<テアトロ・コムナーレ・ディ・ボローニャ2011日本公演>
2011年9月10日(土)15:00/びわ湖ホール
指揮/ミケーレ・マリオッティ
ボローニャ歌劇場管弦楽団
ボローニャ歌劇場合唱団
NHK東京児童合唱団
演出/アンドレイ・ジャガルス
美術/モニカ・ポルマーレ
照明/ケヴィン・ウィン・ジョーンズ
衣装/クリスティーン・ジュルジャン
振付/エリータ・ブコフスカ
カルメン/ニーノ・スルグラーゼ
ドン・ホセ/マルセロ・アルバレス
ミカエラ/ヴァレンティーナ・コッラデッティ
エスカミーリョ/カイル・ケテルセン
隊長スニガ/クリスヤニス・ノルヴェニス
伍長モラレス/ベンジャミン・ワース
フラスキータ/アンナ・マリア・サッラ
メルセデス/ジュゼッピーナ・ブリデッリ
ダンカイロ/マッティア・カンペッティ
レメンダード/ガブリエーレ・マンジョーネ
来日直後、3.11に遭遇したフィレンツェのテアトロ・コムナーレは、「トスカ」と「運命の力」の公演を一回づつ行った後、フクシマ・ダイイチのメルト・ダウンの情報を(恐らくは)得て、本国へ召還された。知らぬは日本人ばかりなりけり、そんな出来事だった。
既にボローニャのチケットを購入済みだった僕は、尻に帆掛けて逃げ帰ったイタ公どもが、また来る訳ねえよなと諦めていた。だが、五月のメトロポリタン・オペラは、再三再四に渉るキャスト変更のスッタモンダの挙句、日本にやって来た。九月のボローニャにしても、恐らく来るのは来るだろうが、当初発表のキャストから何名の脱落者を出すかへ、興味の焦点は移る。中でもホセに予定されていたヨナス・カウフマンは、既に原発事故を理由にメトの「ドン・カルロ」を降板していて、事故収束の見通しの立たない中、来る訳の無いと考えるのが普通だろう。
案の定、8月19日に「私自身、日本行きを非常に楽しみにしておりました。まず皆様にお伝えしたいのは、この数ヶ月間に日本の皆様が直面している状況を理由に、お伺い出来なくなったのではない事です。今回伺えなくなった理由は、胸部のリンパ節の切除の手術を受けなければならないからです」と云う白々しいメッセージを寄越した、カウフマンの脱落が発表される。でも、これは続いて25日に、代役にマルセロ・アルヴァレスを立てると云う朗報の発表され、「ありがとう、マルちゃん。もうカウフマンなんか一生来るな!」と、毒付いて置けば良くなった。
9月5日には、ミカエラとエスカミーリョの脱落も発表されるが、このお二人は何れにせよ良く存じ上げない方で、来ないヘタレに用は無いと、こちらにも啖呵を切って置く。スルグラーゼとアルヴァレスの来てくれれば、後は取り合えず来て頂いた方を、歓迎すれば良いだけの話だ。因みにエスカミーリョの人の言い訳は、「声帯に発声障害が生じている」。ミカエラの人のは、「熱を伴う重症の咽頭炎・扁桃炎で15日間の治療と完全な休養が必要」との事で、まあ好き勝手言っとれと思うのみ。
ホールに入ると真っ先に目に入るのは、舞台の間口全面にデザインされたキューバ国旗で、今回の演出コンセプトを開演前から自己主張している。前奏曲を終えて国旗の緞帳が上がると、現れるのはフィデル・カストロの肖像をあしらった葉巻工場のセット。二幕はバー・セヴィーリャのセットで、こちらにはチェ・ゲバラの肖像が掲げられている。三幕ではハバナの海岸風景がホリゾントに投射され、密輸業者は年代物のアメ車でブツを運ぶ。今日のエスカミーリョは闘牛士ではなくボクサーの設定で、四幕はボクシング会場を外から見上げる広場の情景。考えてみれば闘牛もボクシングも、血を見るスポーツと云う共通点はある。
