川高グリーのコンサートの終われば、そのまま川越に宿を取れば良さそうなものだが、僕は再び長躯して福島へ戻る。予約した会津若松のホテルにチェック・インしたのは、そろそろ日付けの変わる時刻だった。
翌朝は遅くに起床するが、今日は何も予定は無い。会津若松の街中をブラブラ歩き、まずはお酒の調達で、七日町通りに面した植木屋酒店へ赴く。以前、このブログでも紹介した、津波に全てを流された浜通り浪江町の“磐城壽”は、紆余屈折を経て山形県長井市に拠点を移し、昨秋より鈴木酒造店長井蔵として酒造りを再開した。蔵元兼杜氏の鈴木大介さんに取って、福島県内での酒造りを諦めるのは断腸の思いと伝え聞く。山形で廃業した酒蔵の設備を、居抜き物件として引継いでの再開ではあるが、それでも設備投資には結構な費用の掛かる。しかも住民票を山形に移した為、福島への義捐金は受け取れない。前途は険しいが、常に前向きの鈴木大介さんは、新天地での酒造りに打ち込んでおられる様子だ。
僕も年の瀬に出荷された、仕込み第一号の“磐城壽・季造りしぼりたて生酒”を三本購入し、お正月に美味しく頂いた。新天地での再出発を契機とし、長井蔵では六百kgの少量仕込みへの転換を図り、冬期のみ酒を醸すのではない、通年生産を行っている。少量生産の為、矢継ぎ早に色々な銘柄の発売され、僕は今それを追い掛けるのに忙しい。上掲の写真の内、右が全国に流通する“磐城壽・純米酒”で、左が福島県内限定発売の“磐城壽・浜の福興酒”である。後者は普通酒で避難生活の県民の為、懐に優しい値段設定となっている。
ここ会津の植木屋酒店さんは震災前、実は磐城壽の売り込みに、それほど積極的だった訳ではないそうだ。でも、震災と津波の後、兎に角ひたすらに前向きな鈴木大介さんを、皆さん挙って支援しようとしている。まあ、何分にも磐城壽は個性的で、決して万人受けする酒ではないし、酒屋さんとしては売り難い商品かも知れない。それでも浪江の硬水から、長井の軟水に変わった所為か、今のところ随分と大人しい酒の出来のように思う。このブログをお読みの皆様には、是非とも磐城壽をご愛飲下るようお願いしたい。
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上の写真は浪江町で量販店やホームセンター等を経営する、マツダヤのプライベート・ブランドで“親父の小言”。勿論、中身の酒は磐城壽だが、銘柄の“親父の小言”は浪江町にある古いお寺の先々代の住職が、家族に残した金言集だそうである。フクシマ・ダイイチの警戒区域に指定され、今は散り散りに避難している浪江町民のアイデンティティーの確認の為、“親父の小言”の外装に“磐城壽”を詰め、商品化する運びとなった。要するに、この酒を呑んで浪江を思えと云う事で、僕なんぞが呑んでも罰の当たる事も無さそうだ。
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次の写真は濁り酒で、右の白いのが“磐城壽「標葉にごり」純米吟醸活性にごり”、左はその桃色ヴァージョンで“ももうま”。そう云えば、大阪駅前近くにある磐城壽マニアのお店「堂島雪花菜」で、僕は“モモレンジャー”と云う酒を呑まされた事がある。これは福島県の若手酒造家の集いで、「秘密戦隊ゴレンジャー」の五色の酒をそれぞれ作ろうと盛り上がり、その場でモモレンジャーの担当と決まった、鈴木大介さんの作った酒なそうな。結果、そんな酒を作ったのは鈴木酒造店だけで、後に鈴木さんが他の人に、何故みんな作らなかったのかと尋ねると、あれは酒の席の話との答えだったそうだ。正直の上に何かヘンなものの付きそうな挿話だが、それにしても桃色が好きですな、大介さん。
