29名)
指揮/阿部彩子
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
Levente Gyongyosi:Confitemini Domino
松下耕「タントゥム・エルゴ」
 モラレスは息漏れの多い発声で清澄感を欠く上、指揮者の後押しするリズム感も重過ぎて、音楽にブレーキを掛けているような印象を受ける。自由曲でリズムはやや軽くなるが、やはり音色は全く変化せず、一応は愉し気に歌えても、それが聴く側には伝わらない。そもそも曲自体が詰まらないので、全く如何しようも無い。

県立盛岡第一高校(混声37名)
指揮/杉本聖房
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
Vagn Holmboe:Benedicite Domino
 課題曲は縦横共に今一つ揃わず、テンポも間延びするので、アチェルラントを効果的に使いたい。自由曲も女声の清澄な声質は良いが、声の力そのものは不足気味。ピアニシモのテンションを保てず、速いパッセージはサマになっても、曲に含まれる静けさは表現出来なかった。

県立盛岡第四高校音楽部(混声41名)
指揮/佐藤ふみ子
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
信長貴富「こころようたえ」
 縦を揃えてハーモニー重視で進む、ロマンティックな解釈のヴィクトリアだが、それにしては発声が浅い。自由曲は熱演だったし、成熟を感じさせない浅い声と、高校生らしく少年っぽい表現力とが曲自体の幼さと噛み合い、その限りに於いては良い演奏だったと思う。

県立一関第一高校・附属中学音楽部(混声65名)
指揮/横山泉
コープランド「Have mercy on us, O my Lord 主よ憐れみ給え」(四つのモテット)
Vytautas Miskinis:Time is endless
 コープランドはスフォルツァンドするような音の膨らませ方と、アゴーギグを揺らせるのが効果的で、美しいハーモニーに彩りを添えた。自由曲は大人数でも縦をピタリと揃え、伸ばす母音に情感を滲ませる。ソプラノの透明な頭声で、爽やかなハーモニーを鳴らせる、ピアニシモを主体とした味わい深い演奏だった。

県立水沢高校音楽部(混声36名)
指揮/中村桂子
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
Morten Lauridsen:Se per havervi,oime/O’ve,lass’il bel viso?
 各パートがアルシス・テーシスを意識し、旋律の頂上を聴かせるのに専心する、美しく正統的なポリフォニーの演奏だった。自由曲もハーモニーの色合いへ、生徒がセンシティヴに反応する美しい演奏。ピアニシモで通す急速部分でのリズムの扱いが的確、緩徐部分には旋律の扱いに柔らかさもあり、両者の対比の作り方が巧かった。


<決定順位>
1.郡山 2.安積黎明 3.橘 4.会津 5.会津学鳳女声 6.不来方(以上代表) 6.仙台三桜 8.山形西 8.福島東 10.郡山東女声 11. 一関一 12.安積混声 13.喜多方 14.葵 15.仙台二華 16.郡女附属 17.郡山東混声 18.会津学鳳混声 19.盛岡四女声 20.仙台南 21.盛岡一 21.聖ウルスラ 23.盛岡四混声 23.聖霊付属 25.福島 26.安積女声 27.水沢

第65回全日本合唱コンクール東北大会

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2013年9月27日(金)9:45/仙台イズミティ21

<宮城県>
聖ウルスラ学院英智中学高校合唱部(女声30名)
指揮/細川信
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
ミクロシュ・コチャール「Kyrie〜Missa in A/Salve Regina」
 モラレスは指揮者の微妙に揺らすテンポ感が心地良い。後半の山場となる箇所で、決然としたリズムの切り替えがあれば、更に効果的と思う。自由曲もアゴーギグを微かに揺らしながら進めて、暖かいニュアンスに満ちている。但し、フォルテでソプラノがスピントせず、音色の硬くなるのはやや問題。ダイナミズムを大きく変化させる声の力はあるが、音色の変化の無いのと、常に同じテンポ感で単調になるので、アチェルラントの効果的な使い方を考えて欲しい。

県仙台二華中学・高校音楽部(女声45名)
指揮/水口裕子
ピアノ/渡邉瑞生
池辺晋一郎「雨の犬」(この世界のぜんぶ)
Alfred Koerppen:Auf einem baum ein kuckuck sas
 児童合唱っぽい声の音色が変化しないのは聴き辛いが、池辺では子供らしさの表現として伝わるものはあった。自由曲では声そのものよりも子音ばかり聴こえて来るのに、余りドイツ語っぽく聴こえない。可愛らしい声で童謡っぽいドッペル・コールで、なかなかの熱演だが、曲に対する声の質量は決定に不足していた。

県仙台南高校音楽部(混声38名)
指揮/内藤淳一
ピアノ/阿部菫花
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
木下牧子「方舟」(方舟)
 思い切ったテンポ・ルバートとアチェルラントに拠る、独特な表現のある課題曲だが、それが曲に即応していない印象を受ける。自由曲は速目のテンポの中でデュナーミクを粒立て、やや感情過多でも、少年の懸命さは表現として伝わる。コケ脅しみたいな主題の冒頭と回帰で、如何にも声の力に不足するが、これも直向きさで埋め合わせする感じだった。

県仙台三桜高校音楽部(女声49名)
指揮/立谷愛
ピアノ/野田久美子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
Bernat Vivancos:Nigra sum
 課題曲はリズムの扱いにもう少し繊細さを求めたいが、演奏の明るさ自体に救われる思いがする。自由曲はやや声の力に欠けるが、緻密な組み立てで美しいサウンドを作る。ピアニシモからフォルテへ盛り上げ、そこから再びピアニシモへ戻す、振幅の広い表現力で強い訴求力のある演奏だった。

<福島県・会津>
県立葵高校合唱部(女声37名)
指揮/横山裕理
ピアノ/菅野千尋
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
西村朗「匂宮」(浮舟)
 課題曲は子音を長目に柔らかく発音するテヌートで、アーテキュレーションを構築し情感を醸す演奏。「浮舟」でも柔らかさの中に芯を秘めた声質で、効果の為の効果に走らず、レガートな表現の中で各パートの音色を際立たせ、変化を付けるドルチェな音楽作りがある。若い娘の情念を背伸びせず、爽やかに表現した。 