「カルメン」の舞台を現代のキューバへ移した、演出家の読替え自体が秀逸で、後は如何に説得力のある肉付け、つまりハバナの街のリアル・ライフを視覚化出来るかに、舞台の成否は掛かって来る。演出のジャガルスは北欧ラトヴィア出身だが、カラフルな原色のセットと衣装で埋め尽くす、南国らしくケバケバしい舞台を作り、これは「カルメン」の音楽のケバさに対応しているように思う。演出家は実際にキューバを訪れた事のあるそうで、今日の舞台はラム酒呑んで、サルサ踊って女の子とイチャイチャすれば、そこに人生の至福極まれりと云う、ラテンの快楽主義(村上龍ですな)的なノリで押し通している。
コーラスはGAPのTシャツや、サッカーのボローニャのユニフォームを着た奴のいて、これは私服かとも疑われるが、黒人キャストも混じえて、キューバらしいリアリティを確保している。ただ、ボクシングと並び、キューバで最も盛んなスポーツである、野球帽を被ったヤツのいなかったが、これはラトヴィア人が作ってイタリアへ持ち込んだプロダクションなので致し方も無い。
ホセによるカルメン殺しの場面。ホセは手にした空き瓶を割り、カルメンの喉を突く。白い衣装に血糊を付け、眼を開けたまま息絶えるカルメン。衝動的且つ、確実な殺意を持った行為との演出意図を、絵にして見せた手際が秀逸。二幕間奏曲では曲想に合わせ、酒場の客達の小競り合いがあり、三幕間奏曲でもリズムに合わせゴムボートを膨らませる等、舞台上の動きを音楽に絡ませてもいる。モブに対し細かい演技指導のある、入念な舞台作りでベタでも楽しい、とても見応えのある演出だった。
ペ−ザロ出身のミケーレ・マリオッティは四年前、28歳の若さでボローニャの首席指揮者に就任している。ボローニャでは、ミラノ出身のリッカルド・シャイーを33歳で、ダニエレ・ガッティを35歳で音楽監督に就けていて、マリオッティも自国の若手を抜擢する伝統に沿った起用である。シャイーとガッティのその後の活躍は皆様ご存知の通りで、今日聴いた処ではマリオッティにも、前途洋々の将来は約束されているように思う。
前奏曲ではオケをドルチェに歌わせ、効果的なリタルダントの使用法で、センシティヴなフレージングを作る。また、開幕直後の男声合唱では、クレシェンドとスフォルツァンドとの、中間位の微妙な膨らませ方で音量に変化を付け、柔らかなフレージングを作っている。けたたましい程にアザトくオケを鳴らす、痛快な「カルメン」は僕も嫌いではない。でも、今日の指揮者のヴェリズモと云うより、ロマンティックに歌い上げるような「カルメン」も、全然悪くないと思う。
ハバネラ後半のアチェルラントや、二幕間奏曲での木管のマルカート。“花の歌”前奏部でのオーボエ・ソロのユックリしたテンポと、ホセにタップリと歌わせる最後のリタルダント。三幕前奏曲のフルート・ソロの遅いテンポと、アザトいけれども効果的なリタルダントの使用法等、様々に個性的な解釈は全て、「カルメン」をタップリと楽しませる為の、若い指揮者の周到な配慮と思う。
マリオッティの柔らかい音楽作りに応えながらも、そこはオペラ・ハウスの座付きで、ボローニャのオケは勘所は外さずに盛り上げる。如何にもイタリアのオケらしい、歌心に満ちたブラヴーラに、僕は胸を熱くする。またマリオッティのコーラスの扱いは、マルカートとドルチェを組み合わせた丁寧な歌わせ方で、この人の合唱への思い入れも感じ取れる。恐らくは下振り任せでなく、自分でも時間を割いて稽古を付けているように思う。
でも、これもオペラ・ハウスのコーラスで、ハバネラや闘牛場への行進曲等の景気の良い歌は、縦の揃わない雑然とした音色を物ともしない、如何にも奔放な歌い振り。一幕の幕切れでのソプラノの力に溢れた声を聴けば、このコーラスはソリスト級を多数抱えていると分かる。パワフルに発散してくれて、やっぱ「カルメン」はこうでなくっちゃ、と思う。N児は25名程のメンバーで齢回りからすると、ユースとジュニアの混成部隊だろうか。なかなか強靭な歌声で、こちらも充分に満足すべき出来映え。