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さて、家呑みの酒は調達したので、次は昼酒を呑みに去年も訪れた「麦とろ」を再訪する。やはり福島市や郡山市はビジネスの街で、昼酒を呑むのに今ひとつ適せず、それと比べて会津若松は、古い城下町で何処かユルイ雰囲気の漂っている。麦とろ定食を頂きつつ、真昼間から酒喰らってる僕の事を、大将は以前にも来たヤツと覚えて下さっていた。生ビールに瓶ビール、酒は会津中将と末廣を、それぞれグラスと二合瓶で頂き、僕はすっかり出来上がる。ドルチェに桜桃をサービスで頂戴した後、奥さんにお勘定を告げる。大将には「おまえ、夜は何処へ行く積もりだ?」と聞かれたが、もう僕としてはこれで大満足だな。
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翌朝も遅目に起床し、JRで福島駅へ向かう。なんとなく福島の街中をブラブラしてから、市内循環バスで音楽堂へ向かう。適当な停留所で降りて歩いていると、小学校と向かい合わせにある保育所に、放射線量計を見掛ける。毎時0.23マイクロシーベルトって事は、ほぼ年間1ミリシーベルトか。保育所の校庭ではあるし、除染は徹底している筈で、それでこの数値は高いよな…。少なくとも幼い子供を、のびのびと遊ばせる環境ではない。何故、福島でこんな不条理な状況の続くのか、遣り切れない思いは募る。
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最近、僕は声高な原発即時全廃の主張を耳にすると、言いようの無い違和感を覚える。勿論、福島の現状を考えれば、活断層の真上に鎮座する原発を動かす等、言語道断と思う。だが、ヒステリックな原発全廃の主張は、岩手や宮城の瓦礫処理の受け入れ反対運動や、福島県産品の全面拒否と表裏一体になっているように思う。原発廃止への世論の高まりは、福島への風評被害と連動するのではないか、そんな不安に駆られる。政府と東電による全面的な情報公開と、それを叩き台とした冷静な議論の深まり、今はそれが切に望まれる。そのような過程を踏んだ上での結論が、原発の段階的な全廃であれば、僕は諸手を挙げて賛成したい。
翌朝は遅くに起床するが、今日は何も予定は無い。会津若松の街中をブラブラ歩き、まずはお酒の調達で、七日町通りに面した植木屋酒店へ赴く。以前、このブログでも紹介した、津波に全てを流された浜通り浪江町の“磐城壽”は、紆余屈折を経て山形県長井市に拠点を移し、昨秋より鈴木酒造店長井蔵として酒造りを再開した。蔵元兼杜氏の鈴木大介さんに取って、福島県内での酒造りを諦めるのは断腸の思いと伝え聞く。山形で廃業した酒蔵の設備を、居抜き物件として引継いでの再開ではあるが、それでも設備投資には結構な費用の掛かる。しかも住民票を山形に移した為、福島への義捐金は受け取れない。前途は険しいが、常に前向きの鈴木大介さんは、新天地での酒造りに打ち込んでおられる様子だ。
僕も年の瀬に出荷された、仕込み第一号の“磐城壽・季造りしぼりたて生酒”を三本購入し、お正月に美味しく頂いた。新天地での再出発を契機とし、長井蔵では六百kgの少量仕込みへの転換を図り、冬期のみ酒を醸すのではない、通年生産を行っている。少量生産の為、矢継ぎ早に色々な銘柄の発売され、僕は今それを追い掛けるのに忙しい。上掲の写真の内、右が全国に流通する“磐城壽・純米酒”で、左が福島県内限定発売の“磐城壽・浜の福興酒”である。後者は普通酒で避難生活の県民の為、懐に優しい値段設定となっている。
ここ会津の植木屋酒店さんは震災前、実は磐城壽の売り込みに、それほど積極的だった訳ではないそうだ。でも、震災と津波の後、兎に角ひたすらに前向きな鈴木大介さんを、皆さん挙って支援しようとしている。まあ、何分にも磐城壽は個性的で、決して万人受けする酒ではないし、酒屋さんとしては売り難い商品かも知れない。それでも浪江の硬水から、長井の軟水に変わった所為か、今のところ随分と大人しい酒の出来のように思う。このブログをお読みの皆様には、是非とも磐城壽をご愛飲下るようお願いしたい。

