<ふくしま総文・合唱部門>
2011年8月5日(金)10:00/福島市音楽堂
3月11日の被災により福島県内で休館したホールは数多く、夏の高校総合文化祭の開催も危ぶまれた。個人的な意見としては、辛い決断でも中止が妥当と、そう思っていた。だが、五月になって規模を縮小しての開催決定が、大会事務局より発表される。そこに政治的な意図は絡まっていないのか、懸念される。
コンクール全国大会として行われ、最も注目を集める演劇部門は、開催予定の福島県文化センターの休館により香川県での代替開催、いわきアリオスが避難所となった吹奏楽部門は中止となる。やはり休館中の郡山市民文化センターで予定されていた、器楽・管弦楽団部門は日程を変更して福島市音楽堂での開催となり、これに押し出された合唱部門も、日程の変更を余儀なくされた。
今回のふくしま総文の開催に付いて、前途有為の高校生を何故わざわざ、放射線量の高い福島に集めねばならぬのか、当然ながら批判的な意見は多かった。主催者側はふくしま総文への参加に際し、生徒の保護者に承諾書の提出を求めたらしい。その結果、提出拒否の相次ぎ、合唱部自体の出場を見合わせた学校もあるやに仄聞する。若年者は無用の内部被爆を避けねばならず、その判断に対し異を唱える余地は無い。
ふくしま総文の開催強行に、政府や福島県の安全アピールの意図のあるのは明白だが、それでも福島に住み続けざるを得ない人々を思えば、全国の高校生の参加に意義はあると考える。フクシマ・ダイイチの身に迫らない、安全な土地に住む我々にしても、福島の人々が日常に抱える不安は他人事ではない。敦賀か美浜で原発のアボンすれば、明日は我が身なのだ。率直に言えば一日や二日、福島に滞在した程度で遠い将来、何らかの被爆症状の出るとも思えない。比較的安全な場所に居て、放射能に対し神経質になり過ぎる風潮に、反発を覚える部分もある。それよりも高校生が福島の現状を肌で感じ、それを地元に持ち帰り伝える事に、僕は意義を見出す。因みにコレが福島県による放射能測定値です。
繰り返すが、これは若年者の健康被害の問題で、個人の判断は最大限に尊重されねばならない。ただ、それを承諾書と云う形にして個人の責任に押し付ける、文部科学省の遣り口には腹が立つ。そんなものを保護者から取らねばならぬ、大会を強行する位なら中止か、他府県での代替開催が常識的な判断だろう。そのような様々に矛盾した感情を抱きつつ、僕は直前まで行く積もりの無かった、ふくしま総文を見物に行く事に決めた。いたいけな若者が福島の人々を励ましに行くのに、低線量被爆なんて別に怖くもない、良い歳した俺が行かなくてどうする。
以下、順不同で感想を綴る。
まず、今日出場した男子校二団体の内の一つ、埼玉県立浦和高校グリークラブ(小野瀬照夫指揮・男声68名)は、木下牧子「恋のない日」と三善晃「遊星ひとつ」。あざとい程にスフォルツァンドとルバートを多用しながら、全体を通し清潔なリズム感を保っている。男声らしい倍音をタップリ含んだハーモニーを存分に聴かせてくれて、厚味のあるピアニシモにゾクゾクさせられた。もう少しトップの旋律を際立たせ、音色に変化も付けて欲しいが、それでも単なるグリー調ではない音楽的な演奏と思う。
もう一校、広島県から呉港高校合唱部(横山尚指揮・男声26名)は、お揃いのブレザ−姿も凛々しく、思わず演奏にも期待して終う。聴き終えてからプログラムの紹介文を読むと、「合唱部は創部十年目のブラスバンド部員で構成しており、日頃から吹奏楽や合唱の枠に捉われず、“音楽は心”をモットーに精力的に活動しています」とあったが、僕はもう少し枠に捉われた方が、“音楽は心”を表現出来るように思う。
