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第66回全日本合唱コンクール全国大会

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2013年10月26日(土)9:50/ふくやまリーデンローズ

茨城県立水戸第二高校コーラス部(女声57名)
指揮/寺門芳子
ピアノ/柏早紀
池辺晋一郎「雨の犬」(この世界のぜんぶ)
鈴木輝昭「妖精の距離」(妖精の距離)
 大袈裟なデュナーミクの付け方も、この課題曲ならば正解。だが、池辺には合う太い声も、自由曲の透明感のある曲想とは噛み合わない。所要の効果は得られず、演奏の純度を下げるのみだった。

栃木県立宇都宮中央女子高校合唱部(女声26名)
指揮/吉岡訓子
ピアノ/須永真美
バーバー「The virgin martyrs 乙女殉教者」
信長貴富「君死にたまふことなかれ」
 バーバーは美しいが先太りの声の出し方と、これ見よがしなフォルテでの山場の作り方に違和感がある。抑えた美しさを際立たせるべき曲と思うが、ねちこく粘るテンポも鼻に付く。効果の為の効果を狙った、わざとらしい人工臭の紛々とするメカニックな自由曲も、如何にもそれらしく熱演する。最後のフォルテシモでは頭が痛くなった。

埼玉県立松伏高校合唱部(女声32名)
指揮/朝見郁美
バーバー「The virgin martyrs 乙女殉教者」
ミクローシュ・コチャール「Suhogo 風の鳴る音/Sarsokallo 泥はうんざり/
Sea-Wash 波/Bringers 夜の帷」
 バーバーは声量で勝負みたいな演奏で、ダイナミク・レンジの広いのには感心するが、それで一体何を表現しようとしているのかは不明のまま。テンポも遅過ぎるので、もう少しテキパキやれば、曲に含まれる情感を出せたかも知れない。自由曲も内容とは無関係に、ただ大声を出す為のダシに曲を使っている。これだけの声の力はあるのだし、テンションの高いピアニシモを使えば、まともに聴かせる演奏も可能な筈だ。指揮者は大声を出させる事しか考えておらず、全く面白くも何とも無かった。

星野高校音楽部(埼玉県・女声107名)
指揮/佐々木憲二
ピアノ/町田百合絵
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「殺生石」(古謠三章)
 人数分の深い響きと、広いダイナミク・レンジで、課題曲を魅力的に聴かせてくれる。だが、この自由曲はもっと少人数で、アンサンブルを緻密に作らないと、効果の揚がる曲では無い。百余名の頭数を生かせず、大味で音色の変化も無い、妙にネアカな演奏だった。

千葉県立幕張総合高校合唱団(混声97名)
指揮/山宮篤子
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
ピツェッティ「Cada la sera 夕闇が訪れ(三つの合唱曲)/
Piena sorgeva la luna 月満ちて昇りぬ(二つの合唱曲)」
 課題曲は遅目のテンポが間延びし勝ちとなり、思い入れはタップリでも、存外メリハリに乏しい演奏。ピツェッティで曲に即応した表現意欲はあっても、ディヴェルティメント的な楽しさを伝えようとする意図が希薄に感じられる。フォルテシモの音量など大したものだが、構成の分かり難い曲を領略出来ておらず、何となく音にしましたと云う印象しか残らなかった。

共立女子高校音楽部(東京都・女声18名)
指揮/野本立人
ピアノ/吉田慶子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
糀場富美子「種まき人/チョンタルの血の歌」(生命の種まき)
 ソット・ヴォーチェのような柔らかい発声は、声に芯の無い感じで、スピントすると平べったくなって終う。遅目のテンポに終始して課題曲には緩急が無く、ずっと同じテンションで推移するので、アチェルラントを使いメリハリを付けて欲しい。自由曲はピアノとコーラスでオスティナートを刻む面白い曲で、リズムをピタリと揃えるのが快感になる。腰の弱さは否めないが、美しく可愛らしい声で精一杯熱演する、児童合唱ぽい声のハマる選曲と演奏だった。

大妻中野高等学校合唱部 (東京都・女声50名)
指揮/宮澤雅子
ピアノ/五反美千代
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
新実徳英「翔ぶ」(失われた時への挽歌)
 声に力はあるし、内声的なソプラノに表現力もあるが、如何せん音色の変化が無く、課題曲を面白くは聴かせられない。新実も深い音色のある声自体の魅力はあっても、表現すべき女の情念みたいなものは表面的に留まり、フォルテシモに訴え掛けるものを感じない。ピアノと共に大熱演したが、音色に変化の無いのは、それに対応すべき情感の揺れの無い所為と思う。

日本女子大附属高校コーラスクラブ(神奈川県・女声32名)
指揮/丸山惠子
ピアノ/且田恭美子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「肖像」(譚詩頌五花)
 内声的なソプラノが表現力豊かで、クドい程にデュナーミクの起伏をクッキリと付ける濃厚な演奏。この課題曲は恐らく、この位やって正解。自由曲には強力なアルトに支えられた、豊かなハーモニーがある。スピントでフォルテシモを出し切る声の力で、広いダイナミク・レンジを駆使し、この人数とは思えない程に豊饒な音空間を作る。クサいデュナーミクの付け方に、僅かなアゴーギグの動きも効果的だが、何より声の土台作りのシッカリ出来ているのが強味だろう。

清泉女学院高校音楽部 (神奈川県・女声32名)
指揮/佐藤美紀子
ピアノ/中村麻衣子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「レダと白鳥」(イエーツの唄による二つの譚詩)
 音色の変化に乏しい上に、テンポを弄る訳でも無い、今ひとつ気合の入らない平凡で特徴の無い演奏からは、課題曲だから歌いましたと云う印象しか残らない。自由曲は例に拠って例の如くの、頭に血を昇らせ突っ走るしかない無内容な新作だが、それでも曲の重心の在り処を突き止め、テンションを緩める部分も探して貰わないと、聴かされる方は全く堪ったものではない。

第66回全日本合唱コンクール全国大会

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2013年10月26日(土)9:50/ふくやまリーデンローズ

<北海道・東北>
北海道帯広三条高校合唱部(女声32名)
指揮/豊田端吾
ピアノ/波塚三恵子
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「血-腕」(女に第1集)
 やや硬目の声で作る爽やかなハーモニーが美しく、曲に含まれる情感を巧まずして引き出す、声で聴かせる課題曲の演奏。「女に」も硬質の美しいハーモニーで聴かせるが、一気呵成に突っ走る印象なので、速い部分でも曲のうねりを捉え表現して欲しい。後半の緩徐部分のテンポは逆にネチこ過ぎて、曲の摂理から離れ、捏ね繰り回す印象を受けた。

北海道札幌旭丘高校合唱部(混声83名)
指揮/大木秀一
コープランド「Have mercy on us, O my Lord 主よ憐れみ給え」(四つのモテット)
Cayabyab「Anima Christi Anima Christi」
 コープランドは柔らかく合わせるフレージングが美しく、短いパウゼの使い方も効果的で、リズミカルな部分とユッタリしたフレーズとの対比も上手い。指揮者の自在に転がすアゴーギグの動きが、自由曲に精彩を与え、この大人数でも音楽の軽く美しいのが素晴らしい。フォルテシモで全く崩れない充分な声の力と、バランス的に少人数の男声の弱さを感じさせない、アンサンブルの妙とがある。ピアニシモの深い響きの美しさは、祈りの心に満ちて見事だった。

岩手県立不来方高校音楽部(混声32名)
指揮/村松玲子
ヴィクトリア「O magnum mysterium 大いなる神秘」
バルトーク「A rab 囚われ人/Dai 歌」(四つのハンガリー民謡)
 ヴィクトリアは旋律の横の流れと、ハーモニーの作り方の組み合わせが上手い。ヒタヒタと盛り上げた後、次第に引いて行く、曲中のテンションの移動を良く捉えて見事な演奏だった。バルトークもノン・ヴィブラートで抑えた美しさのあるピアニシモから、スピントするフォルテシモまで持って行く、透明な音色の良さで際立っている。縦の合わないと話にならない曲を、ピタリ揃えるのも快感になる。二曲目はマドリガル的な楽しさを表現して、二曲の組み合わせの工夫も生かされていた。

福島県立橘高校合唱団(女声36名)
指揮/瓶子美穂子
ピアノ/鈴木あずさ
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「絵師よ」(肖像画・絵師よ)
 課題曲のデュナーミクの作り方に繊細な感受性のあるのは、恐らくこの学校にある伝統の力と思う。「絵師よ」も深い音色のある声で、フォルテを力強く歌い切り、曲に含まれる情念を表現する。ただ、その色合いは単彩なモノクロームで変化せず、音楽を一面的にしていた。

福島県立郡山高校合唱団(混声59名)
指揮/菅野正美
ピアノ/鈴木あずさ
鈴木憲夫「どうしてだろうと」(地球ばんざい)
鈴木輝昭「地上楽園の午後」
 指揮者の揺らすデュナーミクに即応する、生徒にセンシティヴな感受性のある課題曲の演奏。語り言葉の自由曲は、軽い声質で表現力のあるソプラノが面白く聴かせてくれる。男女の声のバランスの良い豊饒な混声コーラスで、対位法に拠るヴォーカリーズにシンフォニックな響きはあるが、美しいピアニシモで聴かせる箇所は無いので、その辺りの対比を明確にして欲しかった。

福島県立安積黎明高校合唱団(女声49名)
指揮/宍戸真市
ピアノ/鈴木あずさ
高嶋みどり「きょうの陽に」(明日のりんご)
鈴木輝昭「青頭巾」(雨月物語)
 柔らかいデュナーミクで情感を醸す局面は良いが、全体を通しての工夫に乏しく、課題曲はやや単調に感じられる。自由曲は対位法的に複雑な曲を、キチンと捌きつつ山場は外さず、狙い過たず盛り上げて行く。この人数でこの声量を出せるのは、やはり個人の力量に拠るのだろう。さすがの技術力と共に、生徒の理解力の高さにも感心させられた。

福島県立会津高校合唱団(混声76名)
指揮/大竹隆
ピアノ/志田智子
旭井翔一「屈折率」(幻想小曲集)
Josep Vila i Casanas:Salve Regina
 課題曲は最初を抑え気味にしてヒタヒタと盛り上げ、最後は再び静かに締め括る、シンプルな音楽作りが功を奏する。自由曲は大人数での早口言葉をキチンと揃えた上で、バスの作る深い響きで聴かせる演奏。ソロの後の緩徐部分など情感に溢れて見事で、大した内容の無い曲を、これだけ聴かせる指揮者の手腕に感心する。この「サルヴェ・レジーナ」に付いて、生徒の誰かがユーチューブで拾った動画で聴いて、フェイスブックか何かで作曲者本人と交渉し、ファクシミリで楽譜を入手したらしい。音源も楽譜もネットで調達する、安易と云えば安易な時代だが、それだけに本当に良い曲を見極める力も要求される。この曲の前半の展開は悪く無いが、後半は腰砕けのまま終わっている。思い付きで曲を決めるのでは無く、混声合唱団としての会津高校の伝統を築く意味で、選曲の継続性と云う事を考えて欲しい。昨年、シェーンベルクの難曲に挑んだ経験を更に深めるような選曲こそ、先輩から後輩へと受け継がれる、伝統の力となるのだと思う。

福島県立会津学鳳中学・高校女声合唱団(女声47名)
指揮/佐藤朋子
ピアノ/桜田康弘
池辺晋一郎「雨の犬」(この世界のぜんぶ)
三善晃「あっちへいけ/みつめてる」(のら犬ドジ)
 池辺は柔らかく丁寧なデュナーミクの扱いに、軽くアゴーギグを動かして聴かせてくれる。「あっちへいけ」にはピアノに煽られたように、歯切れの良いリズムがある。「みつめてる」はもっと情感タップリに歌い上げるべき曲だが、テンポ設定の速過ぎるのが忙しなく、また声自体に独自な音色が無い為、額面通り盛り上がらない憾みはあった。

ブリテン「戦争レクイエム」op.66

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<大阪フィル第473回定期演奏会/ブリテン生誕百年記念>
2013年11月16日(土)15:00/ザ・シンフォニーホール

指揮/下野竜也
ソプラノ/木下美穂子
テノール/小原啓楼
バリトン/久保和範
大阪フィルハーモニー交響楽団
大阪フィルハーモニー合唱団
大阪すみよし少年少女合唱団


 今年はブリテンのアニヴァーサリーで、関西でも「ピーター・グライズム」の上演に続き、大フィルが「ウォー・レクイエム」を定期で取り上げる。この二曲は小澤征爾の偏愛する、それぞれブリテンのオペラと声楽曲の分野での代表作で、僕もサイトウ・キネンで初めて聴き、甚く感激した記憶がある。聴く機会の少ない大編成の曲を聴ける上に、指揮者は期待の若手である下野竜也と云う事で、僕は結構楽しみにしていた。

 全曲の冒頭でラテン語典礼文「レクイエム・エテルナム」を、百四十名の大合唱団が大音量では無く、深い響きのあるユニゾンのピアニシモで聴かせる。この曲にユニゾンの旋律の多いのは、当然ながらグレゴリオ聖歌を意識しての事で、合唱団員にすれば譜読みは楽チンだろうと思う。続いて「テ・デチェト・ヒムヌス」と歌う児童合唱は、三階右サイドの場外に配置され、客席へのドアを開け声を聴かせる趣向。伴奏のポジティーフ・オルガンも、廊下の奥に置かれている。

 第二曲「ディエス・イレ」の“最後の審判”に吹き鳴らされるラッパでは、大フィルの金管陣が奮闘する。トランペットもトロンボーンもチューバも、みんな良く頑張ったけれども、もう少し音の揃えば尚良かったとも思う。テノールとバリトンが英語で唱うオーウェンの詩、死神と親しくなる兵士の歌の後、ラテン語に戻り対位法的な「リコルダーテ・イェス・ピエ」の女声合唱で、指揮者は狙った効果を外さない。締め括りは一曲目と同じく舞台後方、オルガン席の右側に配された、チューブラ・ベルを伴うアーメン・コーラス。

 第三曲の「オフェルトリウム」は児童合唱のユニゾンのレスポンスの後、オケとコーラスに拠るフーガで盛り上がる。このフーガは曲の結尾部で回帰するが、最後は静かに消え入るように曲を終える。第四曲「サンクトゥス」ではパイプ・オルガンの左側に陣取る、ソプラノの木下美穂子が神への賛美を歌い上げるが、その感情の籠もらない歌い振りは、人間では無い天の声に却ってハマったかも知れない。ただ、これを引き取って歌い出すコーラスは、フォルテシモで力不足を露呈する。