上の写真は浪江町で量販店やホームセンター等を経営する、マツダヤのプライベート・ブランドで“親父の小言”。勿論、中身の酒は磐城壽だが、銘柄の“親父の小言”は浪江町にある古いお寺の先々代の住職が、家族に残した金言集だそうである。フクシマ・ダイイチの警戒区域に指定され、今は散り散りに避難している浪江町民のアイデンティティーの確認の為、“親父の小言”の外装に“磐城壽”を詰め、商品化する運びとなった。要するに、この酒を呑んで浪江を思えと云う事で、僕なんぞが呑んでも罰の当たる事も無さそうだ。

次の写真は濁り酒で、右の白いのが“磐城壽「標葉にごり」純米吟醸活性にごり”、左はその桃色ヴァージョンで“ももうま”。そう云えば、大阪駅前近くにある磐城壽マニアのお店「堂島雪花菜」で、僕は“モモレンジャー”と云う酒を呑まされた事がある。これは福島県の若手酒造家の集いで、「秘密戦隊ゴレンジャー」の五色の酒をそれぞれ作ろうと盛り上がり、その場でモモレンジャーの担当と決まった、鈴木大介さんの作った酒なそうな。結果、そんな酒を作ったのは鈴木酒造店だけで、後に鈴木さんが他の人に、何故みんな作らなかったのかと尋ねると、あれは酒の席の話との答えだったそうだ。正直の上に何かヘンなものの付きそうな挿話だが、それにしても桃色が好きですな、大介さん。

さて、家呑みの酒は調達したので、次は昼酒を呑みに去年も訪れた「麦とろ」を再訪する。やはり福島市や郡山市はビジネスの街で、昼酒を呑むのに今ひとつ適せず、それと比べて会津若松は、古い城下町で何処かユルイ雰囲気の漂っている。麦とろ定食を頂きつつ、真昼間から酒喰らってる僕の事を、大将は以前にも来たヤツと覚えて下さっていた。生ビールに瓶ビール、酒は会津中将と末廣を、それぞれグラスと二合瓶で頂き、僕はすっかり出来上がる。ドルチェに桜桃をサービスで頂戴した後、奥さんにお勘定を告げる。大将には「おまえ、夜は何処へ行く積もりだ?」と聞かれたが、もう僕としてはこれで大満足だな。

翌朝も遅目に起床し、JRで福島駅へ向かう。なんとなく福島の街中をブラブラしてから、市内循環バスで音楽堂へ向かう。適当な停留所で降りて歩いていると、小学校と向かい合わせにある保育所に、放射線量計を見掛ける。毎時0.23マイクロシーベルトって事は、ほぼ年間1ミリシーベルトか。保育所の校庭ではあるし、除染は徹底している筈で、それでこの数値は高いよな…。少なくとも幼い子供を、のびのびと遊ばせる環境ではない。何故、福島でこんな不条理な状況の続くのか、遣り切れない思いは募る。

最近、僕は声高な原発即時全廃の主張を耳にすると、言いようの無い違和感を覚える。勿論、福島の現状を考えれば、活断層の真上に鎮座する原発を動かす等、言語道断と思う。だが、ヒステリックな原発全廃の主張は、岩手や宮城の瓦礫処理の受け入れ反対運動や、福島県産品の全面拒否と表裏一体になっているように思う。原発廃止への世論の高まりは、福島への風評被害と連動するのではないか、そんな不安に駆られる。政府と東電による全面的な情報公開と、それを叩き台とした冷静な議論の深まり、今はそれが切に望まれる。そのような過程を踏んだ上での結論が、原発の段階的な全廃であれば、僕は諸手を挙げて賛成したい。