歌手では、やはりホセのアルヴァレス。一幕のカルメンとのデュオで、ビシリとフォルテシモをキメたが、ミカエラとのデュオでファルセットに逃げて終い、ここだけが玉にキズか。二幕の“花の歌”と、その後のカルメンに訣別する歌ではハイCをキメたし、三幕と四幕でカルメンを掻き口説く際の歌は、何れも力のある声が素晴らしい。この人の剛毅な声質は、ちょっとドミンゴに似ていて、でもあれほど押し出しの立派ではなく、程々に情け無いのがホセに合うキャラクターと思う。僕はお久し振りのアルヴァレスだが、良いモン食って安穏に暮らしているのか、体型的にもドミンゴに近付いて来たのは、誠にご同慶の至り。騒々しい世情にある日本公演で、ヘタレ歌手の代役を引き受けてくれた、マルちゃんに感謝。
僕はタイトル・ロールのスルグラーゼを、昨年のサントリーホール「コジ・ファン・トゥッテ」で聴いており、この人のドラベッラは良かったけれども、果たしてカルメンはどうだろう?と、やや懸念していた。でも、この方は声量には乏しくとも、オケとコーラスのトゥッティを突き抜ける声質があり、声の聴こえずに、もどかしい思いをする事は無い。音色の変化で聴かせるタイプではなく、力のあるアルトの声質の低音で聴かせ、単独のアリアには小技も満載で、オリジナルなカルメンを造形している。取り分け、陰鬱な“カルタの歌”等で、その本領を聴かせてくれた。
スルグラーゼさんの声をヴェリズモ向きとは言えないが、でも何と云っても容姿がカルメンに打って付けなのと、演技力に秀でていてトータルで観れば、充分に魅力的なタイトル・ロールと思う。それと主役四人の内、当初発表通りに来日してくれたのはスルグラーゼ嬢ひとりで、これも誠に有り難い事だし、美人で性格も良いとなれば応援せざるを得ない。
ミカエラのコッラデッティは、レジェーロな声質でも濃い音色があり、またアルヴァレスと張り合える声量の持ち主で、ピアニシモのロング・トーンも力強い。三幕のアリアも実に立派な、やや立派過ぎる歌。中音域の太い声質のまま、高音部でスピントして余りにも力強く、ミカエラらしい可憐さには不足する。それと舞台姿も豊満な、余りにも豊満な体形で、これがカルメンの代役だったら怒るが、まあミカエラだし辛抱しようと思う。ただ、演出家が今回のミカエラに付いて、「衣装も保守的ではなくセクシーなものを着せています」と述べているのを、僕は後から読んで驚いて終った。その“セクシー”な衣装を、コッラデッティさんの着用したお姿を拝見し、僕は看護婦のユニフォームと思い込んでいたのもので…。
エスカミーリョのケテルセンは声の力よりも、響きで聴かせるタイプのバリトン。でも、このテの声質の人に“闘牛士の歌”を歌わせると、余り芳しい結果は出ない。何よりもデカイ声を出すのが、あのアリアを歌う際の必須条件と思うからだ。でも、三幕のホセとの決闘シーンでは、アルヴァレスと対等に大声を出し合っていたので、やはりあれはバリトンに取って鬼門のアリアと再認識した。
実は今日、僕は三幕の幕切れ辺りから、何だか泣けて仕方なかった。もう来ないものと諦めていた、ボローニャのテアトロ・コムナーレが実際に来日し、目の前で熱気に溢れる演奏を繰り広げている。オケのメンバーには当然ながら、色々な考えの人のいるだろう。だが、今この瞬間は全員がビゼーの音楽に没頭し、我々日本の聴衆にイタオペの魂を込めた演奏を届けようとしている。僕はその眼前の事実に、胸打たれたのだ。
メトロポリタンに続き、大騒ぎの末の来日だったが、今は日本に来てくれたボローニャ関係者全員に、心から感謝の意を述べたい。
