<モーツァルト~未来へ飛翔する精神/妻と捧げる祈り>
2015年1月17日(土)15:00/いずみホール
指揮/鈴木秀美
オーボエ/エドゥアルド・ウェスリィ/ゲオルク・ズィーベルト
クラリネット/山根孝司/西川智也
バセットホルン/横田瑤子/西田佳代
ファゴット/堂阪清高/永谷陽子
ホルン/エルメス・ベッキニーニ/ディメル・マッカフェーリ/藤田麻里絵/飯島さゆり
コントラバス/西澤誠治
ソプラノ/中江早希/望月万里亜
テノール/谷口洋介
バス/浦野智行
オーケストラ・リベラ・クラシカ
コーロ・リベロ・クラシコ
モーツァルト「セレナード第10番“グラン・パルティータ”K.361/
ミサ曲ハ短調“グロッセ・ミサ”モーンダー補筆版 K.427」
リベラ・クラシカは今から十三年前、モーツァルトやハイドンなど古典派音楽の演奏を目的として、チェリストの鈴木秀美が結成したピリオド・オケである。秀美の兄貴の雅明はバッハを主とした、バロック音楽を演奏するBCJの主宰・指揮者なので、兄弟は国内古楽演奏界で棲み分けを行なうと共に、商圏の更なる拡大を図っている訳だ。リベラ・クラシカが声楽曲を取り上げるのは初めてで、新結成合唱団の旗揚げ公演となる、今日のコンサートを僕は楽しみにしていた。
鈴木秀美が古楽オケを作り指揮をすると知った時、僕はやや違和感を覚えた。失礼ながら彼には、兄貴の組織するアンサンブルで通奏低音を弾く、チェリストのイメージしか無かったからだ。四半世紀前、有田正広は東京バッハ・モーツァルト・オーケストラを立ち上げたが、あの人こそ卓抜したフルーティストではあっても、指揮者に向くタイプとは思えなかった。恐らく他に適任者も見当たらない中、周囲に祭り上げられ、神輿に乗っただけだろうと臆測する。
だが、鈴木秀美の場合は違ったようで、リベラ・クラシカ結成から十年余りを経た今、彼は山響や名フィル等のモダン・オケにポストを得て、指揮者として活動の場を広げている。指揮者とは他人に推されてなるものでは無く、自分で人を集めてオケや合唱団を立ち上げる、その位の気概を持たないと成功は覚束無い商売だろう。要するにお山の大将になりたがり、政治的な駆け引きも厭わない性格を必要とする職業で、楽器を上手に弾けるのは、指揮者の必要条件では無いのだ。
コンサートの前半は「グラン・パルティータ」で、十二管楽器とコントラバスで十三名の奏者と、七楽章で演奏に小一時間を要する大曲である。鈴木秀美は譜面台を前にして指揮したが、この曲に果たして指揮は必要なのか、やや疑問に感じる。十三名の手練れの奏者は放って置いても、自分達でアンサンブルを構築した上で、勝手に盛り上がって行く筈だ。事実トゥッティになれば、指揮にも多少の意味はあるように感じるが、ワルツ風の三拍子やポリフォ二ックに展開する部分になると、みんな概ね勝手に弾いているようにしか見えない。この曲を大好きな鈴木秀美は、自分の弾くべきパートの無い事を遺憾に思い、その鬱憤晴らしに指揮をしているのではないか?と忖度する次第である。
クラリネットとオーボエの吹く主旋律等、もう少し華やかな音色があっても良いような気もしたが、やはりピリオド楽器だし僕としても、この渋い音色を楽しむのに吝かでは無い。こんな事を誉めると失礼に当たるかも知れないが、ファゴットやホルンなど低音系楽器のリズム感の良いのに感心する。これも勿論、テクニックを前提としたリズムの良さで、あんな扱いの難しそうな楽器を自在に操る、その技術力に瞠目させられる。この低音楽器のリズムの支えがあってこそ、旋律系の楽器も気持ち良く吹けるのだろう。
休憩後はハ短調ミサ。クレドからサンクトゥスへの、華やかな音楽での愉悦感は充実しているが、冒頭のキリエからグローリアへ掛けての短調の曲で、パセティックな情感の表出が乏しく感じられ、全曲を通した明暗の対比はやや甘くなっている。結論から言って終えば、個人的にハ短調ミサの劇的な展開を、今ひとつ楽しむ事は出来なかった。
ソプラノの中江早希は大学院在学中の若手だが、既に抜群のアジリタの技術を持っていて、今回の抜擢を納得させるだけの力量の持ち主である。ただ、倍音に乏しい直線的な発声法で、響きの豊かさに不足するのと音色の変化にも乏しく、この曲のソリストとして必須の華やかさに欠けている。残念ながら今少し研鑽を積まないと、モーツァルトやバッハで大向こうを唸らせるのは難しいと思う。