県立会津高校合唱団(混声76名)
指揮/大竹隆
ピアノ/志田智子
旭井翔一「屈折率」(幻想小曲集)
Josep Vila i Casanas:Salve Regina
 構成の分かり難い課題曲で縦をキチンと揃え、曲の対位法的な構造を分かり易く伝える、清潔なフレージングが心地良い演奏。自由曲も何だか良く分からない曲だが、レガートな表現の中へ巧みにマルカートを取り込み、細部の彫琢と全体を見通した設計とを結び付ける、指揮者の手腕で聴かせる。定石を外して意図不明のコード進行を的確に捉え、曲の弱さを救い上げる、卓越したハーモニー感覚も素晴らしい。シンフォニックに鳴らすサウンドの力で圧倒する演奏だが、それでもまだ人数分のフォルテは出せていないように思う。

県立会津学鳳中学・高校混声合唱団(混声40名)
指揮/佐藤朋子
ピアノ/桜田康弘
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
荻久保和明「ゆめみる」(季節へのまなざし)
 課題曲には内容に即したルバートがあり、Sの子音の強調やパウゼの扱いも的確で、音楽的な表現力のある演奏。自由曲は指揮者の音楽に対する構えが大きく、達者なピアノにも支えられて熱演する。だが、この合唱団の艶消しの音色のソプラノは、この新奇な解釈など有りそうも無い、声の輝きで聴かせるしかない曲には合わないと思う。

県立喜多方高校合唱部(混声40名)
指揮/高橋祐二
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
Rihards Dubra:Duo Seraphim
 ピアニシモを有効に使う課題曲の解釈は、この指揮者にしては大人し目だが、なかなかセンシティヴで悪くない。対位法的に複雑な構造のある自由曲もキチンと捌き、不協和音の多いハーモニーを爽やかに響かせた上に、シミジミとした味わいにも欠けていない。技術的に完璧とは云えないにせよ、指揮者の真情の顕れる、とても良い演奏と感じ入った。

県立会津学鳳中学・高校女声合唱団(女声47名)
指揮/佐藤朋子
ピアノ/桜田康弘
池辺晋一郎「雨の犬」(この世界のぜんぶ)
三善晃「あっちへいけ/みつめてる」(のら犬ドジ)
 池辺ではレガートに歌う旋律に、デュナーミクの工夫を絡ませる、センシティヴな音楽性に富んだ演奏。指揮者は「ドジ」にも叮嚀なデュナーミクを施すが、こちらは全パート同じような色合いで、ソプラノにクッキリと際立つ音色の無いので、全体としては単調に聴こえた。


<審査員個別順位>
金川明裕(合唱指揮者)
1.郡山 2.安積黎明 2.橘 4.会津学鳳女声 5.会津 5.郡山東女声 5.山形西 8.一関第一 9.仙台三桜 9.福島東 9.仙台二華 12.安積混声 12.葵 14.会津学鳳混声 15.郡山女子大附属

岸信介(合唱指揮者)
1.会津 2.一関第一 3.郡山 3.安積黎明 5.福島東 5.不来方 7.喜多方 8.会津学鳳女声 9.橘 9.葵 11.仙台三桜 11.郡山東女声 13.盛岡第四混声 14.安積混声 15.仙台南 15.山形西 15.郡山女子大附属

佐藤正浩(Orchestre Les Champs Lyrics主宰)
1.郡山 2.安積黎明 3.橘 3.会津 5.山形西 6.不来方 8.会津学鳳女声 9.喜多方 9.安積混声 11.仙台南 12.福島東 13.会津学鳳混声 13.仙台二華 15.郡山東女声

鈴木輝昭(作曲家)
1.郡山 2.安積黎明 3.橘 3.福島東 5.安積混声 5.会津 7.会津学鳳女声 8.仙台三桜 8.山形西 8.郡山東女声 8.喜多方 8.不来方 13.一関第一 14.会津学鳳混声 14.盛岡第四女声 14.郡山女子大附属

長谷川冴子(東京少年少女合唱隊正指揮者)
1.郡山 2.安積黎明 2.橘 4.会津学鳳女声 5.安積黎明 5.会津学鳳女声 8.郡山東女声 8.一関第一 10.仙台二華 10.盛岡第四女声 12.橘 12.郡山女子大附属 12.水沢 15.盛岡第一 15.聖ウルスラ

第65回全日本合唱コンクール東北大会

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2013年9月27日(金)9:45/仙台イズミティ21

<福島県・中通り>
県立安積高校合唱団(女声23名)
指揮/鈴木和明
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
ミクロシュ・コチャール「Tuzciterak 火のツィテラ」
 声を直線的に伸ばすポリフォニーの為、フォルテへ向けた盛り上がりはあるが、旋律の下降する際にもっと柔らかく歌い収めたい。コチャールには今ひとつ音色の変化が無いし、せめて速いか遅いか、テンポ設定の白黒をハッキリさせるべきと思う。また、遅目のテンポでパウゼを長く取るので、ピアニシモのテンションを更に高めないと、音楽の持続感を保てない。美しいハーモニーで創意工夫に富んだ演奏だが、曲の内容は表現し切れなかった。

郡山女子大学附属高校音楽部(女声26名)
指揮/加藤まゆ美
ピアノ/横溝聡子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「名‐夜/ここ」(女に)
 快調なテンポで進めて軽やかな課題曲の演奏だが、もう少し音色の変化も意識しないと、全体としては単調に聴こえる。自由曲は中音域でメゾフォルテ程度の音量までは、デュナーミクの工夫でニュアンスを醸すが、フォルテでソプラノの高音がスピントせず、硬い声で表現力を欠いて終う。軽いリズム感でノリは良いので、声を柔らかく解したいのと、ハーモニーの色合いの変化を感じて欲しい。

県立福島明成高校合唱部(混声21名)
指揮/菊地和彦
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
Javier Busto:Ametsetan〜Ave Maria
 ヴィクトリアはハーモニーに溺れ気味で、ややリズムも縦割りだが、各パートはクッキリ聴こえるので、ポリフォニー演奏として許容範囲にある。アレルヤのリフレインで更にテンポ・アップすれば、全体の印象も変わる筈と思う。自由曲は男声が縦のハーモニー感を掴んだ上に、リズムの扱いも適切で、ノリの良さと柔らかい表現力にも欠けず、なかなか美しい演奏。フレーズの縦を揃えた上でマルカートする、アーティキュレーションの作り方も面白かった。