 終曲「リベラ・メ」ではコーラスも、全力投球でフォルテシモに立ち向かうが、残念ながらオケと対等に張り合うまでは行かない。アマチュア九十余名に、プロのエキストラが40名程投入された大フィル合唱団は、男女共にパートの内部で良く揃っていて、まずまず健闘しててくれたと思う。最後の聴かせ処、バリトンの久保和範が「俺は君に殺された敵だよ」と歌った際、テノールの小原啓楼が久保の方を振り向く、効果的な演技があった。但し、小原も感情の籠もらない平板な歌い振りで、重目のリリコの声にも違和感があり、もっと高音部に透明さの欲しい処だ。久保は声量の無い上に音色も変わらず、聴いていてちっとも面白く無い。そもそも今日のソリストは三人共、声の魅力自体を欠いていた。

 下野の指揮にもやや失望させられた。彼には曲に対しザッハリヒな態度があり、剛毅な正攻法で進めるので、戦死した兵士へのセンチメントは滲み出て来ない。また、一管編成の室内楽オケは存在感が希薄で、フルオケとの対比を更に明確にして欲しい。今日のオケは充分な稽古を積んだようで、大フィル団員の“戦レク”への思い入れを感じただけに、「Let us sleep now…」(さあ、眠ろう)のデュエットが、ちっとも胸に響いて来ないのを残念に感じた。

モーツァルト「フィガロの結婚」K.492

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<北とぴあ国際音楽祭2013/セミ・ステージ形式上演>
2013年11月22日(金)18:00/北とぴあ・さくらホール

指揮/寺神戸亮
レ・ボレアード
北区民混声合唱団

フィガロ/萩原潤
スザンナ/ロベルタ・マメリ
伯爵夫人ロジーナ/クララ・エク
アルマヴィーヴァ伯爵/フルヴィオ・ベッティーニ
ケルビーノ/波多野睦美
バルバリーナ/澤江衣里
女中頭マルチェリーナ/穴澤ゆう子
医師バルトロ/若林勉
庭師アントニオ/小笠原美敬
音楽教師バジリオ&公証人ドン・クルツィオ/櫻田亮


 北とぴあで毎年行われている、ピリオド楽器に拠るオペラ上演も、遂に「フィガロ」を取り上げるに至った。でも、これが“満を持して”かと云えばそうでも無く、演奏会形式に毛の生えた程度の、やや経費節減の気配も漂う上演である。まあ、ここのプロジェクトはモーツァルトより、ラモーやモンテヴェルディを大事にしているような気はする。

 舞台前にはソファと小卓に椅子二脚のみが置かれ、この演技スペースを三方からオケが取り囲んでいる。歌手の衣装と云うか服装は、各自の普段着のようにも見える。一応の照明プランはあるようで、その辺りの変化は付けている。寺神戸亮はプログラム掲載の「指揮ノート」で、「今更なぜセミ・ステージ形式で、とお思いかも知れません」と予防線を張りつつ、「モーツァルトの奇跡的な音楽にじっくり耳を傾けていただきたい」と、演奏会形式では定番の言い訳を述べている。

 また、モーツァルトの時代には、現代のような意味での“演出家”は存在せず、決まり事に基づき舞台を作っていた。十八世紀のオペラ上演には歌舞伎と同じように、確立された様式があったとしている。その上で「音楽と作品そのものに集中できるような舞台にしたい」とし、「簡潔な動きがより音楽への集中を促す」として、演技は歌手の自己責任として丸投げした。そう云った訳で演出家不在の中、歌手個人の演技力に全てを委ねる、かなりテキトーな舞台造りが行われていた。

 タイトル・ロールの萩原は二期会所属のバリトンで、フィガロの他にもパパゲーノやグリエルモ等、モーツァルトのブッファ役の経験は豊富な筈だが、それにしては声が重いし、歌にユーモアや闊達さを欠いている。一幕のアリア“殿様、踊りたければ”にはゲンナリさせられたし、“もう飛ぶまいぞこの蝶々”ではやや持ち直したが、演技の方は丸っ切り大根役者の部類に入る。BCJのメンバーなので起用されたのだろうが、これはミス・キャストと言わざるを得ない。四幕の嫉妬に苦しむアリアはハマっていたので、この人は基本的にブッファには向いていないのだと思う。

 今回のキャストの中で最も期待を集めたロベルタ・マメリは、やや重目の声でも演技力は抜群で、スザンナと云う役柄を完璧に自分のものとしている。四幕のアリアでは美しく、しかも力の籠もったピアニシモを駆使し、フォルテと弱音部分の対比をクッキリと付ける、見事な歌い振りだった。それにしてもフィガロとスザンナの演技力の落差は大きく、個人任せの舞台作りの限界を顕わにしていた。

 伯爵夫人のクララ・エクはレチタティーヴォで軽く歌う際は、レジェーロな声で上手だが、正面切って歌うアリアではフォルテの固くなる点に難がある。また、フォルテとピアニシモで音色の対比はあるが、それを使いこなせていない印象を受ける。頭声よりもやや下目に響かせるソプラノで、その癖のある声質は好悪の別れる処だろう。伯爵のフルヴィオ・ベッティーニはこの音楽祭の常連らしいが、ハイ・バリトンで声は軽く、存在感の希薄な歌い振り。声質的にはフィガロと入換えた方が良いように思う。

 へぇ、波多野さんのケルビーノねぇ…。でも、凡そ色気の無い声だし、案外ズポン役に合うかもと、こちらはマメリとは異なる意味で注目を集めた配役だ。一幕のアリア“自分で自分が分からない”はポルタメントを駆使し、最後をピアニシモでリタルダントするセンスの良さで聴かせたが、“恋とはどんなものかしら”の方は、割りに在り来たりな感じ。でも、意外と云っては失礼だが、この方の演技センスの良さは拾い物の驚きだった。マルチェリーナの穴澤ゆう子も達者な演技派でアジリタもあり、四幕のアリアを上手に歌ってくれる。バルトロの若林勉も演技は悪くないが、如何にも声量に乏しい印象。

 二役を掛け持ちの櫻田亮は、バジリオと云う嫌味な役柄を巧くこなしている。マルチェリーナのそれと共に、割愛される事の多い四幕のアリアを、持ち前のリリコ・レジェーロな声質で聴かせる。でも、もう少しメリハリはあっても良かったかな。澤江衣里にスザンナを歌える能力はあると思うが、バルバリーナとしてはマジメ過ぎてコケットリーが足りない。アントニオの小笠原美敬には、真面目クサった顔して受難曲を歌っている印象しか無く、そんな人の歌うブッファがユーモラスだった。

 指揮の寺神戸は快活にフィガロの音楽を進める。古楽器に含まれる雑音性は、賑やかなブッファの音楽に合うように感じる。ただ、ピアニシモは大き過ぎる上にテンションが低く、テンポも速過ぎてメリハリに乏しくなって終う。勿論、寺神戸は国際的に活躍する人気ヴァイオリニストだし、モーツァルトの難しさなど百も承知で、フィガロの音楽に取り組んでいる筈だ。でも、やはりモーツアルトは難しいと、そう改めてシミジミと感じる。

 寺神戸を始めとして、日本のピリオド奏者の層は厚い。だが、古楽器の世界で現在、最も人材の払底しているのは、実は指揮者だろうと思う。専門の指揮者は鈴木雅明のみと云う状況の解消は、古楽界を挙げて取り組むべき急務ではないか。それとも演奏リーダーが指揮者を務めるのを、オーセンティックなスタイルと考え、みんな寺神戸や濱田や有田に指揮を委ねて満足しているのだろうか?

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

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<東京フィル第841回オーチャード定期/コンサートスタイル・オペラ>
2013年11月23日(土)15:00/オーチャードホール

指揮/チョン・ミョンフン
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団

トリスタン/アンドレアス・シャーガー
イゾルデ/イルムガルト・フィルスマイアー
ブランゲーネ/エカテリーナ・グバノヴァ
マルケ王/ミハイル・ペトレンコ
従者クルヴェナール/クリストファー・モールトマン
廷臣メロート/大槻孝志
牧童&水夫/望月哲也
舵手/成田博之


 今年は生誕二百年のアニヴァーサリーだが、ここまで僕の観たヴァーグナーは、びわ湖の「ヴァルキューレ」二公演のみ。そこでミョンフンの「トリスタン」なら是非とも聴きたいと思い立ち、あらかわバイロイトと北とぴあの「フィガロ」を絡め、二泊三日の東京遠征を敢行した。

 何時聴いても感じる事で、今日のプレリュードもそうだったが、、ミョンフンの演奏では常に弦楽アンサンブルの音がピッタリ合うので、ハーモニーは殆ど揺れない。最後のチェロのピアニシモなど凄絶な程で、奏者に高い集中力を要求する、ミョンフンの半端ではない能力を改めて実感する。また、指揮者からは煽る様子を窺えないのに、演奏は自然に盛り上がる。僕の目にはオケのメンバーが勝手に頭に血を昇らせ、懸命に弾いているように見えるのだ。幕切れ近く、冒頭の動機が戻ってからの演奏の白熱振り、波打つように揺れる奏者達の姿からは、只事ならぬ雰囲気も漂う。これは深い感動の予兆のようなものだろうか。

 今日のトリスタン役は当初発表のジョン・マック・マスターから、アンドレアス・シャーガーに交代している。何れにせよ知らない名前なので、ああそうですかと言うしかないが、ミョンフンと東フィルのオペラ・コンサートでは、主役級には若手を起用する事の多いようだ。今日、トリスタンを歌うシャーガー君も四年前、「マイスタージンガー」のダーヴィッドでデビューしたばかりの、まだ若いヘルデン・テノールのようだ。そのシャーガー君は軽目の声質に明るい音色のあるテノールで、力まずとも伸びる声の持ち主。ヴァーグナー歌手に良く居る、力任せに唱うタイプでは無く、切れ味の鋭いトリスタンと感じる。三幕のモノローグでもスタミナを切らさず、最後まで歌い切ったタフネス振りにも感心する。ただ、さすがに声を思い切り張れず、フォルテを出し切れなかったのは残念に感じた。

 イゾルデのフィルスマイアーは逆に、熱唱ではあっても、声を張り上げ力んでいる印象を受ける。大きな声と小さな声を交互に出すだけで、エモーショナルな感情の揺れが感じられない。トリスタンと共に媚薬を飲んだ後の幕切れの歌で、明るい感情表現は出来ていたし、二幕ではその特質を存分に発揮し、愛の悦びを存分に歌い上げる。ただ、最後の“イゾルデの愛の死”では、パセティックな情感に乏しいのが裏目に出て、今ひとつ胸に迫るものを感じなかった。まあ、ここはミョンフンのテンポ設定自体、速過ぎた所為もあるけれども。

 オケを背後に抱えて唱う歌手も大変だし、演奏会形式で致し方の無い面もあるにせよ、爆発的なフォルテシモでは、トリスタンの歌もイゾルデの歌も聴こえなくなる。でも、このホールは前に飛ぶ音よりも、上に抜ける音の方が響く感じで、僕の座る天井桟敷席へ聴こえる歌声は、平土間席よりはマシだったのかも知れない。

 脇役のブランゲーネとマルケ王には、共にロシア人のスター歌手が起用されている。グバノヴァのブランゲーネを、僕はパリ・オペラ座来日公演で聴き、メトロポリタンの「ドン・カルロ」ではエボリ公女で聴いている。彼女は鋭い声を出せるメゾで、パセティックな表現力がハマる上に、場面に応じ声の音色を使い分ける技術もある。二幕の“物見の歌”では柔らかく伸びる声で、ピアニシモのロング・トーンを見事にキメて、さすがと思わせるだけの力があった。

 でも、マルケ王のペトレンコは、ロシアのバスにしては軽い声でやや期待外れ。クルヴェナールのモールトマンは単音でスピントするのでは無く、倍音を多く含む広がりのあり声で諧謔を表現している。お世辞にも美声のバリトンとは言い兼ねるが、この人のパパゲーノなら聴いてみたい、そう思わせるだけのものはあった。

 二幕二場の“愛の二重唱”で指揮者は円弧を描くように、頭と尻尾で盛り上げる音楽作りを聴かせる。そんな風に一幕と二幕では勘所を見極め、的確に盛り上げたミュンフンだが、三幕では熱の籠もった音楽ばかりで、テンションを緩める部分を作らない。やはりメリハリと云うものも無いと、演奏から受ける感銘も薄れる。今日は如何にもミュンフンらしい、美しく白熱した「トリスタン」の演奏に満足したが、深い感動と云う意味では、その一歩手前で留まって終った印象だ。

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

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<オペラ劇場あらかわバイロイト/第5回ワーグナー音楽祭>
2013年11月24日(日)13:00/サンパール荒川

指揮/クリスティアン・ハンマー
TIAAフィルハーモニー管弦楽団

演出・美術・衣装/大島尚志
照明/中村浩実

トリスタン/池本和憲
イゾルデ/福田祥子
ブランゲーネ/河村典子
マルケ王/郷田明倫
従者クルヴェナール/杉野正隆
廷臣メロート/出沼哲
水夫&牧童/佐藤圭
舵手/田中拓風


 ヴァーグナーを別格視せず日常の感覚で上演する、どんどん気軽にジャンジャンやるをコンセプトとする区民オペラ、あらかわバイロイトの「トリスタン」である。やはり僕にもヴァーグナーは特別で、傑出した力量のある歌手でなければ唱えない、そんな思い込みはある。実績に乏しい歌手ばかりで組まれたキャストで、一体どのような演奏の繰り広げられるのか、妙な興味を唆られる公演である。

 オペラ監督の田辺とおるの言に拠ると、ファースト・ヴァイオリンは十六挺と云う指示がスコアにあるにせよ、ドイツの地方劇場でもそれなりの工夫を凝らし「トリスタン」を上演している。例え非力な歌手であっても、切り詰めたオケ編成でやるにしても、オペラとしてヴァーグナーを上演する事が大事で、芝居の要素を簡単に切り捨ててはダメだと述べている。そのコンセプトの実現の要の存在となるのが、田辺オペラ監督にドイツから呼び寄せられた、クリスティアン・ハンマー音楽総監督のようだ。