二番手のソプラノもスピントする高音部はソコソコ歌えたが、中音域を喉だけで支える発声で、技術的な未熟は明らかだった。テノールとバスは共に経験豊富で、この曲では歌う分量も少なく、二人とも安心して聴ける。取り分け浦野のメリスマでの卓抜な技術に感心した。新結成コーラスのトゥッティは若手を中心に、カウンターテノールには上杉清仁、バスには東京二期会と新国立の「魔笛」でパパゲーノを務める萩原潤等を配し、ソリスト級を揃えて万全の布陣を敷いている。
合唱の出来自体はごく普通と思うが、やはりバッハ・コレギウム・ジャパンと比べて終うと、倍音の豊かさに欠けるのは否めない。取り分けトレブルの声に潤いの感じられないのは、ソロを歌ったコロラトゥーラ・ソプラノの声が、トゥッティでも聴こえる所為と思う。まあ、即席合唱団に有り勝ちな問題点ではある。BCJには経験豊富な指揮者に拠る二十年の蓄積があるので、両者を性急に比較するのは酷だし、声楽は素人の鈴木秀美に高望みすべきでは無いとも思うけれども。
だが、トレブルに倍音の膨らみが欠けると、終盤のオザンナでもパート毎の、クッキリとした音色の変化が付かない為、フーガも立体的に浮き立って来ず、ハ短調ミサの華麗な展開を描き切れない憾みは残る。オケとコーラスの倍音が一致しないと、その相乗効果でホール一杯に広がる、音像を享受する快感も得られない。オケの技量に問題のある訳では無いので、コーラスの土台作りを下振りに委ねるのも、一つの解決策かも知れない。
そもそもBCJにしてからが、二十数年前の立ち上げ当時は合唱練習に二日、更にオケ合わせに四日を費やし、当然ながら本番当日もシコシコと稽古し、声と楽器を合わせた演奏全体の完成度を高めていたらしい。結成十四年目を迎えるリベラ・クラシカだが、初めての声楽入り管弦楽演奏で、そう易々とBCJに追い付ける筈も無いと思う。
でも、これだけの重量級のプログラムの後にも関わらず、アンコールを演奏してくれたのは嬉しい限り。定番の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だったが、この曲は終始ピアニシモで通されるので、合唱団の音色の変らない弱点は覆い隠される。シミジミと胸に沁みる演奏だった。
2015年1月17日(土)15:00/いずみホール
指揮/鈴木秀美
オーボエ/エドゥアルド・ウェスリィ/ゲオルク・ズィーベルト
クラリネット/山根孝司/西川智也
バセットホルン/横田瑤子/西田佳代
ファゴット/堂阪清高/永谷陽子
ホルン/エルメス・ベッキニーニ/ディメル・マッカフェーリ/藤田麻里絵/飯島さゆり
コントラバス/西澤誠治
ソプラノ/中江早希/望月万里亜
テノール/谷口洋介
バス/浦野智行
オーケストラ・リベラ・クラシカ
コーロ・リベロ・クラシコ
モーツァルト「セレナード第10番“グラン・パルティータ”K.361/
ミサ曲ハ短調“グロッセ・ミサ”モーンダー補筆版 K.427」
リベラ・クラシカは今から十三年前、モーツァルトやハイドンなど古典派音楽の演奏を目的として、チェリストの鈴木秀美が結成したピリオド・オケである。秀美の兄貴の雅明はバッハを主とした、バロック音楽を演奏するBCJの主宰・指揮者なので、兄弟は国内古楽演奏界で棲み分けを行なうと共に、商圏の更なる拡大を図っている訳だ。リベラ・クラシカが声楽曲を取り上げるのは初めてで、新結成合唱団の旗揚げ公演となる、今日のコンサートを僕は楽しみにしていた。
鈴木秀美が古楽オケを作り指揮をすると知った時、僕はやや違和感を覚えた。失礼ながら彼には、兄貴の組織するアンサンブルで通奏低音を弾く、チェリストのイメージしか無かったからだ。四半世紀前、有田正広は東京バッハ・モーツァルト・オーケストラを立ち上げたが、あの人こそ卓抜したフルーティストではあっても、指揮者に向くタイプとは思えなかった。恐らく他に適任者も見当たらない中、周囲に祭り上げられ、神輿に乗っただけだろうと臆測する。
だが、鈴木秀美の場合は違ったようで、リベラ・クラシカ結成から十年余りを経た今、彼は山響や名フィル等のモダン・オケにポストを得て、指揮者として活動の場を広げている。指揮者とは他人に推されてなるものでは無く、自分で人を集めてオケや合唱団を立ち上げる、その位の気概を持たないと成功は覚束無い商売だろう。要するにお山の大将になりたがり、政治的な駆け引きも厭わない性格を必要とする職業で、楽器を上手に弾けるのは、指揮者の必要条件では無いのだ。