総文祭の吉例である各県合同合唱団の中に、少人数に過ぎる団体のあるのが気になる。日程の変更で参加人数の減ったと言い訳していた、奈良県選抜女声合唱団(上西一郎指揮・13名)は横山潤子への委嘱曲で、美しい音色と繊細なデュナーミクの工夫はあるが、全体の構成に工夫が無い。同じようなスローテンポの曲を並べて眠気を誘う。
山形県合同合唱団(村田睦尚指揮・混声105名)は如何にも寄せ集めの音色で、30名の男声も非力。でも、フォーレのレクイエムから「アニュス・デイ」で、冒頭の再現となる“レクイエム・エテルナム”に情感の溢れていた。茨城の海三校合同合唱団(寺門芳子指揮・女声75名)は、合同とは思えない程に音色の統一は取れているが、今年のNコン課題曲「僕が守る」は、テンポも表情もクルクル変える分裂症的な演奏で、これを本当にコンクール本番でやるのなら、相当なチャレンジャーと思う。チルコットのジャズ調ミサは何をやっても許される曲で、指揮者にスィング感さえあれば、こちらの方が合っているように感じる。
トリを取った群馬県合同合唱団(清水郁代指揮・混声61名)は、信長貴富「コスモス」で眠かったのが、二曲目で指揮者の居なくなると、俄然として演奏の生き生きしたのは面白かった。アマチュアでは歌い手のブレーキとなる、指揮者の何と多い事かと思う。山梨県合同合唱団(渡辺玲子指揮・混声85名)は男声が立派。練れた音色で爽快なスピード感のあり、演奏を終えた指揮者が会心の演奏に、ニッコリと微笑んだのも印象的だった。
長野県北信地区高校リーダーズコール(鳥谷越浩子指揮・混声94名)も、信長から二曲。「ヒスイ」は和声の教科書通りの、課題演習の解答のようで、「新しい歌」は頭の中で捏ねくり回し、理詰めで作ったような曲。何れも合同の練習を積んだようで、演奏には良いハーモニーがあった。来年度開催県の富山県合同合唱団(三上秋子指揮・混声44名)は、全員が浴衣姿の岩河三郎「越中おわら」で、なかなか気合の入った演奏。
福島県から遠く離れて放射能汚染は無いが、県知事の玄海原発やらせメール問題で揺れる九州から、お久し振りの宮崎県立妻高校女声合唱団(片山謙二指揮・28名)は、恐らくコンクール自由曲であろう鈴木輝昭の「殺生石」を演奏。フォルテでも決して割れない、柔らかい中に芯のある声質は相変わらずだが、ややテンポの速過ぎるのと、意識的に取り入れた後押しする邦楽のリズム感が、板に付いていないのは惜しい。
こちらもコンクール全国大会常連、熊本県立第一高校合唱団(松本強一指揮・女声40名)は、毎度お馴染み瑞慶覧尚子への委嘱曲で、持ち前の明るくスピントする美声を存分に聴かせてくれる。音量とテンポの白黒をハッキリさせるバロック的な表現の中で、音楽を進める指揮者のリズムの扱いが優れている。何もしていないようでいて、全体を見通した設計のキッチリ出来ているのだと思う。
今回の出場校は押し並べて、部員全員での参加なのか気になるが、その点に付いて出演団体プロフィールに明記したのは、大分県立上野丘高校音楽部(混声13名)のみ。指揮者無しの高校生らしい、誠実な演奏にも好感を持った。長崎県立長崎明誠高校合唱部(塚原美穂指揮・女声24名)は、遅目のテンポの中音域から、美しい音色と優し気なニュアンスを感じるが、フォルテで音色の濁るのと、高音域で声の硬くなるのが難。
山口県立萩高校合唱部(有冨美子指揮・混声43名)は信長編曲「明日があるさ」。突っ立ったまま歌われても困る曲で、速いテンポで動きを入れた中間部の後、ジックリと歌う部分とのメリハリの付け方が上手い。会津高校との合同演奏は、戊辰戦争の縁で作られたオリジナル曲で、指揮は萩高の先生。この方の独特なリズムの扱いとデュナーミクの工夫で、演奏から生命力の感じられた。