2011年9月10日(土)15:00/びわ湖ホール
指揮/ミケーレ・マリオッティ
ボローニャ歌劇場管弦楽団
ボローニャ歌劇場合唱団
NHK東京児童合唱団
演出/アンドレイ・ジャガルス
美術/モニカ・ポルマーレ
照明/ケヴィン・ウィン・ジョーンズ
衣装/クリスティーン・ジュルジャン
振付/エリータ・ブコフスカ
カルメン/ニーノ・スルグラーゼ
ドン・ホセ/マルセロ・アルバレス
ミカエラ/ヴァレンティーナ・コッラデッティ
エスカミーリョ/カイル・ケテルセン
隊長スニガ/クリスヤニス・ノルヴェニス
伍長モラレス/ベンジャミン・ワース
フラスキータ/アンナ・マリア・サッラ
メルセデス/ジュゼッピーナ・ブリデッリ
ダンカイロ/マッティア・カンペッティ
レメンダード/ガブリエーレ・マンジョーネ
来日直後、3.11に遭遇したフィレンツェのテアトロ・コムナーレは、「トスカ」と「運命の力」の公演を一回づつ行った後、フクシマ・ダイイチのメルト・ダウンの情報を(恐らくは)得て、本国へ召還された。知らぬは日本人ばかりなりけり、そんな出来事だった。
既にボローニャのチケットを購入済みだった僕は、尻に帆掛けて逃げ帰ったイタ公どもが、また来る訳ねえよなと諦めていた。だが、五月のメトロポリタン・オペラは、再三再四に渉るキャスト変更のスッタモンダの挙句、日本にやって来た。九月のボローニャにしても、恐らく来るのは来るだろうが、当初発表のキャストから何名の脱落者を出すかへ、興味の焦点は移る。中でもホセに予定されていたヨナス・カウフマンは、既に原発事故を理由にメトの「ドン・カルロ」を降板していて、事故収束の見通しの立たない中、来る訳の無いと考えるのが普通だろう。
案の定、8月19日に「私自身、日本行きを非常に楽しみにしておりました。まず皆様にお伝えしたいのは、この数ヶ月間に日本の皆様が直面している状況を理由に、お伺い出来なくなったのではない事です。今回伺えなくなった理由は、胸部のリンパ節の切除の手術を受けなければならないからです」と云う白々しいメッセージを寄越した、カウフマンの脱落が発表される。でも、これは続いて25日に、代役にマルセロ・アルヴァレスを立てると云う朗報の発表され、「ありがとう、マルちゃん。もうカウフマンなんか一生来るな!」と、毒付いて置けば良くなった。
9月5日には、ミカエラとエスカミーリョの脱落も発表されるが、このお二人は何れにせよ良く存じ上げない方で、来ないヘタレに用は無いと、こちらにも啖呵を切って置く。スルグラーゼとアルヴァレスの来てくれれば、後は取り合えず来て頂いた方を、歓迎すれば良いだけの話だ。因みにエスカミーリョの人の言い訳は、「声帯に発声障害が生じている」。ミカエラの人のは、「熱を伴う重症の咽頭炎・扁桃炎で15日間の治療と完全な休養が必要」との事で、まあ好き勝手言っとれと思うのみ。
ホールに入ると真っ先に目に入るのは、舞台の間口全面にデザインされたキューバ国旗で、今回の演出コンセプトを開演前から自己主張している。前奏曲を終えて国旗の緞帳が上がると、現れるのはフィデル・カストロの肖像をあしらった葉巻工場のセット。二幕はバー・セヴィーリャのセットで、こちらにはチェ・ゲバラの肖像が掲げられている。三幕ではハバナの海岸風景がホリゾントに投射され、密輸業者は年代物のアメ車でブツを運ぶ。今日のエスカミーリョは闘牛士ではなくボクサーの設定で、四幕はボクシング会場を外から見上げる広場の情景。考えてみれば闘牛もボクシングも、血を見るスポーツと云う共通点はある。