 若手奏者主体で臨時編成のオケだが、プレリュードの演奏が始まると、その弦の美しく繊細な音に驚かされるし、柔らかく盛り上げクライマックスに持って行く、指揮者の手際にも感心する。この指揮者は取り分け、リズム感に秀でていると思う。ハンマーさんは全体を見通し、場面に即応したテンポ設定が出来ていて、そこに底流する軽快なリズムを常に保持している。全く予期していなかったが、オケは素晴らしいの一語に尽きる。でも、「トリスタン」は歌入りのオペラで、オケを聴く為の曲では無い。プレリュードを終え、水夫のテノールが唱い出すと、その素人っぽい生硬な歌声で現実に引き戻される。

 イゾルデの福田祥子は明るい音色でソコソコ声量もあるが、ヴォリュームの大小を付けるだけで、音楽の流れに沿ったテンションの高低と云うものが無い。表現しようとする意図のみ伝わる感じで、一体どこを大切に歌いたいのかは伝わらない。また、フレーズを繋ぐ意識に乏しく、短くプツプツと切れて終うのは、ヴァーグナーの唱法として大きな問題と思う。この調子で“愛と死”も歌うものだから、幕切れでも今ひとつ込み上げるものは無い。もう少し中音域をシッカリ歌えば、表現力も増すと思うが、それよりも最後まで声を保たせる方を重視したのだろうか。

 トリスタンの池本和憲は喉に詰めた地声みたいな音色の、嗄れたと云うか、くすんで冴えない声に聴こえる。トリスタンらしい声の輝きは無い。でも、三幕のモノローグではキチンとスピントしたフォルテを出して、どうやらそこまではセーヴしていたようなので、これは省エネ唱法でもあるようだ。要するに今日の主役は二人共、最後まで歌い切る事自体を目標としていたように思われる。

 杉野正隆はキチンと作るフレージングの上手な、良く響く声のバリトンで、充実したクルヴェナールを歌ってくれる。この方は今日の若手歌手陣の中では、かなりの実績を積んだベテランの部類に入るようだ。まあ、時々オケと合わなかったが、その辺はご愛嬌と云う事で。

 ブランゲーネの人はヴィブラートが物凄く大きく、ロング・トーンを伸ばす際等、トレモロを付けて歌っているのかと思う程。それと“物見の歌”での演技は如何にも素人臭く、何だか見ていて気恥ずかしい思いをする。マルケ王の人は喉に痰の絡んでいるのを、ムリヤリ絞り出しているような声。まさか普段からこんな声では無かろうし、偶々不調だったのだろうが、何だか文字通り割れ鐘みたいな声だった。この公演にカヴァーは居ないのか、それとも本人が這ってでも出る!と主張したのか。また、男声合唱は録音だったが、これを聴くと陰鬱な気分に陥るので、無い方が良かったと思う。

 今日の舞台は既に、音楽史に繰り入れられたヴィーラント・ヴァーグナー演出。あの伝説の新バイロイト様式を意識しているのだろうか。衣装は「ベン・ハー」のチャールトン・ヘストンとか、「スパルタカス」のローレンス・オリヴィエとかを連想する、何と云うかギリシャ・ローマ風の白い寛衣。天上から垂らされた白いカーテンは円柱で、茶色いのは樹木と分かるが、山台は長方形の有り物を使っていて、円盤は用意されていない。また、歌手に対し何らか演技指導した形跡も、殆ど見当たらない。予算不足は分かり切った話だし、演出に不満を訴える積もりは無いが、シンボリックな舞台はビンボーの言い訳に打って付けと感じる。

 しかし、これだけの実力ある指揮者を区民オペラ単独で招聘するとは、誠に贅沢な話と思う。何でもハンマーさんは公演の一ヶ月程前には来日し、アパートみたいな部屋に宿泊してリハーサルを積むそうで、その熱意にも頭の下がる思いがする。ハンマーさんには新国立劇場の本公演を振る、充分な実力はあると思うし、この滞在期間を有効活用すべく、在京オケはどしどし客演に呼ぶべきと思う。

 上掲の写真は、終演後のロビーへ観客のお見送りに出て来られた、クリスティアン・ハンマーさんです。ハンマー先生、ご協力に深謝です。

モンテヴェルディ「オルフェオ」

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<アントネッロのオペラプロジェクト“オペラフレスカ”/プレミエ即千秋楽>
2013年12月4日(水)19:00/川口リリア音楽ホール


アントネッロ Anthonello
ラ・ヴォーチェ・オルフィカ
指揮&リコーダー/濱田芳通
ヴィオリーノ/杉田せつ子/天野寿彦
ガンバ/石川かおり/なかやまはるみ
ヴィオローネ/西沢央子
ファゴット&フラウト/古橋潤一
コルネット/細川大介
トロンバ/中村孝志/上倉武
トロンボーネ/宮下宣子/大内邦晴/小林明/茂木光伸
アルバ・ドッピア&チェンバロ/西山まりえ
ティオルバ&キターラ/高本一郎
オルガノ/矢野薫
レガーレ/湯浅加奈子
タンブレロ/田島隆/濱元智行

演出&使者/彌勒忠史
照明/西田俊郎
衣装/友好まり子

オルフェオ/黒田大介
エウリディーチェ&音楽の神/高山潤子
プルトーネ王/酒井崇 
プロセルピーナ妃&妖精/中本椋子 
渡し守カロンテ/大澤恒夫
太陽神アポロ/鹿野浩史 
希望スペランツァ/上杉清仁
妖精ニンファ/藤沢エリカ
牧人パストラーレ/新海康仁/白岩洵/細岡ゆき/望月忠親


 アントネッロのモンテヴェルディ三連発、その第二弾「オルフェオ」である。今日の上演でも冒頭のトッカータを、いきなりパーカッションで始める先制パンチがあった。前回の「ポッペアの戴冠」では、速いパッセージでジャジーなリズムを基本とする、アントネッロのモンテヴェルディへのアプローチが明らかになった、僕はそう考えている。

 プログラム掲載の「ノート」に拠ると、今回の演出コンセプトはインカやアステカ等、中南米古代文明の神話世界だそうである。このプランに付いて演出家は、中南米の民族音楽と融合したルネサンス音楽がヨーロッパに逆輸入され、十七世紀にスペインやイタリアで大流行したのが、「ノリノリのダンス音楽」チャッコーナだと主張する。僕は土着の民族音楽にアフリカのリズムを取り入れ成立したのが、中南米のラテン音楽と理解しているし、北米の黒人霊歌も同様と考えていたので、この説は些か牽強付会に感じられる。まあ、弥勒説の当否は置くとして、まず問われるべきは舞台の完成度である。

 プロローグでの音楽の神ムジカは、舞台後方のオルガン席で歌われる。高山潤子はエウリディーチェ兼任で、その軽やかなソット・ヴォーチェは良いのだが、少し力むと奥に籠もったような声になるのは気になる。アジリタの技術はあっても、本当の頭声には入っていないように感じるし、この方はオペラの主役を張る歌手では無く、どちらかと云えばアンサンブル要員のような気もする。

 お話は本筋に入り、オルフェオとエウリディーチェの結婚式の場面。二人を祝福する、牧人達のデュエットとトリオは声量もあり、充分な効果を挙げている。ただ、カウンターの上杉はアンサンブルにはキチンとハマるのだが、テノールの鹿野やバスの酒井と交互にソロを歌うと、声のひ弱さは目立つ。アポロ兼任の鹿野浩史はノン・ヴィブラートの素直な歌い振りと、伸ばす声に情感を籠めて好感を持てる。

 この場面で中南米風の衣装を着込んだ牧人達のモブ処理は、何だか正視に耐えない程に素人臭い。プログラムに振付け担当者の名前は見当たらず、音楽に合わせ踊る歌手達は、その場の思い付きで身体を揺すっているようにしか見えない。この素人の阿波踊りみたいなものを、演出家自身で振付けたのなら、全く何をか言わんやである。素人芝居にダンス・シーンを入れると、それが最大の鬼門となる事を、やはり素人の演出家は理解していない。専門家の振り付けが無いと、このようなミットモナイ結果を招く事を、関係者は肝に銘ずべきと思う。

 牧人達に拠る露払いの後、タイトル・ロールの黒田大介に拠る太陽讃歌は、妙な処にタメを作る演歌っぽい節回しで歌われる。演技と云うか身のこなしもクサいし、何故このような歌い方をするのか、その意図は不明である。

 幸福の絶頂にあるオルフェオを突然、失意の奈落へと突き落す、使者シルヴィア登場の場面。祝祭から悲劇へ急転直下暗転する場面で、彌勒忠史は歌手として客席通路に現れるが、照明は明るいままな上に、他の歌手はみんな舞台上でそのままウダウダやっている。ここは音楽的にガラリと切り替わる場面で、悲劇への転換にはもっと鮮烈な切込みが望まれる。

 二幕構成の後半冒頭、三途の渡しの番犬ケルベロスの被り物を着けた、トロンボーン部隊の不協和なハーモニーが強烈で面白い。オルフェオを黄泉の国へと導くスペランツァを歌うのは上杉だが、この役はシルヴィアと掛け持ちの場合も多い。アルトに歌わせても面白い役で、何故カウンターの二人に分担させたのかは分からない。冥界へ向かうオルフェオは、パセティックな歌になるとヘンな歌い回しも収まり、見事なアジリタで聴かせてくれる。

 プロセルピーナの中本椋子のレジェーロな声は、その甘さが役に打って付け。プルトーネの酒井崇もアジリタのあるバリトンで、まずまず手堅い処を聴かせる。ただ、カロンテの大澤恒夫は、この役に必須の重低音の出ないのが決定的に物足りない。この場面に冥界の霊として出て来た合唱団は、どうやら濱田芳通の指導するアマチュア団体のようだ。

 地上へ戻るオルフェオがエウリディーチェを振り返る場面では、客席まで赤く染める照明の変化で、画然とした舞台転換があった。何故、これをエウリディーチェの死を告げる、劇的な場面にも援用しなかったのか、やはり疑問は残る。また、濱田の表現自体も場面毎の明暗の対比が甘く、劇的なテンポへの切り替えも明確では無い。指揮者は「演奏ノート」でテンポ・リレーション(拍子が変わった時のテンポの関連性)への配慮に付いて語っているが、やはり理論とその実践は別物のようだ。相変わらず無意味な動きの多い指揮は、音楽を聴く際の視覚的な邪魔になるし、そもそも何故タクトを持って振り回すのかも分からない。

 アントネッロのモンテヴェルディを二つ観て、期待通り管弦楽と歌手は充実しているが、素人同然の指揮者と演出家は二人して、上演の足を引っ張っているように見える。まあ、その二人の主導する公演なので、仕方無いと云って終えばそれまでだが、当人達にどの程度の自覚のあるのかに付いては、些かの疑念を感じている。

「グロリア」&「テ・デウム」

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<NHK交響楽団第1770回定期公演>
2013年12月6日(金)19:00/NHKホール

指揮/シャルル・デュトワ
ソプラノ/エリン・ウォール
テノール/ジョゼフ・カイザー
NHK交響楽団
新国立劇場合唱団
国立音楽大学合唱団
NHK東京児童合唱団

プーランク「グローリア」
ベルリオーズ「テ・デウム」


 オペラ見物や合唱コンクールで訪れ、毎度お馴染みのNHKホールだが、ここでN響定期を聴くのは初めて。料金の最もお安い自由席なので、早目に会場へ行って見ると、既に入口の前に十人程の列が出来ていた。初めてで様子も分からないし、如何にもなクラヲタ風の先輩方を見習うべく、まずは彼等の行動生態の観察に徹する。

 開場と同時に皆さんは一斉にダッシュし、階段を駆け上がられる。状況を把握出来ていない僕は、会場係の女の子に「自由席は何処?」とか尋ねながら、おっとり刀で先輩諸兄を追い掛ける。どうやら皆様は毎回の定期で、この階段昇りの徒競走を繰り広げておられるようだ。でも、所詮は最低価格の天井桟敷席。何処に座っても似たようなもので、目を血走らせて階段を駆け上がる程のものでも無かろうと思う。

 N響名誉音楽監督のデュトワは毎年歳末の定期シリーズに出演し、三つのプログラムの内の一つに、必ず声楽入りプロを入れているようで、今年もプーランクとベルリオーズのレアな声楽曲を取り上げている。コンサートの前半はグローリアで、コーラスは新国立劇場合唱団百名での演奏。デュトワの指揮は専ら奏者の自発性を引き出す態のもので、オケやコーラスを煽る様子は見えない。まず、縦をキチンと揃える端正な音楽作りが基本にあり、その上で奏者達をその気にさせ、何時の間にか盛り上げる手腕に感心させられる。

 ユッタリしたテンポの「ドミネ・デウス」は、二曲共にデュナーミクの工夫で雰囲気を醸す。速いテンポの曲でも、アザトくアゴーギグを動かしたりはせず、リズムの扱いで愉悦感を表現して、如何にも宗教曲らしい敬虔さがある。コーラスのラテン語の子音と語尾を、柔らかく揃える技術は尋常なレヴェルでは無く、プーランクらしい柔軟なフレージングを作っている。ただ、カナダ人ソプラノのエリン・ウォールは、フレーズの立ち上げをモヤッと出る感じで、スピントの位置まで持って行くのに時間の掛かる歌い口。この先太りの発声法は、プーランクのスタイルに合わないと思う。

 休憩後のベルリオーズは新国立劇場に国立音大を加え、総勢二百名の大合唱団でドッペル・コールを演奏する。冒頭のパイプ・オルガンの一撃が印象的な一曲目の「テ・デウム」だが、コーラスの大人数とデッドなホール・トーンの所為もあり、分厚いピアニシモの美しさとフーガの効果は今ひとつ揚がらない。でも、二曲目の「ティヴィ・オムネス」は男声と女声のパート・ソロによる応唱が美しく、トゥッティでの大音量を効果的に盛り上げる。オケとオルガンの掛け合いも迫力で聴かせる。

 続く「ディナーレ」ではピアニシモのフーガが抜群にに美しく、オケとコーラスの掛け合いも聴き応え充分。でも、「トゥ・クリステ」のフォルテシモのフーガはクッキリと浮き立って来ず、むしろトゥッティのピアニシモやフォルテに声の魅力を感じる。「テ・エルゴ」の哀切な歌は正確さを尊ぶ、節度を保った清潔なフレージングで歌われる。