島根県立松江北高校合唱部(内藤永嗣指揮・混声16名)は、プログラムの人数表記に28名とある。伸びやかな女声はソプラノとアルトのバランスも良く、少人数でもテノールの上手さは際立っている。ここは顧問教諭の交代したようで、軽やかな楽しいポピュラー・ソングの演奏だったが、これだけで新任の指揮者の音楽性を判断するのは難しい。
鳥取県の翔英学園米子北斗高校音楽部(田中彩子指揮・女声8名)は、まずブストと石若雅弥とメキシコ民謡のプログラミングが面白い。少人数でも本格的なアンサンブルで、成熟を感じさせる声質と、ピアニシモのロング・トーンを伸ばす声の力がある。簡単なフリも入れ、これがなかなか艶っぽくて秀逸。
愛媛県立松山北高校コーラス部(高田清司指揮・混声13名)は、「アメイジング・グレース」と「ジョイフル・ジョイフル」。ステージを広く使うミュージカル・スタイルで、少人数の弱さを感じさせず、お祭りムードを盛り上げる。音楽もお座なりにせず、綺麗なハーモニーもあったが指揮は不要なので、先生は生徒と一緒に踊るべきだったと思う。
福井県から仁愛女子高校コーラス部(女声20名)は、指揮者無しでNHK朝ドラの「いのちの歌」と、松下耕「一詩人の最後の歌」を歌い分けるセンスがある。ヴォイス・トレーニングの行き届いた立派な声があり、柔らかいソット・ヴォーチェに情感を込めて、味わい深い演奏。豊かな表現力でリードするピアノ伴奏で、生徒の自発性を引き出す。こんなやり方もあるのかと、感心させられた。
岐阜県立岐阜高校音楽部(中村美代子指揮・混声30名)は、まずStephen Leekと云う人の「kondalilla」と云うので、これはホーミーやら舌打ちやら口笛やらを次々に繰り出す、典型的なイロモンの曲。メンバーが客席に降り立ち、会場中に音空間を広げたフォーメーションが効果的で、彼等の駆使する口振唱法も堂に入っている。次はウィテカーの「五つの花の歌」で、一転して舞台上に密集隊形を取り、凝集したハーモニーを聴かせるが、その歌い方は乱暴に過ぎる。この曲には更に端正な演奏の必要と思うが、高校生に取ってイロモンからの切り替えは、難かし過ぎたようだ。
キャプレの三声ミサをやった、静岡県立藤枝西高校音楽部(山本浩指揮・女声17名)は、少人数の割りに倍音の豊かなコーラス。伸びやかなフォルテシモの美しく、声の土台はあるのだが、指揮者のアクションの大きい割りに音楽の変化は乏しい。これで満足してはイケナイので、もう一工夫の研鑽を積んで欲しい。東京都立北多摩高校・立川国際中等教育学校合同合唱団(混声11名)は、この人数にしては声の出ていて、真情の伝わる振幅の広い演奏。ただ、ここも先生は踊り過ぎと思う。
千葉県立木更津東高校音楽部(松木千枝指揮・女声21名)は、速いパッセージの続く「証城寺の狸囃子」をシットリと演奏し、ポンポコも可愛らしくて好感の持てる。ランブレヒツのグローリアもアザトくなり勝ちな曲だが、軽目のリズムと速いテンポで、ピアニシモを主体に柔らかく聴かせる。この先生は自分の個性を明確に意識し、やりたい音楽をやっていると思う。栃木県立佐野女子高校・佐野東高校コーラス部(内田等指揮・女声27名)のニーステッドも、指揮者の個性にフィットして、北欧の硬質なイメージは描けている。ただ、声の非力の為、それを実現出来たとは言い難い。
岩手県立軽米高校音楽部(三船桂子指揮・女声22名)は手話付きで、新井満「ふるさとの山に向かいて」。如何にも岩手らしい透明なコーラスだが、もう少し声に力が欲しい。津波の被災地から参加の、宮城県塩釜高校合唱部(平山俊幸指揮・女声41名)は、信長貴富「万葉恋歌」。やや声の纏まりに欠けて音色に透明感の無く、音楽に変化を付け難いが、明るい自発性のあるのに好感を持つ。彼女達は震災後に作られた「しあわせ運べるように」に、真情を込めて歌い、僕も素直に泣かされた。演奏者も聴衆も、音楽の力を信じるひと時だった。