「カルメン」の舞台を現代のキューバへ移した、演出家の読替え自体が秀逸で、後は如何に説得力のある肉付け、つまりハバナの街のリアル・ライフを視覚化出来るかに、舞台の成否は掛かって来る。演出のジャガルスは北欧ラトヴィア出身だが、カラフルな原色のセットと衣装で埋め尽くす、南国らしくケバケバしい舞台を作り、これは「カルメン」の音楽のケバさに対応しているように思う。演出家は実際にキューバを訪れた事のあるそうで、今日の舞台はラム酒呑んで、サルサ踊って女の子とイチャイチャすれば、そこに人生の至福極まれりと云う、ラテンの快楽主義(村上龍ですな)的なノリで押し通している。
コーラスはGAPのTシャツや、サッカーのボローニャのユニフォームを着た奴のいて、これは私服かとも疑われるが、黒人キャストも混じえて、キューバらしいリアリティを確保している。ただ、ボクシングと並び、キューバで最も盛んなスポーツである、野球帽を被ったヤツのいなかったが、これはラトヴィア人が作ってイタリアへ持ち込んだプロダクションなので致し方も無い。
ホセによるカルメン殺しの場面。ホセは手にした空き瓶を割り、カルメンの喉を突く。白い衣装に血糊を付け、眼を開けたまま息絶えるカルメン。衝動的且つ、確実な殺意を持った行為との演出意図を、絵にして見せた手際が秀逸。二幕間奏曲では曲想に合わせ、酒場の客達の小競り合いがあり、三幕間奏曲でもリズムに合わせゴムボートを膨らませる等、舞台上の動きを音楽に絡ませてもいる。モブに対し細かい演技指導のある、入念な舞台作りでベタでも楽しい、とても見応えのある演出だった。
ペ−ザロ出身のミケーレ・マリオッティは四年前、28歳の若さでボローニャの首席指揮者に就任している。ボローニャでは、ミラノ出身のリッカルド・シャイーを33歳で、ダニエレ・ガッティを35歳で音楽監督に就けていて、マリオッティも自国の若手を抜擢する伝統に沿った起用である。シャイーとガッティのその後の活躍は皆様ご存知の通りで、今日聴いた処ではマリオッティにも、前途洋々の将来は約束されているように思う。
前奏曲ではオケをドルチェに歌わせ、効果的なリタルダントの使用法で、センシティヴなフレージングを作る。また、開幕直後の男声合唱では、クレシェンドとスフォルツァンドとの、中間位の微妙な膨らませ方で音量に変化を付け、柔らかなフレージングを作っている。けたたましい程にアザトくオケを鳴らす、痛快な「カルメン」は僕も嫌いではない。でも、今日の指揮者のヴェリズモと云うより、ロマンティックに歌い上げるような「カルメン」も、全然悪くないと思う。
ハバネラ後半のアチェルラントや、二幕間奏曲での木管のマルカート。“花の歌”前奏部でのオーボエ・ソロのユックリしたテンポと、ホセにタップリと歌わせる最後のリタルダント。三幕前奏曲のフルート・ソロの遅いテンポと、アザトいけれども効果的なリタルダントの使用法等、様々に個性的な解釈は全て、「カルメン」をタップリと楽しませる為の、若い指揮者の周到な配慮と思う。
マリオッティの柔らかい音楽作りに応えながらも、そこはオペラ・ハウスの座付きで、ボローニャのオケは勘所は外さずに盛り上げる。如何にもイタリアのオケらしい、歌心に満ちたブラヴーラに、僕は胸を熱くする。またマリオッティのコーラスの扱いは、マルカートとドルチェを組み合わせた丁寧な歌わせ方で、この人の合唱への思い入れも感じ取れる。恐らくは下振り任せでなく、自分でも時間を割いて稽古を付けているように思う。
でも、これもオペラ・ハウスのコーラスで、ハバネラや闘牛場への行進曲等の景気の良い歌は、縦の揃わない雑然とした音色を物ともしない、如何にも奔放な歌い振り。一幕の幕切れでのソプラノの力に溢れた声を聴けば、このコーラスはソリスト級を多数抱えていると分かる。パワフルに発散してくれて、やっぱ「カルメン」はこうでなくっちゃ、と思う。N児は25名程のメンバーで齢回りからすると、ユースとジュニアの混成部隊だろうか。なかなか強靭な歌声で、こちらも充分に満足すべき出来映え。