 終曲「ユーデスク・クレデリス」は、さすがに人数分の広いダイナミク・レンジを駆使し、美しく迫力に満ちた歌で締め括られる。この曲は初めて聴くが、ベルリオーズの大編成曲としては、ややフランス音楽らしいエスプリに乏しいように思う。だから演奏頻度も低いのかと納得するが、でも今日は滅多に聴けない、レアな大曲を聴けた事に満足したい。

 もう随分と前の話になるが、初めてサイトウ・キネンを聴きに松本まで出掛けた際、僕は空き時間にスズキ・メソッドの鈴木鎮一記念館を訪れた。その際に矢張りサイトウ・キネンを聴きに来た、N響の理事長さんが居合わせていた。そこで常任を務めるデュトワと、ドイツ音楽のN響との取り合わせの意外さと云う、ごく一般的な質問を差し上げると、それは結局相性の良さと云うしか無いのですと話され、就任の経緯を説明して頂いた。今日、デュトワの振るN響を初めて聴き、なるほど自発性を引き出す指揮を団員達に気に入られたのだと、今更ではあるが得心した次第である。

オッフェンバック「ホフマン物語」

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2013年12月7日(土)14:00/新国立劇場

指揮/フレデリック・シャスラン
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団

演出・美術・照明/フィリップ・アルロー
再演演出/澤田康子
衣裳/アンドレア・ウーマン
振付/上田遙


ホフマン/アルトゥーロ・チャコン・クルス
オランピア/幸田浩子
アントニア/浜田理恵
ジュリエッタ/横山恵子
ミューズ&学生ニクラウス/アンジェラ・ブラウアー
リンドルフ議員&人形師コッペリウス&ミラクル博士&魔術師ダベルトゥット
/マーク・S・ドス
物理学者スパランツァーニ/柴山昌宣
酒場亭主ルーテル&父クレスペル/大澤建
召使コシュニーユ&フランツ/高橋淳
母の声&ステッラ/山下牧子
娼客シュレーミル/青山貴
学生へルマン&ナタナエル/塩入功司/渡辺文智


 フィリップ・アルロー制作で新国立劇場の人気プロダクション、八年振り三度目の上演である。僕は「ホフマン物語」を三年前、名古屋のあいちトリエンナーレで初めて観て、その名曲名演に甚く感激した。そこで初めて「ホフマン物語」の素晴らしさに気付いた迂闊さだが、その勢いのあったからこそ、再々演のプロダクションを観に行く気を起こした訳だ。

 プレリュードの始まった舞台上には、薄暗い照明の下に白く光る小物のあしらわれた幕が降ろされ、やはり蛍光塗料で手足の白く光るバレリーナも現れる。この冒頭の情景を観ただけで、さすがにアルロー演出には観客の興味を逸らさない、美しい造形と気の効いたアイデアがあると感心する。抽象的なセットで組まれた舞台を、踊り子とウェイターで男女一組づつのバレリーナが彩りを添え、ニクラウスとリンドルフの白尽くめと、黒っぽいホフマンとの衣装の対照性で観せる。

 ニクラウスのブラウアーは明るく柔らかい声質のメゾで、曲の内容を音色の変化で表現する知的な歌を唱い、達者な演技も観せてくれる。リンドルフのドスはアルコールで嗄れたみたいな声が役柄にハマる。黒人歌手で如何にも怪人らしい雰囲気はあるし、ブッファ向きの声と演技で観せるバリトンと思う。

 名古屋の上演でもタイトル・ロールを務めた、チャコン・クルスは相変わらず塩辛い声だが、その代わりに確実に出る超高音と、力強いフォルテシモとがある。何よりオケのリズムに乗り、場面毎の内容を把握した歌い振りに好感を持てる。主役の外人部隊は何れもフレーズの作り方と、デュナーミクの工夫で聴かせ、この三人組で「ホフマン物語」の音楽的な内容を伝えながら、お話を進めてくれる。

 二幕では黄色く光る衣装のコーラスが、円い回り舞台の上を占拠。丸く巨大なスカートの上に鎮座するオランピアは、赤いジャケットと赤毛の鬘が色彩的なアクセントになる。頭上には円盤型の映写ロールが吊るされて、どうやら二幕のコンセプトは“円”と“黄色”のようだ。オランピアの幸田浩子も名古屋出演組だが、やはり相変わらず高音は固い。でも、レガートとマルカートを使い分ける、アーティキュレーションの作り方は上手になったかなと感じる。

 三幕は四角い山台を置いた舞台に、青や黄色の照明を当て変化を付ける。アントニアの浜田理恵は暗目の声を作っているのか、やや声の魅力に乏しく感じられる。プリマドンナ役はこの方の任では無いような気もする。四幕は合唱団も活躍する赤と黒の仮面舞踏会。コーラスはドイツっぽく縦をビシリと合わせるのではなく、柔らかくフランス語の子音を合わせる作りは、昨日のN響定期の演奏と同じ。決して力任せでは無い、繊細なフレージングとハーモニーがある。

 しかし、ジュリエッタの横山恵子には、声の音色の変らない弱点があるのに、それを補うべき強弱のダイナミズムも無いので、どうしても単調になって終う。五幕は冒頭と同じ場面で、衣装も白と黒のモノトーンに戻るが、その代わりにバレリーナ達の踊るフレンチカンカンで、スカートの裏地の赤がアクセントになる。

 今日の外人主役三人組は何れも良い歌い手だったが、日本のプリマ三人組は声の魅力で聴かせる事は出来ず、やや劣勢なのは否めなかった。指揮者も切れ味鋭いとか閃きあるとか云うタイプでは無く、手堅く盛り上げる方だろう。春風駘蕩とした柔らかく暖かい音楽作りだが、キメ処での馬力を欠く嫌いはある。色彩的にカラフルな楽しい舞台だが、再々演ともなると、個々の演技面はユルくなっている印象を受ける。このテの如何にも才気煥発な演出は、プレミエの舞台で観たかったと云うのが正直な処だ。

 上掲の写真は開演前のホワイエでお見掛けした望月和彦さんです。その節はご協力有難うございました。

モーツァルト「イドメネオ」K.366

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<モーツァルト〜未来へ飛翔する精神/演奏会形式>
2013年12月14日(土)16:00/いずみホール

指揮/大勝秀也
チェロ/上塚憲一
チェンバロ/高崎三千
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
関西二期会合唱団

イドメネオ/福井敬
イダマンテ/林美智子
イーリア/幸田浩子
エレクトラ/並河寿美
廷臣アルバーチェ/中井亮一
大祭司/小餅谷哲男
海神ネプチューン/片桐直樹


 いずみホール独自企画のコンサート・シリーズで、モーツァルトの声楽や管弦楽や室内楽等、様々な分野を網羅し三年計画で演奏する。今年はその初年度でケッヘル番号の若い方、二百後半から三百番台の曲をプログラムとして五公演を行う。でも、実演を二回観た事のある「イドメネオ」より、どうせなら「後宮からの誘拐」をやって欲しかった。

 今日、四時に始まったオペラの跳ねたのは七時半過ぎ。ミュンヘン初演版での演奏で、これはもしやノー・カット上演だったのだろうか。このホールの音楽監督はプレイヤーでもコンポーザーでも無い磯山雅教授で、その立場からすれば如何にも有りそうな話と思う。まあ、僕は楽譜の異同に拘る柄では無いし、演奏そのものは良かったので、長くても退屈する事の無かったのが何よりです。

 まず、指揮の大勝が良かった。堅実な職人芸が持ち味の指揮者だが、これまでに僕の聴いた彼の演奏では、それが裏目に出てルーティン・ワークに陥る場合もあったやに思う。だが、今日の大勝は舞曲としてのキビキビしたリズムを保持しつつ、旋律をレガートに歌わせる基本を弁えた音楽作りで、柔らかいモーツァルトを聴かせてくれる。通底するリズムを指揮者が把握しているからこそ、勘所での馬力にも欠けないのだと思う。アーティキュレーションの工夫で、マルカートやテヌートの付け方も的確だった。

 イダマンテの林美智子はロッシーニの方のロジーナを歌える、しっかりしたアジリタでキチンとしたモーツァルトを聴かせる。柔らかいメゾの声質はイーリアの幸田浩子と合うが、ややレチタティーヴォを歌い過ぎる傾向はある。相方の幸田はレジェーロな声が役柄にハマっている。相変わらず高音部で固くなるのは難だが、中音域は美しくタップリと聴かせてくれるし、三幕では林美智子の声に寄り添う、美しいデュエットを歌ってくれる。林と幸田の歌はほぼ予想通りの出来だったが、彼女等以外の主役級四人の歌には、それぞれ良い意味で意外性があった。

 前回、僕が「イドメネオ」を観た際、イダマンテを歌った並河寿美は、今回エレクトラへ配置転換されている。並河の歌で前回と異なるのは、どうやらアジリタの稽古を積んだフシのある事。キチンと勉強して初役に挑む、そのアグレッシブな姿勢を評価したい。メゾの役にピッタリ嵌るのも、この方の歌手としての能力の高さを示している。林美智子よりも重いメゾの声を作っていたと思う。

 今回のキャストの中で事前にやや懸念されたのは、やはりタイトル・ロールの福井さんで、だから彼がアジリタを器用に使いこなせた事に驚いて終う。持ち前の振幅の広い、大袈裟なデュナーミクを作るクサい歌い口は、レチタティーヴォにならピタリ嵌るし、もっとテキトーな歌い方かと思っていたのが真っ当な解釈で、モーツァルトのスタイルをキチンと把握している事に感心する。

 しかし、本日のモーツァルト歌唱の白眉は、何と云ってもアルバーチェの中井亮一に止めを刺す。この方は本物のアジリタと超高音の持ち主で、端正なフレージングにも好感を持てる。彼の歌を聴けば他の人のはニセモノと断ぜざるを得なくなる。ただ、大声合戦に持ち込まれると勝ち目は無くなるが、この中規模ホールならその辺りも問題にはならず、他の歌手とほぼ互角に亘り合った感がある。取り分け三幕のアリアは、圧巻の出来映えだったと思う。

 大祭司の小餅谷哲男に付いて、これまでに彼の歌を聴いた印象は、時代様式など無視して何でもかんでも、プッチーニみたいに歌い飛ばす人と云うものだった。でも、今日の小餅谷の歌い振りは至極マトモで、モーツァルトのスタイルに沿っている。結局、大阪音大や関西二期会の公演では、プロデューサーも指揮者も演出家も歌手の恣意的な様式無視を正せない、或いは正さない。結局、歌手の互助団体が主催し予算を執行する公演で、まず歌手の意向が罷り通るのは当たり前の話と実感させられる。

 モーツァルトを得意とするとは考え難い、福井と林と並河で歌われる二幕のトリオが美しかったのも、この公演のプロデュースが適切だったからだろう。今日、「イドメネオ」を演奏会形式で聴き、このオペラは実はストーリー等どうでも良く、只ひたすら名歌手達の繰り広げる声の饗宴に浸っていれば良いのだと気付く。オラトリオみたいなオペラでモーツァルトを堪能する、今日は本当に良いコンサートだったと思う。

猿谷紀郎「三井の晩鐘」

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<邦楽器との響演/いずみシンフォニエッタ大阪第32回定期演奏会>
2014年1月31日(金)19:00/いずみホール

指揮/川島素晴/猿谷紀郎
尺八/藤原道山
三味線/鶴澤清治
いずみシンフォニエッタ大阪

演出/岩田達宗
照明/原中冶美

龍の女/天羽明惠
漁りの男/豊竹呂勢大夫

川島素晴/尺八協奏曲(委嘱初演)
鶴澤清治&猿谷紀郎「三井の晩鐘」


 現代音楽のみを演奏するオケ、いずみシンフォニエッタ大阪で創設以来の常任指揮者を務める飯森範親は、来シーズンから日本センチュリー響の首席指揮者を兼任する予定となっている。僕はいずみシンフォニエッタ大阪の定期を今回初めて聴くし、これまで飯森の指揮に接する機会も無かった。率直に言ってヴィデオ等で見る彼の指揮姿に好感は持てないし、ホームページに掲載された自らの肉体を誇示するような写真にも、些かの違和感を覚える。でも、飯森さんは全く偶然に僕の仕事場を来訪された際、やや長目の立ち話をさせて貰い、個人的に接した実感として、気さくで闊達な好青年と云う印象を抱いた。

 飯森の個人的キャラの詮索は置くとして、今日は彼の演奏を聴く初めての機会だったが、インフルエンザで降板だそうで、何だか拍子抜けである。今時のインフルエンザは、高熱を発し寝込んで休演になるのでは無く、保菌者として隔離されるだけらしい。だから今頃ご本人はピンピンしていて、お隣りのニューオータニホテル辺りでヒマを持て余しているらしく、それも何だかなぁ…と思う。代役に専業の指揮者は立てず、それぞれ作曲者本人が指揮を務めるとの事。自作の演奏会場に漏れなく出没する作曲家は、誠に使い勝手の良い代役と言えよう。

 コンサート前半の川島への委嘱曲は、人気奏者の藤原道山に当て書きされたコンチェルト。それぞれソリストの名前から漢字一文字を取り、四季を意味する題名を付した四楽章構成で、第一楽章「春の藤」はワン・テーマでオスティナートの続く曲。第二楽章「夏の原」はヴァオリン奏者が楽器を叩いたり擦ったり、鈴を取り出して鳴らしたり、金管はブレストーンやマウスピースを外して吹いたりと、特殊奏法のテンコ盛りとなる。尺八はオケの中を歩き回り、メンバーの一人ひとりと睨めっこして音を出させ、他はその奏者の伴奏へ回るチャンス・オペレーションでもある。

 第三楽章「秋の道」はマトモな協奏曲風で、フツーにゲンオンっぽい響きと、凄まじい程の変拍子がある。第四楽章「冬の山」は二階席に現れたソリストが単音を吹くと、事前に準備されたクラスターっぽいユニットを、指揮者の指示で演奏するチャンス・オペレーション。開演前の西村朗音楽監督のインタビューで、これって絶対音無いと指揮出来ないんじゃないの?と聞かれた川島は、それは予め決めて置けば良いのですと答える。それじゃ意味無いじゃん、と西村に突っ込まれた川島は、作曲者本人がそう決めたから良いのですと言い訳していた。