原発被災地である地元から、福島県立会津高校合唱団(山ノ内幸江指揮・混声70名)と、福島県立安積黎明高校合唱団(宍戸真市指揮・女声48名)は、それぞれ午前と午後の二回づつ演奏する。どうやら福島に一泊せず帰る学校の多いのと、出場団体は前後半を通して客席に留まる事を許されず、会津と黎明の演奏を聴く機会を二回作ったようだ。
会津高校合唱団は午前の「ダニー・ボーイ」で、まず全体を見通したアーティキュレーションを構築し、その中で細かくテンポを動かす。思い切り長いパウゼもアザトくはならず効果的、英語の語尾の処理も巧みだった。午後のドッペル・コールでのラインベルガーのミサは、うねるようなダイナミズムと繊細なアゴーギグの変化で、ロマン派の香気の漂うような演奏。深い響きのバスに支えられた重厚なハーモニーで、対位法的な部分での各パートのバランスの取り方も素晴しい。
安積黎明高校は二回とも同じ曲で、鈴木輝昭「譚詩抄五花」からドッペル・コールの“運命”。フォルテの速いパッセージから、遅いピアニシモのフレーズへ移り、最後の爆発的なフォルテシモまで持って行く、指揮者のテンションの張り方が抜群に巧い。全曲を通して柔らかい音色の中で言葉を立てる、伝統のテクニックで聴かせてくれる。柔らかく且つ重いアルトの声質も、対位法的な部分を音色の変化で処理する技術力も健在。スピントする声の鋭さは丸まり、リズムにも子音の発音からも柔らかい印象を受けた。
以上、駆け足気味にコメントを記した。今日は午後の一時間ほど、秋篠宮ご夫妻が次女を伴い、合唱部門の視察に訪れていた。内親王も被爆の懸念される年頃だが、この辺りにも政治的配慮の絡み、全く今時の宮様は大変だなぁと、少し同情して終った。
2011年8月5日(金)10:00/福島市音楽堂
3月11日の被災により福島県内で休館したホールは数多く、夏の高校総合文化祭の開催も危ぶまれた。個人的な意見としては、辛い決断でも中止が妥当と、そう思っていた。だが、五月になって規模を縮小しての開催決定が、大会事務局より発表される。そこに政治的な意図は絡まっていないのか、懸念される。
コンクール全国大会として行われ、最も注目を集める演劇部門は、開催予定の福島県文化センターの休館により香川県での代替開催、いわきアリオスが避難所となった吹奏楽部門は中止となる。やはり休館中の郡山市民文化センターで予定されていた、器楽・管弦楽団部門は日程を変更して福島市音楽堂での開催となり、これに押し出された合唱部門も、日程の変更を余儀なくされた。
今回のふくしま総文の開催に付いて、前途有為の高校生を何故わざわざ、放射線量の高い福島に集めねばならぬのか、当然ながら批判的な意見は多かった。主催者側はふくしま総文への参加に際し、生徒の保護者に承諾書の提出を求めたらしい。その結果、提出拒否の相次ぎ、合唱部自体の出場を見合わせた学校もあるやに仄聞する。若年者は無用の内部被爆を避けねばならず、その判断に対し異を唱える余地は無い。
ふくしま総文の開催強行に、政府や福島県の安全アピールの意図のあるのは明白だが、それでも福島に住み続けざるを得ない人々を思えば、全国の高校生の参加に意義はあると考える。フクシマ・ダイイチの身に迫らない、安全な土地に住む我々にしても、福島の人々が日常に抱える不安は他人事ではない。敦賀か美浜で原発のアボンすれば、明日は我が身なのだ。率直に言えば一日や二日、福島に滞在した程度で遠い将来、何らかの被爆症状の出るとも思えない。比較的安全な場所に居て、放射能に対し神経質になり過ぎる風潮に、反発を覚える部分もある。それよりも高校生が福島の現状を肌で感じ、それを地元に持ち帰り伝える事に、僕は意義を見出す。因みにコレが福島県による放射能測定値です。
