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Channel: オペラの夜
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福島の酒〜呑む、聴く、買う

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 八月の高校総合文化祭の見物に、福島市音楽堂を訪れようと思い立ったのは、出発の一週間ほど前の事。既に福島市内のお宿は満杯状態で、辛うじて予約出来たのが県立美術館の門前にある旅館。どうやら道路工事のおっちゃんとか向けの宿泊施設らしい。現状の福島では、相客は除染作業に従事する方々かも知れないけれども。ここが僕に取って有り難かったのは、食べ放題の夕食付きで、しかもお酒の持ち込みも許されている事。

 そこでお宿で呑む酒を入手すべく、福島駅東口に近い岸波酒店を訪れる。県内のお酒を中心に扱っているお店で、女性店長さんにお勧めを訊ね、喜多方にある小原酒造の「零生氷温本醸造」四合瓶を購入し、宿へ持ち帰る。生原酒を摂氏0度で半年寝かせ、夏に売り出す酒との事。宿の夕食で取り放題の野菜炒めや焼き魚を食べながら、このお酒を美味しく頂く。“蔵粋”(クラシック)を代表的銘柄とする小原酒造は、モーツァルトを聴かせながら育てた酒を売りにしている。大吟醸交響曲とか、純米協奏曲とか云うネーミングで販売しているが、それって要するにモーツァルトの録音を、酒造りの作業中に流しているだけのような気もする。

 翌日は宿から歩いて、福島市音楽堂へ向かう。この日の総文祭は器楽・管弦楽部門で、管弦楽と弦楽合奏とギター・マンドリンの三種類の合奏団体が、ほぼ交互に出て来て演奏する。その中で僕の惹かれるのは、やはりフル・オーケストラの演奏。印象に残ったのはベートヴェンの第五シンフォニー四楽章を取り上げた、北海道の十勝合同オーケストラと、ヴェーバー「魔弾の射手」序曲を単独で演奏した、群馬県の桐女フィルハーモニーの演奏。指揮の先生の弄り過ぎの解釈には納得しなかったが、女子高校生だけでフライ・シュッツを立派に弾き切り、僕は甚く感激させられた。

 この学校はプログラムに寄せたメッセージに、「この地に来るについては、少なからぬ抵抗感を持った関係者もいましたが、私たちにできることは音楽を通じて、たとえ一時でも苦しまれておられる同胞の方に寄り添うことしかできないと考え、やって参りました」と記している。今回の総文祭に参加した学校は全て、同じような事情を抱えている筈なのに、ここまでハッキリ書いたのは、この群馬県立桐生女子高校だけだった。

 この日の最後に、地元の福島・橘・安積・安積黎明の四校合同は、何とヴァーグナーのマイスタージンガー前奏曲を演奏する。これは是非とも聴きたかったが、帰路の電車の時間となり、残念ながら失礼する事とした。福島駅へ戻る途次、岸波酒店に再び立ち寄る。昨日買ったお酒も、柔らかい甘さの中に熟成の深みもあって美味しかったが、自分としてはもう少し呑み応えのある方が好みなので、その旨を店長さんに伝え酒を選んで貰う。お勧めは会津板下町の酒蔵、豊国酒造の純米酒で、一升瓶を購入し持ち帰る事とした。上掲の写真はハンドル・ネーム“夢乙女”、「小さな酒屋」店長さんです。その節はご協力ありがとうございました。



 僕はプレミエを観たサイトウ・キネンの「青髭公の城」だが、その後の火曜日と木曜日の公演は、小澤征爾が体調不良を理由にキャンセルしたらしい。高齢で病み上がりの小澤には、くれぐれも自重をお願いしたい。でも、先週の日曜日の公演ではバッハも振ったし、そんなに体調の悪いようには見えなかったけれども…。取り合えず小澤のバルトークを聴けて、幸運だったと思う。

 会津若松で行われた、金曜日の高校部門の福島予選を聴いた翌日は、中学校部門のコンクールがある。ホテルでバイキングの朝食を摂っていると、制服姿の女子中学生が団体でゾロゾロと入って来る。これがまた躾けの行き届いた連中で、キチンと列を作ってバイキングのテーブルを取り囲み、順番に料理を取ると、キャピキャピ騒いだりせず静かに御飯を食べる。実に整然としているのである。今日も会津風雅堂の客席に座り、代わる代わる出て来る中学生の演奏を聴くが、三番目に出て来たのが、先ほどホテルで見た制服の学校だった。郡山市立第五中学だそうで、電車で一時間程の会津若松で行われる大会へ出場するのに、わざわざ前泊する意気込みと云うか、その支援の手厚さに驚かされる。そんな学校ならマナーの良いのも当然と納得した。