 その川島の指揮振りだが、どうやら彼には絶対音感のみならず、叩きの技術の持ち合わせも無いようだ。僕のような素人目にも打点がバラバラで、タクトを振り下ろす際と、戻す際のスピードの違うのが分かる。まあ、縦横の合うとか合わないとかが問題になる曲でも無いし、それで別に構わないとは云えるけれども。それと「三井の晩鐘」を聴いた後に思い返せば、ありゃやっぱ軽薄な音楽だったよなぁ…と思えて来る。

 休憩後は本日のメイン・プロ、「三井の晩鐘」。この曲は昨年末、惜しまれつつ閉館したイシハラホール開館十周年記念の委嘱作で、今回の九年振りの再演は、管弦楽ヴァージョン・アップの改訂版初演でもある。大阪土着の伝統芸能である、文楽をモティーフとする“ソプラノ、浄瑠璃、室内アンサンブルのための「三井の晩鐘」”は、実質的にオペラとしての内容を備えている。今日は現代音楽のコンサートとしては異例の満員御礼だそうで、大阪でも上手に話題作りすれば、質の高いゲンオンの公演も一般聴衆に支持される訳で、これは誠に心強い話と思う。

 今、“文楽をモティーフとする”と書いたが、この表現を正確とは云えない。この曲は邦楽と洋楽の二つのセクションに画然と分かれていて、浄瑠璃を太棹の名人である人間国宝の鶴澤清治が、声楽入り管弦楽を猿谷紀郎が分担して作曲している。実際に聴いた印象で云えば、猿谷の作った西洋音楽のどの辺りが浄瑠璃にインスパイアされたのか、僕には判断は付かなかった。ただ、声楽入り管弦楽は邦楽部分を抱合しているようにも思え、浄瑠璃は曲全体の構図の中へ組み込まれているように感じられた。

 それもその筈とは、まず太棹名人が浄瑠璃を先に作曲し、猿谷の方はそれを聴いてから作曲に取り掛かったそうで、本人の弁に拠ると「鶴澤先生の作曲の“音の振る舞い”を踏襲したり、縮めたり増幅したりと工夫しました」。「用いられた音のジェスチャー、又それぞれの主題の持つキャラクター等との調和により、音楽的な展開を考えた部分も多くあります」と云う事になる。

 「三井の晩鐘」の原作は近江八景の一つ、三井寺の梵鐘に纏わる伝説を基にした梅原猛の絵本で、それを梅原本人が翻案した原作台本から、石川耕士と云う人がオペラの上演台本に仕立てている。昔、漁り(すさなどり)の男と、相思相愛で結ばれた龍の女(たつのおなご)が出産の後、龍の世界の掟で琵琶湖へ連れ戻される。母の乳房を恋慕う幼い我が子に双の目玉を与え、盲人となる龍の女のお話しは、最後「無事な良い日であったなら、知らせの鐘を聞かせて」と締め括られる。

 舞台上手には演台を前に置いた豊竹呂勢大夫と、太棹三味線を抱えた鶴澤清治とが陣取り、いずみシンフォニエッタ大阪と指揮者は下手に配され、両者は舞台上で並置されている。物語は漁りの男の語り、浄瑠璃の節回しで進められ、アンサンブルと交互に演奏する体裁を取る。乳飲み子を抱えた亭主を浄瑠璃の地声、龍の女は透明な声質の天羽明惠に歌わせる事で、両者の対比を際立たせている。

 洋楽アンサンブルは長いフレーズの弦楽に、三人組のパーカッションが澄んだ響きの鈴やチェレスタで合いの手を入れる。管楽器はクラリネット一本で、音楽は次第にコンチェルトの様相を呈して来る。白い打掛けを羽織った天羽さんは白いカーテンの陰で歌い、そこへ赤や青の照明を当て場面転換を図る。母音唱法なのでヴォーカリーズかと思ったが、実は子音を省いた台本通りだそうで、これは龍に戻った女の喋る人間の言葉と云う事だろうか。

 太棹三味線のテクニックとかは分からんが、この楽器はリズムで聴かせる迫力が凄い。チューニングも大変そうで、アンサンブルが演奏している間、人間国宝は頻りに調弦を繰り返している。最初の内、太夫の節回しに違和感はあったが、これは次第にそのテンションの高さに惹き込まれて行く。曲の始まって暫くは、和と洋の音楽はクッキリと別れているが、それも次第に融合して行くように感じられる。その辺りのタイミングを見計らったように、洋楽アンサンブルの伴奏に載せ、人間国宝が一くさり語る場面もあった。

 最後、天羽さんは打掛けをその場に落とし、白いドレス姿で幕切れの歌を聴かせる。オケとソプラノにスポットを当て、浄瑠璃組(世俗の象徴だろうか)を暗転させると、“三井の晩鐘”が鳴らされる。でも、これが鐘の音の筈なのに、実際には銅鑼の鳴らされたのは、やや感動的な幕切れの興を削いだように思う。鐘のレンタル料金って高いのかな?

 猿谷の書いた音楽には内面的な力強さがあり、そこに加わる浄瑠璃との相乗効果で、両者の昇華された瞬間は確かにあった。聴後に感動の余韻を噛み締める、「三井の晩鐘」は猿谷の代表作と呼べるかと思われる。浄瑠璃との共演を要する事と、大阪ローカルの題材とが、これまで再演を阻んできたのだろう。日本の創作オペラには自治体の支援に拠る、地域文化を題材とする作品も多い。だが、普遍的な価値を認められる作品であれば、首都圏や関西圏での再演は大いに奨励されるべきと思う。

 上掲の写真は当日の会場でお見掛けした「三井の晩鐘」の原作者、梅原猛さんです。先生、ご協力有難うございました。

オッフェンバック「ホフマン物語」

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<びわ湖ホール・オペラへの招待/アルコーア版上演・プレミエ>
2014年2月9日(日)14:00/びわ湖中ホール

指揮/大勝秀也
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル

演出/中村敬一
美術/野崎みどり
照明/巽敬治郎
衣装/村上まさあき

ホフマン/村上敏明
オランピア/栗原未和
アントニア/松下美奈子
ジュリエッタ/岩川亮子
ミューズ&学生ニクラウス/森季子
リンドルフ議員&人形師コッペリウス&ミラクル博士&魔術師ダベルトゥット/迎肇聡
学生ナタナエル&物理学者スパランツァーニ/島影聖人
召使コシュニーユ&従者ピティキナッチョ/青柳貴夫
酒場亭主ルーテル&父クレスペル/砂場拓也
召使アンドレ&フランツ/古屋彰久
娼客シュレーミル/的場正剛
学生ヘルマン/林隆史
母の声/本田華奈子
ステッラ/黒田恵美


 びわ湖ホールの初心者向け企画で、固定給で雇用する声楽アンサンブルのメンバーを使い、初めてでも楽しめそうなオペラを上演する。これまでにジンク・シュピールの「魔弾の射手」や、「ウィンザーの陽気な女房たち」、ミュージカルで「三文オペラ」等を取り上げて来たが、今回はオッフェンバックの遺作にして大作への挑戦である。

 ご奉仕価格のオペラ上演では、当然ながらセットも質素なものとなる。下手側に付けた梯子状の階段を入退場の通路とする、ビル建設の足場のような、或いは歩道橋のような舞台セットは、定番と云える程あちこちで目にする気がする。一幕はルーテルの酒場の場面で、歌手達はテーブルを囲んで床几に座り、或いは立ち上がって演唱する。

 口開けに歌うミューズの森季子は、綺麗なレジェーロだが如何にも線の細い声で、音色もほぼ一定で変わらない単調な歌い振り。この先の長丁場を乗り切れるのか、やや不安に感じる。リンドルフの迎肇聡も声量は充分だが、高次の倍音の少ない感じで、声は今ひとつホールに共鳴しない。今回、タイトル・ロールを歌う予定だった、声楽アンサンブルの山本康寛は三月の「死の都」へ配置転換となり、藤原歌劇団の村上敏明が起用されたのは棚ボタの拾い物か。さすがに力のある高音で「クラインザックの歌」を聴かせるが、声を響かせるポイントが一定で音色に変化の無いので、ここはもう一息の工夫も欲しい処だ。

 二幕のスパランツァーニ家の場面では、ごく小さ目の歯車のセットが登場し、どうやらこれで予算は使い果たされたようだ。オランピアの栗原未和は良く歌っているが、アジリタのテクニックの無いのと、高音部を力任せに出すのはやや聴き辛い。三幕のクレスペルの屋敷では背景に聖母マリアの肖像画を掲げ、舞台上にはチェンバロとヴァイオリンを置く等、この辺りはアリモノを使っているようだ。

 アントニアの松下美奈子は正統派のソプラノ・リリコで、ダイナミズムにキチンと変化を付けているし、デュナーミクの工夫もあるのだが、如何せん声自体の魅力に乏しい。一方、迎はミラクル博士で本調子となったようで、声量の出て来た上に倍音も加わり、声がホールに響くようになる。この人は研鑽を積まれたようで、以前と比べ随分と上手になったものだと思う。只まあ演技面で、悪役の凄味に乏しいのは致し方の無い処か。幕切れのトリオでも三人のアンサンブルは、キチンと機能していた。

 四幕のヴェネツィアの娼館の場面で張りぼてのゴンドラは出るが、後は床にクッションを転がしている程度で、酒池肉林は飽くまで演技力で表現する方針を貫く。ジュリエッタの岩川亮子は似合わない衣装の所為で見た目はイマイチでも、安定した声の魅力を発揮し、ホフマンとのデュエットでも村上と張り合える声の力がある。その村上もエンジン全開でキチンと歌えたし、イタオペよりも適性のあるのでは?とすら感じる。「舟唄」での岩川と森の声の相性も、悪くは無かったと思う。

 最後、エピローグで森季子の歌うアリアは、レジェーロな声質のハマって美しい歌を聴かせてくれる。エンディングのコーラスは随分と景気良かったが、版の違いは僕には良く分からない。声楽アンサンブルの正規メンバーは全てキャストに駆り出され、コーラスはトラばかりでも縦横をキチンと揃え、美しい音色で聴かせて、さすがのレヴェルの高さを示していた。

 ワルツの軽やかさや、フォルテでのリズムの切れの良さ等、オペラの勘所を見極め的確に盛り上げる、指揮者の手腕で今回の上演は成功に導かれたと思う。マエストロ大勝に満腔の感謝の意を込め、今日の「ホフマン物語」上演にブラーヴォを送りたい。上掲の写真はロビーで広報活動に勤しむ、びわ湖ホールのユルキャラ“にゃんばら先生”です。その節は協力どうもありがとう。

アントン・ウェーベルン歌曲集

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2014年2月23日(日)15:00/カフェ・モンタージュ

ソプラノ/森川栄子
ピアノ/大井浩明

ヴェーベルン「Vorfruhling 早春/Nachtgebet der Braut 花嫁の夜の祈り/
Fromm 信心(三つの詩)/
Blumengrus 花の挨拶/Bild der Liebe 愛人の肖像(八つの初期の歌)
Gefunden 発見/Gebet 祈り/Freunde 友人(アヴェナリウスの詩の三つの歌)
Ideale Landschaft 理想の風景/Am Ufer 渚にて/Himmelfahrt 昇天/
Nachtliche Scheu 夜毎の恐れ/Helle Nacht 澄んだ夜(デーメルの詩の五つの歌)
Dies ist ein Lied これは貴方だけの歌だ/Im Windesweben 私の問いは風のように/
An Baches Ranft 小川の畔を/Im Morgentaun 朝露を踏み締め
Kahl reckt der Baum 木の葉を落とし(ゲオルゲの詩の五つの歌)op.3
Eingang 序詞/Noch zwingt mich treue 私の誠意が見守り/
Ja Heil und Dank dir 祝福と感謝の言葉を/So ich traurig bin 私の苦しみの中で/
Ihr tratet zu dem Herde あなた方は炉辺に歩み寄り(ゲオルゲの詩の五つの歌)op.4
Der Tag ist vergangen 日暮れて/Die geheimnisvolle Flote 神秘の笛/
Schien mir's, als ich sah die Sonne 太陽が見えた時/
Gleich und gleich 似た者同士(四つの歌)op.12/ピアノ・ヴァリエーション op.27
Das dunkel Herz 暗い心/Es sturzt aus Hoher Frische 天の高みから堕落し/
Herr Jesus mein 我がイエスよ(ヨーネの詩の三つの歌)op.23」
杉山洋一「間奏曲第IX番~スーパー・パッサカリア」(委嘱初演)
ベルク「Schliesse mir die Augen beide 私の両眼を閉ざせば」


 本日のコンサート会場のカフェ・モンタージュは、住所で云うと夷川通柳馬場、場所は京都御所の南側エリアにある音楽喫茶である。お店は交差点角のビル一階にあり、正面はガラス張りで中の様子を外から窺える。硝子戸を開けると受付があり、半地下に掘り下げられた階段状の客席の、底辺の部分を舞台としている。そこに置いてあるセミコンと思しき、スタインウェイが実に古色蒼然としているので、丁度それを調律していた方にお尋ねすると、前々世紀末頃の製造とのお答えだった。これはヴェーベルンと同時代の、ピリオド楽器と呼べそうな年代物らしい。

 開演時間になるとピアノを調律されていた方が、舞台上で挨拶しコンサートの前説を始めた。実はこの方がコンサートの主催者で公演プロデュサーでもある、カフェ・モンタージュのオーナーさんなのであった。収容人員四十名のハコで木戸銭は二千円ぽっきり、午後八時開演で一時間のコンサートを「劇場が文化を育てる」をコンセプトに、年間六十回以上を主催公演として行う。しかも当日の木戸銭で全ての経費を賄い、赤字を出さずに済ませる為、出演するプロオケのトップ奏者や著名なソリストに対し覚悟を迫る。これは自分でも中途半端な覚悟で出来る事業とは思っていない、とオーナーさんは仰っている。

 以前から興味を唆られる独自企画を連発して気になる存在だったが、今日はヴェーベルンのリート・プログラムで良い機会と考え、日曜日の昼下がりに京都まで出掛けた訳だ。皆様ご存じの通りヴェーベルンは自作に対し厳格で、生前に出版され作品番号を付された曲は、僅かに31曲を数えるのみである。独唱曲は11曲とその内の三分の一を占めていて、やはりヴェーベルンはシューベルトやヴォルフの系譜に連なる、ドイツ・ロマン派の伝統に拠って立つ作曲家なのだと思う。