繰り返すが、これは若年者の健康被害の問題で、個人の判断は最大限に尊重されねばならない。ただ、それを承諾書と云う形にして個人の責任に押し付ける、文部科学省の遣り口には腹が立つ。そんなものを保護者から取らねばならぬ、大会を強行する位なら中止か、他府県での代替開催が常識的な判断だろう。そのような様々に矛盾した感情を抱きつつ、僕は直前まで行く積もりの無かった、ふくしま総文を見物に行く事に決めた。いたいけな若者が福島の人々を励ましに行くのに、低線量被爆なんて別に怖くもない、良い歳した俺が行かなくてどうする。
以下、順不同で感想を綴る。
まず、今日出場した男子校二団体の内の一つ、埼玉県立浦和高校グリークラブ(小野瀬照夫指揮・男声68名)は、木下牧子「恋のない日」と三善晃「遊星ひとつ」。あざとい程にスフォルツァンドとルバートを多用しながら、全体を通し清潔なリズム感を保っている。男声らしい倍音をタップリ含んだハーモニーを存分に聴かせてくれて、厚味のあるピアニシモにゾクゾクさせられた。もう少しトップの旋律を際立たせ、音色に変化も付けて欲しいが、それでも単なるグリー調ではない音楽的な演奏と思う。
もう一校、広島県から呉港高校合唱部(横山尚指揮・男声26名)は、お揃いのブレザ−姿も凛々しく、思わず演奏にも期待して終う。聴き終えてからプログラムの紹介文を読むと、「合唱部は創部十年目のブラスバンド部員で構成しており、日頃から吹奏楽や合唱の枠に捉われず、“音楽は心”をモットーに精力的に活動しています」とあったが、僕はもう少し枠に捉われた方が、“音楽は心”を表現出来るように思う。
総文祭の吉例である各県合同合唱団の中に、少人数に過ぎる団体のあるのが気になる。日程の変更で参加人数の減ったと言い訳していた、奈良県選抜女声合唱団(上西一郎指揮・13名)は横山潤子への委嘱曲で、美しい音色と繊細なデュナーミクの工夫はあるが、全体の構成に工夫が無い。同じようなスローテンポの曲を並べて眠気を誘う。
山形県合同合唱団(村田睦尚指揮・混声105名)は如何にも寄せ集めの音色で、30名の男声も非力。でも、フォーレのレクイエムから「アニュス・デイ」で、冒頭の再現となる“レクイエム・エテルナム”に情感の溢れていた。茨城の海三校合同合唱団(寺門芳子指揮・女声75名)は、合同とは思えない程に音色の統一は取れているが、今年のNコン課題曲「僕が守る」は、テンポも表情もクルクル変える分裂症的な演奏で、これを本当にコンクール本番でやるのなら、相当なチャレンジャーと思う。チルコットのジャズ調ミサは何をやっても許される曲で、指揮者にスィング感さえあれば、こちらの方が合っているように感じる。
トリを取った群馬県合同合唱団(清水郁代指揮・混声61名)は、信長貴富「コスモス」で眠かったのが、二曲目で指揮者の居なくなると、俄然として演奏の生き生きしたのは面白かった。アマチュアでは歌い手のブレーキとなる、指揮者の何と多い事かと思う。山梨県合同合唱団(渡辺玲子指揮・混声85名)は男声が立派。練れた音色で爽快なスピード感のあり、演奏を終えた指揮者が会心の演奏に、ニッコリと微笑んだのも印象的だった。
長野県北信地区高校リーダーズコール(鳥谷越浩子指揮・混声94名)も、信長から二曲。「ヒスイ」は和声の教科書通りの、課題演習の解答のようで、「新しい歌」は頭の中で捏ねくり回し、理詰めで作ったような曲。何れも合同の練習を積んだようで、演奏には良いハーモニーがあった。来年度開催県の富山県合同合唱団(三上秋子指揮・混声44名)は、全員が浴衣姿の岩河三郎「越中おわら」で、なかなか気合の入った演奏。