コンサートの前半は「グラン・パルティータ」で、十二管楽器とコントラバスで十三名の奏者と、七楽章で演奏に小一時間を要する大曲である。鈴木秀美は譜面台を前にして指揮したが、この曲に果たして指揮は必要なのか、やや疑問に感じる。十三名の手練れの奏者は放って置いても、自分達でアンサンブルを構築した上で、勝手に盛り上がって行く筈だ。事実トゥッティになれば、指揮にも多少の意味はあるように感じるが、ワルツ風の三拍子やポリフォ二ックに展開する部分になると、みんな概ね勝手に弾いているようにしか見えない。この曲を大好きな鈴木秀美は、自分の弾くべきパートの無い事を遺憾に思い、その鬱憤晴らしに指揮をしているのではないか?と忖度する次第である。
クラリネットとオーボエの吹く主旋律等、もう少し華やかな音色があっても良いような気もしたが、やはりピリオド楽器だし僕としても、この渋い音色を楽しむのに吝かでは無い。こんな事を誉めると失礼に当たるかも知れないが、ファゴットやホルンなど低音系楽器のリズム感の良いのに感心する。これも勿論、テクニックを前提としたリズムの良さで、あんな扱いの難しそうな楽器を自在に操る、その技術力に瞠目させられる。この低音楽器のリズムの支えがあってこそ、旋律系の楽器も気持ち良く吹けるのだろう。
休憩後はハ短調ミサ。クレドからサンクトゥスへの、華やかな音楽での愉悦感は充実しているが、冒頭のキリエからグローリアへ掛けての短調の曲で、パセティックな情感の表出が乏しく感じられ、全曲を通した明暗の対比はやや甘くなっている。結論から言って終えば、個人的にハ短調ミサの劇的な展開を、今ひとつ楽しむ事は出来なかった。
ソプラノの中江早希は大学院在学中の若手だが、既に抜群のアジリタの技術を持っていて、今回の抜擢を納得させるだけの力量の持ち主である。ただ、倍音に乏しい直線的な発声法で、響きの豊かさに不足するのと音色の変化にも乏しく、この曲のソリストとして必須の華やかさに欠けている。残念ながら今少し研鑽を積まないと、モーツァルトやバッハで大向こうを唸らせるのは難しいと思う。
二番手のソプラノもスピントする高音部はソコソコ歌えたが、中音域を喉だけで支える発声で、技術的な未熟は明らかだった。テノールとバスは共に経験豊富で、この曲では歌う分量も少なく、二人とも安心して聴ける。取り分け浦野のメリスマでの卓抜な技術に感心した。新結成コーラスのトゥッティは若手を中心に、カウンターテノールには上杉清仁、バスには東京二期会と新国立の「魔笛」でパパゲーノを務める萩原潤等を配し、ソリスト級を揃えて万全の布陣を敷いている。
合唱の出来自体はごく普通と思うが、やはりバッハ・コレギウム・ジャパンと比べて終うと、倍音の豊かさに欠けるのは否めない。取り分けトレブルの声に潤いの感じられないのは、ソロを歌ったコロラトゥーラ・ソプラノの声が、トゥッティでも聴こえる所為と思う。まあ、即席合唱団に有り勝ちな問題点ではある。BCJには経験豊富な指揮者に拠る二十年の蓄積があるので、両者を性急に比較するのは酷だし、声楽は素人の鈴木秀美に高望みすべきでは無いとも思うけれども。
だが、トレブルに倍音の膨らみが欠けると、終盤のオザンナでもパート毎の、クッキリとした音色の変化が付かない為、フーガも立体的に浮き立って来ず、ハ短調ミサの華麗な展開を描き切れない憾みは残る。オケとコーラスの倍音が一致しないと、その相乗効果でホール一杯に広がる、音像を享受する快感も得られない。オケの技量に問題のある訳では無いので、コーラスの土台作りを下振りに委ねるのも、一つの解決策かも知れない。
そもそもBCJにしてからが、二十数年前の立ち上げ当時は合唱練習に二日、更にオケ合わせに四日を費やし、当然ながら本番当日もシコシコと稽古し、声と楽器を合わせた演奏全体の完成度を高めていたらしい。結成十四年目を迎えるリベラ・クラシカだが、初めての声楽入り管弦楽演奏で、そう易々とBCJに追い付ける筈も無いと思う。
でも、これだけの重量級のプログラムの後にも関わらず、アンコールを演奏してくれたのは嬉しい限り。定番の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だったが、この曲は終始ピアニシモで通されるので、合唱団の音色の変らない弱点は覆い隠される。シミジミと胸に沁みる演奏だった。