 今日のプログラムはほぼ作曲年代順に並べて、まずは十九歳の習作からコンサートは始まる。「三つの詩」にはR.シュトラウスっぽく甘い曲や、ヴォルフ風に抒情的な曲とがあり、高音部にはコロラトゥーラもあって、既に後期ロマン派の雰囲気は濃厚に漂っている。「アヴェナリウス歌曲集」ではピアノ後奏が長調に解決する際、ピアニストが本当に大切そうに和音を弾くのが印象的。「デーメル歌曲集」では表現の方向性として、かなり無調っぽくなって来るが、まだ調性自体は保っているように聴こえる。 杉山洋一の大井浩明への献呈曲は、作品番号1の管弦楽の為のパッサカリアを基にしたピアノ独奏曲だが、音符が少ないと云う初演者からの注文で、最初の譜面に手を加え完成させたそうな。ここでコンサートは暫時休憩となる。

 僕は寡聞にして知らなかったが、ソプラノの森川栄子はドイツでリゲティやヘンツェのオペラに出演し、ツィンマーマン「軍人たち」と、ラッヘンマン「マッチ売りの少女」の日本初演では主役を務める等、現代音楽のスペシャリストとして活躍している人らしい。ヴェーベルン全曲の連続演奏会がヴィーンで行われた際に、リートを何曲か担当したそうで、今回のような企画に打って付けのソプラノと云える。また、彼女が日本音楽コンクールで一位を獲得した際、二位になったのが森麻季と云う、正真正銘の実力派である。

 カフェのオーナーさんは森川さんのような大物が、こんな小さなカフェのコンサートに出てくれるのかと心配し、実際に本人が現れるまで気を揉んでいたと前説で述べていた。森川はコロラトゥーラに力があり、高音部を強く歌える上に低音も良く響く。その実績からして当然とは云え、深い音色に表現力のある、現代音楽に相応しい声質のソプラノと思う。

 仕切り直しての後半は、いよいよ無調時代の作品の演奏に入る。我々がヴェーベルンからイメージする、点描的でありながらクラシックとして響く、濃厚な情念を漂わせるのでは無く厳しさのある音楽を、森川さんの歌で堪能させて頂く。ピアノ独奏のヴァリエーションを挟み、最後はドデカフォニーの歌曲集を二セット。大井の点描に拠るピアノ伴奏を、森川の高音が切り裂く、鮮烈な表現力ある歌だった。アンコールにはベルクのリートが歌われた。

 四十名の少人数で歌手とピアニストを囲み、ヴェーベルンのリートを聴く、至福の一時を過ごさせて貰った。でも、言い訳するのでは無いが、このような小さなカフェの空間で、森川さんのような実力派歌手の演奏に接し、細かい処まで聴き取るのは、少なくとも僕に取っては難事だった。どっぷりと歌声に浸るのには打って付けの場所だが、それを分析して言葉にするのは難しい。デッドな音響の大ホールであれば、歌手の美点と共にアラも聴こえて来て、演奏の分析もし易くなる。そんな聴き方は詰らんと言われても、それが僕の基本的スタンスなのである。

 上掲の写真は終演後のカフェで、ワイン片手にご歓談中の森川栄子さんです。ご協力有難うございました。

コルンゴルト「死の都」

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<沼尻竜典オペラセレクション/舞台形式日本初演>
2014年3月8日(土)14:00/びわ湖ホール

指揮/沼尻竜典
京都市交響楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
大津児童合唱団

演出/栗山昌良
美術/松井るみ
照明/沢田祐二
衣裳/緒方規矩子
振付/小井戸秀宅

<Aキャスト>
マリー&マリエッタ/砂川涼子
パウル/鈴木准
フランク/小森輝彦
女中ブリギッタ/加納悦子
道化師フリッツ/迎肇聡
俳優ガストン/岡田尚之
舞台監督ヴィクトリン/高野二郎
アルベルト伯爵/与儀巧
踊り子ユリエッテ&ルシェンヌ/森季子/九嶋香奈枝


 僕はコルンゴルトに付いて何も知らないし、「死の都」はヴィデオでも観た事は無かった。そこへ突然、びわ湖ホールと新国立劇場が東西で同月中に公演を行う、降って湧いたような“死の都”祭りである。今回は舞台形式での日本初演で、演奏会形式での初演は96年の京響定期、井上道義の指揮に中丸三千繪のマリエッタで行われているが、残念ながら僕はこの得難い機会を逸している。

 今回の栗山演出のコンセプトは“歌手本位”だそうで、「オーケストラも美しいが、歌が勝負。あらゆることを殺しても歌を生かしたい」と、インタビューで語っている。皆様ご存じの通り、栗山は千田是也に師事した新劇畑出身で、オペラ歌手にも演技力は必要との信念から、演技は素人の出演者に厳しく指導して来た事で知られる。今日の舞台を観れば一目瞭然だが、あの“鬼の栗山”が歌手に棒立ちの演技を許したのだから、やはり御大も寄る年波でマルクなられたとしか言いようも無い。

 幕が上がると場面はパウルの部屋で、茶色い木目の壁と天井に囲まれたセットの正面には、リュートを抱えた亡き妻マリーの肖像画が掲げられ、舞台上には赤を基調とした応接間セットが置いてある。渋い色調の美しいセットはオーソドックスの極みで、何も足さず何も引かない今回の舞台作りを端的に示している。その美しい舞台で歌手達は終始一貫、棒立ちのまま唱う。演技と呼べそうなものは殆ど無い。

 本日のパウルのテノールは只今売出し中の若手で、佐渡裕指揮の兵庫芸文オペラでタミーノアルマヴィーヴァ伯爵を歌った鈴木准。彼はバッハ・コレギウム・ジャパンでトゥッティ要員も務めた、オペラと古楽とを融通無碍に行き来する人のようだ。この経歴を見れば分かる通り、コロラトゥーラの技術もあるレジェーロなテノールで、ヘルデンが歌う場合の多いパウルでは異例の配役らしい。でも、僕は「死の都」は全く初めてなので、ヘルデンでもレジェーロでも来る者は拒まずで、実際に聴いて判断するだけだ。

 パウルの歌を聴いた印象で云うと、無調っぽくて音がハマっているのか良く分からない部分も多く、何だか無闇に高いばかりで今ひとつ聴き映えしないと感じる。鈴木准はあくまで綺麗なレジェーロだが、やや単調に陥る嫌いはあるので、もう少し中音域の充実も望まれる。二幕のダイアローグでパウルはマリエッタの後ろに回り、舞台奥の立ち位置になると声の通り難くなるのも辛い処だ。

 パウルに付いて出演依頼された歌手の中に、楽譜を見てから断った者も居ると云う話で、果たして芸術監督の理想に近い配役が出来たのかは分からない。だが、通例に反してレジェーロなテノールを起用するなら、当然ながらオケの演奏にも配慮が求められる。沼尻の指揮にはやや力任せな処があり、そうであれば分厚いオケを突き抜く声の力は無い、鈴木准の起用自体に疑問が残る。このオペラは甘ったるい程に甘く切なく、官能的且つ陶酔的に歌い上げるべき音楽と思う。

 沼尻には決めるべき処でキメる馬力があり、マリエッタ登場の場面や一幕の幕切れでの気合の入れ具合は凄かったと思う。ただ、アリアを唱う歌手をもっとキチンと支えて上げたいし、オケに雄弁に語らせるだけでは無く緩急にも配慮し、ピアニシモではチェレスタやハーモニウムの音色を効果的に聴かせて欲しい。沼尻はコルンゴルトの音楽に対し、やや入れ込み過ぎのように感じる。

 マリーを歌う砂川涼子には、伸びやかで力強い高音と充実した中音域があり、多彩な音色を使い分ける事が出来るし、音量の大小や音域の高低に拠り、張り詰めたテンションを緩める手際も巧い。ただ、三幕の歌はやや直向きに押し過ぎたので、その辺りの緩急は考えて欲しい。でも、本当に美しい声で、もう今日の上演は砂川さんのマリエッタに尽きると思える。

 フランクと云う役は単なる狂言回しで、これを唱う歌手にすれば美味しい処は何も無いし、小森の歌声もやや年齢を感じさせる。一方、ブリギッタの加納悦子は、ヴィブラートの大きいのはやや気になるものの、小柄な体でも声量があり、さすがの存在感を示している。フリッツの迎肇聡は演技で頑張っていたが、声そのものの輝きに乏しく、今ひとつ映えなかった。

 このオペラのお話しに変態性欲的な要素はあると思うが、もちろん栗山御大はそんな解釈には一顧も払わない。三幕のお祭りの行列は教会の中で聖歌隊が唱う設定で、ステンドグラス風の照明効果が美しい。聖歌隊は勿論、びわ湖ホール声楽アンサンブルの担当でさすがに巧いし、大津児童合唱団もキチンと歌えていた。この場面でパウルが火の点いた蝋燭を、プロンプター・ボックスの上に置くのが伏線となり、幕切れの後奏の音楽ではブリギッタが舞台前まで歩み出ると、パウルの置いた蝋燭を取り上げ自分の胸の前に掲げ、オペラ全幕は静かに締め括られる。

 カーテン・コールで栗山御大は舞台に出て来ない代わりに、二幕のブルージュの街の大掛かりな舞台をセリ上げて見せる。上掲の写真はロビーでお見掛けした、今回の演出コンセプトを「青年と宗教の対決」と仰る栗山昌良さんです。ご協力有難うございました。

コルンゴルト「死の都」

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2014年3月9日(日)14:00/びわ湖ホール

指揮/沼尻竜典
京都市交響楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
大津児童合唱団

演出/栗山昌良
美術/松井るみ
照明/沢田祐二
衣裳/緒方規矩子
振付/小井戸秀宅

マリー&マリエッタ/飯田みち代
パウル/山本康寛
フランク/黒田博
女中ブリギッタ/池田香織
道化師フリッツ/晴雅彦
俳優ガストン/羽山晃生
舞台監督ヴィクトリン/二塚直紀
アルベルト伯爵/与儀巧
踊り子ユリエッテ&ルシェンヌ/森季子/小林久美子


 昨日の開演前に客席を見渡しても、ほぼ半分程しか埋まっていなかった。最終的な入場者数も六割強だったらしいし、やっぱ「死の都」じゃねぇ…と云う事か。でも、聞いた話では昨日の上演の評判がネットで拡散し、今日は当日券の売れ行きも良かったらしい。まずはご同慶の至りです。

 本日のパウルの当初発表キャストは、鈴木准と同じレジェーロ系の経種廉彦だったが体調不良のため降板。代役にはカヴァーに予定されていたと思しき、びわ湖ホール声楽アンサンブルの山本康寛が抜擢された。その山本の歌は一本調子とも云えるが、フィジカルの強さで聴かせるだけの力があり、この抜擢を正解と感じさせる。ただ、声に甘さが無いので抒情的な表現力に欠け、肝心要な三幕のアリアは今ひとつ映えない。オケを突き抜いて声を通せなかった、鈴木准とは逆の問題を抱えているので、残念ながらシンデレラ・ストーリーを実現するとまでは行かなかった。

 マリエッタの飯田さんはベテランのスペシャリストで、美しいレジェーロな声を鋭く通す声の力があり、その歌い振りに余裕を感じさせる。音色の変化は無いが、デュナーミクの作り方が巧いので音楽に膨らみがあるし、ピアニシモのドルチェな表現力でフォルテでの強い声を生かすセンスもある。

 フランクの黒田博の声そのもので聴かせる力は健在。ブリギッタの池田香織は暗目のアルトで、昨日の加納さんとはまた異なる味わいがある。栗山御大の演出では晴さんを縛らず、彼の好き放題にやらせるので、観ていてワクワクさせられる。長目のアリアのあるピエロ役なんて、ホント晴さんに打って付けだ。昨日の迎君も似たような芝居をしていたので、彼に晴さんからの指導があったのかと妄想する。

 二幕の迫り上げセットは随分と大掛かりで、これには随分と金を掛けている。神奈川県民ホールとの共同制作の場合、あそこの舞台寸法に合わせたセットを組まねばならず、びわ湖ホールご自慢の四面舞台を生かした演出は行なえない。今回は単独制作なので巨大セットを組めたそうで、でも予算を使い過ぎると後々に響くのではないか等、余計なお世話な心配をする。

 三幕の坊さんと聖歌隊の行列は毎年五月のキリスト昇天祭に行われ、ユネスコの無形文化遺産にも登録されて国際的に知られる、「聖血の行列」と呼ばれる古都ブルージュのお祭りだそうな。だから聖堂内の設定ではリブレットからの乖離があるが、栗山演出は単なるお祭りでは無く、もっと切実な信仰の問題が絡んでいる事を示したのだと思う。

 昨日の幕切れはさすがに間髪入れずのフライング拍手では無かったものの、管弦楽に拠る後奏が終わった処で、もう一呼吸待って欲しいタイミングではあった。でも、二日目はみんな良く辛抱してくれたと、びわ湖ホールの聴衆を褒めてやりたい。冒頭の写真は裏面の白紙部分に「bravo!」と記した、ポスターを掲げるオケピットの京響団員の皆様です。「死の都」演奏会形式と舞台上演の両方で日本初演を担当した、京都市交響楽団にこそ満腔の感謝の意を込めブラーヴィを送りたい。

コルンゴルト「死の都」

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2014年3月18日(火)19:00/新国立劇場

指揮/ヤロスラフ・キズリンク
東京交響楽団
新国立劇場合唱団
世田谷ジュニア合唱団

演出/カスパー・ホルテン
美術/エス・デヴリン
照明/ヴォルフガング・ゲッベル
衣裳/カトリーナ・リンゼイ


マリー&マリエッタ/ミーガン・ミラー
パウル/トルステン・ケール
フランク&道化師フリッツ/トーマス・ヨハネス・マイヤー
女中ブリギッタ/山下牧子
アルベルト伯爵/糸賀修平
俳優ガストン&舞台監督ヴィクトリン/小原啓楼
踊り子ユリエッテ&ルュシエンヌ/平井香織/小野和歌子