 中学生の演奏は声変わりした生徒と、子供の声のままの生徒の混ざっているので、既に児童合唱の純粋は失われ、さりとて大人の音楽にも為り切れない、我が国の六・三・三制の教育システムに縛られた中途半端な形態と、僕は常々思っている。これを平たく云うと、聴いていて退屈な演奏のみ。それでも件の郡山五中の演奏した、ハヴィエル・ブストのミサ曲は美しかったし、郡山市立第二中学のプーランクのモテットには、指揮者に柔らかいエスプリ表現のあって、何れもなかなか聴かせてくれた。そのように突出した学校は一部にあっても、中学生レヴェルでは娯楽として聴ける演奏は殆んど無い、僕はそう言い切って良いと思っている。

 午前の演奏の終わった処で、会津風雅堂を後にする。鶴ヶ城近辺をぶらぶらした後、昼酒を呑むべく向かうのは、レトロな洋館の会津若松市役所近くにある、居酒屋「麦とろ」。昼食には遅目の時間で、客は僕一人。店名ともなっている名物、八百円の麦とろ定食を注文。生ビールを呑みながら頂く。事前に得た情報では、市内には他にも良さげな店は多かった。真昼間から呑めると云う、只それだけの理由で選択したお店だが、これが大当たりだった。

 卵焼きに大根と烏賊の煮物、鰊の山椒漬と胡瓜の浅漬けに味噌汁も付き、メイン・ディッシュの麦とろ御飯の出て来る前に、一体どれだけ食わせる積もりだと思う程、次々に料理の出て来て、これは呑むしかないと瓶ビールを追加。このお店の料理はお惣菜系ばかりで、平凡と感じる向きもあるようだが、これに相当な手間を掛けて作られている事は、食べれば直ぐに分かる。一見した処は素朴でも、料理としてのレヴェルは高いと思う。

 順調にビールから日本酒へ移行、投入されたのは市内にある高橋庄作酒造の「会津娘・純米酒」。そう云えば「磐城壽」の鈴木大介さんは、「会津娘」の蔵元杜氏さんとは東京農大の同期生か何かで、去年の大阪へも二人連れ立って来られたそうな。僕と大阪の割烹「堂島雪花菜」で同席した際、大介さんは福島県内には、うちと似たお酒を作る蔵は無いし、「会津娘」も全く毛色の違う酒と仰った。まあ、造るお酒の似ておらずとも、“仲良きことは美しき哉”である。でも、喜多方の「蔵太鼓」と云うお酒は、「磐城壽」に似てるんとちゃいます?と僕が訊ねると、あそこのお酒はリズムがある、うちのは…と大介さんは仰る。なんか専門家の用語法は難解で、やっぱり素人には良く分からんですな。

 福島で「磐城壽」に似たお酒の話で、堂島雪花菜の大将は「星自慢」の名前を挙げ、それは「蔵太鼓」の酒蔵の別銘柄と、大介さんに指摘される。どうやら、その喜多の華酒造場の酒は大介さんの醸す酒と、そんなに似ていない訳でも無いらしい。震災以後、僕も福島のお酒を色々と試したが、「飛露喜」に代表される都会的に洗練された軽快な酒と、「大七」のような生もと系の重厚な田舎酒と、傾向としてはこの二手に分かれるように思う。実は僕は、どちらもそんなに好みではなく、やっぱ「磐城壽」が好きです。鈴木大介さんには津波や原発に負けず、これからも頑張って美味しいお酒造って欲しいです。

 麦とろの話に戻すと、真昼間から酒喰らってる観光客風に対し、おっちゃんもおばちゃんも親切で、おまえ遠くから来たのか?そうか大阪からか、大阪から来てくれる客が他にも居る等と話し掛けられ、これは福島県産だと言いつつ、食後のドルチェに桃をサービスで頂いた。どうもその節はご馳走様でした。



 会津から大阪へ帰る途次、郡山駅で途中下車して、ここは毎年訪れている酒屋さん、清水台平野屋に立ち寄る。ご主人にお話を伺うと、震災の時の郡山市内の揺れは大きかったそうで、こちらのお店でもワイン・セラーの倒れ、商品に大きな被害のあったそうだ。福島県の場合、それだけで済めばまだ良かったのだけれども、ご存知の通りの放射能騒ぎである。果たして来年以降、福島の酒は売れるのかどうか、事態は深刻になっている。でも、お酒って米の表面を削って造るんだからと僕が言うと、風評被害はそう云った理屈の問題ではないと、ご主人に窘められて終った。

 こちらのお店では県外の酒を主に扱っているので、震災で被害を受けた蔵元のお酒をとリクエストし、宮城県の川敬商店「山廃純米・黄金澤」の一升瓶を購入し、家まで持ち帰った。この酒蔵は三年前の岩手・宮城内陸地震でも被災しており、ようやく元通りにした処で今回の大震災に遭遇し、再び酒蔵に大きな被害を受けたそうで、実際これも辛い話と思う。

 年に一度程しか来ない、僕のような七夕さんみたいな客の顔を、こちらの店主は何故か覚えてくれている。ご主人は故・上原浩著「純米酒を極める」に拠ると、利き酒の達人だそうで、テイスティングとは即ち記憶力だし、他人の顔を覚える能力にも秀でておられるのかも知れない。上の写真は、その清水台平野屋のご主人です。その節はご協力ありがとうございました。

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