<ふれあいコンサートII〜スウィート・シネマ・ミュージック>
2011年8月20日(土)17:15/長野県松本文化会館中ホール
アコーディオン/coba
ギター/渡辺香津美/鈴木大介
パーカッション/ヤヒロトモヒロ
ハロルド・アーレン「虹の彼方に」(オズの魔法使い)
ミシェル・ルグラン「シェルブールの雨傘」
ルイス・バカロフ「イル・ポスティーノ」
ヘンリー・マンシーニ・メドレー
武満徹「ホゼー・トレス2」
ジャンゴ・ラインハルト「ルシアンの青春」
ニーノ・ロータ「フェリーニのアマルコルド」
ルイス・ボンファ「黒いオルフェ」
エンニオ・モリコーネ「ニュー・シネマ・パラダイス」
アリ・バホーゾ「未来世紀ブラジル」
6月30日、松本市内で震度五強の地震が起こり、今日のコンサートを予定していた、ザ・ハーモニーホールも被災で使用不能となった。僕は何度も行った事のあるが、公園の中の緑に囲まれた立地で、聴衆は寛いで音楽を聴けるし、奏者も気持ち良く弾ける、そんな雰囲気のあるホールと思う。サイトウ・キネンの室内楽コンサートの魅力は、安曇野の自然環境に負う部分が小さくはない。
変更された松本文化会館もフェスティヴァルのメイン会場の一つだが、僕は中ホールに付いて、これまでその存在すら知らなかった。会館の玄関を入り、左手の階段を登るとお馴染みの大ホールだが、今日は一階右手の扉が開いていて、その奥に中ホールがある。チケットを渡すと新たな席位置を知らされ、お詫びの印かオリジナル・ストラップを呉れる。ロビーではお酒の無料サービスもあり、僕もバーボンのストレートとスコッチのハイボールを一杯づつ頂いた。
会場に入ると内部はホールと云うより、スタジオのような施設。まずもって天井の低いし、客席の前方は平土間で固定席はなく、折畳み椅子が置いてある。後方は階段状の固定席で多目的仕様になっており、アコースティック面にも問題のある、ここは音楽専用とは言い難いホールと分かる。僕の松本行きの目的は、当然ながら小澤の振るオペラにあり、室内楽鑑賞は安曇野散策の一環と考えている。この会場じゃ趣に乏しいよなぁと、かなり不満に感じる。今日のコンサートにしても、日曜のオペラ公演の前日にあるからと云う、只それだけの理由で来たようなものなのだ。
コンサートはギターの渡辺香津美(見た目ちょい悪オヤジ)のソロで始まり、次に鈴木大介(ふと気付けば「磐城壽」の蔵元さんと同姓同名ですね)が舞台に現われ、ギター・デュオで二曲目を演奏。cobaの出て来てアコーディオン・トリオとなり、ヘンリー・マンシーニで四人が勢揃いする。それぞれ登場の前に、先に出て来た奏者がMCで紹介するスタイルは、如何にもポピュラー・コンサートらしい演出と感じる。
今日のコンサートを聴き進む内、彼等にとって映画音楽は素材に過ぎず、勝負処は曲のアレンジと演奏のアドリブに置いているようだと気付く。また、彼等はスタジオ・ミュージシャンとして、映画音楽をお仕事と捉える傾向もあるやに思う。MCで喋るのは映画の内容よりも音楽の話ばかりで、彼等は娯楽として映画を鑑賞するのではなく、常に音楽を吟味しているかのようだ。パーカッションの八尋は「黒いオルフェ」で、ラスト・シーンのタンバリンに感銘を受けたと話し、やはり専門家の観方は我々とは違うと感じる。映画自体への思い入れを殆んど語らないので、もしかすると音楽を聴くだけで、観た事のない映画もあるのかも知れない、等と妄想して終う。