県立郡山東高校混声合唱団(混声24名)
指揮/小林悟
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
モンテヴェルディ「Credo」(四声ミサ)
 ややクサい程のデュナーミクの作り方が、この課題曲にはハマる。ただ、それは演技的な身振りとして、音楽を表面的に捉えた結果とも云える。モンテヴェルディにも大袈裟なデュナーミクを施し、緩徐部分でテンポをクルクル変え、速い部分ではスフォルツンドやテヌートを付し、またリタルダントしたりアチェルラントしたり等、様々な手管を矢継ぎ早に繰り出す。内容豊富とは言い難いミサを、面白く聴かせてくれたが、この堅苦しい凡作を取り上げる必然性は、全く理解出来ないままだった。

県立福島高校合唱団(混声38名)
指揮/馬場和美
コープランド「Have mercy on us, O my Lord 主よ憐れみ給え」(四つのモテット)
千原英喜「第一の言葉/エピローグ」(十字架上のキリストの最後の言葉)
 コープランドで微かにアゴーギグを揺らせる、ピアニシモ主体の音楽作りが奏功する。自由曲で声の非力を露呈する局面はあっても、音楽の明るいのが取柄で、妙に弾むようなリズムが曲に対応している。大真面目に歌うとこんな演奏になる、ふざけた曲ではあるけれども。

県立安積高校合唱団(混声40名)
指揮/鈴木和明
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
ブラームス「Warum ist das Licht gegeben 何故に光を賜り op.74-1」(二つのモテット)
 女声のロマンティックな音色で、ヴィクトリアのマニエリスモを美しく表現したが、仄暗い情念を引き出すまでには至らない。ブラームスにもロマン派らしい表現力はあったし、ドイツ語も県大会の際からはやや改善され、少なくとも語尾のtやdを発音するのは聴こえたので、一応それらしくはなった。ただ、対位法的な部分を整理出来ていないので、それぞれに異なる形で三回出て来る、主題への意味付けは曖昧なままとなった。

県立福島東高校合唱団(混声44名)
指揮/星英一
ピアノ/鈴木あずさ
旭井翔一「屈折率」(幻想小曲集)
鈴木輝昭「When that I was and a little tiny boy」(シェイクスピアによる“十二夜”歌集)
 この課題曲は聴けば聴く程、良く分からなくなる曲だ。強引にフォルテシモを引出し、ピアニシモをレガートに歌わせ、アザトくパウゼを挟む指揮者の表現の幅は広いが、そこまでして貰っても何だか良く分からない曲だ。自由曲でも指揮者はノリノリで、リズムの切れは鋭く、声の力にも欠けていない。詰まらない曲も大変な熱演で盛り上がり、三澤洋史如きに何を言われようとも動ぜず、ひたすらに我が道を進むのみのようだ。

県立橘高校合唱団(女声36名)
指揮/瓶子美穂子
ピアノ/鈴木あずさ
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「絵師よ」(肖像画・絵師よ)
 デュナーミクの工夫で課題曲に即応する情感はあるが、音色の変化が無いので全体としては平板に感じる。自由曲も広いダイナミク・レンジを駆使し、深く表現的な声そのものの力で聴かせて迫力ある演奏。ただ、全体的にモノクロームな印象で、もっと音色に対して敏感に反応し、ハーモニーの色合いの変化を鋭く捉えて欲しい。

県立郡山東高校女声合唱団(女声37名)
指揮/小林悟
ピアノ/橋本絵美
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「Cantate Domino 詩編96番」
 課題曲には適切なデュナーミクがあり、爽やかに盛り上がる演奏。対位法的な部分でテンポ・アップし、その後に緩めるのも効果的だった。自由曲はドッペル・コールの効果を充全に表現する、声の美しさと力がある。大変な熱演で技術力も高いが、如何せん曲自体の面白味を欠いていた。

県立郡山高校合唱団(混声59名)
指揮/菅野正美
ピアノ/鈴木あずさ
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
鈴木輝昭「地上楽園の午後」
 この指揮者らしいアゴーギグの揺らせ方で聴かせる、美しい課題曲の演奏だが、表現の幅は存外狭いので、もう少し音色の変化を意識したい。委嘱の自由曲は熱演すればする程、曲の無内容を暴き立てるような具合になる。いっその事、歌詞の無いヴォーカリーズの曲にして終えば、清々しく潔いとも思える。技術の高さは瞠目すべきレヴェルにあるので、それを他の曲に振り向けるよう要望して置く。

県立安積黎明高校合唱団(女声49名)
指揮/宍戸真市
ピアノ/鈴木あずさ
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「青頭巾」(雨月物語)
 課題曲には柔らかいデュナーミクの作りで醸される情感があり、対位法的な部分を捌く指揮者の手付きも堂に入っている。委嘱の自由曲は日本的な情念の表出に力点を置き、歌詞の部分とヴォーカリーズの部分とに有機的な繋がりがあるので、英語歌詞の曲等よりは遥かにマシと感じる。演奏そのものはテンションを揚げ一気呵成に行って終う曲で、メリハリを付ける暇も無いようだった。

ベッリーニ「カプレーティとモンテッキ」

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<第22回みつなかオペラ/ベッリーニ“ベルカント・オペラ”シリーズ>
2013年9月29日(日)14:00/川西みつなかホール

指揮/牧村邦彦
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
みつなかオペラ合唱団

演出/井原広樹
美術/アントニオ・マストロマッテイ
照明/原中治美
衣装/村上まさあき

ジュリエッタ/坂口裕子
ロメーオ/高谷みのり
テバルド/中川正崇
領主カペッリオ/片桐直樹
神父ロレンツォ/鈴木健司


 川西市民オペラでは「マリア・ストゥアルダ」、「ラ・ファヴォリータ」、「ランメルモールのルチア」のドニゼッティ三連発を終え、今年から新たな三年計画でベッリーニを上演する。今日はその第一弾の「カプレーティとモンテッキ」で、来年の第二弾は「清教徒」、再来年は「ノルマ」を予定している。このオペラの台本は「ロメオとジュリエット」では無く、シェイクスピアが元ネタに使った、イタリアの伝承民話から来ているらしい。