 びわ湖ホールで「死の都」二日公演を観終えた後、旬日を置かず東京までやって来た。これで「死の都」三公演制覇である。地味な演目でも、このように東西同時上演で話題性が盛り上がれば、お互いに相乗効果を期待出来るのだろうか。僕のように三組のキャストを全て聴こうと云う、奇特な観客が他に沢山居るとも思えないけれども。

 今回、初めて「死の都」を観た僕は、これって三途の川を渡るオルフェオとか、黄泉の国から逃げ帰るイザナギとかと、同じ系統の説話じゃんかと云う感想を抱く。元々このテの構造主義なお話には、ネクロフィリアと云うか屍姦願望の気配も濃厚に漂っている。亡き妻マリーの遺髪に執着する主役パウルの描き方にも、フェティシズムの様相は色濃い。つまり「死の都」は妻を亡くした夫が、もう一度死んだ奥さんとヤリたがると云う、極めて即物的なお話なのである。

 つまり変態性欲者のパウルは、健全な嗜好を持つマリエッタと交わっても、その性的欲望は充足されない。そこで彼に残された選択肢は、屍姦願望を断念し健全な性欲に生きるか、亡き妻マリーを追って黄泉の国へ旅立つかの、どちらかしかないと云う事になる。「死の都」を素直に解釈すれば、そうなると思うのだ。

 今回のフィンランド国立歌劇場制作の舞台は、既にヴィデオとして市販されているもので、演出家も内容の詳細な説明をプログラムに掲載している。美術担当のエス・デヴリンはレディ・ガガのコンサートや、ロンドン五輪閉会式のデザインを担当した手練れで、この経歴から推測される如く、見世物的な興味で観客の目を惹き付ける手腕のある人と思う。ただ、今日の舞台に美しい造形はあるものの、アイデアを詰め込み過ぎて文字通り玩具箱を引っ繰り返したような状態で、もう少し整理されてスッキリしていた方が、女優の演じるマリーの幽霊を出す工夫も生かされるのではないかと感じる。

 パウルのトルステン・ケールは伸ばす声が真っ直ぐそのままな上、ピアニシモでファルセットに逃げるのが物足りず、スピント系のテノールとして割りに平凡と云う印象を受ける。テノールに取って美味しい、最後のアリアだけはデュナーミクの変化を付け、情感を込め歌っていたけれども。びわ湖ホールでレジェーロな鈴木准と、リリコの山本康寛を聴いた上で、今日はヘルデンのケールを聴き、やはりこの役に最も合う声種は中を取って、リリコで良いのではと云う結論に達した。技術的に難しい故にヘルデンに歌わせると云うのは、パウルと云う役柄の音楽的内容に即した選択では無いと思うのだ。あの甘ったるいデュエットとアリアを、大味なヘルデン・テノールに歌わせるのもケッタイな話と思う。

 ミーガン・ミラーはマリエッタでは真っ直ぐ声を出し、マリーではフレーズを膨らませて情感を醸し両者に対比を付けたし、声を響かせる位置を動かし音色を変化させる工夫もあった。フランクとフリッツの二役を歌ったマイヤーは良い声のバリトンだが、一人二役を意識的に歌い分けようとしていない。ブリギッタの山下牧子も通り一遍な印象だった。

  指揮のキズリンクはオケに充分に大きな音を出させているし、その解釈はキチンと整理されていて、「死の都」の音楽をテキパキと進めている。これは物理的に正確な表現では無いかも知れないが、フレーズを短く切り上げる印象があり、モヤッとした処の無い明快な音を出している。妙に明るく快活な演奏で、僕はルーティン・ワークのように感じる。今日の舞台を総じて云えば、上演の初発性と云うか製作側の思い入れを受け取り難く、僕としてはびわ湖ホール上演の意気込みみたいなものを評価したいと思うのだ。

 また、オペラ「死の都」を立て続けに三回聴き、決して魅力に欠ける作品とは思わないが、でもこのオペラを聴くのならリヒャル、ト・シュトラウスの何かを聴きたと云うのが率直な感想である。聴かせ処のデュエットもアリアも申し訳無いが、何か取って付けたような印象を受ける。上掲の写真は来シーズンからの、新国立劇場音楽監督就任が決まった飯守泰次郎さんです。ご協力有難うございました。

第7回声楽アンサンブルコンテスト全国大会

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<感動の歌声響け、ほんとうの空に>
2014年3月20日(木)10:00/福島市音楽堂

大阪信愛女学院高校合唱部(女声16名)
指揮/佐藤謙蔵
Levente Gyongyosi:Cantate Domino
千原英喜「もう一度」
 ラテン語でピアニシモのテンションを保ち切れないのは難だが、速いパッセージとフォルテシモで力のある処を聴かせる。邦人曲は柔らかく優し気なニュアンスのある演奏だが、ややリズムが重く引き摺り気味なので、もっとアゴーギグに工夫を凝らすか、軽くアチェルラントすれば効果的だろう。美しく清澄な声だがソプラノが高音部でスピントせず、棒歌いになるのは修正して欲しい。

清教学園高校合唱部(大阪府・女声13名)
指揮/安藤浩明
信長貴富「春の苑/天の火(万葉恋歌)/木(いまぼくに)」
 音響のみを考えメカニックに作られた曲を良くこなしてはいるが、フォルテの出し方は野放図だし、ソプラノのキンキン声は甚だしく耳障りで、何の為にこんな曲をやるのか意図不明となる。三曲目は普通の合唱曲だったが聴いていて面白く無いのは、声の出し方が真っ直ぐそのままで、音色の変化の無い所為だろう。

県立岡山城東高校合唱部(混声16名)
千原英喜「夜もすがら」(方丈記)
信長貴富「あんたがたどこさ/てぃんさぐぬ花」(7つの子ども歌)
 シミジミと味わい深い演奏だが表現は一面的で、全体を通すと単調に感じる。わらべ歌はアンサンブルを楽しんでいるのが分かる演奏で、何の特徴も無いけれども、彼等の真情みたいなものは伝わった。

香川県立坂出高校合唱部(女声16名)
指揮/前田朋紀
Arr.Juhani Komulainen:Lova Gud i himmelshojd
Siegfried Strohbach:Ave regina caelorum
 声に力のあるコーラスで、ヴィブラートのあるソプラノに牽引力があり、広いダイナミク・レンジを使えている。ただ、音色の変化の無いのは物足りないし、音楽的な山場では一人の声になるのも気になる。二曲目は予めアチェルラントしてからテンポを緩め、音量的にも中程に山場を作る歌い口が、美しく効果的だった。

愛媛県立新居浜西高校合唱部「翠樟」(女声15名)
指揮/一色良一
Akos Papp:Oh,wasn'T that a wide river/Soon ah will be done/
Rock-a my soul~Negro-Spiritual
 黒人霊歌の一曲目では対位法的なアレンジを味わい深く聴かせてくれる。二曲目もアルトの深い声でなかなか良いハーモニーを作っているし、リズムもニグロしている。最後は知らない曲だが軽やかな歌い口で楽しく、指揮者の解釈も面白い。ただ、ソプラノは完全にノン・ヴィブラートで、音色は都会的に洗練され過ぎていて、ニグロらしい毒気は全く無かった。

土佐女子高校コーラス部(高知県・女声13名)
指揮/西本佳奈子
木下牧子「にじ色の魚(にじ色の魚)/なにをさがしに(絵の中の季節)」
 南国らしい美しく明るい声だが、音色に変化の無く重くなるので、音楽は単調に推移する。曲は変わっても音色はそのままで、高音部を出し切るテクニックも無く、レガートに歌い過ぎてマドリガルっぽい曲想を生かせなかった。

熊本県立玉名高校・付属中学音楽部「たまなっ子14」(女声14名)
指揮/岩尾健弘
松下耕「わたしと小鳥とすずと/ゆめ売り/しば草」(わたしと小鳥とすずと)
 伸びやかに明るい九州らしい声で、童謡っぽい曲想に合わせた幼さの表現がある。軽やかなリズムとハーモニーで軽やかな音楽作りだが、三曲共に同じような曲想で表現方法もずっと同じなので、何らかの変化は必要と感じる。

宮崎県立妻高校女声合唱団(16名)
Willem Andoriessen:Ave Maria
Jean Lambrechts:Kyrie/Agnus dei~La messe dess anges
 アヴェ・マリアでアルトを効かせ、ピアニシモのハーモニーを作る技術力は高い。キリエでもピアニシモの張り詰めたテンションを保ち、抑えた美しさを表現する集中力に感心する。ただ、アニュス・デイに至っても速いパッセージは出て来ず、同じような曲想が続き、指揮者無しの限界も顕わとなった。

市立鹿児島女子高校音楽部「南響娘」(女声11名)
福島雄次郎「椎やなるな/戯れ」(南島歌遊びII)
 さすがに曲を自家薬籠中のものとしていて、こんな曲でも指揮者無しなら楽しく聴ける。速いパッセージをピタリと揃え、ピアニシモの長いフレーズも美しく聴かせてくれる。十一人が息を合わせて速い・遅いのテンポを切り替え、ハーモニーの色合いの変化も的確に捉えて、フォルテを出し切る声の力にも欠けない見事な演奏だった。

沖縄県立向陽高校合唱部(女声8名)
木下牧子「棗のうた(絵の中の季節)/いっしょに(光と風をつれて)/
あざらしなかま(ふくろうめがね)」
 可愛い声の可愛らしい演奏だが、ブレスの音のクッキリ聞こえるのと、全くスピントしないソプラノが棒のようになるのは辛い。彼女達の精一杯の演奏なのは良く分かるが、何らかのメリハリを付ける努力も望まれる。

第7回声楽アンサンブルコンテスト全国大会

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<感動の歌声響け、ほんとうの空に>
2014年3月20日(木)10:00/福島市音楽堂

静岡県立韮山高校音楽部(女声16名)
指揮/関佳織
ウィールクス「Hark,all ye lovely saints 聞け、天上の天使よ」
ギボンズ「The silver swan 銀色の白鳥」
モーリー「Fyer,Fyer,my Heart! 火事だ!火事だ!」
 ウィールクスに十六人は多過ぎるのかパート内部の音色が揃わず、マドリガルらしいリズムの軽さや、生徒さんの指揮でメンバーの自発性も不足して終う。ギボンズはテンポの遅過ぎるのと、デュナーミクの工夫も足りず如何にも平板で、殆どマドリガルの態を成していない。モーリーでもリズムの弾ませ方にロマン派っぽい重さがあり、もっと各パートを際立たせないとポリフォニーとしての形にならないと思う。

山梨県立市川高校音楽部(混声16名)
指揮/薬袋直哉
ダ・ノーラ「Chichilichi キ・キリキ」
リゲティ「Bujdoso お尋ね者/Magany 孤独」
 僕などはキキリキと云えばラッソの六声のモレスカを思い出すが、こちらダ・ノーラの三声曲の方が年代的には遡る。歌詞は恋人同士か夫婦間の閨での睦言で、現代的な感覚からすれば卑猥な内容があり、これを高校生に歌わせるのが相応しいかは議論の分かれる処だろう。個人的には実際トンデモないの歌うよなぁ、全くやってくれるじゃんと思う。閑話休題、指揮はせず生徒に歌わせるので、必ずしもピタリと合わないが、ポリフォニックな箇所もそれらしいリズムで様式的には間違っていない。リゲティでテンポの遅いのは気になるが、マジャール語の語感を生かす歌い口で、悪ふざけもソコソコ楽しく聴かせた。

長野県小諸高校音楽部(女声13名)
松下耕「アヴェ・マリア」
ヨーゼフ・カライ「hodie christus natus est」
 清澄な声を必要とする宗教曲で、伸ばす声が地声気味なのは気になる。カライでは対位法的な部分を上手く整理出来ず、雑然とした印象を受けるのは力押しに過ぎるからだろう。ノン・ヴィブラートでも頭声とは限らないと、ここの演奏を聴いて気付かされた。

星陵高校合唱部(石川県・混声14名)
指揮/直江学美
木下牧子「サッカーによせて(地平線のかなたへ)/鴎(夢みたものは)」
 二曲共に女声の素直な歌い振りで、地声気味の男声を上手くカヴァーしている。全国レヴェルの実力とは言い難いが、恐らくは教育的配慮で混声なのだろうし、そこは致し方の無い処だろう。

仁愛女子高校コーラス部(福井県・女声16名)
指揮/高橋かほる
信長貴富「涙の樹/なみだ」(なみだうた)
横山潤子「贈り物」(笑いのコーラス)
 声の力不足で不協和音を鳴らし切れないが、和風の後押しリズムは上手に出来るし、ハーモニーの色合いの変化は的確に捉えている。最後の曲では中音域で柔らかいニュアンスを醸すが、高音部でのピアニシモは矢張り出し切れなかった。

岐阜県立大垣北高校音楽部(混声16名)
相澤直人「ぜんぶ」(ぜんぶここに)
松下耕「たったいま」(すこやかにおだやかに)
黒人霊歌「Wade in de water 浅瀬を渡れ/Ain'-a that a good news 良い知らせ」
 邦人曲でニュアンスを出す表現力はあるが声の力が無く、ひ弱なピアニシモで平板になる。次の曲は縦のフレーズをキチンと揃え、味わい深く歌えている。黒人霊歌はガラリと趣向を変えて声も良く出たし、リズムの楽しさも伝わる。最後の曲もニュアンスとリズムを両立させ、柔らかいニグロを聴かせてくれた。

愛知高校女声合唱団(16名)
指揮/吉田稔
ヴェルヨ・トルミス「talvemustrid 冬」(全4曲)
ミクロシュ・コチャール「O,havas erdo nemasaga 雪の森の静寂」
 力強い声で濃厚な音色を作り、フォルテでの大音量と豊かな倍音を鳴らすハーモニーで、何とも奇怪な程に暑苦しいトルミスの演奏。ポルタメント気味のフレージングにも、様式的に大きな問題がある。短いパウゼを挟み子音を粘って発音する、念押しするようなクドイ歌い方にも違和感がある。技術的なレヴェルは非常に高いが、北欧も東欧も一緒くたにして指揮者のアクドい個性で塗り潰す、奇妙奇天烈な演奏だった。

三重県立津高校音楽部(混声16名)
ハヴィエル・ブスト「Ametseten 夢見る」
信長貴富「こころようたえ」
 繊細な女声に分厚い男声の響きを合わせたハーモニーで、アンサンブルから自発的な楽しさを発散している。指揮者無しの16名で力量目一杯のフォルテシモを出し切り、ダイナミズムと表現にメリハリのあるアンサンブルを作った高校生達を、僕は素直にエライと思う。