このコンサートは基本的に、人気者のcobaをフューチャーする企画のようだ。室内楽カルテットとして、アコーディオンが専ら旋律を担当し、撥弦楽器のギターは埋め草に回る場面が多い。そこへパーカッションが入るとギターと音の被って終い、お互いの音色の魅力を相殺しているように思う。或いはジャズ・カルテットのスタイルで、四人の奏者が交代でソロを取り、後の三人は伴奏に回る。何れにせよ単純なスタイルで、僕としてはもっと対位法的なアレンジの望まれる。
また、もっと徹底的にスロー・テンポな、ピアニシモで聴かせる曲も欲しいが、会場の広過ぎてPAを使わざるを得ないと云う事情もある。編曲は鈴木大介の担当らしいが、他の三名を目立たせて自分は遠慮している気配のあり、それが上手く行っている部分もあるが、全体を通し今ひとつ効果は揚がっていない。
四人の奏者のアドリブはパターンの繰り返しで、僕はルーティン・ワークと感じるが、彼等は何れも抜群のテクニシャンで、演奏は充分に盛り上げている。聴いていてそれ相応に楽しいのは勿論だが、僕は特に面白い演奏とは思わない。四名の芸達者のアドリブとスィングに、サイトウ・キネンの客達も大喜びで、こういうのは本当に単純にウケる。でも、僕は音楽を娯楽として捉えるのではなく、分析し理解する対象としているので、そのテに易々とは乗れない。アンコールの曲中に客席から、手拍子の湧き起こったのにも違和感を覚える。演奏に対し耳を澄ますのが、音楽を聴く行為と信じる僕は、押し付けがましい手拍子を嫌悪する。
断って置くが、僕は今日の演奏自体を否定する訳ではない。東日本大震災の後、我々は生命力のある演奏であれば、危機に直面した人々を勇気付け、希望を与える事は可能と知った。そのような場に立てば、恐らく今日の四名の演奏は被災者の心に響く、それだけの力はあると思う。岩手県立不来方高校の歌う「故郷」や、仙台市立八軒中学の歌う「あすという日が」が、避難所の被災者を泣かせたのと同じように。
2011年8月20日(土)17:15/長野県松本文化会館中ホール
アコーディオン/coba
ギター/渡辺香津美/鈴木大介
パーカッション/ヤヒロトモヒロ
ハロルド・アーレン「虹の彼方に」(オズの魔法使い)
ミシェル・ルグラン「シェルブールの雨傘」
ルイス・バカロフ「イル・ポスティーノ」
ヘンリー・マンシーニ・メドレー
武満徹「ホゼー・トレス2」
ジャンゴ・ラインハルト「ルシアンの青春」
ニーノ・ロータ「フェリーニのアマルコルド」
ルイス・ボンファ「黒いオルフェ」
エンニオ・モリコーネ「ニュー・シネマ・パラダイス」
アリ・バホーゾ「未来世紀ブラジル」
6月30日、松本市内で震度五強の地震が起こり、今日のコンサートを予定していた、ザ・ハーモニーホールも被災で使用不能となった。僕は何度も行った事のあるが、公園の中の緑に囲まれた立地で、聴衆は寛いで音楽を聴けるし、奏者も気持ち良く弾ける、そんな雰囲気のあるホールと思う。サイトウ・キネンの室内楽コンサートの魅力は、安曇野の自然環境に負う部分が小さくはない。
変更された松本文化会館もフェスティヴァルのメイン会場の一つだが、僕は中ホールに付いて、これまでその存在すら知らなかった。会館の玄関を入り、左手の階段を登るとお馴染みの大ホールだが、今日は一階右手の扉が開いていて、その奥に中ホールがある。チケットを渡すと新たな席位置を知らされ、お詫びの印かオリジナル・ストラップを呉れる。ロビーではお酒の無料サービスもあり、僕もバーボンのストレートとスコッチのハイボールを一杯づつ頂いた。