 音楽監督の牧村はプログラムに寄せた文章で、「すっ飛ばしてきた、この(ベルカント)時代の音楽を知らずしてヴェルディは語れないし歌えないし、恐らく教える事も出来ない」と述べている。勿論、歌手がベルカント唱法を学べば、ヴェルディを歌う際にも役立つのは間違い無いし、牧村のような考え方も有り得るかも知れない。しかし、「20年の間にイタリアのオペラはここまで進化した」。「この短い時期に歌手達も進化した事になる。いわゆるベルカントと呼ばれる唱法が編み出された」となると、やや疑念も生じる。乱暴に言えばモンテヴェルディからベッリーニまで、音楽の様式と唱法は地続きだが、イタリア・ロマン派(そんな言葉は無いが)の到達点とも云うべき、ヴェルディとの間には或る種の断絶があると考える。

 「みつなかホールでイタリアオペラの歴史を体感」すると云う、趣旨自体に全く異論は無い。だが、ヴェルディを楽しむ為と云う理由で、ドニゼッティやベッリーニを聴く必要は無いし、それを言うならベルカントの理解の為には、ロッシーニからバロックへ遡る方が重要だろう。今時はピリオド楽器に拠るベルカント・オペラ上演も珍しくないし、チェチーリア・バルトリのような人気スター歌手が古い楽譜を校訂し、カストラート・オペラの蘇演を手掛けたりもしている。果たして牧村君はオペラ指揮者として、どれほど音楽史を辿る事の重要性を認識しているのか。その視線はロッシーニやモーツァルトから先には届かないようで、もし彼がバロック・オペラを一切知らなくとも、別段の驚きも無い話と思う。

 牧村はベルカント物のスペシャリストと云うか、それ以外の演目で好い印象が無い。演奏家に得手不得手のあるのは当然だが、市民オペラ・レヴェルで指揮者に適材適所を求めるのは難しいし、その点に付いては自分の見極めの問題と考えている。今日の演奏は叮嚀に伴奏を付けて好感を持てるし、楽譜通りの編成から切り詰められた、オケを充分に盛り上げてくれた。幕切れのカタルシスに、僕は不覚にも涙ぐんで終った。

 もう同じような事を何度も書いたし、観に行く前から分かっている事でもあるしで、演出の悪口もパターン化して来ている。ただ、この演出家の根本的な問題点として、何でも“一斉に”やらせたがる事は、改めて指摘して置きたい。つまり剣を抜いたり納めたりする動作や、いきり立ったり逡巡したりする感情の表現を、個別にでは無く一体として処理したがるのだ。通常、演出家はコーラスをモブ処理する際、個別の動きを指示する事に拠り、舞台に変化を付けようとする。今日、この一律に単純化された演出を観ていると、これは一般的な舞台作りに対するパロディと云うか、戯画化を目指しているようにさえ思えて来る。そもそも“一斉に”揃える為に費やされる練習量は、単なる時間と金銭の浪費とも思う。

 タイトル・ロールの二人の内、ジュリエッタの坂口裕子は女性らしい情感を滲ませる声で、超高音もピアニシモからフォルテシモまで、ほぼ完璧にコントロールされている。パセティックな情感にも、アジリタにも欠けない、既に完成されたベルカント・ソプラノと思うが、やや小じんまりと纏まっている感はある。

 ロメーオの高谷みのりは柔らかく可愛らしい声のメゾで、立ち上がりはやや不安定だったが、ジュリエッタとのデュエット辺りからギアをトップにシフトし、主役としての責務を全うしてくれる。声量は然程に無いので、カルメンなんかは無理そうだが、立ち姿が美少年っぽく凛々しいので、ケルビーノなら打って付けだろう。ジュリエッタが大人っぽいので、少年が背伸びし年上の恋人に対し、粋がっているようにも見える。エディト・マティスみたい、なんて言うと褒め過ぎだろうが。

 テバルドの中川正崇のリリックと云うより、キャラクターぽい声を美声とは云い難い。高音部でスピントすると地声っぽくなったり、上がり切らなかったり、やや不安定でまだ勉強中の感は強いが、素材としては悪くないと思う。但し、演技は学芸会レヴェルで、見た目がお坊ちゃまキャラで致し方無いにせよ、敵役だしもっと憎々し気にやって欲しい。取り敢えず声に関して、高音部をキレイに出せるよう今後の精進に期待したい。カペッリオの片桐直樹が第一声を発すると、それだけで舞台はグッと引き締まる。さすがにベテランの貫録を示して、これは踏んだ場数の違いとしか言いようも無い。

 牧村は「作品とともに演奏家も育ち、聴衆も育つ。残念ながらその点、聴衆の開拓だけはかなり遅れてしまっている」との意も述べている。その真意は不明だが、演奏家に付いて云えばアジリタ無しでベルカント・オペラは歌える筈も無いし、関西の旧態然とした教員歌手陣が、そのテクニックに秀でているとは言い難い。今時の素人はライブ・ビューイングやユーチューブや衛星放送で、何時でも欧米の最新情報や映像に接する事が出来る。遅れているのは聴衆では無く、演奏家の方だと僕は考える。ドニゼッティやベッリーニの公演に尽力する、関係者の労は大いに多とするが、ではそのピリオド楽器に拠る舞台上演が、近い将来に於いて実現可能なのか?とも思う次第である。

ブリテン「ピーター・グライムズ」op.33

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<第50回オペラ公演/二十世紀オペラ・シリーズ>
2013年10月14日(月)14:00/大阪音大ザ・カレッジ・オペラハウス

指揮/高関健
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
大阪音大学生選抜合唱団

演出/中村敬一
美術/増田寿子
照明/原田治美
衣装/前岡直子

ピーター・グライムズ/小餅谷哲男
エレン・オーフォード/平野雅世
バルストロード船長/枡貴志
セドリー夫人/野間直子
スワロー判事/山川大樹
薬屋ネッド・キーン/藤村匡人
漁師ボブ・ボウルズ/安川忠之
御者ホブソン/西尾岳史
牧師ホラス・アダムス/谷浩一郎
女将アーンティ/西原綾子
姪/大崎友美/喜多ゆり


 今年は生誕百年のアニヴァーサリーだが、それとは一応無関係に大阪音大では、過去に何度もブリテンのオペラを取り上げて来た。ただ、その情熱の寄って来る由縁は不分明で、何やら明後日の方向を向いた上演もあったやに思う。作曲家の性的傾向には知らぬ振りを通し、ボーイ・ソプラノやカウンター・テノールを起用しないのでは、ブリテンの音楽に対する熱意を疑われても仕方無い、個人的にはそう考えている。でも、今回の演奏を聴き終え、やはり「ピーター・グライムズ」は「戦争レクイエム」と並ぶ、ブリテン畢生の傑作との認識を新たにした。