滋賀県立膳所高校音楽班合唱部(女声5名)
西村朗「宮殿」(青色廃園)
福島雄次郎「橋/陽気な娘たち」(南島歌遊び)
 西村は早口言葉みたいな曲で途中で乱れるかと思ったが、最後まで良いリズム感で歌い切ってくれた。民謡編曲でも長いフレーズでテンションを保ち、五名でフォルテシモを出し切る。最後の曲に入る前に拍手が起こっても動揺を見せず、軽く観客を制してから演奏を始める、落ち着き払ったステージ・マナーも天晴れだった。リーダー格のソプラノの子の力も大きいが、五人の粒が揃っていて楽しく聴かせてくれた。

奈良県立畝傍高校音楽部(女声16名)
指揮/藤井本加恵
Nancy Telfer:Quoniam tu solus sanctus~Gloria
Javier Busto:Responsorio de Navidad
信長貴富「うたをうたうとき」
 柔らかい良いハーモニーはあるが、何だか普通にコーラスしてる印象しか無く、もう少しリズムに切れのあればアンサンブルらしくなる筈。二曲目でソプラノの声の太いのは気になるが、リズムは改善されてやや楽し気な雰囲気になる。邦人曲では最高音を出し切れず、これは選曲ミス。折角のアンサンブル大会だし、少人数で歌う楽しさを追求して欲しい。

和歌山県立向陽中・高校合唱部(女声10名)
木下牧子「おんがく」(うたよ!)
松下耕「日向木挽唄」(日本の民謡第2集)
 一曲目は素直な発声の可愛らしい演奏で、その発声は民謡にハマる。木挽唄では伸ばす声に力の籠もった広いダイナミク・レンジを使う、振幅の大きな表現力があって、何だか二曲を別の団体が歌ったような具合だった。

第7回声楽アンサンブルコンテスト全国大会

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<感動の歌声響け、ほんとうの空に>
2014年3月20日(木)10:00/福島市音楽堂

北海道旭川東高校音楽部(混声16名)
指揮/水野雅文
ピアノ/安住拓途
ハウエルズ「O salutaris hostia おお、救いの生贄」
Paul Mealor:Sleep on
Boris Ord:Adam lay ybounden
 テノールの生の声は少し気になるが、なかなか情感の籠もったアカペラのハーモニーを作っている。次の曲もシミジミと味わい深く、最後の曲はやや雰囲気を変えて音量もアップするが、これは二曲目と三曲目を入れ替えた方が効果的だろうと思う。

青森県立八戸東高校音楽部(女声16名)
指揮/原子こづえ
Matti Hyokki:On suuri sun rentas autius(淋しい海辺で)
Лecядичko:Oсiнь(秋)
Rodrigo Prats:Una rosa De Francia(フランスの一本の薔薇)
高嶋みどり「木曜日」(待ち人ごっこ)
 何語なのかも良く分からん曲ばかりでも、深い音色のユニゾンとピアニシモが美しく、声自体に含まれる情感で聴かせる。ただ、音色の変化には乏しく、速いパッセージに移っても単調さから脱せない。それと日本語では曲に合う音色を作って欲しい。

聖霊女子短大付属高校合唱部(秋田県・女声12名)
Joan Szymko:Hodie
 抜けないソプラノと平べったいアルトで、グローリアのリフレインを歌うのが可愛らしい。なかなか楽しそうに歌えて良かったと思う。

岩手県立盛岡第四高校音楽部(混声16名)
指揮/佐藤ふみ子
John Rutter:Monday's child/The owl and the pussy-cat/Matthew,Mark,Luke,and John/
Sing a song of sixpence~Five childhood lyrics
 英語の子音を発してからスフォルツァンドする歌い口が美しく、16人の共有するマドリガルの軽いリズム感が心地良い。三曲目では一転して緩やかな曲想でソロを聴かせ、最後の曲では再び速いパッセージで、マドリガルのリズムの楽しさを存分に歌い上げる。指揮者は踊り過ぎでやや目障りなので、生徒さんだけで歌って欲しい処ではある。

岩手県立盛岡第三高校音楽部(女声13名)
指揮/佐藤恵津子
プーランク「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
Xabier Sarasola:Jubilate deo/Xulufraia
 プーランクはやや生真面目に過ぎるのと、もう少し明るい音色も欲しい処だ。知らない作曲家の曲からは優し気なニュアンスが出て、音楽はやや明るくなる。速いパッセージでのアチェルラントは効果的だが、音色は終始変化せず単調さを脱し難かった。

山形県立鶴岡北高校音楽部(女声10名)
指揮&ピアノ/百瀬敦子
グレゴリオ聖歌「Regina caeli laetare」
ミクロシュ・コチャール「Regina caeli/Salve regina」
高嶋みどり「またあいたくて」
 キチンとしたフレージングと声の音色で表現力があり、十名の生徒も指揮者の正攻法の音楽作りを良く咀嚼出来ているので、フォルテを出し切る声の力の無いのは惜しまれる。最後の邦人曲で顧問はピアノ伴奏に回り、指揮者無しで爽やかな情感を発散して、良いプログラミングとなっていた。

聖ウルスラ学院英智中学高校合唱部(宮城県・女声16名)
指揮/細川信
ラッソ「Adoramus te Christe キリストを賛美し」(三声)
パレストリーナ「Sanctus‐Benedictus ミサ・レジーナ・チェリ」(四声)
 頭声よりも低目のアルトっぽい声のソプラノで、音色の対比の付かないポリフォニーに違和感がある。パレストリーナでも事態に変化は無いが、イタリアらしい明るさは出せたように思う。但し、リズムは重く縦割りになるので、速いパッセージではもっとレガートを意識して欲しい。序でに言って置くと、こんな演奏こそ指揮者は不要と思う。

宮城県仙台二華高校音楽部「すみれ」(女声11名)
小林秀雄「原典無題~誰かゞ歩く」(五つの心象)
 自分達の力量と持ち前の情感とを弁別して、高校生らしい背伸びしない演奏。キリキリと合わせない平凡な良さがあった。

宮城県塩釜高校合唱部(女声16名)
指揮/平山俊幸
ピアノ/山形佑輔
中村透「別れの歌」(四つの沖縄の歌)
信長貴富「なみだうた/涙」(なみだうた)
 余り揃ってはいないけれども声は良く出ている。良く言えば大らかな、悪く言えば大雑把な歌でも、フォルテシモを出し切る力はある。ただ、三曲共にフレーズの長い同じような曲想で、これを力任せに歌ってピアニシモとの対比の無いのは、やや聴き辛く感じられた。

埼玉県立浦和第一女子高校音楽部(女声16名)
指揮/小松直詩
Selga Mence:Martini
Peteris Plakidis:Kam tu kliedzi,valodzite
 手拍子と足踏みのある曲は面白いし、伸びやかな声も魅力的な演奏。二曲目では中音域に暖かい音色があり、対位法部分も美しく処理出来ている。ただ、ソロが如何にも苦しそうに声を出すのは些か気になった。

日本女子大付属高校コーラスクラブ(女声16名)
指揮/丸山惠子
松本望「ゆうやけ」
土田豊貴「屹立するポプラの梢」(春たけなわ)
 頭声よりやや低目の音色のソプラノと柔らかいアルトで、独自性のある表現とハーモニーとがある。でも、同じような構成の曲を並べ、音色の変化にも乏しく聴き飽きて来る。力のある合唱団と思うが、何となくコーラスしている感じなので、アンサンブルの楽しみ方を考えて欲しい。

第7回声楽アンサンブルコンテスト全国大会

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<感動の歌声響け、ほんとうの空に>
2014年3月20日(木)10:00/福島市音楽堂

 新国立で「死の都」を観た翌日、声楽アンサンブルコンテストを聴くため福島までやって来た。福島市に来ると何時も立ち寄る、岸波酒店の店長さんから伺った処では、原発事故から三年経って市内中心部では除染も終えて放射線量は下がり、福島市民は平常の生活に戻りつつあると云う。福島市内でも阿武隈川右岸の渡利地区等、まだ線量の下がり切っていない地域もあるし、局所的なホット・スポットも存在する。とは云うものの、個人積算線量計で実際に測定された年間被曝線量は、多くても環境放射線量値の三分の一程度のようだ。仮に戸外の年間放射線量値が3ミリシーベルトあったとしても、個人の被曝線量は1ミリシーベルトには達しない事になる。

 上掲の写真は幼稚園の園庭に設置されたモニタリング・ポストで、二年前にも見掛けて写真に撮っている。現在の数値は0.15マイクロシーベルトなので、年間放射線量は1.3ミリシーベルトとなる。この数値ならば幼児でも安心して遊べるレヴェルで、セシウム134半減期の二年経過と共に、除染の効果も着実に上がっているようだ。


福島県立福島明成高校合唱部(混声15名)
指揮/菊地和彦
Rihards Dubra:Duo seraphim
Javier Busto:Ave Maria
 長いフレーズでもハーモニーを乱さないだけの声の力があり、ピアニシモで始まる男声のフレーズに思わず引き込まれる。横一列に広がって並ぶフォーメーションも効果的で、対位法的な部分の捌き方も堂に入っている。朝一番のホールに爽やかで不協和なハーモニーを響かせてくれたので、最後に少し乱れたのは惜しまれる。ブストでは固まって並び、ホモフォニックにハモる曲を繊細に響かせ、サラリと美しい演奏で平凡の良さを聴かせてくれた。

福島県立湯本高校合唱部(女声11名)
ミクロシュ・コチャール「Varom a havat 雪を待つ/A jovo vacogasa 未来を恐れる」
 指揮者無しで美しい女声アカペラを良く作り込んでいる。ただ、低音域でテンションの下がるのと、リズムも粘るので修正して欲しい。二曲目冒頭のフォルテシモで鮮烈な印象を与え、テンションの高いピアニシモからフォルテへと移行し、最後は力のあるピアニシモで歌い収める。曲の構成を良く捉えて見事だった。

福島県立安積黎明高校合唱団(女声16名)
指揮/宍戸真市
鈴木輝昭「1st scene」(幻の風・光の海)
三善晃「かなしみについて」
 柔らかい子音の発音と、伸ばす母音に込める暖かい情感とで聴かせる。アンサンブルの密度も高く、指揮者の手腕で確実に盛り上げる。三善では軽くリタルダントとアチェルラントを繰り返してアクセントを付けながら、柔らかい曲想をサラリと聴かせて見事だった。

福島県立郡山東高校女声合唱団(16名)
Jure Vaivoda:Aizalaida sauleite
Steinar Eielsen:Vandrestjerner
 ソプラノが高音部でスピントせず硬くなるのは聴き辛いが、デュナーミクをキチンと揃えてニュアンスを出す音楽作りは出来ている。フォルテシモを出し切る声の力はあるし、テンポにもダイナミズムにも工夫はあるが、音色の変化は無いのでやや単調に陥る嫌いはある。舞台幅一杯に広がるフォーメーションで、音像に広がりを作る工夫は面白かった。

郡山女子大付属高校音楽部(女声15名)
指揮/加藤あゆ美
鈴木輝昭「Newspaper/Onomatopoeia/Before folling asleep」(Seven songs of nonsense)
 頭声よりやや低目の位置で響かせるソプラノは、やや耳障りに感じられる。最初の曲は早口言葉にしても中途半端で、二曲目もアルトのキツイ声が雰囲気を壊している。最後の曲もハーモニーの纏まりは悪くないが、各パートが生の声として届くのは気になるので、まずはヴォイス・トレーニングから見直して欲しい。

福島県立福島高校合唱団(混声16名)
指揮/馬場和美
プーランク「O magnum mysterium 大いなる神秘/Quem vidistis pastores dicite 羊飼いは何を見たのか(四つのクリスマス・モテット)/Timor et tremor 我が心は死ぬるばかり(四つの悔悟節モテット)」
 O magnumで子音を短く発音して作る軽いアーテキュレーションと、粘らず短目に切り上げるフレージングが好ましい。男声の厚い響きに支えられ、やや頼り無い女声も健闘した。Quem vidistisはレガートに繋がず、短いパウゼを入れる歌い方は効果的だが、最後のハーモニーでテノールの嵌らなかったのは残念。Timor et tremorでは意図的にアゴーギグを揺らさず、ほぼイン・テンポで演奏を進め、テヌートするアーティキュレーションで情感を醸す。折り目正しい音楽作りで、真っ当なプーランク解釈と思う。

福島県立川俣高校音楽部合唱団(女声8名)
指揮/石川千穂
ハープ/高久美穂
ブリテン「Procession 入堂/Wolcum Yole! 喜ばしき主の降誕/Balulalow 子守唄/
This little Babe 幼き嬰児/Deo Gracias 神へ感謝を」(キャロルの祭典)
 成人のアルトっぽい重く暗い声なので、ボーイ・ソプラノらしい音色を作って欲しい。八名で目一杯の演奏とは思うが、ブリテンは頭声の透明な音色を必要とする曲だろう。ソプラノ・ソロも表情付けが濃過ぎると感じた。

福島県立郡山高校合唱団(混声16名)
クヌート・ニーステッド「Kyrie/Gloria/Credo」(ミサ・ブレヴィス op.102)
 キリエは荘重に、グローリアはリズムカルにと歌い分け、バスの低音の効いたハーモニーも良く鳴る完成度の高い演奏。でも、何か深いものを伝えようとする意図だけは伝わるが、この曲に通底する情念を、指揮者無しで表現するのは無理だと思う。

福島県立福島東高校合唱団(混声16名)
指揮/星英一
チェロ/村越千里
オルガン/根本七恵
バッハ「Jesu, meine Freude/Es ist nun nichts Verdammliches/
Trotz dem alten Drachen」(イエス、我が喜び BWV227)
 声を伸ばすと真っ直ぐそのままで、今一つ味わいに乏しいが、高校生らしい素直なコラールを歌ってくれる。ただ、通奏低音が入るとハーモニーは安定しても、危なっかしいような若さは感じられなくなるし、この辺りはなかなか難しい処だ。Es ist nun nichtsで人数の限界は明らかでも、指揮者と共にスィングして良く歌えている。Trotz dem altenでチェロとオルガンはコーラスをしっかり支えたし、短い曲の中でコロコロ変わる曲想も良く捉え見事だった。こうなれば最後のコラールも是非聴きたかった。
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