会場に入ると内部はホールと云うより、スタジオのような施設。まずもって天井の低いし、客席の前方は平土間で固定席はなく、折畳み椅子が置いてある。後方は階段状の固定席で多目的仕様になっており、アコースティック面にも問題のある、ここは音楽専用とは言い難いホールと分かる。僕の松本行きの目的は、当然ながら小澤の振るオペラにあり、室内楽鑑賞は安曇野散策の一環と考えている。この会場じゃ趣に乏しいよなぁと、かなり不満に感じる。今日のコンサートにしても、日曜のオペラ公演の前日にあるからと云う、只それだけの理由で来たようなものなのだ。
コンサートはギターの渡辺香津美(見た目ちょい悪オヤジ)のソロで始まり、次に鈴木大介(ふと気付けば「磐城壽」の蔵元さんと同姓同名ですね)が舞台に現われ、ギター・デュオで二曲目を演奏。cobaの出て来てアコーディオン・トリオとなり、ヘンリー・マンシーニで四人が勢揃いする。それぞれ登場の前に、先に出て来た奏者がMCで紹介するスタイルは、如何にもポピュラー・コンサートらしい演出と感じる。
今日のコンサートを聴き進む内、彼等にとって映画音楽は素材に過ぎず、勝負処は曲のアレンジと演奏のアドリブに置いているようだと気付く。また、彼等はスタジオ・ミュージシャンとして、映画音楽をお仕事と捉える傾向もあるやに思う。MCで喋るのは映画の内容よりも音楽の話ばかりで、彼等は娯楽として映画を鑑賞するのではなく、常に音楽を吟味しているかのようだ。パーカッションの八尋は「黒いオルフェ」で、ラスト・シーンのタンバリンに感銘を受けたと話し、やはり専門家の観方は我々とは違うと感じる。映画自体への思い入れを殆んど語らないので、もしかすると音楽を聴くだけで、観た事のない映画もあるのかも知れない、等と妄想して終う。
このコンサートは基本的に、人気者のcobaをフューチャーする企画のようだ。室内楽カルテットとして、アコーディオンが専ら旋律を担当し、撥弦楽器のギターは埋め草に回る場面が多い。そこへパーカッションが入るとギターと音の被って終い、お互いの音色の魅力を相殺しているように思う。或いはジャズ・カルテットのスタイルで、四人の奏者が交代でソロを取り、後の三人は伴奏に回る。何れにせよ単純なスタイルで、僕としてはもっと対位法的なアレンジの望まれる。
また、もっと徹底的にスロー・テンポな、ピアニシモで聴かせる曲も欲しいが、会場の広過ぎてPAを使わざるを得ないと云う事情もある。編曲は鈴木大介の担当らしいが、他の三名を目立たせて自分は遠慮している気配のあり、それが上手く行っている部分もあるが、全体を通し今ひとつ効果は揚がっていない。
四人の奏者のアドリブはパターンの繰り返しで、僕はルーティン・ワークと感じるが、彼等は何れも抜群のテクニシャンで、演奏は充分に盛り上げている。聴いていてそれ相応に楽しいのは勿論だが、僕は特に面白い演奏とは思わない。四名の芸達者のアドリブとスィングに、サイトウ・キネンの客達も大喜びで、こういうのは本当に単純にウケる。でも、僕は音楽を娯楽として捉えるのではなく、分析し理解する対象としているので、そのテに易々とは乗れない。アンコールの曲中に客席から、手拍子の湧き起こったのにも違和感を覚える。演奏に対し耳を澄ますのが、音楽を聴く行為と信じる僕は、押し付けがましい手拍子を嫌悪する。
断って置くが、僕は今日の演奏自体を否定する訳ではない。東日本大震災の後、我々は生命力のある演奏であれば、危機に直面した人々を勇気付け、希望を与える事は可能と知った。そのような場に立てば、恐らく今日の四名の演奏は被災者の心に響く、それだけの力はあると思う。岩手県立不来方高校の歌う「故郷」や、仙台市立八軒中学の歌う「あすという日が」が、避難所の被災者を泣かせたのと同じように。