福島県から遠く離れて放射能汚染は無いが、県知事の玄海原発やらせメール問題で揺れる九州から、お久し振りの宮崎県立妻高校女声合唱団(片山謙二指揮・28名)は、恐らくコンクール自由曲であろう鈴木輝昭の「殺生石」を演奏。フォルテでも決して割れない、柔らかい中に芯のある声質は相変わらずだが、ややテンポの速過ぎるのと、意識的に取り入れた後押しする邦楽のリズム感が、板に付いていないのは惜しい。
こちらもコンクール全国大会常連、熊本県立第一高校合唱団(松本強一指揮・女声40名)は、毎度お馴染み瑞慶覧尚子への委嘱曲で、持ち前の明るくスピントする美声を存分に聴かせてくれる。音量とテンポの白黒をハッキリさせるバロック的な表現の中で、音楽を進める指揮者のリズムの扱いが優れている。何もしていないようでいて、全体を見通した設計のキッチリ出来ているのだと思う。
今回の出場校は押し並べて、部員全員での参加なのか気になるが、その点に付いて出演団体プロフィールに明記したのは、大分県立上野丘高校音楽部(混声13名)のみ。指揮者無しの高校生らしい、誠実な演奏にも好感を持った。長崎県立長崎明誠高校合唱部(塚原美穂指揮・女声24名)は、遅目のテンポの中音域から、美しい音色と優し気なニュアンスを感じるが、フォルテで音色の濁るのと、高音域で声の硬くなるのが難。
山口県立萩高校合唱部(有冨美子指揮・混声43名)は信長編曲「明日があるさ」。突っ立ったまま歌われても困る曲で、速いテンポで動きを入れた中間部の後、ジックリと歌う部分とのメリハリの付け方が上手い。会津高校との合同演奏は、戊辰戦争の縁で作られたオリジナル曲で、指揮は萩高の先生。この方の独特なリズムの扱いとデュナーミクの工夫で、演奏から生命力の感じられた。
島根県立松江北高校合唱部(内藤永嗣指揮・混声16名)は、プログラムの人数表記に28名とある。伸びやかな女声はソプラノとアルトのバランスも良く、少人数でもテノールの上手さは際立っている。ここは顧問教諭の交代したようで、軽やかな楽しいポピュラー・ソングの演奏だったが、これだけで新任の指揮者の音楽性を判断するのは難しい。
鳥取県の翔英学園米子北斗高校音楽部(田中彩子指揮・女声8名)は、まずブストと石若雅弥とメキシコ民謡のプログラミングが面白い。少人数でも本格的なアンサンブルで、成熟を感じさせる声質と、ピアニシモのロング・トーンを伸ばす声の力がある。簡単なフリも入れ、これがなかなか艶っぽくて秀逸。
愛媛県立松山北高校コーラス部(高田清司指揮・混声13名)は、「アメイジング・グレース」と「ジョイフル・ジョイフル」。ステージを広く使うミュージカル・スタイルで、少人数の弱さを感じさせず、お祭りムードを盛り上げる。音楽もお座なりにせず、綺麗なハーモニーもあったが指揮は不要なので、先生は生徒と一緒に踊るべきだったと思う。
福井県から仁愛女子高校コーラス部(女声20名)は、指揮者無しでNHK朝ドラの「いのちの歌」と、松下耕「一詩人の最後の歌」を歌い分けるセンスがある。ヴォイス・トレーニングの行き届いた立派な声があり、柔らかいソット・ヴォーチェに情感を込めて、味わい深い演奏。豊かな表現力でリードするピアノ伴奏で、生徒の自発性を引き出す。こんなやり方もあるのかと、感心させられた。
岐阜県立岐阜高校音楽部(中村美代子指揮・混声30名)は、まずStephen Leekと云う人の「kondalilla」と云うので、これはホーミーやら舌打ちやら口笛やらを次々に繰り出す、典型的なイロモンの曲。メンバーが客席に降り立ち、会場中に音空間を広げたフォーメーションが効果的で、彼等の駆使する口振唱法も堂に入っている。次はウィテカーの「五つの花の歌」で、一転して舞台上に密集隊形を取り、凝集したハーモニーを聴かせるが、その歌い方は乱暴に過ぎる。この曲には更に端正な演奏の必要と思うが、高校生に取ってイロモンからの切り替えは、難かし過ぎたようだ。