 僕は十年余り前、サイトウ・キネンで上演される「ピーター・グライムズ」を観る為、信州松本まで出掛けた。勿論、指揮者は小澤征爾で、合唱には東京オペラ・シンガーズと、遥々ボストンからタングルウッド祝祭合唱団を招聘しての公演だった。あれは兎に角、コーラスの印象が強烈なオペラ上演で、個々の村人の歌なんかは忘れ果てても、合唱の“ピーターグラーイムズッ!!”のリフレインは、耳に残る音圧と共に舞台の情景も目に焼き付いている。昨年、新国立劇場のプロダクションは見逃したが、今年はご近所で「ピーター・グライムズ」の公演がある。是非、観に行かねばと思う反面、果たして真っ当な上演になるのか、些かの懸念もあった。でも、その懸念は幸いにも杞憂となったと、今は思っている。

 一幕の嵐の場面や出漁の際のコーラス、また二幕のピーターを弾劾するコーラス等、やはり大変な迫力で迫って来る。何時ものオペラハウス合唱団を学生選抜で補強した五十名は、その職責を立派に果たしたと思う。また、大人数のコーラスで満員電車みたいな舞台を、演出家はキチンと交通整理していた。良い意味で常識的な舞台作りだが、常に正面を向いて歌いたがる音大教員を、制止する役目は果たせなかったようだ。

 オペラの主役は飽くまで、無明の闇を進む縁なき衆生のコーラスだが、オケに拠るインテルメッツォもタップリ含まれている。ソロはアカペラで歌われる場合も多く、伴奏の付く時もハープのトレモロのみとする等、“うた”をジックリ聴かせようとするオペラと感じる。その一方、コンサート・ピースとして知られる「四つの海の間奏曲」は、オーケストラが歌と歌との間を繋ぎ、荒々しく広大な自然の脅威を雄弁に語る。

 指揮の高関には絶対的なリズム感があり、対位法的な部分でオケとコーラスの縦を合わせるテクニックに、尋常では無いものがある。また、曲の重心の在り処を把握し、どの辺りでテンションを揚げ、或いは緩めるのかの判断を的確に行えている。リズムを合わせ、フォルテを出す事に集中すれば、ブリテンの音楽の力に拠り、演奏のテンションは自ずと高まる。まあ、縦の合う合わないに関しては、僕には複雑過ぎて良く分からなかったけれども。

 僕が今回、最も懸念したのはタイトル・ロールのテノールだった。良い声の歌手ではあっても、バリバリ歌い捲くるばかりで緩急と云うものを知らない、そんなイメージしかない人だ。果たしてブリテンをマトモに歌えるのか、不安に感じていた。実際に聴いてその懸念は払拭されたのかと云えば、そこには一言では尽せない微妙な問題がある。小餅谷は持ち前の力強い美声で、充分に役柄を歌いこなしたと思う。ただ、この役はパセティックな情感の表出が無くとも、力任せに歌い飛ばせば一応のサマになるのだ。音色の変化に乏しく、抒情性とか寂寥感とかに不足すると言うか、そう云ったものを殆ど意識して歌ってはいない。この人は恐らくピーター・グライムズと云う役柄に対し、何の思い入れも抱いていないように思う。

 エレンの平野雅世は只今売出し中の若手ソプラノで、フォルテでのロングトーンの硬質な声が毅然とした役柄に合うし、メゾピアノ程度の音量で情感を滲ませるメリハリもある。この役柄の偽善性や常識人としての性格付けを考えると、バルストロードにはもう少し重い声のバスが良いように思う。

 サイトウ・キネンと比べたりしなければ、今日はとても良いオペラ上演だったと思う。大阪音大でも遣れば出来る事を証明すると共に、ブリテンの演奏には指揮者の存在が最も重要と、改めて痛感させられた。いずみホールオペラでもブリテンへの適性を示した高関健の起用が、今回の上演の成功の最も大きな要因だったと思う。

ブラームス「ドイツ・レクイエム」op.45

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<日本センチュリー交響楽団第185回定期演奏会>
2013年10月24日(木)19:00/ザ・シンフォニーホール

指揮/小泉和裕
ソプラノ/釡洞祐子
バリトン/黒田博
日本センチュリー交響楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
大阪センチュリー合唱団


 センチュリー響に取って激動の時期、六年間に亘り音楽監督を務めた、小泉和裕さんの年度末での退任が決まった。定期公演を振るのも今日が最後で、やはりそれを意識しているのだろう、大曲「ドイツ・レクイエム」で掉尾を飾る次第となった。この曲は皆様ご存じの通り、“Requiem eternam”で始まるラテン語歌詞では無く、ルター訳の聖書から作曲家に拠って任意に選ばれた、ドイツ語歌詞に付されている。

 ブラームスの最も大規模で華やかな声楽曲は、恐らくカンタータ「リナルド」だろうが、一般的な認知度は「レクイエム」が圧倒的に高いし、この曲から滲む渋味には、如何にもドイツ・ロマン派らしい魅力が含まれている。コーラスはアマチュアの大阪センチュリー合唱団(こっちは“日本センチュリー”に変えてない)七十名に、びわ湖ホール声楽アンサンブルとして二十名をトラで投入し、合わせて九十名の大合唱団を編成している。しかも、その全員が暗譜と云う事で、定期公演への気合の入れようも伝わって来る。

 低弦で静かに始まる第一楽章で、ノン・ヴィブラートの半透明な柔らかいハーモニーのあるコーラスを、指揮者は飽くまでレガートに歌わせる。合唱団はユッタリとしたテンポのピアニシモでも、高いテンションを保つだけの声の力があり、二楽章後半のフォルテの音量にも不足しない。テノール・パートは明らかに、びわ湖ホール声楽アンサンブルの声に主導されていて、プロ・アマの混成部隊としてウマく機能している。

 三楽章で黒田博の剛毅な声は曲に合うが、本調子では無いのかやや声が上ずり気味だし、もう少しメリハリも欲しい処だ。オケもフォルテは良いのだけれど、ピアニシモでテンションの緩めになるのは気になる。穏やかな四楽章はフォルテでもレガートを保ち、緩やかな曲線を描いて音楽を盛り上げる。ここでの指揮者の山場の作り方は、所謂アルシス・テーシスに即したものと感じる。ただ、オケの合奏の方はハーモニーの音が揺れるので、もう少しキチンと合わせて欲しかった。