歌手では、やはりホセのアルヴァレス。一幕のカルメンとのデュオで、ビシリとフォルテシモをキメたが、ミカエラとのデュオでファルセットに逃げて終い、ここだけが玉にキズか。二幕の“花の歌”と、その後のカルメンに訣別する歌ではハイCをキメたし、三幕と四幕でカルメンを掻き口説く際の歌は、何れも力のある声が素晴らしい。この人の剛毅な声質は、ちょっとドミンゴに似ていて、でもあれほど押し出しの立派ではなく、程々に情け無いのがホセに合うキャラクターと思う。僕はお久し振りのアルヴァレスだが、良いモン食って安穏に暮らしているのか、体型的にもドミンゴに近付いて来たのは、誠にご同慶の至り。騒々しい世情にある日本公演で、ヘタレ歌手の代役を引き受けてくれた、マルちゃんに感謝。
僕はタイトル・ロールのスルグラーゼを、昨年のサントリーホール「コジ・ファン・トゥッテ」で聴いており、この人のドラベッラは良かったけれども、果たしてカルメンはどうだろう?と、やや懸念していた。でも、この方は声量には乏しくとも、オケとコーラスのトゥッティを突き抜ける声質があり、声の聴こえずに、もどかしい思いをする事は無い。音色の変化で聴かせるタイプではなく、力のあるアルトの声質の低音で聴かせ、単独のアリアには小技も満載で、オリジナルなカルメンを造形している。取り分け、陰鬱な“カルタの歌”等で、その本領を聴かせてくれた。
スルグラーゼさんの声をヴェリズモ向きとは言えないが、でも何と云っても容姿がカルメンに打って付けなのと、演技力に秀でていてトータルで観れば、充分に魅力的なタイトル・ロールと思う。それと主役四人の内、当初発表通りに来日してくれたのはスルグラーゼ嬢ひとりで、これも誠に有り難い事だし、美人で性格も良いとなれば応援せざるを得ない。
ミカエラのコッラデッティは、レジェーロな声質でも濃い音色があり、またアルヴァレスと張り合える声量の持ち主で、ピアニシモのロング・トーンも力強い。三幕のアリアも実に立派な、やや立派過ぎる歌。中音域の太い声質のまま、高音部でスピントして余りにも力強く、ミカエラらしい可憐さには不足する。それと舞台姿も豊満な、余りにも豊満な体形で、これがカルメンの代役だったら怒るが、まあミカエラだし辛抱しようと思う。ただ、演出家が今回のミカエラに付いて、「衣装も保守的ではなくセクシーなものを着せています」と述べているのを、僕は後から読んで驚いて終った。その“セクシー”な衣装を、コッラデッティさんの着用したお姿を拝見し、僕は看護婦のユニフォームと思い込んでいたのもので…。
エスカミーリョのケテルセンは声の力よりも、響きで聴かせるタイプのバリトン。でも、このテの声質の人に“闘牛士の歌”を歌わせると、余り芳しい結果は出ない。何よりもデカイ声を出すのが、あのアリアを歌う際の必須条件と思うからだ。でも、三幕のホセとの決闘シーンでは、アルヴァレスと対等に大声を出し合っていたので、やはりあれはバリトンに取って鬼門のアリアと再認識した。
実は今日、僕は三幕の幕切れ辺りから、何だか泣けて仕方なかった。もう来ないものと諦めていた、ボローニャのテアトロ・コムナーレが実際に来日し、目の前で熱気に溢れる演奏を繰り広げている。オケのメンバーには当然ながら、色々な考えの人のいるだろう。だが、今この瞬間は全員がビゼーの音楽に没頭し、我々日本の聴衆にイタオペの魂を込めた演奏を届けようとしている。僕はその眼前の事実に、胸打たれたのだ。
メトロポリタンに続き、大騒ぎの末の来日だったが、今は日本に来てくれたボローニャ関係者全員に、心から感謝の意を述べたい。