キャプレの三声ミサをやった、静岡県立藤枝西高校音楽部(山本浩指揮・女声17名)は、少人数の割りに倍音の豊かなコーラス。伸びやかなフォルテシモの美しく、声の土台はあるのだが、指揮者のアクションの大きい割りに音楽の変化は乏しい。これで満足してはイケナイので、もう一工夫の研鑽を積んで欲しい。東京都立北多摩高校・立川国際中等教育学校合同合唱団(混声11名)は、この人数にしては声の出ていて、真情の伝わる振幅の広い演奏。ただ、ここも先生は踊り過ぎと思う。
千葉県立木更津東高校音楽部(松木千枝指揮・女声21名)は、速いパッセージの続く「証城寺の狸囃子」をシットリと演奏し、ポンポコも可愛らしくて好感の持てる。ランブレヒツのグローリアもアザトくなり勝ちな曲だが、軽目のリズムと速いテンポで、ピアニシモを主体に柔らかく聴かせる。この先生は自分の個性を明確に意識し、やりたい音楽をやっていると思う。栃木県立佐野女子高校・佐野東高校コーラス部(内田等指揮・女声27名)のニーステッドも、指揮者の個性にフィットして、北欧の硬質なイメージは描けている。ただ、声の非力の為、それを実現出来たとは言い難い。
岩手県立軽米高校音楽部(三船桂子指揮・女声22名)は手話付きで、新井満「ふるさとの山に向かいて」。如何にも岩手らしい透明なコーラスだが、もう少し声に力が欲しい。津波の被災地から参加の、宮城県塩釜高校合唱部(平山俊幸指揮・女声41名)は、信長貴富「万葉恋歌」。やや声の纏まりに欠けて音色に透明感の無く、音楽に変化を付け難いが、明るい自発性のあるのに好感を持つ。彼女達は震災後に作られた「しあわせ運べるように」に、真情を込めて歌い、僕も素直に泣かされた。演奏者も聴衆も、音楽の力を信じるひと時だった。
原発被災地である地元から、福島県立会津高校合唱団(山ノ内幸江指揮・混声70名)と、福島県立安積黎明高校合唱団(宍戸真市指揮・女声48名)は、それぞれ午前と午後の二回づつ演奏する。どうやら福島に一泊せず帰る学校の多いのと、出場団体は前後半を通して客席に留まる事を許されず、会津と黎明の演奏を聴く機会を二回作ったようだ。
会津高校合唱団は午前の「ダニー・ボーイ」で、まず全体を見通したアーティキュレーションを構築し、その中で細かくテンポを動かす。思い切り長いパウゼもアザトくはならず効果的、英語の語尾の処理も巧みだった。午後のドッペル・コールでのラインベルガーのミサは、うねるようなダイナミズムと繊細なアゴーギグの変化で、ロマン派の香気の漂うような演奏。深い響きのバスに支えられた重厚なハーモニーで、対位法的な部分での各パートのバランスの取り方も素晴しい。
安積黎明高校は二回とも同じ曲で、鈴木輝昭「譚詩抄五花」からドッペル・コールの“運命”。フォルテの速いパッセージから、遅いピアニシモのフレーズへ移り、最後の爆発的なフォルテシモまで持って行く、指揮者のテンションの張り方が抜群に巧い。全曲を通して柔らかい音色の中で言葉を立てる、伝統のテクニックで聴かせてくれる。柔らかく且つ重いアルトの声質も、対位法的な部分を音色の変化で処理する技術力も健在。スピントする声の鋭さは丸まり、リズムにも子音の発音からも柔らかい印象を受けた。
以上、駆け足気味にコメントを記した。今日は午後の一時間ほど、秋篠宮ご夫妻が次女を伴い、合唱部門の視察に訪れていた。内親王も被爆の懸念される年頃だが、この辺りにも政治的配慮の絡み、全く今時の宮様は大変だなぁと、少し同情して終った。