 ソプラノの釡洞祐子に取って唯一の出番となる五楽章。ヴィブラートのキツいのは少し気になるが、細くスピントするピアニシモの高音に力があり、清澄な声でブラームスの美しさを際立たせる。六楽章は再び黒田の出番だが、やはり少し不安定で、本来もっと声を出せる人と思う。後半の山場ではコーラスに対し、指揮者は絶叫では無く柔らかい、浄化されたフォルテシモを要求する。終曲ではデュナーミクを粒立たせず、緩やかな山場を作る。更に突き詰めたピアニシモがあれば、もっと祈りの心も表現出来た筈だが、テンションを揚げるより緩める事で、曲を締め括ったように感じる。

 ブラームスの代表作ともなれば、過去に数々の名盤も残されており、要求されるハードルも自ずと高くなる。クレンペラーやジュリーニの録音を持ち出して終えば、今時の演奏など全て聴くに価しないと云う結論へ、誘導されるのかも知れない。僕は実際の話、このテの曲はCDで聴けばそれで充分と云う意見に、思わず同意して終いそうな自分が怖い。今日の演奏では小泉とセンチュリーのブラームスに対する姿勢に、やや曖昧なものが残されているように感じる。生演奏を聴く楽しみとは、曲に対する指揮者の明確なアプローチを感じる事と思う。

第66回全日本合唱コンクール全国大会

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2013年10月26日(土)9:50/ふくやまリーデンローズ

 上掲の写真は審査員のお一人、テノール歌手の吉田浩之さんです。写真を撮らせて下さいとお願いすると、何で私なんですか?と問い返されたので、僕はオペラも観るからですとお答えする。最近出番の少ないような…と申し上げると、草臥れてるんですよとの事でした。その節はご協力有難うございました。

<Aグループ決定順位>
1.不来方 2.松陽 3.松伏 4.日女附属 5.佐賀女子 6.愛知 7.清泉 8.宇中女 9.帯広三条 10.神大付属 11.神戸 12.出雲北陵 13.共立 14.土佐女 15.広島女学院

<Bグループ決定順位>
1.聖カタリナ 2.会津 3.安積黎明 4.宮崎学園 5.郡山 6.幕張総合 7.岡崎 8.武庫女 9.星野 10.会津学鳳 11.橘 12.水戸第二 13.金沢二水 14.熊本第一 5.大妻中野 16.札幌旭丘 17.高松第一 18.萩 19.坂出

<審査員個別順位>
池辺晋一郎(作曲家)
(A) 1.不来方 2.松伏 3.日女附属 4.佐賀女子 5.神戸 6.宇中女 7.清泉 8.松陽 9.帯広三条 10.愛知 11.神大付属 12.共立 13.出雲北陵 14.土佐女 15.広島女学院

(B) 1.郡山 2.水戸第二 3.聖カタリナ 4.安積黎明 5.会津学鳳 6.会津 7.札幌旭丘 8.熊本第一 9.武庫女 10.萩 11.星野 12.橘 13.金沢二水 14.幕張総合 15.宮崎学園 16.高松第一 17.岡崎 18.大妻中野 19.坂出

長内勲(合唱指揮者)
(A) 1.松伏 2.佐賀女子 3.愛知 4.松陽 5.帯広三条 6.不来方 7.清泉 8.日女附属 9.神大付属 10.神戸 11.宇中女 12.土佐女 13.共立 14.出雲北陵 15.広島女学院

(B) 1.会津 2.幕張総合 3.宮崎学園 4.岡崎 5.金沢二水 6.安積黎明 7.聖カタリナ 8.武庫女 9.郡山 10.札幌旭丘 11.高松第一 12.星野 13.橘 14.会津学鳳 15.坂出 16.大妻中野 17.萩 18.熊本第一 19.水戸第二

佐藤正浩(Orchestre“Les Champs-Lyrics”主宰)
(A) 1.愛知 2.不来方 3.日女附属 4.清泉 5.佐賀女子 6.松陽 7.宇中女 8.帯広三条 9.松伏 10.出雲北陵 11.神大付属 12.神戸 13.広島女学院 14.土佐女 15.共立

(B) 1.安積黎明 2.会津 3.聖カタリナ 4.郡山 5.幕張総合 6.会津学鳳 7.熊本第一 8.札幌旭丘 9.岡崎 10.宮崎学園 4.岡崎 11.武庫女 12.橘 13.星野 14.大妻中野 15.水戸第二 16.金沢二水 17.高松第一 18.萩 19.坂出

清水敬一(合唱指揮者)
(A) 1.不来方 2.清泉 3.松陽 4.宇中女 5.日女附属 6.佐賀女子 7.出雲北陵 8.松伏 9.神戸 10.神大付属 11.愛知 12.帯広三条 13.共立 14.土佐女 15.広島女学院

(B) 1.聖カタリナ 2.安積黎明 3.郡山 4.星野 5.宮崎学園 6.武庫女 7.幕張総合 8.会津 9.岡崎 10.橘 11.水戸第二 12.熊本第一 13.会津学鳳 14.金沢二水 15.大妻中野 16.高松第一 17.坂出 18.札幌旭丘

千原英喜(作曲家)
(A) 1.松陽 2.愛知 3.松伏 4.日女附属 5.清泉 6.不来方 7.神大付属 8.宇中女 9.佐賀女子 10.出雲北陵 11.神戸 12.帯広三条 13.土佐女 14.広島女学院 15.共立

(B) 1.会津 2.郡山 3.安積黎明 4.宮崎学園 5.橘 6.幕張総合 7.星野 8.会津学鳳 9.武庫女 10.聖カタリナ 11.岡崎 12.大妻中野 13.水戸第二 14.萩 15.札幌旭丘 16.高松第一 17.金沢二水 18.坂出 19.熊本第一

長谷川冴子(東京少年少女合唱隊正指揮者)
(A) 1.不来方 2.帯広三条 3.清泉 4.佐賀女子 5.愛知 6.宇中女 7.出雲北陵 8.松陽 9.松伏 10.日女附属 11.神大付属 12.神戸 13.広島女学院 14.土佐女 15.共立

(B) 1.宮崎学園 2.聖カタリナ 3.会津 4.武庫女 5.会津学鳳 6.札幌旭丘 7.坂出 8.岡崎 9.金沢二水 10.幕張総合 11.郡山 12.熊本第一 13.安積黎明 14.大妻中野 15.橘 16.高松第一 17.水戸第二 18.星野 19.萩

堀俊輔(中部フィルハーモニー交響楽団レジデンスコンダクター)
(A) 1.不来方 2.松陽 3.宇中女 4.松伏 5.神戸 6.出雲北陵 7.日女附属 8.神大付属 9.佐賀女子 10.愛知 11.広島女学院 12.清泉 13.帯広三条 14.共立 15.土佐女

(B) 1.会津 2.星野 3.宮崎学園 4.岡崎 5.会津学鳳 6.金沢二水 7.聖カタリナ 8.郡山 9.武庫女 10.橘 11.幕張総合 12.大妻中野 13.安積黎明 14.水戸第二 15.高松第一 16.熊本第一 17.札幌旭丘 18.萩 19.坂出

吉田浩之(テノール)
(A) 1.不来方 2.日女附属 3.松陽 4.帯広三条 5.愛知 6.清泉 7.共立 8.神大付属 9.松伏 10.神戸 11.宇中女 12.出雲北陵 13.佐賀女子 14.土佐女 15.広島女学院

(B) 1.聖カタリナ 2.安積黎明 3.会津 4.岡崎 5.武庫女 6.橘 7.水戸第二 8.幕張総合 9.金沢二水 10.坂出 11.星野 12.宮崎学園 13.郡山 14.会津学鳳 15.熊本第一 16.高松第一 17.大妻中野 18.札幌旭丘 19.萩

カルミナ・シーレッツ(スロヴェニア・合唱指揮者)
(A) 1.松陽 2.日女附属 3.神大付属 4.不来方 5.佐賀女子 6.宇中女 7.神戸 8.松伏 9.清泉 10.帯広三条 11.共立 12.出雲北陵 13.広島女学院 14.愛知 15.土佐女

(B) 1.聖カタリナ 2.宮崎学園 3.幕張総合 4.岡崎 5.星野 6.会津 7.熊本第一 8.武庫女 9.会津学鳳 10.大妻中野 11.幕張総合 12.橘 13.高松第一 14.金沢二水 15.札幌旭丘 16.安積黎明 17.水戸第二 18..会津学鳳 14.金沢二水 15.大妻中野 16.高松第一 17.坂出 18.萩 19.坂出

第66回全日本合唱コンクール全国大会

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2013年10月26日(土)9:50/ふくやまリーデンローズ

<四国・九州>
高松第一高校合唱部(香川県・混声44名)
指揮/大山晃
ピアノ/岡田知子
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
三善晃「風見鳥」(五つの童画)
 課題曲は縦横をキチンと揃える端正な演奏だが、無色透明な音色のソプラノから情感の表出を聴き取れない。「風見鳥」もキチンと纏めていても、音色の変化の無い教科書通りみたいな演奏で、今ひとつ魅力に欠ける。もっと自由にアゴーギグを動かし、三善晃の楽しさを伝えて欲しかった。

香川県立坂出高校合唱部(女声48名)
指揮/前田朋紀
ピアノ/高島栄実子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
Per Gunnar Petersson:Allelluia/Introitus〜In honorem St.Birgitte
 正攻法の音楽作りとやや硬目の声質とで、課題曲から爽やかな情感を引き出している。指揮者は細かく振る割りに、曲を大掴みにしていて、“アレルヤ”の一語で展開する曲を、速いテンポで押し切る。何だか訳の分からない曲を、生徒さん達はキチンと理解し、山場の作り方を心得ているのが面白かった。

土佐女子高校コーラス部(高知県・女声32名)
指揮/西本佳奈子
バーバー「The virgin martyrs 乙女殉教者」
鈴木輝昭「きみがため春の野に出て若菜つむ」(恋歌秘抄)
 課題曲はソプラノの上がり切らず、ハーモニーは上手く決まらないが、声の美しさそのもので曲を表現しようとする意図は理解出来る。自由曲では容量を満たすだけの声の力は無く、曲自体の内容の空疎を露呈して終う。譜面を音にするのに精一杯で、メリハリや情感表現まで手の回らない印象だった。

佐賀女子短大付属高校合唱部(混声29名)
指揮/樋口久子
ピアノ/白鳥佳
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
ペンデレツキ「Sanctus und Benedictus」
 ねちこく作り込んだ課題曲の多い中で、これ見よがしな処の無い、持ち声をサラリと生かす演奏にホッとさせられる。ペンデレツキの構成の分かり難い曲も、指揮者が充全に把握していている事に感心する。曲に内在するリズムを的確に捉え、縦をキチンと揃えて進めて、前へ向かう力を感じさせる。持ち声の良さと美しいハーモニーも、その力の裏付けのあってこそ生かされるのだと思う。

熊本県立第一高校合唱団(女声47名)
指揮/大原靖久
ピアノ/星子眞澄
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
瑞慶覧尚子「約束」(約束)
 課題曲は柔らかく響かせる声の魅力と、自然なデュナーミクの工夫のある演奏。自由曲は力を入れずに伸ばすソット・ヴォーチェと、フォルテで割れず力強くスピントする声の力と、濃厚な音色のある豊かな倍音のハーモニーを組み合わせ、聴かせる演奏だった。

宮崎学園高校混声合唱団(混声42名)
指揮/有川サチ子
ピアノ/馬場沙央里
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
松本望「Tempestoso」(天使のいる構図)
 デュナーミクを作り込む丁寧な言葉の扱いで、課題曲に即した情感を引き出している。自由曲は前のめりのリズムで音楽に切り込み、高校生の直向きさを前面に押し出す、情熱的な演奏だった。

鹿児島県立松陽高校音楽部(女声23名)
指揮/宮原真紀
バーバー「The virgin martyrs 乙女殉教者」
鈴木輝昭「筑波嶺のみねより落つるみなの川」(恋歌秘抄)
 この人数とは思えない程に豊かな声量だが、ソプラノは一人の声しか聴こえない上に、その声はスピントすると平べったく固くなり、著しく魅力を欠いて終う。高校生でこの声は凄いが大雑把に過ぎ、曲の内容などお構い無しに、歌い飛ばしている印象を受ける。自由曲も重低音のアルトでハーモニーは良く鳴るし、ソプラノの固い声はメカニックで無内容な曲に合うが、やはり適当に歌い飛ばしているだけで、この声に合う曲は他に探すべきと思う。

第66回全日本合唱コンクール全国大会

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2013年10月26日(土)9:50/福山リーデンローズ

<中部・関西・中国>
愛知高校合唱部(女声32名)
指揮/吉田稔
ピアノ/玉田裕人
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
ミクロシュ・コチャール「Valley Song 谷の歌」
ヨージェフ・カライ「Viragsirato 花の哀歌」
 色々と工夫を凝らし、丹念に作り込んだ課題曲だが、もっと音色の変化を意識しないと結局は単調になって終う。コチャールはドスを効かせるアルトで、アカペラのハーモニーも良く鳴るが、テンポを弄り過ぎるのと、直ぐにリタルダントしたがる癖があり、先太りの声の出し方にも違和感がある。カライには透明な美しさが無く、この曲の表現の方向性として間違っていると思う。

聖カタリナ学園光ケ丘女子高校合唱部(愛知県・女声90名)
指揮/雨森文也
ピアノ/白鳥清子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
三善晃「シャボン玉」(虹とリンゴ)
 課題曲でのアチェルラントに曲との有機的な連関があり、指揮者が即興的に揺らすテンポに対し、生徒もセンシティヴに反応している。自由曲は九十名の歌い手を手の内に転がす、ニュアンスに満ちた指揮者の芸が聴き処だが、テンポの弄り過ぎで曲に含まれる情感を損ねている部分はある。小手先の工夫に走らず、もっと正攻法で曲作りをすべきと思う。

愛知県立岡崎高校コーラス部(混声80名)
指揮/近藤惠子
ピアノ/光崎遥
旭井翔一「屈折率」(幻想小曲集)
信長貴富「厄払いの唄」(ねがいごと)
 遅目のテンポ設定と、深い声の音色と豊かな響きで、課題曲を捩じ伏せて終う。自由曲もピアニシモでの人数分の深い響きを効果的に使い、シンフォニックに鳴らすフォルテシモとの対比を作る。曲の弱さなど何処かへ吹き飛ばして終う、一体どんな名曲をやっているのかと勘違いしそうな、豪快な演奏だった。

石川県立金沢二水高校合唱部(混声62名)
指揮/深見納
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
三善晃「春だから/願い‐少女のプラカード/若さのイメージ」(五つの願い)
 課題曲は軽くアゴーギグを揺らせて情感を醸す、ピアニシモでの指揮者の手際が巧い。「五つの願い」は速いテンポでの明るいリズムのアゴーギグと、遅いフレーズでのデュナーミクの工夫とで歌い上げる。然程に緻密に作っている訳では無いが、開放的な明るさのある演奏に好感を持てた。

兵庫県立神戸高校合唱部(女声32名)
指揮/林香世
ピアノ/内藤典子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
西村朗「匂宮」(浮舟)
 課題曲を聴き、柔らかさの中に強さを秘めた、伝統の声作りは健在と感じる。曲中のテンションの移動を捉える、指揮者の見極め方も、持ち声の良さを上手く引き出している。「浮舟」は濃厚な情念を含む曲を、ネッチョリしたテンポにリタルダントを絡め、音色の変化の無いのも辛い、とてもクドくて粘っこい演奏。まあ、これもママさんコーラスだと耐え難いが、女子高生の幼い演技感に救われる部分はある。しかし、もう少しテキパキやっても、バチは当たらんやろにと思う。

神戸大学附属中等教育学校高等部コーラス部(兵庫県・女声32名)
指揮/森瀬智子
ピアノ/植田祐加里
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「ともに…」(女に第2集)
 さり気無いデュナーミクの工夫に、対位法的な効果も良く考えられた、軽やかな声で爽やかな課題曲の演奏。「女に」にも風通しの良い爽やかなハーモニーはあるが、そもそも最初の設定の遅い上に、テンポを粘り過ぎている。後半のテンポ・アップするフォルテシモは力強いが、これも更にアチェルラントしないと、前半部分との対比の効果は挙がらないと思う。

武庫川女子大附属高校コーラス部 (兵庫県・女声74名)
指揮/岡本尚子
ピアノ/多田秀子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
西村朗「明日香皇女への挽歌」(炎の挽歌)
 課題曲にセンシティヴな情感はあるが、音色の変化に乏しく、今ひとつ面白くはならない。「炎の挽歌」でも音色の変化は無く、単彩な色合いしか感じられず、曲中のテンションを揚げるべき部分と、緩めるべき部分とを探し当てていない。全体を同じテンションで通して終うので、更に突き詰めたピアニシモが必要と思う。

出雲北陵高校合唱部 (島根県・混声32名)
指揮/石橋久和
ピアノ/三原恵子
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
高嶋みどり「宇宙」
 えっちらおっちら進めるヴィクトリアでの縦割りのリズムが困り者で、横一列の並び方も逆効果にしかならず、男声の聴こえ過ぎる結果を招いている。自由曲も音楽の捉え方が外面的で、ただ単に音量の大小で変化を付けているだけに聴こえる。最後のフォルテシモの音量など大したものだが、もっとピアニシモのテンションを高めない事には、この山場も生かされないと思う。

広島女学院高校音楽部(女声19名)
指揮/長谷川史
モラレス「In die tribulationis 我が苦難の日に」
Nancy Telfer:Kyrie/Gloria/Sanctus〜Missa Brevis
 モラレスは縦割りのリズムにテンポも最後まで変らず、声の力にも欠けるが、曲に含まれる哀感は良く捉えている。ミサ曲は可愛らしい声に拠る可愛らしい演奏で、この年代の女の子らしい情感を滲ませる。背伸びせず身の丈に合った、選曲と音楽作りだった。

山口県立萩高校合唱部(混声46名)
指揮/有富美子
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
鈴木輝昭「あなた」(もうひとつのかお)
 課題曲では大きくアゴーギグを動かし、デュナーミクの振幅も大きくして、曲に含まれる情感を良く捉えている。自由曲はソプラノのキンキンした声を中和する、アルトに良い音色がある。一応はイン・テンポで進めてもニュアンスの出るのは、男声が味わい深く支えているからと思う。
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